Episode116:心、動いて
衝撃と呼ぶにはあまりに美しすぎる音色が響いた。
ぶつかり合うのは二つの剣。
翠の風と、無色の氷。
「はあっ!」
「はっ!」
キィンと、ぶつかり合い弾かれるたびに、光の粒子が飛び散った。
同時に生じた衝撃で、僕達も弾き飛ばされる。
「く……」
「ぐっ……」
互いにもうずいぶんと息も上がってきている。
度重なる打ち合いで、剣を握る手は痺れ、十分な力が入らない。
少しでも気を抜けば打ち合いで競り負け、武器を飛ばされてしまうだろう。
そうなればもう、決着は付いたようなものだ。
特に僕は、万に一つでもここで力を使い果たして倒れてしまうことは許されない。
進まなければならないんだ、この先へ。
かりんが待つ、最深部に。
「……余所見とは、余裕だな」
そんな僕の視線に気付いたのか、日景はそう呟いた。
「別に、余裕なんかじゃない」
そんな余裕があるくらいなら、全部力に変えて日景を叩き伏せているところだ。
「かりんが気になるか?」
「……っ!」
図星を付かれ、僕はわずかに息を呑んだ。
「……ふん。今死ぬかもしれないというのに、この期に及んで他人の心配か。つくづく甘いヤツだな」
「違う。僕はもとから、かりんを助けるためにここにきたんだ。だから絶対に、君を倒して先に進む」
痺れた腕を奮い立たせ、強く剣を握り締めた。
「……いいだろう。そろそろ幕にしようじゃないか」
対する日景も、その手に握る剣に今まで以上の力を凝縮し始めた。
ただ立っているだけで、ものすごい威圧感と冷気がそこに集中しているのが分かる。
今までの打ち合いの威力とは桁が違う。
正真正銘、勝負をつけるための絶大な一撃が来る。
迎え撃つ……いや、それではせいぜい相打ちまでしか望めない。
僕はここで倒れるわけにはいかないんだ。
かといってこれだけの威力を誇る一撃、回避もこの限られた空間では無理だろう。
ならば。
「……力を、貸してくれ」
今はもういない、しかし確かにそこにいた精霊に、僕は願う。
足元から風が立ち上った。
それらは少しずつ渦を巻き、やがて僕の体をまとう鎧へと変わる。
「風の鎧、か。だが、それでこの一撃を防げるかな」
日景の方はすでに力の充填を終えている。
溢れんばかりの冷気が一本の剣に集められ、白とも無色とも見えるような輝きを放っていた。
準備は整った。
あとはただ、発揮できる力の全てをぶつけ合うだけだ。
「…………」
「…………」
一瞬の沈黙。
それを解き放つ合図は、互いの視線の衝突だった。
「「――行くぞ!」」
声は同時。
そして、駆け出したのもまた同時だった。
互いに握り締めたその剣に、今持ち得る中の最大の力を込めて、ぶつかり合う。
しかし、衝突までまだ距離があるその間合いで。
「っ!」
氷の剣は、変化した。
刀身が二つに割れる。
割れた二つがさらに割れ、またさらに……と続き、まるで木の枝のように分かれては伸び、こちらに突き進んできた。
「無限の樹氷に喰われてしまえ!」
無数に枝分かれした氷の牙のその全てが、僕の全身目掛けて襲い掛かった。
逃げ場は、なかった。
全ての牙は互いに交錯し、ときに互いの牙を削りあい、削ぎ落としながらも突き進んだ。
それはまるで、檻の中にいたまま、外側から無数の武器で串刺しにされたような光景。
立ち上る冷気の白い霧が、少しずつ晴れていく。
絡み合う氷の牙が、その姿を現した。
その、中に。
「…………っ?」
僕の姿は、ない。
「バカ、な……どこに……っ!」
そして日景が振り返った背後。
そこに。
「あああああっ!」
力を使いきって、がら空きになったその体の中心に。
振り抜いた風の剣の腹が、深くめり込んだ。
「が……っ」
一撃を受けた日景の体は、そのままくの字に折れ曲がって吹き飛んだ。
そして、根の壁に激突してぐったりと地面に横たわった。
とはいえ、僕の体も……。
「……っ、はぁ、は、あ……」
全身で息をする。
握った剣が音もなく消え、僕も地面に肩膝をついて体を支えた。
全身から力が抜けていくと同時に、体のあちこちに鋭い痛みが走った。
分かっていたとはいえ、かなりの無茶をやらかした。
この痛みはその反動だろう。
何とか体が持ちこたえてくれたかたよかったものの、失敗すれば僕の体もバラバラに引き裂かれていたかもしれない。
力の制御が思った以上にうまくいったのか、あるいは……。
いや、よそう。
今はそんなことを考えている余裕はないんだ。
一刻も早く、最深部に行かなくちゃ……。
「……行かなくちゃ、いけないのに……」
反動は思った以上に大きい。
崩れかけた体をもう一度立ち上がらせるだけでも、とんでもない苦労を強いられる。
「ぐ、うあ……っ」
全身を駆け抜ける痛みに耐えて、少しずつ体を起こす。
足はすでに棒のようになっていた。
それどころか、この体が自分のものであるということに実感さえ持てなくなりつつある。
「こんなのに、構ってられるか……」
よろよろと歩き出す。
ふと、視界の端に日景の姿が映った。
その体が、呻き声と共にわずかに動く。
大丈夫、生きている。
それだけ確認して、僕はまた体を引きずった。
急げ。
休んでる暇はない。
倒れている暇はない。
道は開かれたんだ。
あとはただ、最後まで突き進めばいいんだ。
……最後まで、進めば……。
「……く、そ……」
頭では分かっていても、体が追いついてくれない。
蓄積したダメージは、確実に体を蝕んでいた。
足が止まる。
目の前がかすんで、ぼやけ始めた。
「……早く、先に……行かな、くちゃ…………」
その思いも虚しく。
僕の体は、そこで再び崩れ落ちた。
それでも這いずるように、手を伸ばした。
が、そんなことじゃ到底届かない。
視界が揺らぐ。
そして、暗転。
底なしの沼に沈んでいくように、意識が遠のいていった。
「……大和……?」
「かりん? どうかしたか?」
「……今。大和の気配が……」
「そうか。あいつらもここに近づいてるってことなんだね。ってことは、どういう形になるか分からないけど、終わりももうすぐそこってことか……」
「……違う」
「え?」
「……近づいてない。これは……少しずつ。遠ざかってる。もしかして……」
途端に、かりんの胸の内に不安がよぎる。
ドクンと、心臓が跳ねた。
……知っている。
この感覚を、知っている。
過去に一度だけ、目の前で味わった痛みのない傷痕。
大切なものが、消えていく感覚。
あの日と同じ、ざわめくような心の音色。
赤い、記憶。
「……大和」
駆け出しそうなその足を、しかしかりんは踏み出せなかった。
決別はもう済ませた。
もう、敵として立ちはだかること以外に会う理由はない。
それに、今ここで駆け出してしまえば、全てなくなってしまう。
望みも、願いも、祈りも、全部。
夢にまで見た理想が、泡沫の夢で終わってしまう。
このままただ、時が過ぎるのを待ち続けていれば、夢は現実となるのだ。
だから、黙っていればいい。
見て見ぬ振りをすればいい。
たったそれだけのことで、夢は叶う。
戻ってくる。
あの頃の日々が、優しい記憶が、暖かいあの人の声と手が。
……それなのに。
そうだと、分かっているのに。
「…………っ!」
――どうして心は、留まることをよしとしてはくれないのだろう?
「……っ。大和……!」
そしてかりんは、駆け出した。
もう、自分でも何が何だか分からなかった。
矛盾ばかりを繰り返す胸の中。
どっちが正しいとか、悪いとか、そんなもはもうどうでもよくて。
ただ、単純に。
同じ暖かさをくれた人を、失いたくない。
それだけで、足は動いた。
走り出せたのだから。