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LinkRing  作者: やくも
121/130

Episode121:二人の頃


「……大丈夫? 大和」

「……っ、ああ、何とかね……」

 そうは答えるが、骨折をはじめとした全身の打撲はかなりの激痛で、誰の目にも僕のやせ我慢は明らかだろう。

 かりんの治癒のおかげで、それでも痛みはずいぶんと和らいではいる。

 切り傷や擦り傷程度ならすぐに塞がるが、さすがに折れた骨はそう簡単にくっつくものではない。

 普通なら二ヶ月か、あるいはそれ以上の時間がかかっておかしくないのだから。

「ありがとう。かりんのおかげで、大分楽になったよ」

「……ううん。結局私は。また大和を。傷付けてしまった。戦いたくないと言ったのは。私のほうだったのに……」

 言って、かりんはまた目を伏せてしまう。

「かりん……」

 腕の中で抱かれたクロウサが、悲しそうな声で呟いた。

「そんなことは、ないよ」

 僕は告げ、かりんの頭を撫でる。

「かりんはかりんのために、できることを精一杯やったんだ。他人の目から見ればそれは確かに、間違ったことだったかもしれない。けど、かりんはちゃんと自分で考えて、その道を選んだんだから。そんな風に自分を責めるのは、もうやめよう」

 間違うことで初めて気付かされる真実もある。

 失敗は成功の元という言葉もあるように、全てが正しく、美しく、理想のままに進むことはありえない。

 いつどんな形で障害が立ちはだかるかも分からない。

 それは時として、越えられない壁として行く手を阻むこともあるだろう。

 そのとき、諦めて引き返すのも間違いではない。

 強引にぶち壊して進むのも、間違いではない。

 何が正しいかとか、何が間違ってるかなんていうそんなものは、結局個人個人の価値観の中でしか比較できないものであって。

 たとえ百人のうちの九十九人が、それは悪だと否定をしても。

 たった一人信じ続ければ、それはその人の中では真実になるのだから。


「かりん、答えたくないなら答えなくていいから、聞いてもいいかな?」

「……何?」

「その……かりんがこうまでしてこの世界を変えようとしたのは、やっぱり……君のお兄さんのことがあるからなの?」

「……うん」

 静かに、かりんは一つ頷いた。

「……私の両親は。私が生まれて間もない頃に。事故で死んじゃったの。それからはずっと。お兄ちゃんだけが。たった一人の家族だった……」

 顔を上げ、どこか遠くを見つめるようにかりんは続ける。

「……両親がいなくなって。私とお兄ちゃんは。施設に預けられたの。そこには。私達みたいな。身寄りのない子が他にもたくさんいて。最初は戸惑ったりもしたけど。すぐに打ち解けて仲良くなれた。施設の大人の人達も。皆いい人で。すごく優しかった」

 振り返ればそれは、そう遠すぎる日々のことではないだろう。

 かりんの表情に少しだけ、懐かしさを匂わせる微笑が浮かぶ。

「……両親がいないのは。やっぱり悲しかったけど。友達も沢山いて。何よりお兄ちゃんがいつも。いてくれたから。私はちっとも。寂しくなんかなかった。お兄ちゃんはいつも。私のことを。気にかけてくれてたし。私の中では。お兄ちゃんは同時に。お父さんでもあったの」

「……そっか。きっと、優しい人だったんだね」

「……うん。すごく優しかった。怒られたことなんて。一度もなかったかもしれない。お兄ちゃんは。施設の中でも。年長者の方だったから。私みたいな小さい子達の。面倒見もすごくよくて。大人の人達からも。頼りにされてて……あの頃は。すごく楽しかった。あの場所には。何もなくなった人達しかいないのに。でもあそこには。全てがあった。幸せも温もりも。優しさも喜びも。全部全部揃ってた……」

 僕はふと想像してみる。

 かりんが言うような、何もないけど全てがある場所。

 それはきっと、一度失うことの悲しさを知った人間でなければ、幸せと感じることができない場所なのだろう。

 失ったことが、結果的に新しいものを得るきっかけになる。

 どんなものでも、失ってしまえばそれは悲しいことだけれど。

 いつまでも失ってばかりじゃないだろう。

 いつかきっと、その悲しみを上塗りできるだけの幸せが降りかかる。

 それはきっと、懐かしいような暖かさがあって。

 どことなく安心できるような、そんな感覚なのかもしれない。


「……でも」

 と、かりんは話を区切る。

「……そんなささやかな幸せも。ずっとは続かなかった」

「…………」

 僕にはその後に続く言葉が、容易に想像できた。

 不幸が訪れてしまったのだ。

 きっと、かりんに残された最後の居場所を、根こそぎ奪い去ってしまうほどの強風……嵐のような、出来事が……。


 「――……私の七歳の誕生日に。お兄ちゃんは……交通事故で死んでしまった……」


「……かりん、無理しないで」

「……ううん。大丈夫。大和にはちゃんと。聞いてほしいから」

「……分かった。でも、無理はしないで」

 一つ頷き、かりんはふとクロウサに目を落とした。

「……その日お兄ちゃんは。私にプレゼントを買うために。施設から出かけてたの。私の誕生会を。施設の皆がやってくれることになって。お兄ちゃんはその場で。私にプレゼントをくれるつもりだったみたいなの。それがこの……」

「オイラってわけさ」

 クロウサが喋る。

「アイツは……ハルヒコはお店でオイラを買って、それを丁寧に包装してもらってさ。あとはオイラを、施設まで持ち帰ってかりんに渡すだけだったんだ。けど、その途中で……」

「……事故だったの。その日は真冬で。雪もいっぱい積もってて……」

「……きっと、ハルヒコも少し浮かれてたんだ。プレゼントを渡したときのかりんの笑顔が早く見たくて、少しだけ焦ってたんだ。だから、あのときハルヒコは、信号が青から赤に点滅しかけてた歩道を、急いで駆け出したんだ」

「まさか、それが原因で……」

「……ああ、そうさ。そのまま走り抜けてれば、それでよかったんだ。けど、ハルヒコは運悪く雪道に足を取られて転びそうになった。そのとき、オイラを手放してしまったんだ。オイラは宙を描いて、地面に落ちた。当然そのときにはもう、信号は赤に変わってしまってた。そして、ハルヒコがオイラを拾おうと近寄ってきたところに、大型のトラックが突っ込んで……」


「……」

「そんな、ことが……」

「……分かってたの」

 かりんは呟いた。

「……事故だって。本当は分かってた。悪いのはお兄ちゃんで。信号を無視しなければ。そんなことにはならなかったから」

「かりん……」

「……全部全部分かってた。でも。心がどうしても納得できなくて……頭の中がごちゃごちゃになって。もういないんだって。どれだけ自分に言い聞かせても。全然納得できなくて……悲しくて、寂しくて。どうしようも……なく、て……ただ、泣くことしか……でき、な……くて…………」

 かりんから嗚咽が漏れる。

 その小さな体を小刻みに震わせて、かりんは膝を付いて泣いていた。

「……いっぱい泣いて。お兄ちゃんはもういないんだって。そう思ったらまた。涙が出てきて……それの繰り返ししか、できなくって……」

「……」

 何となくだけど、僕にも気持ちは分かる。

 もちろんそれは、当事者のかりんほどの悲しみを感じることはできない。

 同情と言われれば否定はしない。

 他人の悲しみに共感することが、同情だと思うから。

「……あの日が」

 かりんは続ける。

 涙に枯れた小声で、想いを絞り出すように。

「……あの日が私の誕生日じゃなければ。お兄ちゃんは今も。生きててくれたのかな? 私の隣で。笑ってくれてたのかな? 私の名前を……今日も呼んで、くれたの……かな……?」

「…………」

 クロウサは何も言わなかった。

 強く抱きしめられることを嫌とも思わず、かりんの頬を伝い落ちてきた涙を、その黒い体に染み込ませた。


 僕はもう一度、かりんのその頭を優しく撫でた。

 ふいに、かりんが顔を上げる。

「……あのね、かりん。僕にはあんまり、うまい言葉は言えないかもしれないけど」

「……」

「お兄さんの死を、自分のせいにするのだけはしちゃいけないことだよ」

「……けど。だけどあの日。お兄ちゃんがプレゼントなんか買いに行ってなければ……」

「うん、確かにそうかもしれない。確かに買い物に出かけてなければ、お兄さんは助かったかもしれない。けど、それはお兄さんが死んでしまった今だから言えることだよね?」

「……っ」

「厳しいことを言うようかもしれないけど、最後まで聞いてほしい。どんな過去があっても、それはもう変えることはできない。生きることも死ぬことも、全部含めてこの世界の流れなんだ。時々それを運命っていう言葉でごまかす人もいるけど、そういうのとは関係なしに僕達はこの世界で生きている。その流れの中には、当然死ぬことも含まれてる。病気か事故か、それとも寿命か。それは誰にも分からないだろうし、きっと分かっちゃいけないことなんだ。自分の終わりが最初から分かってたら、誰も一生懸命に生きようとなんてしないだろ?」

「……そう、だけど」

「うん、分かってる。かりんの思ったことは、悪いことじゃないと思うよ。僕だって、友達や家族が死んじゃったら、生き返ってほしいと思うだろうしね。逆に、こんなやついなくなればいいって思うことはあるよ。でも、それでもさ……」

 一度言葉を区切り、僕は続けた。


 「――人は簡単に死ぬことができる。けど、死んだ人間はもう……生き返りはしない。何があっても」


「……うん」

「かりんも、分かってたんだよね? 分かってたけど、分かろうとできなかった。でもそれは、仕方のないことだったと思う。かりんにとって、何よりも大切な人だったから……」

「……うん……うん」

「今ここで、仮にアイツのやり方で世界が生まれ変わったとしても。次の世界にいる君と君のお兄さんは、本当に元通りになれるのかな? かりん達が一緒に生きて過ごしてきた時間を、取り戻せるのかな……?」

「……ない。できないよ、そんなの……だって、私とお兄ちゃんが一緒に過ごした時間は、幸せだったあの時間は、あのときだけだもの……」

「ほら、ちゃんと分かってるじゃないか。じゃあ、もう何をするべきか、分かるよね?」

 声には出さず、かりんは頷いた。

「……彼を止める。この世界を……私とお兄ちゃんが一緒に過ごせた。時間と記憶があるこの世界を。消させたくないよ……」

「ああ。絶対に消させない。そのために、ここまできたんだ」

 痛みを忘れて、僕は笑ってみた。

 すると、かりんもしっかりと笑い返してくれた。

 初めて会ったあの時のような、小さく静かな微笑で。

 ……が。


「……あ……」

 と、そんな呟いたようなかりんの声。

「……かりん? どうし…………」

 聞きかけて、僕は言葉を失った。

 トサリと、かりんの腕の中からクロウサが転がり落ちた。

 ポタリと、かりんの胸から赤い雫が零れ落ちた。

 そこに。

 かりんの胸に、どこかで見たあの黒い切っ先が、真っ直ぐに突き刺さっていた。

「……や、ま……と…………」

 か細すぎる声。

 こんなに近くにいるのに、どうして声は届かない?

 グラリと、その小さな体が傾いて沈む。

 ドサリと音を立て、小さな体が横たわった。

 胸と背中を貫いた穴から、真っ赤な血が流れ出していく。

「かりん! かりんしっかりしろ!」

 転がり落ちたクロウサしきりにが叫ぶ。

「か、りん……?」

 僕は片言で、その名前を呼んだ。

 しかし、もうそこからの返事はなく。

 音もなく静かに閉じられた双眸。

 涙の跡だけが今も乾かないままに残り、その表情はなぜか柔らかく微笑んでいた。

「やれやれ。ここまできて裏切りとはね。ほとほと人の手を焼かせるのが好きな連中だ」

 そこに、闇がいた。

 いつの間に現れたのか、その余韻さえ残さず、静かに立ちはだかる。

「……お前が、やったのか……?」

 震える声で僕は問う。

「他に誰がいると?」

 あっさりとそれは認めた。

「っ、あああああっ!」

 怒りで体は動いた。

 僕の中で、何かの歯止めが消えていた。

 キレルとは、こういうことなのかもしれない。

 今の僕を突き動かす感情は、ただ一つ。


 ――殺意だけだった。



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