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LinkRing  作者: やくも
22/130

Episode22:嵐の前の


 一日の始まりとその終わりが、日に日に体で感じ取れなくなっている。

 もしも人の一生をたった一日で表現するのならば、誰もが朝に生まれ、夜に死ぬということになるだろう。

 そう考えると、命というものはとてつもなく儚いものだという言葉にも、些か納得をせざるを得なくなってくる。

「そんなの、みんな同じなんだろうけどさ……」

 そう呟いて、飛鳥は一度その場で足を止めた。

 歩道の真ん中、真昼の路上に往来する人の数は数えるほどで、時間の流れがやけにゆったりしているようにも感じ取れた。

 本当なら、こんな風にのんびりしている暇なんてあるはずはないというのに……。

「……これから、どうなるんだろ。どうするんだろう、私は……」

 街路樹の傍らに立ち尽くして、飛鳥はそんなことを考える。

 太陽はちょうど真上にやってきたところで、多少なりとも空腹感を覚え始める時間帯。

 しかし今の飛鳥に食欲は全くといっていいほどなかった。

 昨夜もあまり眠ることができず、朝まで何度もうたた寝を繰り返しては目を覚ましていた。

 そんなわけで、こんな風に秋晴れの気持ちいい天気の下だと、どうにも眠気がこみ上げてきてしまう。

「ふぁ……」

 だらしなく開きかけた口元を両手で覆い、飛鳥はあくびを殺した。

 街の中心へと続く道を当てもなくブラブラと歩いてきたわけだが、そこに目的というものは存在しなかった。

 本来なら今日も、氷室と少し体を動かそうとかそんなことを思いながら自宅を出たはずだった。

 だが、肝心要の氷室とは連絡がつかなかった。

 携帯は留守電モードに切り替わるばかりで、通話口の向こうに本人が出てくる様子は感じられなかった。

「さて、と。どうしようかな……」

 思いがけずに暇な時間を持て余すことになった飛鳥は、文字通り手持ち無沙汰だった。

 やりたいことなんて得にありはしない。

 やりたくないことならいくらでもあるというのに……。


 ちなみに余談ではあるが、飛鳥は通信制の学校に通っている。

 授業はもっぱらパソコンの画面越しに行われるので、一般の学生達が普通に学校へ登校しているような今の時間、こうして平然と外をぶらついていることそのものには何ら問題はない。

 午前中でレポートの提出は終えたし、課題もこなした。

 ようするに、飛鳥は暇だったのだ。

 それこそ自分の置かれた立場から考えれば不謹慎だとしか言いようがないのだが、暇なものは暇だから仕方ないじゃないというのが飛鳥の弁。

 しかしこうして外に出てきたまではいいものの、すぐに目的を見失ってしまう。

 いや、もとから何かを目的にして外出したわけでもないので、その表現もどこかおかしい。

「……はぁ……」

 溜め息を一つ吐いて、飛鳥は仕方なく目の前に続く歩道を道なりに歩くことを再開した。

 こんなことなら、大人しく自宅で仮眠でもしておけばよかった。

 いや、そもそも全ての原因は氷室にあるに違いない。

 氷室が電話に出さえすれば、飛鳥は少なくとも時間の潰し方に関しては困ることはなかったのだから。

 うん、そうだ、そうに違いない。

 悪いのは氷室だ、あのノッポメガネだ。

 などと、飛鳥は自分の中で勝手に極論をつけて自己完結させてしまう。

 投げ槍と言うか何と言うか、大雑把にもほどがある。


 しかし改めてこうして真昼の街並みを歩いてみると、不思議と物珍しさを覚える景色は少なくなかった。

 もともと人ごみが苦手で外出をあまりしなかった飛鳥にとって、こうしたいわゆる散歩のような時間というのは、ずいぶんと懐かしさを感じさせるものだ。

 もっとも、『Ring』に関わってからは、大人しくしていることの方が自分の中の不自然の定義に変わっているのだが。

「あれ? こんなところに本屋なんてあったんだ……」

 交差点付近まで歩いて、飛鳥はその見慣れない書店の看板を見上げていた。

 飛鳥の記憶の中では、この場所はもうずいぶんと長い間空き地のままだった。

 いつ頃できたのだろうと、ぼんやりとそんなことを考えながら周囲の景色に目を向けた。

 よく見ると、街のあちこちが飛鳥の中にある記憶とは少しずつ違った景色に変わっていた。

 昔より道幅も広くなったような気がするし、何より車通りが激しくなっている。

 昔……といっても、もう十年以上も昔のことだが、当時はもっと物静かな雰囲気のある場所だった……と、思う。

 記憶なんてものは実に曖昧にできているものだ。

 人間という生き物は特にそれの典型で、都合の悪い記憶を都合のいいように改竄することなんて、もはや日常茶飯事だ。

 それは飛鳥も決して例外ではない。

「……この場所、こんなにうるさかったっけ……」

 記憶を遡って、飛鳥は映像を重ね合わせる。

 まだ自分が幼かった頃の同じ場所を、現在のものと並べてみる。

 当然、ピタリと当てはまる部分など数えるほどしかない。

 そんなのは当たり前だ。

 人だろうと犬だろうと猫だろうと、生物は皆歳を取る。

 それと同じことだ。

 月日が流れれば、街も空も想い出も、その全てが形を変えていく。

 未来永劫そのままであり続けるものなんて、それこそ珍しい。


 昔懐かしい友達に出会って、誰もが十中八九こう言うだろう。

『お前、変わったな』

『昔と全然変わらないな』

 などと。

 変わることは自然なことで、それは別にいけないことではない。

 だからといって変わらないこともそれと同様で、善悪や優劣の頓着なんてものはそこには存在しないはずだ。

 けれど誰もが、変わったのは自分なのか、それとも自分の周囲の環境なのかを知らない。

 それでもきっと、誰もが何もがどこかで変わっている。

 変わらないものが何一つないなんてことは言わない。

 けれど、変わらずにあり続けることは褒められることではないし、褒められるために変わらずにいるわけでもない。

 自分は変わったのか、それとも変わっていないのか、どっちなんだろう?

 と、そう考えた時点でその誰かはすでに変わっている。

 なぜなら、昔はそんなことなど考えたことがなかったはずだからだ。

 つまり、考え方が変わっているのだ。

 それは目には見えないが、しかしれっきとした一つの変化だ。

 だから、誰もが何もがきっとどこかで変わっている。

 変わらないものなんて、きっと数えるほどしかありはしない。

 それでも確かに、やはり変わらないものというのはあるわけで。

 例えばそれは、記憶だったり。

 例えばそれは、想い出だったり。

 それらがどんな形で今の自分の中に残っていても、それらがすでに過ぎ去った過去のものである限り、事実を曲げることはできない。

 どれだけ都合よく自分の中で書き換えても、上塗りしても。

 文字は消えず、色は落ちない。

「…………」


 そんな分かりきったことを、どうして今頃になって思い出したのか。

 交差点前に立ち尽くした飛鳥は、ぼんやりとその景色を眺めていた。

 やがてその視線が、ふいに路肩に置かれたそれに気付く。

「……花?」

 交差点の隅、電柱とガードレールの隙間に、いくつかの花束が供えられていた。

 同じようにジュースの缶や、お菓子の袋、オモチャの類まで一緒に置かれている。

 ああ、そうか。

 飛鳥は思い出した。

 今から約一ヶ月ほど前に起きた、この交差点での交通事故のことを。

 ニュースで見た程度の情報だが、確かその事故で五歳の男の子が亡くなったはずだ。

 原因は、その男の子が赤信号の横断歩道に飛び出したことらしい。

 確か、手に持っていたボールか何かを落として、それを拾おうとして赤信号の中に飛び出してしまったとか。

「……そっか。この場所だったんだ」

 供えられたそれらは、その男の子に向けられたものなのだろう。

 よく見ると、花束の間に小さなゴムボールが一つ、色褪せて佇んでいた。

「……バカだなぁ」

 と、気が付くと飛鳥は口に出していた。

「バカだよ、ホントに……」

 それが死者を愚弄する言葉だと分かっていても、飛鳥の口は止まらない。

 その表情が、どこか悲しみに満ち溢れていることを飛鳥自身は知らなかった。


 「――ダメじゃん、死んじゃったら……それで、全部おしまいだもの……」


 呟くように言って、その場にしゃがみこんでそっと両手を合わせて目を閉じた。

 神様でも天使でもない飛鳥は、その男の子を天国に導いてあげることはできない。

 そもそも、天国なんてあるわけがないと飛鳥は思っている。

 死んだらそれでおしまい。

 天国も地獄もあったもんじゃない。

 皆等しく、土の中へと還るだけ。

 ……だけど、それでも。

 今の飛鳥は、そんな天国とか地獄があってもおかしくないような、そんなファンタジーの世界の中に身を置いているから、少し分かる。

 天国があればいいなぁと、少しだけ思ってしまう。

 そして本当にそんなものがあるのなら、できればこの男の子をその場所に連れて行ってあげてほしい。

 せめて、笑ってこの世界とお別れできるように。

「……ごめんね」

 それだけ告げて、飛鳥は立ち上がる。

 同時に、信号が変わった。

 カッコーの鳴き声が響く中、飛鳥は無言で横断歩道を歩き始めた。




「コラ、逃げるな真吾!」

「ザケンナ。逃げるなといわれて逃げるのを止めるやつがどこにいる」

「口答えするな! いいからアンタは言われたことやってりゃいいのよ!」

「ハン、んな義理はねーな。そんなにやりたきゃお前がやれよ」

「あー、もう。ああ言えばこう言う! いいから黙って止まれっつってんのよ!」

「黙るのか止まるのか、どっちかにしやがれ」

「黙って止まれ!」

「……支離滅裂じゃねーか、おい……」

 真昼の孤児院の中、二人分の大声と足音がドタバタギャーギャーとこだまする。

 部屋を、廊下を、中庭を慌しく駆け抜けて、終わりの見えない鬼ごっこは続いていた。

「つーか、今日の当番はお前だろーが。ルールは守れよルールは」

「だーかーらー! アンタが前の夜に当番一回サボってるから、今日で帳消しにしてやるって言ってるんでしょ!」

「だからって、何で今日なんだ? 別に今度でもいいだろーが」

「う、うるさい! いいから黙って交代する! アンタが逃げてる分だけ、皆のお昼ご飯が遠ざかっていくんだからね!」

「……逆ギレかよ。マジ最悪……」

 などと愚痴をこぼしながら、真吾は相変わらず走る足を止めようとはしない。

 とはいえ、いい加減にこうして逃げ回ることに疲れてきたのも事実だ。

 全く、たかだか食事当番のことで何をこうムキになって追いかけられなくてはいけないのだろうか。

 チラリと、真吾は走り続けながら背後を振り返る。

 数メートルほどの距離を置いて、相変わらず彼女は……相庭優希あいば ゆうきは追いかけてきていた。

 しかし、真吾の目から見てもそろそろ息切れの具合が見て取れる。

 そして案の定、次の廊下の曲がり角を待たずして優希はその場で立ち止まった。

「っ、ったく、昔っから逃げ足だけは成長を続けてるんだから……!」

 忌々しそうにそう吐き捨てると、優希はその場に膝を折った。

「逃げ足だけとは心外だな。ちゃんと身も心も成長してるっつーの。ああ、万年チビ助のお前には成長って単語は辞書にねーんだっけ?」

 真吾の視線の下で膝を付く優希は、年齢は真吾と同じ十六歳である。

 だがしかし、それを補って余りある成長速度の遅さを露にしていた。

 身長百七十八センチの真吾の長身に対して、優希の身長はズバリ、百四十九センチほどしかない。

 これではまるで兄と妹のような対格差である。


「う、うるさい! 人の体のことをいちいち言うなんて、最低だぞ!」

「お前の声が一番ウルセーよ。目の前にいるんだ、怒鳴らなくても聞こえる」

「うー……こ、この大木! アンタなんてあれよ、井戸の大木よ!」

「……井戸じゃなく、ウドだろ? 井戸に大木が生えるなんて、どんな場所だよそこは……」

 オマケによく日本語の使い方を間違える。

 おそらく、大樹に間違った日本語を吹き込んだのも優希の仕業に間違いないだろう。

「……もういい。アンタと話してると疲れてくるんだもん……」

「……一方的に追いかけられて、挙句に疲労まで俺のせいか? やってらんねーぞ、ったく……」

 舌打ちし、真吾は面倒くさそうにその場に座り込む。

 中庭では多くの子供達が、今までの二人の騒ぎなど何でもないかのように賑やかに遊んでいた。

「……で、何なんだよ?」

「……何がよ?」

「とぼけんな。料理に関しては俺なんかよりお前のほうがずっとうまいだろ。それなのにここまで執拗に当番代われってことは、何か理由があんだろ?」

「…………」

「何だよ? ねーのか? だとしたら俺、ずいぶんとムダなカロリー消費させられちまったワケか」

「……別に、そんなんじゃない」

「どんなんだよ?」

「…………」

「……ったく、ダンマリかよ。やれやれだな……」

 言って、真吾は再び面倒くさそうに立ち上がった。

「……下ごしらえはやってやる。あとはお前がやれよな」

 そして実に面倒くさそうにそれだけ告げて、廊下の向こうへと歩いていった。

「あ……」

 その背中に、優希は何か居痛そうな言葉を呑み込んで、そのまま無言で真吾のあとに続いた。


 二人はその足で台所へとやってくる。

 すると案の定、まな板の上には生の魚がさばかれずに置いたままの状態であった。

「……ったくよ、ガキじゃあるまいし……」

 これまた面倒くさそうに吐き捨てて、真吾は調理台へと向かう。

「そ、そんなこと言ったって、仕方ないでしょ。私だって、好きでこんなんじゃ……」

「……アホ。逆だ逆」

「……何よ、逆って……」

 ハァと、そこでまた真吾は大きく溜め息を吐いて、背中を向けたままで優希に告げた。


 「――お前が生物さばくのができないことぐらい、こっちは百も承知なんだ。回りくどいことしねーでも、こんなもん頼まれりゃいくらでもやってやるよ」


「…………」

 言うなり、真吾は慣れた手つきで魚を三枚におろし、小骨や腸を取り除いていく。

 その手つきは、素人なりには中々見事なものだ。

 長年台所に立ち、手伝いと称しては料理の腕を磨いていったのも頷ける。

「おい? 聞いてんのか?」

「……え? あ、う、うん……」

「……まぁいいや。ほれ、こっち終わったやつだから、お前も手伝え。早くしねーとガキどもがまたウルセーからな」

「うん……」

 作業に没頭しているので、真吾は後ろを振り返らない。

 仮にも包丁を扱う作業なのだから、当たり前といえば当たり前のことだ。

 だからこそ、真吾は気付いていない。

 自分の背後にいる優希が、どうしてかわずかばかりに頬を赤く染めていたことに。

「ほい、終わり。あとはできるんだろ?」

「あ、うん。大丈夫……」

「んじゃ、俺は先生呼んでくるから。後は任せた」

 そう言って、真吾はその場をあとにして廊下に出る。

「あ……」

 その背中に、優希は呼びかける。

「んだよ、まだ何かあんのか?」

「そ、そうじゃなくて……」

 優希の口調がわずかに変わる。

「……そ、その…………がと」

「あ? 聞こえねーって。何だ?」

「……な、何でもない! 早く、先生呼んできてよ……」

「何なんだ、一体……」

 最後にまた愚痴をこぼし、真吾はそのまま廊下の奥へと向かっていった。


 部屋の扉をノックする。

「先生ー。昼飯の準備できたぞー」

 少し間を置いて、扉は内側から開いた。

「あら、もうそんな時間? 全然気が付かなかったわ」

 出てきたのは、三十代後半から四十代前半の外見の女性だった。

 彼女……久保平斎くぼひら いつきこそが、この孤児院、あじさい園の園長を務める人物である。

「急いで支度しないと……間に合うかしら」

「あー、いいっていいって。昼飯の支度は、優希がやってっから。先生は俺と一緒に皿でも並べてればいいんだよ」

 一足先に廊下を歩き出す斎に続き、真吾が続く。

「あら? でも確か、材料には生魚があったはずだけど……」

 言いかけて、斎はチラリと真吾の顔を覗きこむ。

「……何?」

「……いいえ、何でもないわ。そうね。それじゃ、お皿でも並べてましょうか」

 何が楽しいのか、斎は小さく微笑んでそのまま台所へと向かっていった。

「チッ、どいつもこいつも……」

 真吾はつまらなそうに呟き、ふと中庭に視線を向け、そのまま空を見上げた。

 快晴だった。

 雲ひとつない秋晴れ。

 意味は知らないが、これが天高く馬肥ゆる秋というやつなのかもしれない。

 だが、しかしどうして……。

「……気味がワリーな……」

 そんなことを思ってしまうのだろうか。

 空はただどこまでも青く澄み渡っているだけだというのに……。

「……ま、気のせいならそれに越したことはねーよな」

 それだけ呟くと、真吾も再び台所へと向かった。

 フライのいい匂いが鼻に届いて、改めて真吾は自分の空腹加減を思い知らされた。

 やっぱり季節は食欲の秋だろと、自分自身に言い聞かせた。


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