Episode130:明日
――きっと、また会える…………。
それは、誰の言葉だっただろうか……。
「…………い、…………って。おーい…………」
「…………ん」
誰かが呼ぶ声。
何だろう、この感覚は。
懐かしいようで、それでいていつも身近にあったような……。
「おーい、…………にしろって。とっくに…………だぞ?」
「やめとこうよ。朝から疲れてたみたいだったしさ」
「けど、このままにもしておけないだろ?」
「……あ、れ……?」
「あ、起きた」
「お?」
僕はゆっくりと顔を上げた。
見覚えのある四人の顔。
まだ目の前はぼんやりとしているけど、はっきりとそうだと分かる。
「……悟? それに、皆……どうしたの?」
「どうしたのって、お前なぁ……」
「よっぽど熟睡してたみたいだな、こりゃ」
「え?」
呆れたように漏らす悟と健史。
その隣で小さく笑う美野里と、どこか怪訝そうな表情の唯がいた。
「大和、午後からずっと寝てたんだよ。 覚えてない?」
美野里に言われ、僕は思い返す。
「……そう、だっけ?」
「呆れた。いつから寝てたのか覚えてないの?」
唯はそう言うが、実際僕の記憶はどうにも曖昧で、なかなか思い出せそうになかった。
「ってことは、今ってもう」
「そ。とっくに放課後だよ」
「全然起きないから、皆で起こしにきたんだ。ほれ、とっとと帰ろうぜ。このあと委員会で、この教室使うみたいだしよ」
「あ、うん。分かった」
とりあえず僕は皆に促され、帰り支度を始める。
荷物をバッグに詰め込んで、まだ少しダルさの抜けきらない体を引きずって廊下に出る。
「どっか寄っていくか?」
「んー、どうすっかなぁ」
「中間試験も終わったし、少しくらいは息抜きしてもいいよね」
「うん、そうだね」
「…………」
四人の会話をすぐ傍で聞きながら、僕はなぜかこの場所に現実感をあまり感じられないでいた。
何かこう、密度が薄いような……そんな感覚だった。
原因には思い当たる節があった。
それは、言うまでもなく……。
「……大和、大丈夫?」
「……え?」
唯の言葉に僕が答えると、皆の足が止まった。
「どこか調子悪いの? でも、顔色はそんなでもないよね……」
「寝不足とかじゃないか? さっきまで寝てたわけだしさ」
「時期的にも季節の変わり目だからな。体調崩すのもない話じゃないけど」
「どこか痛むとかある?」
「あ、いや……」
違う。
違うんだ。
多分この感覚は、肉体的に引きずっているものがあるとかないとか、そういうものじゃなくて。
「……大丈夫だよ。ちょっと、遅くまでゲームしててさ。それでね」
「何だ、やっぱり寝不足か」
「ま、ありがちだよな」
「でも、一応早めに休んだほうがいいと思うな。悪化したら大変だし」
「んじゃ、今日のところは大人しく帰るとするか」
「そうだな。また金曜にどこか遊びに行こうぜ」
そんな風に話がまとまり、止まった足は再び歩き出す。
僕としても、そのほうが都合がよかった。
今はまだ、色んなことに対する気持ちの整理が終わっていなかったから。
「……ねぇ、大和」
「……何?」
「その……何か、あった?」
「え?」
「ううん、気のせいならいいんだけどさ。何か前とちょっと、様子が違うって言うか……そんな風に見えたから」
「唯……」
「気のせいならいいの。私の勘違いだと思うし。ほら、行こう。皆行っちゃうよ」
そう言い残すと、唯は僕の横をすり抜けて走っていった。
そして唯の言葉は、本当はしっかりと的を射ていた。
「色々、あったな。思い出すのも大変なくらいに、本当に……」
……そう。
あれは決して、夢でも幻でもない。
今ある現実から少しずれた、もう一つの現実で確かにあったんだ。
……あれから……全てが終わってから、今日でちょうど一週間。
現実は今日も、狂うことなく真っ直ぐに流れ続けている。
僕の記憶に、色褪せないもう一つの真実を刻み付けたまま…………。
こうして五人で放課後の道歩くなんて、ずいぶんと久しぶりな気がする。
ほんの数日前までは、こうしていることがただの当たり前でしかなたっかというのに。
沸き立つように感じるこの懐かしさと居心地のよさは、一体何なんだろう。
しかし同時に感じる、後ろめたさのような息苦しさ。
話せない……話してもまず、信じてもらえないであろう隠し事を胸に抱えているという事実。
もちろんこの真実は、むやみやたらに口外にするようなことじゃない。
例えそれが信じられる、信じられないにかかわらず、だ。
僕は顔を上げて、歩きなれた街並みの変わらぬ風景を眺めた。
何一つ、変わった様子は見られない。
普通すぎる景色。
変化のない日常。
本当の現実というものは、本来ならこういうものなんだ。
だから、僕が関わってしまったあの世界は、ある意味で作り物……バーチャルのようなものなのかもしれない。
けど、それでも。
まぶたの裏に焼きついている光景が、その考えをあっさりと否定する。
あれは間違いなく、現実だった。
今いるこの現実よりも、ずっとずっとリアルで、ずっとずっと必死になれた。
だからどうだ、というわけではない。
そういうことを言いたいわけじゃない。
ただ僕は……納得がいかないんだろう。
取り返せないものが、二度と戻ってこないものが、そこにはいくつもあったから。
「…………」
胸の中で大きく溜め息を吐いた。
と、ちょうどそのときだ。
ポケットの中の携帯が、小刻みに震え出したのは。
僕は携帯を取り出し、画面を見る。
新着メールが一件届いたところだった。
が、その差出人は……。
「……あ、ごめん皆」
「ん?」
「どうした、大和」
「ちょっと、用事できちゃったからさ」
「そっか」
「ときに大和、まさかその用事ってのは女絡みじゃないだろうな?」
「そんなんじゃないよ」
「悟、オヤジっぽいよ」
「うるせぇ。普通気になるだろうが」
「まぁ、とにかくそういうんじゃないからさ。それじゃ、またね」
「おう、また明日な」
「途中でぶっ倒れんじゃねーぞ」
皆の言葉に苦笑しつつも、僕はそこで一人道を外れた。
そんな僕を、唯だけは先ほどの怪訝そうな表情で見送っていた。
扉を軽くノックする。
「開いてますよ、どうぞ」
中からその声が聞こえ、僕は扉を押し開けた。
「お久しぶりですね。とは言っても、あれからまだ一週間しか経ってはいませんか」
「そうだね。でもよかった。元気そうだね、氷室」
「大和も無事で何よりです」
メールの送り主は氷室だった。
内容は、今時間があるかどうかというものだった。
けど僕はそれに対して返信さえもせずに、こうして氷室の事務所を訪れてしまっている。
氷室自身、そのことにはあまり驚いた様子はないようだ。
「ケガ、大丈夫?」
「ええ、もう平気ですよ。あの時にはすでに、傷のほとんどは塞がってましたからね」
「そっか。よかった」
「あなたはどうなんです? 大和」
「え、僕? 僕も体はもうすっかり……」
「そうじゃありません。むしろ、心のほうがきついんじゃないですか?」
「あ……」
見透かしたようなその言葉に、僕は反論をできなかった。
「……気にするなとも、忘れてしまえとも言いませんよ。ですが、ある程度は割り切らないと、目の前の現実の中で息苦しくなってしまいませんか?」
「……うん。というより、今も息苦しくて仕方ないのかも」
「……そう、ですか」
そして沈黙が流れる。
時間にして数秒ほどのその間を破ったのは、扉が開く音だった。
「入るわよ? ってもう入ってるけど……」
ふと、その人物と目が合う。
「……飛鳥?」
「……あれ、大和?」
「私が呼びました。もともと飛鳥も呼ぶつもりでしたが、たまたま今回は飛鳥が尋ねてくるという連絡のほうが早かったのでね。ちょうどいいと思ったので、大和には私から連絡をつけておきました」
「でも、氷室……」
「私は別に、来いと言ったわけじゃないですよ。時間が取れるかどうか聞いて、それから誘うつもりだったんですが、大和がそのままやってきたんです」
「もしかして、いないほうがよかった?」
「あ、違うの。そういうんじゃなくってさ。ただ、その……」
飛鳥は何か言いづらいことを抱えているように、言葉を繋げなかった。
「……戦いは終わりはしましたけど、まだ全部にけじめをつけられたわけではないでしょう。特に大和、あなたはね」
「…………」
「あの戦いの記憶は、あなたにとってあまりに衝撃的過ぎた。この場合は悪い意味ですがね」
「ちょっと、氷室……」
「大丈夫。大丈夫だよ、飛鳥」
「大和……」
「僕も、頭では分かってはいるんだ。けど、まだどうしても整理ができなくってさ……」
「それは……無理もないよ。だって、あの戦いの中で一番の傷を負ったのは、大和だもの」
それは肉体的な損傷という意味ではなく、精神的な損傷のことだ。
「……だから、大和はしばらくそっとしておいたほうがいいかなって思って。それで、私からは連絡しなかったんだけど」
「ううん。僕がここにきたのは、僕自身が決めてそうしたことだから。別に氷室のせいじゃないよ。それに……」
「それに?」
「……正直、助かったよ。何て言うか、居づらくってさ。元の日常に戻っただけなのに、何かすごい、息苦しくって……」
「うん……」
「友達と一緒にいるときも、僕だけが皆と違うものを見ているようで……けど、そのことを話すわけにもいかないし、話してもきっと信じることはできないと思うから……」
「……でしょうね。こんなファンタジー、まず誰も信じてくれはしないでしょう。ですが」
氷室は椅子から立ち上がり、続ける。
「私は、それでいいんじゃないかと思ってます。誰にも信じられなくても、信じる者……つまりは当事者である私達さえ、この目で見てきたことを胸にしまいこんでおけば、それでいいんですよ。誰にも話せなくてもいい。誰にも理解されないでもいい。けどそれは、決して夢でも幻でもない。他でもない私達の記憶が、全てを物語っているのだから」
「……うん。氷室の言う通りだと、僕も思う。けど、どうしても……」
「あ……」
どれだけ受け入れようとしても。
どれだけ割り切ろうとしても。
いつも、浮かんでくるんだ。
あの顔が。
あの声が。
守れなかった人と、守りきった約束。
どちらが欠けてもいけなかったんだ、本当は。
けど、それもすでに過去のことで。
こうして世界は、変わらない今を流れている。
けど、どうしても僕には……それでよしとすることができなかった。
「大和」
氷室に呼ばれ、僕は顔を上げる。
「今すぐに背伸びして、大人になる必要はないんですよ。どんなことにも時間は必要です。ましてやそれが、心の奥深く刻み込まれているものならば、なおさらです。今は分からなくてもいい、いつか分かるときが来る。あまり好きな言葉じゃありませんが、この言葉も一つの真実です」
「氷室……」
「まずは、生き急がないことです。焦れば焦っただけ見落とすものが増えるし、同時に人生を損する。命を賭けてまで果たした約束の世界で、あなたがそんなんじゃ報われませんよ」
「そうだよ、大和。時間はまだいっぱいあるんだしさ。少しずつ、ゆっくりでいいんじゃないかな」
「……そう、だね。うん、ありがとう。だいぶ気持ちが楽になった気がするよ」
「……何かあったら、いつでも頼ってください。私達は同じ運命の下で戦った、仲間なんですから」
「ありがとう、氷室。飛鳥も、ありがとう」
「お互い様だって。気にしないの」
心は少しだけ、軽くなっただろうか。
本音を言えば、まだ全てを割り切れるようになるには時間がかかると思う。
それでも確かに、氷室の言うように。
今を生きる僕達が、下を向いてばかりでは……やはり、顔向けができない。
時間がかかってもいい。
まずは、真っ直ぐに歩けるようになろう。
せめて、恥ずかしくないように。
事務所を出て、帰路につく。
すでに日は落ち始め、冬を目の前に控えたこの季節は暗くなるのも早い。
オレンジと紺に交じり合う空を眺めながら、僕は歩道の上を歩いていた。
どこもかしこも見慣れた景色。
この当たり前の景色が、ほんの少し前まで消えてなくなりそうだったなんて……。
道を抜け、駅前に出る。
ちょうど駅に電車が到着したようで、降りた乗客が一斉に出て、各々が向かう方角へと散っていく。
僕は人並みの中を掻き分けて、信号の前に並んだ。
目の前を何台もの車が通り過ぎていく。
やがて、赤から青に変わる信号。
動き出す人並みに倣い、僕も歩き出す。
足元は白と黒の横断歩道。
折り重なるその色合いが、ふいにあの日の記憶を呼び覚ます。
「――ヤマト」
「……っ?」
聞こえるはずのないその声に、僕の足は動きを止めた。
まさかとは思いつつも、僕は振り返る。
周囲を見回す。
だが、やはりそんなことはあるはずもなく。
「…………」
僕は再び歩き出し、歩道を渡り終えた。
今のは幻聴……だったのだろう。
そうさ、そうに決まっている。
ありえない。
ありえるわけがないんだ。
……かりんは、もう……。
次の瞬間、僕の体に軽い衝撃が走った。
肩の辺りが軽くぶつかったような感覚。
直後に、ドサドサと何かが地面に落ちる音。
「あ、すいません」
僕よりも早く、ぶつかったと思われるその人は言った。
「あ、いえ。こっちこそ、余所見してたので」
言いながら、僕は地面に落ちたものを拾うのを手伝った。
「すいません、助かります」
そう言った人は、僕と同じくらいの年頃の少年だった。
僕と同じで、彼もまた学生服に身を包んではいたけれど、その制服はこの近辺ではあまり見慣れないものだった。
と、今はそんなことを気にしている場合ではない。
僕は彼の荷物を拾い上げ、腕の中に収めていく。
「あれ?」
ふと、その中の一つの資料に目がいく。
それは、入学案内の資料のようだった。
いや、それよりも何よりも気になったのは……。
「これ、うちの高校?」
「え?」
呟いた僕の言葉に、彼が反応を示した。
「この高校の人ですか?」
「あ、うん。でも、その制服ってうちのとは違うよね? もしかして、転校してきたとか?」
「実はそうなんですよ。つい最近この街に越してきたばっかりで」
僕は拾った荷物を彼に手渡す。
「どうも。ちょうど今日、転入の手続きをしてきたところなんです」
「そうなんだ」
「えっと、ちなみに何年ですか?」
「あ、僕は二年」
「あれ、同い年か。てっきり先輩かと思ったよ」
「じゃあ、もしかしたら同じクラスになったりするかもしれないね」
「そうだね。早速明日から通うことになると思うから、見かけたらよろしく」
「こちらこそ。あ、僕は黒栖大和って言うんだ。クラスは二組」
「あ、俺は……」
と、彼が自分の名前を僕に告げようとした、その時だった。
「――……お兄ちゃん」
ふと、そんな声が聞こえて。
「……え?」
その声に、僕は確かな何かを感じて……。
「あ、悪い悪い。待たせちゃったな」
「……遅い。十分遅刻」
「ごめんごめん。今度埋め合わせするからさ」
「……チョコレートケーキ」
「分かった。今度な」
コクリと少女は頷き、小さく微笑んだ。
そして少女は僕に視線を移し、聞いた。
「……お兄ちゃんの、お友達?」
「ん? ああ、そうなる予定の人だ」
「……?」
少女はきょとんと小首を傾げた。
僕はただ、呆然とその姿を見つめていた。
「どうかした?」
「……あ、いや。君の、妹?」
「そうなんだ。駅前で待ち合わせしててね。何しろ、一番分かりやすいのがここしかなくってさ」
僕から受け取った荷物を持ち、彼は立ち上がる。
「っと、そうだ。まだ名前言ってなかったっけ。俺、鈴代春彦。で、こっちが妹の」
少し恥ずかしそうに、その少女は小さくお辞儀をして……言った。
「――……かりん。鈴代かりん」
それは。
一つの、奇跡だったのだろうと。
僕は、疑わなかった。
「…………」
「あれ? 黒栖君、どうかした?」
「……?」
春彦とかりんは、揃って不思議そうに僕の顔を覗き込んでいた。
僕はふいに、溢れ出るようなその感情を何とか……何とか、押し殺して。
「……いや、何でも……ないよ」
そう言い返すのが、精一杯だった。
「やば、もうこんな時間か。早く帰って晩飯のしたくしないと」
「……うん」
「それじゃ黒栖君、また明日。一緒のクラスだといいんだけどね」
「……そうだね。そうなるといいな」
「それじゃ、また」
軽く手を上げ、春彦は歩き出す。
最後にもう一度、かりんが小さく頭を下げ、小走りにその背中を追いかけていった。
世界は確かに、廻り始めていた。
ぐるぐる、ぐるぐると。
新しい物語を紡ぎながら、静かに、ゆっくりと。
そして……。
――全ての輪は、今、ここに繋がる…………。
END
最後まで拝読ありがとうございました。
ずいぶんと長くなってしまいましたが本作「LinkRing」、これにて完結です。
ありがちな終わり方でアレなのですが、個人的にこういう終わり方が一番好きなものでして、どうしてもこの終わり方は必ず書こうと、連載当初から決めていたことです。
振り返ると反省点しか出てこないので、それに関しては省かせていただきます。
ともあれ、ここまで続けられたのも読者の方々がいてくれたおかげです。
本当にありがとうございました。
また近いうちに新しい作品を書こうと思っていますので、そのときにまたお会いできればと思います。
それでは長くなりましたが、これにてお礼の言葉とさせていただきます。
また縁があれば、他の作品でお会いしましょう。
それでは、失礼します。
やくも