Episode110:愚者
歪み、捻れ、それでも道はとりあえずは先へと続いている。
どの方向に向かって歩き出し、今現在どの方向へ向かって歩いているのか、それはすでに分からなくなっている。
丁寧な道案内など何一つなく、その割には迷路と呼ぶにも相応しくない根の道。
歩くたびに薄暗さを増し、今となってはまさに一寸先は闇だ。
「一体、どこまで続いてるのよ……」
いい加減にうんざりしてきたといった感じで、飛鳥は呟いた。
が、間もなくしてそれにも終わりが見えた。
遠く、道の先がわずかに明るくなっている。
まるで暗い洞窟から、外の明かりを見つけたかのよう。
この際何だってよかった。
ひとまず、この暗闇の中から抜け出せさえすれば、あとはそれから考えればいい。
出口が近づく。
長時間薄暗い場所を歩き続けたせいで、目はすっかり暗闇に慣れてしまい、わずかな光でさえ毒に感じる。
道が終わる。
やや開けた場所に出た。
「……っ」
手をかざし、その光を遮りながら、ゆっくりと目を慣らしていく。
そして目も慣れ、もう一度周囲をぐるりと見回そうとしたところで、その声は聞こえた。
「来たか。待っていたぞ」
反射的に声の方角を振り返る。
「アンタは……」
そこに、蓮華が立っていた。
その手には、初めて出会ったときと同じように、白い布に包まれた一振りの刀が握られている。
「真宮寺飛鳥、だったな? お前が来るのを待っていた。さぁ、構えろ。雑談をする余裕は、互いにないだろう?」
「……アンタ、この期に及んでまだそんなこと言ってるの? こんなことしてる場合じゃないことくらい、分かって」
「分かっているさ」
「な……」
迷わず即答したその言葉と気迫に、飛鳥は見えない圧力に押されるように一歩あとずさる。
「分かっていてこうしているのだ。分かったらさっさと構えろ。時間の無駄だ」
「何、言ってんのよ! ホントに分かってんの? アンタ……いや、アンタだけじゃない。アンタ達全員、アイツのいいように使われて、動かされてるだけじゃない! 分かってるの? このままじゃ、この世界そのものが消滅しちゃうんだよ?」
「くどい」
否定の言葉は冷たく、文字通り全てを一刀両断する。
「何度も言わせるな。そんなことは重々承知の上だ。理解した上で、こうしてお前の前に立ち塞がっているのだ」
「……っ、嘘よ、そんなの。アンタ達は何にも分かってなんか」
「自分の中の物差しだけで、全てを計ることができると思うな」
「っ!」
「……正常か、それとも異常かと問われれば、普通に考えればお前達のとっている行動は正常なものだろう。私達のしている行為は、お前達から言わせればただの愚行にしか過ぎないものだろう。それは認めよう。だがな、愚かだと分かっていても、間違いだと分かっていても、その道を選んだ意思は紛れもなく、間違いなく私達自身の意思によるものだ。こればかりは、誰に入れ知恵されたわけでも、踊らされているわけでもない」
「……っ、だからって……!」
「くどいと言っている」
言い終えるなり、蓮華は一瞬のうちに抜刀した。
巻きついていた白い布が、天女の羽衣のように宙を舞う。
現れたのは、天地と呼ばれる一振りの刀。
「これが最後だ、もう一度だけ言う。構えろ、そして戦え。戦って、答えを示せ」
蓮華の指が、カチャリと剣と鞘の繋ぎ目を押し上げた。
うっすらと覗く銀色の刃。
もう、後には退けないのだと。
その銀色のきらめきが、全てを物語っていた。
「……こ、の……」
もはや口では何を言っても通じない。
そう悟らされた。
だからもう、こんな手段しか残されていない。
飛鳥は奥歯を噛み締める。
握り締めていた両の拳を開く。
一つは弓を。
もう一つは矢を。
弦を引き、構える。
「……大馬鹿……!」
「……往くぞ」
地を蹴ったわずかな音の直後に、鈴の音の残響のような音が響き渡った。
刃は抜刀され、冷たい切っ先は死を招かんとばかりに襲い掛かってきた。
迎え撃つべくして構えた矢。
が、照準はなかなか定まらない。
「速い……っ!」
とてもじゃないが、ゆっくりと狙いを定める時間なんてない。
駆け出した蓮華は真っ直ぐに向かってきたと思ったら、次の瞬間には瞬時に左右へと移動をしている。
並の瞬発力ではない。
かろうじて目の端で捉えるのが精一杯だ。
「く、そっ!」
狙い済ましたつもりで矢を放っても、その軌道上に蓮華の姿はない。
矢は虚しく空を裂き、あらぬ方向へと飛んでいってしまう。
が、そんなことに構っている余裕はない。
すぐに次の矢を手にし、弓に構えて蓮華の姿を追う。
が、これも簡単なことではない。
明らかに人間の身体能力の限界を超えた速度で移動する蓮華の姿は、もはや残像を生み出すほどの速度にまで加速していた。
飛鳥に捉えきれるのは、その残像を追うことくらいのもの。
当然、残像を射抜いたところで何の意味もないわけで、構えた矢はいつまでも手持ち無沙汰に引きずられるだけだった。
「……ダメだ、目じゃとても追いきれない。何とか気配だけでも本体の位置を掴めないと……」
頭ではそう理解しているが、目はいつまでも残像の後ばかりを追いかけてしまう。
これではダメだ。
思い、飛鳥は危険な賭けと分かりながら、その手段を取るしかなかった。
目を閉じ、全身の神経を張り巡らせる。
視力に頼っていては、いつまで待ったところで捉えきることは不可能だと判断したのだ。
だが、これは同時に無防備な体をそのままさらけ出すことにもなる。
首でも腹でも、この際どこでも構わない。
蓮華が振るっているのは、間違いなく真剣なのだから、どこを切られても致命傷に繋がるものになってしまうことは間違いない。
肉を切らせて骨を絶つではダメだ。
肉を切らさずに骨を絶たないと、こちらがやられてしまう。
五感を研ぎ澄ます。
注意すべきは、真剣が振るわれたときに空を裂くその音。
聴力に全神経を集中させ、攻撃が来る方向を予測するしかない。
失敗すれば、恐らくは死。
よくて致命傷か、それに近い取り返しのつかない傷を負うことになるだろう。
間違ってもかすり傷ですむことなどありえない。
あらゆる方向から地を蹴る音が届く。
それらは全てまやかしだ。
聞き分けるべき一点は、振るわれた刃が空気の層を切り裂きながら進む、風を切るようなあの音だけ。
「……違う、これも……違う……」
判断を誤れば死は免れない。
嫌な汗が飛鳥の首筋を伝った。
集中を切らせてはいけない、その切れ目が死に直通するのだから。
ふ、と。
その微かな音は、背後から聞こえた。
間違いない。
今、背中から刃は近づいてきている。
しかし焦るな。
距離感を掴め。
できるだけギリギリの間合いで回避して、空振りのところに渾身の一矢を打ち込むべきだ。
背中を浅く切り裂かれる程度の覚悟はしよう。
リスクを負わずに勝てる相手だとは、最初から思っていない。
「まだ遠い……もう少し……」
自分に言い聞かせるように、飛鳥は呟いた。
ひしひしとその感覚が伝わってきている。
背面から忍び寄る殺意。
黙っていれば、肩から腰にかけて斜め一線に切り裂かれる。
「まだ……もう、少し……」
流れた汗が瞬時に乾き、そこを風が吹いて寒気を運ぶ。
その寒気と、背後からやってくる恐怖が重なったその瞬間。
「っ、今!」
体をひねり、後方へと飛び退きながらの体勢で飛鳥は弓矢を構えた。
スローモーションのように景色が動く。
反転したその背中に、痛みは何一つない。
避けきった。
そう確信し、最初で最後の一矢を全力で打つことだけに意識を集中させ……。
「な……」
絶句した。
振り向き、矢を向けたそこには。
蓮華の姿など、どこにもなかったのだから。
「どこ、に……っ」
その言葉を言い終えるよりも早く、答えは姿を現した。
飛鳥の、その背後から。
「……っ!」
「――残念だったな。そして、これで終わりだ」
冷たい言葉と冷たい刃が、同時に視界に飛び込んできて。
あまりに無防備なその体を、確実に切り裂いた。