Episode25:小さな小さな
「くっ!」
眼前に迫り来る巨大な音の塊。
その威圧感だけで、今にも僕は押し潰されそうになる。
唯一救いなのは、音ゆえにその攻撃の軌道は直線だったということだろうか。
僕は避けることだけに全神経を集中させ、地面を蹴ってその音の塊を回避した。
……はずだった。
「……それでは無理。フラット」
囁くような声でかりんがそう呟くと、変化は起こった。
「な……」
確かに一度は回避したはずの音の塊が、まるでリモコン操作で命令でも受け付けたかのような反応速度で向きを変え、再び僕の体を目掛けて襲い掛かってきた。
瞬間、僕は思った。
避けきれない。
そしてそれを後押しするかのように、直後に僕の体に大きな衝撃が激突し、僕の体は容易く吹き飛ばされた。
「……っ」
もはや悲鳴も出ない。
本来形の見えないはずである音の塊は、しかし貨物を満載にしたトラックのような重圧で僕に激突してきた。
衝撃で肺の中の空気が全て押し出され、痛みよりもまず息苦しさが僕の体を襲った。
緩やかな放物線を描きながら、僕の体は短い滞空時間を終えると、そのまま無機質なコンクリートの地面の上に壊れたオモチャのように投げ出された。
落下の際に、左肩を強く打った。
そのときになってようやく、打ち付けた左肩の痛みと腹部を抉るような痛みが同時にこみ上げてきた。
「……が、あ……」
もはや呻き声すらまともに出すことはできない。
それでもよろよろと、僕はふらつく足でどうにか体を起こす。
――途端に僕は、その場に吐血した。
「ゲホッ……」
咳き込んだと同時に、口の中から真っ赤な血が吐き出された。
口の中に鉄の味が広がり、ひどくまずかった。
吐血の量そのものは大したものではないが、そもそも吐血する時点で相当の重症には違いない。
痛みのあまりに感覚では分からないが、肋骨の数本は骨折、あるいはヒビくらいは入っているのかもしれない。
「……っ、はぁ……」
口の中に広がる鉄の味を無理矢理飲み込んで、僕は口元を袖口で拭った。
白のワイシャツが、その部分だけ真っ赤に染まる。
背筋がゾッとするほどの寒気を感じたまま、しかし僕は視線を一点に見据えていた。
そこには、クロウサを抱きかかえたまま立ち尽くすかりんの姿がある。
その目に色はあるが、表情と感情は見て取れない。
まるで最初から何も見ていないかのように、その目はただ僕だけを見据えていた。
吹き飛ばされた僕とかりんの間には、十数メートルほどの距離があった。
この距離から見れば、やはりかりんのその姿はまるで人形のようにしか見えない。
だが、その力は外見とは比べ物にならないものだった。
あんなに小さな女の子でさえ、たったの一撃で僕に致命傷に十分な傷を負わせることができるのだから。
「…………」
僕は何も喋らず、ただ呼吸を整えることだけに集中していた。
もっとも、今の僕には呼吸すらも苦痛でしかない。
酸素を肺の中の送り込み、二酸化炭素を吐き出すというその一連の行動だけで、僕の腹部はギシギシと音を上げ、痛みを強めていった。
こんな体では、もう満足に動くことさえも難しいだろう。
実際、こうしている間にも僕の体力は確実に消耗されている。
呼吸を整えて補給する体力よりも、傷の痛みで失われていく体力の方が明らかに多かった。
スッと、かりんは無表情のままで一歩僕のほうへ踏み出した。
しかし、それで互いの距離が急激に変わるわけではない。
だがそれでも、僕はわずかに体を引いていた。
「……どうして?」
と、ふいにかりんは呟いた。
凍えすぎる声は聞き取り辛かったが、不思議と僕の耳によく響いた。
「……どうして。力を。使わないの?」
その問いに、僕はどう答えればいいのだろうか。
正確に答えれば、今の僕は力を使わないのではなく、使いこなせるようになっていないということなのだが……。
いや、ダメだ。
どんな理由があろうと、自分がこれ以上不利な状況に追い詰められることだけは避けなくてはいけない。
もしもここでバカ正直に説明などすれば、それこそ殺してくれと言っているようなものだ。
「……戦いたく、ないから。それじゃ、理由には……ならないの?」
言葉一つ吐き出すたびに、僕の腹部に痛みが走る。
それでもどうにか、文章として伝わるであろう言葉が吐き出せた。
その言葉は僕の本当の気持ちだったが、半分は嘘だ。
正確には、本当が百パーセントに嘘が五十パーセント。
戦いたくないのは本当だ。
しかし、避けられない戦いなら僕は戦う。
今はただ、僕の力が戦うにまるで値しないという、それだけのことだ。
「……それは。間違い。力は。戦う。ためにある。ヤマトは。力の。意味を。間違えて。理解している」
たどたどしく語られる言葉。
だが、それはある意味では真実だった。
理由はどうあれ、確かに力そのものは戦うためにあるものだ。
それに関しては間違っていない。
ただそこに、もう一つの定義があるはずだ。
つまり、何のために戦うのか、ということだ。
「……かりんは、どうして戦うの? その力は……君が望んだもの?」
「……この力は。私が。望んだ。ものじゃない。けれど。私は。戦う。その先に。願う場所が。あるから」
「……願う、場所?」
「……ある人が。教えてくれた。戦争に。勝つことは。願いが。叶うこと。どんな。望みも。現実となる。だから。私は。戦う」
「願いが……叶う?」
それは僕にとって初耳のことだった。
この能力者同士の戦争の終わりには、そんな得体の知れないものが用意されていたのか?
「……私には。望みがある。だから。私は。負けるわけには。いかない」
言って、再びかりんは片方の手を空に向けて掲げた。
それは、第二の攻撃の合図だった。
「……っ!」
しかし、その前触れを目で見ることはできても、僕にはもうそれを回避するだけの力が残されていなかった。
仮に百歩譲って回避できたとしても、先ほどのように攻撃の軌道が急激に変わったら、それでおしまいだ。
あの攻撃はまるで、追尾機能でもある誘導弾のようなものなのだ。
いや、能力である以上はそれよりも性質が悪い。
恐らく、どこまで逃げても追いかけてくる可能性も捨てきれないだろう。
「……今の。ヤマトじゃ。これは。避けれない。あなたは。ここで。脱落する」
掲げたその手に、音符の塊が集まる。
「……死にたくなければ。戦うこと。私は。きっと。手加減。できない」
相変わらずの場違いなメロディが耳に痛い。
流れるメロディの通り、僕はまるでくるみのように割られてしまうのだろう。
「……さっきより。強くやる。直撃は。ヤマトの。死を。意味する」
淡々と述べられる言葉。
しかし、そこに嘘は一つもない。
これだけの距離があるというのに、威圧感は先ほどにも増して大きくなっていた。
正真正銘、かりんは僕を殺すつもりでこの攻撃を放つつもりだ。
色のない表情でも、それだけははっきりと分かった。
「……かりん、君は、何を願うの?」
ふと、気付けば僕はそんなことを聞いていた。
まるで、死を目前にした最後の言葉であるかのように。
「……それを。聞いて。ヤマトは。どうするの?」
「……それは……」
僕は答えられなかった。
ただ、何となく気になっただけなのかもしれない。
こんな小さな子までが戦わなくてはならない、その理由に相当するほどの望みというものを、僕は知りたかったのかもしれない。
「……私の。望みは。一つだけ」
そこで初めて、かりんは瞬きをしたように見えた。
スッと目を閉じ、スッと開ける。
ただそれだけの動作が、やはりかりんが人形などではなく、れっきとした一人の人間であることを物語っていた。
「――……私は。私を。取り戻す」
それが、かりんの願い。
対して、僕の返答は必要なかった。
いや、すり暇がなかったと言い換えるべきだろう。
すでに、かりんの手から第二の攻撃は放たれていた。
目には見えないはずの音の塊が、場違いなメロディと共に僕に迫る。
その巨大な音の塊を前にして、僕はやけに冷静だった。
避けなければ、確実に死ぬ。
そんな攻撃を目の前にして、どうしてこんなにも気分は落ち着いているのだろう。
それはきっと、至極簡単なことだった。
なぜなら……。
――その攻撃が、あまりにも遅く見えていたから……。
直後、音の塊はコンクリートの地面を削り、吹き飛ぶ残骸を巻き込みながら、やがて音もなく消失した。
その軌道の中に、僕の姿はない。
「…………」
かりんはただ、文字通り何もなくなったその地面の上を見ていた。
「……よかったのか? かりんよ?」
腕の中で、クロウサが静かに、しかしどこかいたたまれないような口調で言った。
「……いいの。これが。宿命。私も。ヤマトも。そういう。運命の下に。生まれた。ただ。それだけ」
「……そうか。ならばオイラはもう何も言わないが……」
クロウサの声のトーンがわずかに落ちる。
こうして聞いていると、クロウサの方がずっと人間らしかった。
「……かりんよ、一つだけいいか?」
「……何?」
「実はな、言いにくいことなのだが……」
「……?」
クロウサは一瞬だけためらい、しかししぶしぶと続く言葉を吐き出した。
「かりん、後ろを見てみろ」
「……後ろ? どうして……」
言われながら、かりんは背後を振り返る。
そしてそこで、初めて感情の変化とも思える驚きの表情を見せた。
「……嘘。どうして……」
「……言わない方が、よかったかもしれん……」
そう言って、クロウサはどこか疲れたように大きな耳を垂れた。
まぁ、かりんが驚くのも無理はないだろう。
――なぜなら、たった今確実に倒したであろう僕が、こうしてかりんの背後で無事に生存しているのだから。
「……どうして。絶対に。避けれる。はずがない」
「……僕だって、すっかり諦めかけてたよ」
僕は相変わらずの腹部の痛みに悩まされながら、それでもどうにか立っていられるだけの体力を取り戻していた。
これもひとえに、風の力のおかげだろうか。
「……どうやって。避けたの? その傷じゃ。まともに。動けないはず。今だって。立っているのが。精一杯」
「そうだね。確かに、かりんの言うとおりだよ。だけど、別に僕自身はかりんの攻撃を自分から避ける必要なんて、なかったんだ」
「……? どういう……」
言いかけて、かりんはハッと気付く。
「……そう。それが。ヤマトの。力。あなたの。それは。風の力」
「……そういうこと。だから僕は避けるんじゃなく、風に僕の体をここまで運ばせた。それだけだよ」
しかし正直、結果として助かったからいいものの、ずいぶんと分の悪い賭けだったのは確かだ。
理屈の上では通っていても、いざ行動に移すときは冷や汗ものだった。
音の塊が僕の動きを誘導するのは、あくまでもその僕の動きを、術者であるかりんがその目で見て、しかるのちに指示を与えているからだと僕は考えたのだ。
ということは、ようするに目で追えないほどの速度で回避すればいいだけのことである。
とはいえ、ここにも危険性はある。
僕がどれだけ素早く回避したとしても、かりんの目がそれを捉えてしまえばいいだけのことである。
ましてや、かりんは瞬き一つする素振りを見せなかった。
そんなのでは、簡単に見切られてしまうのではないだろうか?
そう思った僕は、急遽逆のことを考えた。
僕が動くのではなく、僕が動かされればいいのだ。
そうした結果として、とりあえず僕は一命をこうしてとりとめている。
危険な賭けだったとはいえ、今は生還を素直に喜ぶべきだろう。
「……どうして?」
「え? 何が?」
「……背後を。取ったのに。どうして。攻撃を。しなかったの? チャンス。だったはず」
「……それは」
と、僕が言葉を続けるよりも早く、クロウサはその先を代弁した。
「それは違うぞ、かりん」
「……クロウサ?」
かりんは腕の中のクロウサの体の向きを変え、ちょうど正面から見合うように抱き直す。
「ヤマトはな、かりんを傷付けたくなかったんだ。いや、かりんに限らず、きっとどんな能力者相手にも同じことを思うんだろうな。ヤマトはそういうやつだ。ようするに、優しすぎるんだ」
「……クロウサの。言っていることは。私にも。分かる。ヤマトは。優しい」
言って、かりんは一度僕に視線を戻した。
「……けれど。それは。戦いの中では。不必要。優しさは。同時に。甘さでもある。捨て切れないのならば。勝つことは。できない」
それは正しい言葉だった。
優しさというものは誰が持っていても長所に聞こえるが、それは同時に短所でもあるからだ。
「だから、違うんだってかりん」
としかし、クロウサは言葉を続ける。
「そもそもヤマトは、戦う意思がほとんどないんだ。それなのに、この戦争には勝ち残るつもりでいる。つまり、誰も傷付けずに、この戦争を終わらせるつもりなんだよ」
「……クロウサ。冗談にしては。笑えない。そんなことは。できない。戦うことは。宿命であって。だからこそ。これは。戦争なの」
「分かってるよ、それくらい。でも、ヤマトは本気でそう思ってるんだ。そうだろう?」
話が僕に振られる。
僕は答えずに、しかし確かに首を縦に振って頷いた。
「……無理。そんなことは。不可能。それに。勝者のいない。戦争の最後では。叶う望みは。どこへ消えるの?」
「……そのことだけど、僕は戦争の勝者が望みを叶えられるなんて、全然知らなかったんだけど……」
「……本当? では。ヤマトには。今。望みは。何もないの?」
「……あるとすれば、この戦争を終わらせること、かな。だけどこれ、無理な願いだよ。だって、願いを叶えるためには、まずこの戦争に勝ち残れってことなんでしょ?」
「……確かに。ヤマトの。願いは。矛盾している」
「そういうこと。だけど、僕の気持ちは変わらない。こんな戦争で誰かが誰かを傷付けたり殺したりなんて、僕は見たくもない」
「…………」
もちろん、これはあくまでも僕の理想論に過ぎない。
理想だけに、実現は困難だということも十分分かっている。
だけどそれでも、やはり納得はいかない。
望まない力に右往左往しながら、誰かが誰かを傷付けて、そして知らずに自分と自分の大切なものまで傷付けるこんな戦争は、絶対にあってはいけないものだ。
「……私には。分からない。どれが正義で。どれが悪か。どちらもいない。けれど。どちらも誰の中にもいる」
「かりん……」
「……もういいだろう、かりんよ。少なくとも、ヤマトにはお前を傷付ける理由がないのは分かったのだ。それだけでも十分じゃないか」
「……そう、かもしれない。クロウサ。たまには。いいことを言う」
「何言ってるんだ。オイラはいつもいいことしか言わないさ」
そう言って、クロウサは誇らしげに笑ったように見えた。
そしてそれよりも何よりも……。
「……フフ」
と、そんな囁くほどに小さな声で、しかし確かに……。
――目の前の人形のようなかりんは、確かに小さく微笑んでいた。
……なんだ、ちゃんと笑えるんじゃないか。
その屈託のない笑顔を見て、僕は不思議と救われたような気がした。
少なくとも、この戦争はまだかりんから笑顔までもは奪い去ってはいないようだった。
できれば、この先も。
奪わないで欲しいと、僕は密かに願う。
まるで人形のように、小柄で無表情なかりん。
誰が望んで、こんな小さな子を争いの渦の中に放り込んだのだろうか。
例えそれが運命だとしても、僕はその運命を恨まずにはいられなかった。
「……ヤマト」
ふいに、僕は名前を呼ばれた。
「……何?」
「……傷は。大丈夫? 自分で。やっておいて。心配なんて。おかしいけれど」
「……ん、多分、大丈夫だよ」
だが、それは僕の強がりだった。
今でも立っているのがやっとだし、痛みは引いても吐血を下のは紛れもない事実だ。
内臓のどこかしらに痛手を受けているのかもしれない。
とにもかくにも、放っておくわけにはいかないだろう。
「…………」
としかし、かりんは怪訝そうな目でいつまでも僕を見上げていた。
「な、何?」
「……嘘。ヤマト。血を吐いてた。ただの怪我じゃ。済んでいない」
言うなり、かりんはそっとその小さな掌を伸ばし、僕の腹部にあてがった。
「……っ!」
それだけで、僕は膝が折れそうな激痛を覚えてしまう。
情けないが、本当に立っているのもやっとの状態だった。
「……やっぱり。ごめんなさい。私のせい。今。痛みを。取り除く」
「……かりん?」
今、何と言ったのだろう?
痛みを取り除くって、そんなことが……。
「まぁ。見ていなよヤマト」
と、クロウサの声に僕は言葉を呑み込んだ。
腹部に触れたかりんの小さな手が、妙に暖かく感じた。
「――……鎮魂歌。レクイエム」
そうかりんが呟くと、かりんの手を中心に淡い光が生まれた。
光は暖かく、しだいにそこには音が生まれる。
オルゴールのような静かな音で、聴く者を安らかにさせるようだった。
そしてあろうことか、見る見るうちに僕の腹部からは痛みが消え去っていった。
「……うわ」
僕は素直に驚いていた。
淡い光が消え、音が消える頃には、僕の体はすっかり痛みを訴えなくなっていた。
「……どう? 痛みは?」
「あ、うん。もう全然何ともない……」
「……そう。よかった」
「ありがとう、かりん」
「……お礼は。おかしい。その傷を。つけたのは。私」
「それでも、ありがとう」
「……ヤマトは。おかしい。けれど。優しい。暖かい。私が。探しているものと。少し。似ている」
その言葉の真意は、僕には分からなかった。
「……そっか」
だから今は、こうして相槌を打つだけ。
「……私は。いや。私も……」
何か言いたげに、かりんは僕のことを見上げる。
「――……私も。ヤマトとは。戦いたく。なくなった。不思議。こんなことは。今までには。思わなかったこと」
その何気ない言葉も、きっとかりんの本当の気持ちなのだろう。
僕は嬉しい反面、急にどこか恥ずかしくなってしまい、慌てて視線を逸らしていた。
そんな僕とかりんの様子を見ているクロウサだけが、声を出さずに笑っているような気がした。