Episode113:青い槍と赤い鎌
予感というものは、当たらなくてもいいとき……あるいは当たってほしくないときに限って的中するものだ。
「ま、何となく想像はできていましたけど」
氷室はそう言うが、その表情から見ても心底うんざりといった感じは拭いきれない。
「はん、そう言うなよ。どの道ここで死ぬんだからよ?」
と、相対する赤穂は相変わらずのにやけた笑みを浮かばせながら、吐き捨てるように答えた。
一見やる気のなさそうな姿勢に見えるが、内心では早く暴れたくて仕方がない。
そんな感情をこれっぽっちも隠すことなく、顔と態度の両方に表して見せることも、ある意味ではなかなかできることではないのかもしれない。
「……一応、聞いておきます。そこを退いてくれませんか? 時間がないんですよ」
「一応、答えておく。そんな呼びかけに素直に応じる相手に見えるのか? 俺が」
「見えませんね、まるで。ですから、一応と先に言っておいたでしょう」
「そうかい。んじゃ、もう喋る必要はないよな?」
シンと、その場が静まり返る。
一瞬の静寂。
それは、文字通り一瞬にして打ち破られた。
双方が眼光を鋭く向け合ったのは同時。
それを合図に、相反する二人は相反する属性の槍をその手の中に生み出した。
青い三又の槍と、赤い鋭利な槍。
貫くか、切り裂くか。
交差の瞬間には、白い蒸気が立ち上った。
「お、らあっ!」
振りかぶり、赤穂は槍の先端部の刃で切りかかる。
もはやそこに槍としての機能……突きという攻撃手段などはなく、ただ本能をむき出しにして標的を殺すことだけを考えた攻撃。
通常、槍を扱うには剣を扱う場合と比較して、三倍近くの技量が要求されるといわれている。
槍は剣に比べてリーチが長く、常に中距離の間合いを取りながら戦える利点がある。
熟練した使い手になれば、自分の間合いをしっかりと把握した上で、自由に戦況を支配することも不可能ではないだろう。
が、もちろん欠点もある。
まずはじめに、傷を負わせるための刃の部分が、剣に比べて少ないということだ。
剣には大雑把に分けて片刃と両刃がある。
片刃はようするに、包丁のようなものだと思えばいい。
切れ味のある面は片面だけということだ。
対して両刃は、両面に切れ味を持つもののことを指す。
ファンタジーなどの世界で扱われる剣は、こちらのほうが多用されているかもしれない。
もともと槍は前述の通り、間合いを取りながら近接戦闘をこなすために作られたものとされており、純粋な殺傷能力では剣に劣ることは珍しいことではない。
だからこそ、槍で剣を迎え撃つには三倍の技量が要求されるとまでに言われているのだ。
頭上から襲い掛かる一撃を、氷室は身をわずかに後退させることで難なく回避する。
赤穂の放つ一撃一撃は、威力としえは申し分はない。
が、その分攻撃速度で見れば大したことはなかった。
今のように、十分に引きつけてから回避行動に転じても、十分に間に合うのだから。
「まだまだぁっ!」
としかし、そんなことはお構いなしに、赤穂は一方的に攻撃を繰り返す。
激しく空を裂く轟音は、耳にうるさいほどだった。
「そんな攻撃じゃ、一生かかっても命中しませんよ」
繰り出される全ての攻撃を冷静に見極め、そして回避する。
氷室も武術の心得はないものの、こんなお粗末な太刀筋の軌道にやられたりするほど間抜けではない。
防御という行動を取らない時点で、相手の力量はたかがしれているということなのだ。
「……時間の無駄です。とっとと寝てしまってください」
直前の一撃を十分に引きつけて回避し、ここで氷室は初めて自ら攻撃に転じた。
地を蹴り、一足飛びで間合いに進入する。
狙いは一点、右肩の付け根。
利き腕さえ殺せば、それで勝負は付いたようなものだ。
「はっ!」
姿勢をわずかに屈め、体重移動と同時に真っ直ぐに矛先を突き出す。
赤穂の右肩までの間に、遮蔽物などは何一つ存在しない。
確実に矛先は、肩口を貫く。
……はずだった。
「――寝るのはお前だよ、バカが」
にやついた笑みを浮かべ、赤穂はそう言い切った。
その言葉をいい終えるか否かという、まさに寸前のところで、氷室は背後にあった何かしらの嫌な気配の正体に気付き、突き出した手を
止め、瞬間的に横合いへと身を移動させた。
「ぐっ……」
赤穂との間合いはゼロにまで近づいたが、再び数メートルの距離をとることになってしまう。
いや、それよりも何よりもまず。
氷室はそっと、自分の首筋に指を這わせる。
ぬるりと、生暖かい感覚がそこにあった。
首筋には、浅く一直線に斬られたあとが残り、そこから微量ではあるが出血していた。
もうあと少しでも反応が遅ければ、確実に頚動脈を傷つけ、取り返しのつかない傷になっていただろう。
だが、今注目すべきことはそんなことではなかった。
一体どうやって、あの状態からこの首筋に向けて一太刀を浴びせられたというのだろうか?
あのとき、赤穂の繰り出した槍の刃先は、間違いなく、氷室に対しては向いていなかったはずだ。
だとしたら、この傷を付けたその凶器は、一体どこから現れたものだと……。
考えかけ、そして氷室はすぐにその答えを知ることになる。
答えはすぐ目の前……赤穂の持つその武器そのものが、示していたのだから。
「……なるほど。そもそもそれは、槍ではなかったのですね……」
「そういうことだ。もっとも、俺はこの武器が槍だなんて、一言も言った記憶はないけどな」
にやつき、赤穂は手にしたその武器を軽々と持ち上げ、肩にかけた。
それは。
柄の部分こそ槍と同様に細く長いものではあったが。
その先にある刃の部分は、歪んだLの形を示しており。
まるで三日月のような……不気味な笑みを思わせる残酷な切っ先が、赤く濁りながら屠っていた。
「見りゃ分かると思うが、一応言っておくか」
赤穂は心底愉快そうに笑って、肩にかけたそれを目の前に大きく振るった。
「俺の武器は槍なんかじゃない。死神殺しの大鎌だよ、バカヤロウ」
赤く焼け、切っ先に焔を灯す巨大な鎌。
死神殺し、その名をデスサイズマーダーと言う。
死神の鎌は、その歪んだ刃の不気味さなどから首を刈るものと思われがちだ。
実際そういう役割も果たすのだろうが、もう一つ言われていることがある。
それは、死者の肉体と魂を切り離すための道具として用いられているというものだ。
死神とは、読んで字のごとく、死を司る神のことだ。
たとえ死神でも神は神。
神話などでも、そこに描かれた力はどれも強大なものばかりだ。
もっとも、今この場に関してだけ言わせてもらうのなら、赤穂の手にある鎌の用途は間違いなく前者のものだ。
即ち、首を刈り取ること。
それは、間違いなく死に繋がる。
「さて、と。続きを始めようぜ。その程度なら、致命傷には程遠いだろ?」
鎌を振りかざし、赤穂は構える。
一方氷室は、まだ片膝をついたままの体勢だ。
いちいちそんなことを聞きなおさずに、ここぞとばかりに切りかかればいいものを、赤穂はそうはしない。
言わばこれは、狩りなのだ。
狩るものと狩られるもの。
絶対の強弱関係を見せつけ、次はそれを骨身に染みさせて強制的に分からせる。
その上で、愉悦に浸りながら一思いに殺す。
これが赤穂の思考回路であり、性格でもある。
迷惑を通り越して異常とも思えるものだが、それだけの力が今の赤穂に宿っていることもまた事実だ。
有言実行、宣言撤回はない。
殺すと決めてかかり、そうなったら何が何でも殺し通す。
それを止めるにはもはや、殺し返すしか手段はない。
「……おい、いつまでそうやってんだよ? 興醒めすんだろ?」
いつまでたっても立ち上がろうとしない氷室に向け、赤穂はわずかな苛立ちを含めて言う。
「それとも何だ。あれだけのことで、戦意喪失でもしちまったってか? はん、笑わせんじゃねぇぞ?」
一歩、赤穂は踏み出す。
「だったら、そのまま刻まれて終わっちまえ!」
地を蹴り、切りかかる。
そのときになっても、氷室は微動だにしない。
膝をつき、首筋に指を添えたままの姿勢でぴくりとも動かない。
距離は瞬く間に縮まる。
そして頭上から、死神さえも殺す大鎌が豪快に振り下ろされた。
風を切り裂く轟音。
振るわれた大鎌の切っ先は、一直線に氷室の首を切り落とした。
……が。
「……何だ、これは」
赤穂は疑問を抱いていた。
肉を切り、骨まで断った今の一撃。
にもかかわらず、全くの手ごたえが感じられない。
しかも、目の前にある氷室の体は、確かに切り裂いたはずの首が未だにくっついている。
まるでありもしないものを切らされたような感覚。
ありもしないもの。
そう、例えば……空気とか……水、とか。
「――言葉をそのまま返しますよ」
と、聞こえた声はその背後から。
「っ!」
反射的に振り返ろうとした赤穂だが、その前に目の前にあった氷室の形をした別の何かが、バシャと音を立てて崩れ去った。
それは水となって、地面の上に広がり、流れて赤穂の足元にまとわりつく。
そして次の瞬間、氷室は言った。
「凍れ」
その言葉が合図となり、赤穂の足元の水溜りが一瞬にして凍りついた。
無論、赤穂の足そのものを巻き込んで。
「な……」
冷たさなどまるで感じさせない、まるでガラス細工のような氷に、赤穂の動きは完全に封じられた。
「くっそ、こんなもん溶かして……」
「……ですから」
と、続くであろう言葉を遮って、氷室は続けた。
「そんな暇を、誰が与えてやるというんです?」
三又の槍を水平に構える。
切っ先は透き通るように光り、氷の冷たさを持つそんも刃の強度はダイヤモンドをはるかに凌駕する。
両手で槍を構え、一点に狙いを定めた。
そして、討つ。
「――もう一度だけいいます。寝なさい」
そして、絶対零度の一撃が放たれた。
かろうじて反応した赤穂が、歪んだ刃の側面で三又の槍の切っ先を防がんとする。
が、それも無駄な抵抗に終わる。
打ち砕き、突き破り、透明な切っ先はその肩口を貫いた。