Episode118:君の隣へ
「しばらくはそこで大人しくしててもらうよ。大事な儀式の邪魔にならないようにね」
「くそ、どうなってんだこれは……」
真吾は苛立ちを含んだ声を吐き捨てた。
「抵抗するのは自由だけど、無駄なことだよ。その檻は、滅多なことじゃ崩れはしない」
「ぐ……」
真吾は今、言葉どおりに檻の中のような空間に閉じ込められていた。
暗い闇のような色合いの柵は、触れることすら許してはくれない。
触れたところで、その手はまるで底なしの沼の中に沈むように呑み込まれていく。
実体の掴めない相手に、困惑を隠せないでいた。
どれだけの短剣を振り上げて切り裂いても、その檻は瞬く間に再生を果たしてしまう。
投げつけたところで結果は同じだ。
手応えも何も感じられず、ますすべなく舌打ちを繰り返すばかり。
「無駄だと言っただろう? そんな力じゃ、僕の檻は破れないよ。その、奈落の鳥籠はね」
まさに文字通り、それは鳥籠に相応しい形をしていた。
だが、その形はどこか歪で、恐怖をあおる寒気を感じさせている。
呼吸を繰り返すだけで、生気まで一緒に吸い取られてしまうかのように。
「さて。僕もいつまでも君に構ってる時間はないんだ。最後の仕上げが待っているからね」
「……最後の仕上げだと? お前、この期に及んでまだ何かしようってのか?」
「それは君の勘違いだろう。もとより、全てはこれからすることを終えることでようやく完結するんだ。この世界を一度無に返し、そこに新たな世界をゼロから構築する。その新世界はきっと、苦しみも悲しみもない喜びに満ち溢れた楽園のような世界になるだろう」
「……それが、お前の理想とする世界の姿なのか? 本来あるべき姿だと、そう言うのか?」
「もちろんさ。そのために僕はこうして、神の意思に抗いながらここまできたのだから。今更になって、この意思を捻じ曲げたりなんてできるものか」
「……くだらねぇ」
「……何だって?」
「くだらねぇって言ったんだよ。お前の理想か空想か知らないが、そんな身勝手な願望で無関係なヤツラを巻き込んでんじゃねぇよ」
「聞き捨てならないな。僕の追い求めてきた理想の、どこがくだらない? 間違ってるというんだ?」
「……お前、本当に気付いてないのか? 俺なんかに言われなくたって、もう気付いてるんじゃないのか?」
「……何を馬鹿な」
「馬鹿げた? その言葉をお前が口にするのか? 何よりも馬鹿げているのは、他ならぬお前の理想とやらだろうが」
「それこそ馬鹿げている。君のほうこそ、僕の理想が気に食わないだけで、単に反発しているだけなんじゃないのか?」
「ああ、そうだ。当たり前だろ。嫌なことを嫌ということのどこがおかしい? どうして他人の敷いたレールの上を歩いていかなくちゃならないんだ? そんなのどう考えたっておかしいだろうが」
「…………」
「分かってねぇなら、いくらでも教えてやる。自分の理想を他人に押し付けるな。自分の考えが全て正しいと思うな。自分が世界の中心になっていると思うな。俺達は神に生み出されただけのちっぽけな存在かもしれない。けど、何もかもを予め用意してもらわないと歩き出せないほど、俺達は愚かじゃない。俺達は自分の足で歩いて、自分の頭で考えて行動できるんだからな」
「……ふん。そうやって、もっともらしい言葉だけを並べ立てていれば、自分を見失わずにいられるのか?」
それは真吾の言葉を一蹴する。
「そう考えて行動した結果が、間違った結末を招いたらどうする? 誰に言われずとも後悔し、自責し、自分で自分を不幸の中に導いていくだけだろう。間違いは正せばいいものじゃない。間違いは犯さないことが真の答えだ」
「だが、間違ったことで学び取るものも沢山ある」
「それが言い訳だといっているんだ。都合のいい後付けで、過ちを正当化するな!」
怒鳴り声がむなしく響く。
双方の考え方は、広い視野で見ればどちらも正しく、そして同時に間違いでもあった。
が、そんな考え方では結局何も変わりはしないのかもしれない。
変えるために行動をした。
その結果が、これだったのだから。
「……時間の無駄だね。いいから君は、大人しくそこで指をくわえて見ていればいい。この世界が生まれ変わる、その瞬間をね」
「……ああ、そうさせてもらうぜ。お前の理想が、現実の中で粉々に打ち砕かれる瞬間をな」
「……う」
僕は呻き声と共に意識を取り戻した。
気を失って倒れていた時間はどのくらいだっただろうか。
はっきりとは覚えていないが、そう長い時間のことではないと思う。
全身のあちこちに残る鈍い痛みが、それを僕に知らしめてくれていた。
「……目が覚めたか」
ふと、そんな声がすぐ隣で聞こえた。
僕は視線だけでその方向を見る。
「……どうして、君が」
そこには、僕と同様に寝の壁に背中を預けて座り込む、日景の姿があった。
「どうしてとは、ずいぶんだな。悶絶しそうな一撃を見舞ってくれたのは、他ならぬお前だろう、黒栖大和」
「あ……」
言われ、僕は少し前の記憶を思い出す。
「……ごめん」
「……謝るな。お前は俺に勝った。俺はお前に負けた。それだけのことだ。そして、それが全てだ」
「日景……」
「……目が覚めたのなら、さっさと行け。待たせている人がいるんだろう?」
「あ、うん……」
そうだ、こんなところで立ち止まってなんかいられない。
早く最深部で、かりんに会ってもう一度話をしないと……。
「……じゃあ、僕は行くよ」
「ああ、さっさと行け」
「……あのさ」
「謝るな。振り返るな。前を見ろ。そして、お前が成すべきことを成せ。そのために、ここにいるんだろう?」
「……うん。行ってくるよ」
「……何度も言わせるな。さっさと行け」
「……うん」
僕は日景に背を向け、ボロボロの体を動かした。
痛みはある。
だが、それでもまだ体は動く。
走ることもできる。
だったらもう、何も悩むことはないだろう。
ただ、真っ直ぐに。
彼女の元へ、急げ。
根の道は次第に入り組み始めていた。
ただでさえ悪い足場がさらにうねるように隆起し、不気味に蠢いているかのようだ。
「かりん、間に合ってくれ……必ず、必ず君を助けるから」
だからそのためにも、まず君の本音を聞かせてほしい。
何を望んでここまできたのか。
何を求めてここまできたのか。
何を願ってここまできたのか。
その胸の中にある、言いたくても言えずにいた本当の言葉を、聞かせてほしいんだ。
他ならぬ、君自身の声で。
君の叫びで。
泣いたっていい。
きっと誰も笑ったりなんかできないから。
どれだけ言葉足らずで、声にならない声だとしても。
それが君の口から出た言葉ならば、それはやはり、きっと。
――何物にも変え難い、たった一つの真実なのだろうから。
だから。
本当の声を聞かせてほしい。
何を願い、何を求め、何を望み、何を思ったのか。
偽りのない、正直な気持ちで。
全てをここに、吐き出して。
のどが枯れるほどに、叫び続けて。
涙が枯れるほどに、泣き続けて。
そすればきっと、そのあとには。
一点の曇りすらない奇麗な気持ちが、そこに残るはずだから。
さぁ、今行くよ。
今から君を、迎えに行くよ。
例え世界中を、敵に回すことになったとしても。
僕は、きっと……。
君の一番、傍にいる。