Episode126:奇跡の還る場所
「大和、ねぇ大和ってば!」
「……出血がひどすぎます。これでは、もう……」
「っ、縁起でもないこと言わないでよ! そんなわけないでしょ!」
飛鳥と氷室は先を急ぐ途中、地に伏して倒れていた大和の姿を見つけた。
二人が駆けつけたとき、すでに大和の意識はなく、おびただしい量の出血が赤い水溜りを作っていた。
それからこうして必死に声をかけ続けてはいるが、大和からの反応は何も得られないでいる。
常識的に考えれば、目の前に広がっている血液の総量はとっくに致死量のそれを超えている。
だからもう、生きているはずはないのだと。
心のどこかではそうと分かりつつも、突きつけられた現実を認めたくないがゆえに声をかけるのだろう。
「何やってんのよ大和、こんなとこで寝てる暇なんてないのに……」
「……飛鳥、気持ちは分かりますが……あなたも分かるでしょう。冷え切ったこの体が、何を物語っているのか……」
「っ、それ、は……」
飛鳥の体から途端に力が抜けていく。
花がしおれてしまうように、力なくその場に膝を着いた。
「……私達だけでも先に行きましょう。ここでいつまでもこうしているよりは、ずっといいはずです」
その言葉に飛鳥はすぐには反応を示さなかったが、しばしの後、思いつめたように小さく首を縦に振った。
二人は立ち、先を急ぐためにその場を立ち去ろうとして……。
「……待って、くれ」
ふと、そんな声を聞いた。
しかしその声は、この場に横たわる大和のものではなく。
二人は揃って声のした方向を振り返る。
今もなお薄い砂煙の壁が立ち込める中、周囲は根の床の一部が抉り取られたように変形し、残骸と化していた。
その、瓦礫の奥に一つ。
うっすらと見える影があった。
目を凝らしてそれを見てみると、それは……。
「ア、アンタは確か」
「……人形、ですか?」
崩れた根に背中を預けるようにして姿を見せたのは、クロウサのものだった。
「どうしてアンタがこんなところにいるの? あの子と一緒じゃないの?」
「悪いんだけど、今はいちいち説明してるだけの余裕がないんだ。頼む、オイラを大和のところに連れて行ってくれ」
「大和、の……?」
「……それは簡単ですが、しかし大和はもう……」
氷室はわずかに背後を振り返る。
そしてそこには、やはり見間違えなどではない、すでに体温を失った大和の体が冷たく横たわっていた。
「……っ」
「いいから、早くしてくれ。本当に大和を見殺しにするつもりか?」
「見殺しって……それ、どういう……」
「時間がないんだ! 急いでくれ!」
クロウサは怒鳴った。
人形相手だというのに、氷室も飛鳥もその鬼気迫る迫力に気圧され、無言で頷くしかできなかった。
クロウサを拾い上げて、もう一度大和の横に行く。
「オイラを、大和の胸の上に置いてくれ」
「う、うん。こう、でいいの……?」
言われるがままに、飛鳥はクロウサの体を大和の胸の上に置いた。
「ヤマト……」
ふいにクロウサはその名を呼び、人形であることを忘れさせるほどに人間らしい、悲しい表情を浮かべた。
「アイツとの……ハルヒコとの約束だ。君にばかり辛い目を、痛い目を見せて本当にごめんな。でも、これで最後だから。最後になるって、信じてるから。オイラも、ハルヒコも。そして……かりんも」
「ちょっと、それってどういう……」
飛鳥のその言葉を無視して、クロウサは自分の中にあるもう一つの命を捧げる。
悔しさも悲しさも、優しさも喜びも、全部全部めいっぱいに詰め込んだ、わずかな命の欠片を。
「頼んだよ、ヤマト……」
そして、光が生まれた。
それは光と呼ぶには、あまりにも弱々しい輝きで。
しかし、世界中のどんなものよりも暖かく、そして優しさに満ち溢れているような、そんな淡い光だった。
その光の雫が、一つ、また一つと大和の体に浸透していく。
やがてその光は、大和の全身へと行き渡る。
体全体を薄い光の幕で覆われたように、大和の体は静かに発光していた。
その光が徐々に内側に集まっていき、最後には心臓の真上で球状になり、そして胸の中へと沈んでいく。
光が止む。
胸の上のクロウサは糸が切れたようにバランスを崩し、静かに転がって地面に落ちた。
それを拾い上げようと、飛鳥が手を伸ばしたときだ。
――ドクン。
「……え?」
「今のは、まさか……?」
聞こえたのは、確かに心臓の鼓動。
そしてその音の発信源は、間違いなく……。
二人の視線が一点で交差する。
そこに横たわる、大和の体へと。
「…………う……」
その口から、声が漏れ。
その眼が、薄く見開かれ。
「…………はる、ひこ……?」
その言葉と共に、凍り付いていた体は動き出す。
たった一つの、破ることのできない約束のために。
「そう、だったんだ。そんなことが……」
「彼女のお兄さんが、大和に全てを託してくれたんですか……」
目覚めた僕は、今までの経緯を二人に説明した。
かりんがすでに死んでしまったこと。
僕も死に掛けていたこと。
その危機を、かりんの兄である春彦の奇跡が救い出してくれたこと。
あらかた話し終えると、場の空気はやはり自然と重苦しいものとなった。
氷室も飛鳥もどちらからともなく口を閉じ、余計な言葉を発することはなかった。
二人とも、僕がかりんに対して強い思い入れをしていたことを知っているから、気を使ってくれているのだろう。
そんな中、僕は飛鳥の持つクロウサに目が向かった。
目が合うと、クロウサはなんとなく満足そうな表情をしたような気がした。
「ヤマト、ハルヒコに会ったんだね?」
「……うん。彼に、助けられたよ。前は、かりんにも助けられた。本当に僕は、助けられてばかりだ」
「だったら、今度はお前の番だよな?」
「そうだね。二人との約束は、必ず果たすよ。僕の命に代えたって、絶対に……」
「意気込むのはいいけど、勘違いするなよヤマト。仮にアイツを打ち倒せたとしても、その代償としてお前が……いや、もう他の誰も傷ついたり、命を落としたりしちゃいけないんだ。そのことを忘れるな」
「……うん、分かったよ」
「よし。それじゃ……」
ふいに、クロウサの喋り方に苦しさが混ざったような気がした。
それは決して気のせいなんかではなく。
「……オイラの役目は、これでおしまいだ」
「……え?」
どういうことだと、僕は言葉に出せずにいた。
「もともとオイラは、かりんの持つ『Ring』の力の影響で、こうして喋ったりすることができていたんだ。けど、かりんはもう死んでしまっている。『Ring』の力は契約者がいなくなれば自然に消滅する。だからオイラも、もうすぐ……」
「クロウサ……」
「……ヤマト、オイラがただの……ただのぬいぐるみに戻ったら、オイラの背中を開けてくれ。その中に、かりんの『Ring』が……ある」
「クロウサの、中に?」
「……なるほど。そういうことですか」
「そういうことって、どういうことよ?」
「不思議には思っていたんですよ。『Ring』は身に着けなくては効果がないのに、彼女にはそんな様子はなかった。私達のようにアクセサリとして身に着けているなら不自然ではないですが、彼女はそうではなかった。ですから、どこに『Ring』を持っているのかとは思っていたのですが……人形の中だったのですね。だから彼女は、常にこの人形を抱きかかえていた」
「……多分、それだけじゃないと思う」
僕は独り言のように告げる。
「この人形……クロウサは、かりんが春彦からもらった最後のプレゼントだった。クロウサだけが、死んでしまった春彦と繋がる、たった一つの触れることのできる記憶だったんだ。だからかりんは、何よりも春彦に近いこの場所に、奇跡さえ起こせるかもしれない『Ring』を隠していた。いつか本当にその奇跡が起きて、春彦が自分の目の前に笑って、またやってくるんじゃないかって、そう思って……」
「……全く、ヤマト、君ってヤツは……」
クロウサはどこか、満足そうに笑った気がした。
「……もう、時間みたいだ。それじゃ、オイラも消えるよ。君達との出会いは、決して好ましい形によるものではなかったけれど、結構楽しい時間を過ごさせてもらったよ。できるならもっと、君達とかりんが別の形で……巡り会えて……いれ、ば…………」
遠ざかる声。
少年を思わせる無邪気なその声が、消えていく。
「――サヨナラだ、ヤマト」
「……うん。ありがとう、クロウサ。きっと、かりんもそう思ってくれてるよ」
「だと、いいなぁ……」
人間以上に人間らしかった人形の、あるはずのない奇跡が生んだ小さな命が消える。
「……カミサマ、もしもいるのなら、どうか、次こそは…………――――」
そして、言葉は途切れる。
僕の手の中で、クロウサと名づけられた人形はカクンと首を傾げた。
そしてそれっきり、二度とあの少年の声で話し出すことはなかった。
最後の最後、クロウサは……何と言っていただろうか。
消え入りそうだったその言葉を、僕はしっかりと聞き取っていた。
だからこそ。
「……飛鳥、氷室」
二人の名を呼び、立つ。
「――行こう」
止めなくちゃいけない。
今はもういない人達との、誓いを果たすために。