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LinkRing  作者: やくも
20/130

Episode20:現実の終わりの夜に闇は詠う


 大和が事務所をあとにし、その後しばらくしてから飛鳥もその場をあとにした。

 なんだかんだで疲れてしまったという感もあったし、何より考え事をしているときは一人になりたかった。

 かといって、デスクワークにいそしむ氷室は声をかけてくるわけでもなく、事務所の中そのものは静かなものだった。

 ただ、それでも考え事をするのには適した場所とはいえない。

 ただでさえ鋭く、勘のいい氷室のことだ。

 おそらくは、飛鳥の考えていることも大方の見当はついているのだろう。

「……私も行くわ。じゃあね、氷室」

「そうですか。気をつけて。それと、飛鳥」

 案の定、思ったとおりの言葉で氷室は飛鳥を引き止めた。

「……分かっていますね? 焦りは禁物ですよ」

「……とりあえずは、うんと言っておく」

 それだけ告げて、飛鳥は事務所の外へと出て行った。

 走らせていたペンを止め、氷室は扉の閉まる音と飛鳥の後姿を見送った。

「……やれやれ。面倒なことにならなければいのですがね……」

 ペンから手を離すと、ペンはコロコロとデスクの上を転がった。

 椅子から腰を上げ、すっかり夕陽の色が差し込み始めた窓ガラス越しに、目下の街並みを眺める。

 歩道の上、行き交う人並みの中に紛れて飛鳥の後姿が見えた。

「……強くなりたい、ですか……」

 氷室は誰に言うわけでもなく呟いた。

「ええ、そうでしょうね。誰しもが、必ず一度は辿り着く結論です。私だって、そうでしたから……」

 窓ガラスに手を当てて、視線をわずかに上に向ける。

 西の空の向こう側、夕陽がすでに半分ほどその体を地平線の下に潜らせていた。

「……ですが、飛鳥」

 再び視線を歩道へ。

 しかし、その先にすでに飛鳥の後姿を見分けることはできなかった。

「……今よりも強さを求め、その先にあなたは、何を求めるつもりですか?」

 届かないと知って、しかし氷室は呟く。


 「――あなたの望みは、どこにあるんですか?」


 答えはない。

「……我ながら、愚問ですね」

 と、ふいに眼鏡を押し上げる。

「野心の一つや二つ、誰しもが持っていること。それは私も、例外ではないのですから……」

 そう呟いて、氷室はデスクの上の書類を揃える。

 それらの書類は、『Ring』に関するごくわずかな資料だ。

 ただでさえ歴史の中に姿形はおろか、その存在さえも隠蔽されたかのように情報の少ない代物。

 そんなものに関する記述がある書物などは、世界中をくまなく探したところで数えるほどしかありはしない。

 これらの資料は、氷室が独自でかき集めたものを、自分なりに編纂したレポートのようなものである。

 しかしそれでも不明な点は数多く、むしろ分かったことの方など皆無に等しい。

 が、それらは決して捨てたものではない。

 もっとも重要であるかもしれない情報の記述が、そこには記されていた。

 曰く。


 ――『Ring』の力を統べし者、栄光の名の下に如何なる望みも一つ叶えん。代償として…………の……を……。


 文献がかなり古いもので、ところどころが虫食いになっていたり破れて読めなくなっている。

 しかしこの一文だけからでも、ことの重要性はよく分かるだろう。

 ようするに、この戦争の勝利者となることは、イコール自分の望みを叶えることができるという解釈になる。

 この事実を全ての能力者達が知っているわけではないだろう。

 いや、むしろ氷室を含めたごく一部の能力者達しか知らないといっても過言ではない。

 飛鳥はこのことを知ってはいるが、氷室はこの事実をまだ大和には話していない。

 それに何より、この一文にはまだ読み取ることのできない続きがある。

 その先には果たして、どんな文章が書かれていたのだろうか?

 わずかながらの好奇心さえも抱きながら、氷室はそこに非常に興味を示していた。

「……望みを叶える、ですか。確かにこのファンタジーの中では不思議さも半減しますが、それにしたって……」

 話ができすぎているような気がしてならない。

 確かにこの手の設定は、ゲームなどで多用されるありふれたものだ。

 それだけに、目の前に現実の一部として付きつけられると疑いを隠すことはできない。

 そんな都合のいいことが起こるはずがないと思いながらも、今自分がいるこの場所はすでにファンタジーの世界なのだという事実が、無意識のうちに混乱を招いてしまうのだ。

「……吉と出るか、凶と出るか……いえ、この場合はちょっと違いますか」

 ハァと溜め息を一つ吐いて、氷室は呟く。


 「――蛇が出るか、鬼が出るか。どちらにしても、一筋縄ではいかないわけですが、ね……」


 揃えた資料をクリップで留め、デスクの引き出しにしまいこんだ。

「さて、と……」

 一度グッと背伸びをし、疲れを押し出すように呼吸を整える。

「では、蛇が出そうな藪を探しに行くとしましょうか」




 一方飛鳥は、夕刻の人の多い駅前の歩道を歩いていた。

 昼と呼ぶには遅すぎて、夜と呼ぶには早すぎる、そんな実に中途半端な時間帯。

 それでも人ごみだけは相変わらず賑やかで、飛鳥としてはあまり気分はよくなかった。

 考え事をするために一人になったのに、行けども行けども人の数は減らない。

 どこか落ち着いて休める場所はないものだろうかと、辺りを見回していた。

 と、ふいに視界の端に喫茶店の看板が映りこむ。

 窓ガラス越しに見える店内は客足も多そうだったが、まだいくつかの空席も目立って見える。

 当てもなく歩き詰めているよりは十分マシだろうと、飛鳥はひとまずその喫茶店へと足を向けることにした。

 カランカランと、鐘の音を鳴らして扉を押し開ける。

 店内にはわずかに温かみを覚える程度の暖房が掛かっており、比較的寒かった外の空気に慣れていた体を優しく包み込んでくれる。

「いらっしゃいませー」

 カウンターの向こうからウェイトレスのそんな声がした。

 飛鳥は壁に書かれたメニューを眺めながら、ホットコーヒーとシナモンクッキーを注文して、店の隅にある二人がけの席に陣取った。

 黒味の強いコーヒーの中にミルクを流し込みかき混ぜる。

 見る見るうちにカップの中の液体は色合いのいい茶色へと変わり、暖かいそれを飛鳥は口に含んだ。

「ふぅ……」

 と、前触れもなく溜め息が出た。

 疲れているのではなく、どこか安心できるようなそんな安堵の息だった。

 カップを置く。

 頬杖をついて、窓の外の景色に目を向けた。


 人間観察、というわけではないけれど、目は自然と通り過ぎる人々へと向かってしまう。

 誰もがどこか早足で、まるで今日という一日の終わりに追われているかのように見えた。

 そんなに急いでどこ行くのさ。

 などと、飛鳥は口に出さずに胸の内で呟いてみる。

 帰る場所、向かう場所、辿り着く場所。

 一体そこに、どれだけの違いがあるというのだろう。

 忙しそうに足を動かしたって、どうせ何も変わりはしないというのに。

 なのにどうして、誰もがこんなにも慌しく、変わらない毎日の中でいつも加速しているのだろうか。

 追われているの?

 逃げているの?

 どっち?

 それとも、どっちでもないの?

 その先に、一体何があるって言うの?

 浮かんでくる言葉は質問だらけ。

 もちろん、いちいち丁寧に答えてくれる解説者なんてどこにもいない。

 飛鳥はもう一口コーヒーを口に含み、味わうわけでもなく、無言で飲み干した。

 ふと、窓の外の景色に目を奪われる。

 はしゃぐように走る子供の姿。

 少し遅れて、その子の母親と思われる女性が後を追っていた。

「あ……」

 飛鳥がそう呟いたと同時に、前を走っていた子供が転んでしまった。

 母親はそれに気付いたようで、小走りに子供の下へと駆け寄ってくる。

 どうやら子供の方も怪我らしい怪我もなく、涙一つ滲ませてはいないようだ。

 駆けつけた母親はサッと子供の膝の汚れを払うと、今度は二人揃って仲良く手を繋いで歩き出した。

 決して大きくはない母親の手の中に、さらに小さな子供の手が包まれる。

 ゆらゆらと揺れる二つの手。

 小さな手と、それより少し大きな手。

 ゆらり、ゆらり。

 ブランコのように、揺れる。


 そんな珍しくもないはずの景色が、どうしてか目に痛い。

「……何してんだろ、私……」

 呟いて、飛鳥はテーブルに顔を突っ伏した。

 少しだけ。

 ほんの少しだけ、その光景に涙腺が緩みかけてしまっていた。

「……ダメだなぁ、私。決めたのにさ……」

 弱々しく呟く。

 浮かびかけた透明な粒は、しかし流れずに袖口へと吸い込まれて消えた。


 『――…………さん、……さん? ねぇ、どうしたの……さん…………お……さん? ……母さん? ……お母さん?』


「……っ、痛っ……」

 顔を突っ伏したまま、飛鳥はわずかに痛んだ胸に手を添えた。

 目を閉じれば、いつでもどこでもありありと思い出せる。

 当たり前があった日々。

 だけど、今はもうない。

 どこにもない。

 なくなった。

 なくなってしまった。

 それはきっと、誰のせいでもなく、ただ……。


 「――私が、壊したんだ……」


 カタン、と。

 カップの中のスプーンが、わずかに傾いてそんな音を立てた。

 店内に流れ出した緩やかなメロディ。

 歌詞も曲名も知らないけど、なんだかやたらと気分が落ち着いた。

 今はもういない、誰かの子守唄に少し似ていた。




 それを形容する言葉は、正直言ってなかなか探そうとしても見つかるものではない。

 それはやはりそれ以外の何者でもなく、ゆえにそれはそれであるのが当たり前だからだ。

 夜が始まった頃の時刻。

 すっかり見る影もなくなった、かつて公園だったその場所に、それは佇んでいた。

「…………」

 まだ浅い夜。

 夕暮れの残滓があちこちに残り、常闇と呼ぶにはお粗末もいいところ。

 にもかかわらず、それの周囲の闇は異常なほどの密度を保っていた。

 それはまるで、ブラックホールのようだった。

 何もかもを吸い込み、そして決して還さない。

 全てを呑む存在。

 そこに際限という領域の限界はなく、ゆえにそれは無限として認識される。

 佇んだ闇は、音を殺しながらゆっくりと侵食を繰り返していた。

 何かを探るように、注意深く。

 しかしその反面、何もかもを壊すほどに手荒に。

「……そうか。やはりここだったか」

 ふいに、その闇の中のそれは囁いた。

 声色は少年のそれで、まだ幼ささえ十分に残す、汚れを知らぬ無垢な音色を奏でていた。

 しかしそれでいて、その声は明らかに異質なものだった。

 それは何よりも深く、何よりも遠く、何よりも高く、何よりも暗く、何よりも切なく、何よりも儚く。

 今にでも消え入りそうなほどの声で囁いていた。

「……ふぅん。こんな小細工まで施してあるんだ。ちょっと面倒だけど、まぁ、これはこれで一つの余興として楽しむべきなのかな?」

 と、独り言だと思われたその言葉は、しかし確かにすぐ側にいる別の何かに向けられていたものだった。

 そしてそれを証明するかのように、それは自らの傍らにあるモノの名を呼んだ。


 「――ねぇ? アビス」


 深淵の名が紡がれる。

 途端に、ぐにゃりという奇怪な音……いや、正確には音など皆無だが、そんな音をイメージさせる動きがあった。

 それを囲み、包み込んでいた闇がうねり、呼びかけに答えるように蠢き始めた。

「……へぇ、これがそうなんだ」

 一体誰に対してその言葉を向けているのか、それは闇に抱かれたまま呟いている。

 一方、闇は変わらずに奇怪な動きを繰り返すだけだった。

 しかしその様子が、あたかも会話として成り立っているように見えるのは気のせいではないだろう。

 事実、それは闇と対話しているのだ。

 ゆえにそれは、ただの闇ではない。

 それは闇という形なき暗黒に意思を宿した、精霊だ。

「……なるほど。封印は全部で……八ヶ所。この小さな街にしては、ちょっと多すぎるくらいだけど……まぁ、いいか」

 クスリと、それは小さく笑ったように見えた。


「え? 何?」

 それは闇の囁きに耳を傾ける。

「楽しんでるのかって? 僕が? ……うーん、どうなんだろうね」

 嘲るように小さく笑みを浮かべて、それは闇に言葉を返す。

「でもきっと、楽しいことになると思うんだ。アビスだって、そうでしょ? 気が狂いそうになるほどの月日を経て、ようやく戦争は再開されようとしているんだから……」

 答えるように、闇はその両手を大きく広げて見せた。

 それを包んでいた球体の闇が、突如として巨大化する。

 まさしくそれは、場違いにもほどがある闇色のカーテンだった。

「……うん、そうだね。せっかくの戦争だもの。楽しまないとね」

 音もなく、闇が雄叫びを上げた。

 その音が心地いいのか、それはひどく安らぐような笑みを浮かべていた。

 見た目も実際も、間違いなく正真正銘の人間。

 性別は男、年齢で言えばまだ十三歳の少年。

 自身を包み込む闇の中でなお黒銀に輝く伸びた髪は、風もないのになびいて揺れていた。

 そしてその髪の奥、少年の額には銀のサークレット。

 そしてそれは、能力者の証である『Ring』に他ならなかった。

 表面に刻まれた凹凸は、文字でも言語でも記号でもない。

 そしてそれらは、まるで血のように深く強い赤色で……示されてはいなかった。

 確かに少年の銀のサークレットには、記号の羅列が掘り込まれている。

 しかしそこに、あの目立つほどの赤さはどこにもなく。

 代わりに目で見えるその色は、全くの正反対とも言える色合い。


 ――夜の訪れを感じさせる空の色によく似た、深い蒼色を示していた。


「さぁ、もうすぐだ……」

 詠うように少年は呟いた。

 その顔には、相変わらずの汚れを知らない無垢な笑みを浮かべている。

 その周りで、闇が吼えていた。

「間もなく、戦争の再開だよ、みんな……」

 空を仰ぎ見る。


 「――クリムゾンとディープブルー。決して相容れない赤と蒼の、楽園を求めた戦争の始まりだ……」


 そしてそれは、何かの合図になったのだろうか。

 一瞬後に、その場からは何者の影も形も消えうせていた。

 見た者は誰もいなく、気付いた者も誰もいない。

 ただ、確かに何かが始まっていた。

 この夜を境に、リアルとファンタジーはついに交錯し始めることになる。

 そしてそのことを知る者は、まだ誰もいなかった。

 少なくとも、今は、まだ……。



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