Episode11:最初の戦い
最初はただの煙だった……と思う。
どちらからともなく僕達は目配せし、その方向へと小走りに駆け出していた。
舗装された道を抜け、芝生の上を走り続けること一分ほど。
やや開けたその場所で僕達が見た光景は、人気のない静かな公園にはよほど不釣合いなものだった。
「……火事?」
思わず僕はそう呟いた。
僕達の目の前には、猛るように燃える炎が揺らめいていた。
数メートル離れた場所でも、確かに熱さを覚え、飛び散る火の粉も目に見えて本物だと分かった。
あまりの突発的なその出来事に、僕はしばしの間見とれるようにしてその炎を見つめていたのだと思う。
「早く、消さないと!」
飛鳥のその声に、僕はようやく意識を現実へと引き戻されていた。
だがしかし、消すといってもどうすればいいのだろう。
近くに水場はないし、仮にあったとしてもバケツやそんなもので水汲みしているようでは到底間に合わない。
だとすると、いち早く電話による連絡で消防に連絡すべきだ。
「飛鳥、とりあえずここから離れよう。僕達だけじゃ無理だ、消防署に連絡しないと」
「う、うん。分かった」
僕達は徐々にではあるが確実に燃え広がる炎に一度背を向けて、元来た道を引き返すことにした。
だが。
「……な」
「何よ、これ……」
振り返り、僕達は揃って言葉を失った。
たった今僕達が走ってきたであろうその芝生の道は、いつの間にか炎の壁によって退路を塞がれてしまっていた。
さらによく見ると、炎の壁はそこだけではない。
まるでそれらは僕達二人を檻の中に閉じ込めるかのように、円を描いて壁を作っていた。
つまり、もう出口はない。
「閉じ込められた……?」
「そんな、どうして……いや、まさか……」
そう呟いた飛鳥の表情が、しだいに緊張を見せていく。
「そんなはずは……あのとき確かに、アイツは倒したはず……」
幻でも見ているかのように虚ろな表情。
そして、そんな僕達を嘲笑うかのように、第三者の声は炎の檻の中にこだました。
「――よぉ。また会ったな、雷使い」
「……っ!」
その少年の声に、跳ね返るように飛鳥は向き直った。
僕もそれに続き、声のした方向を振り返る。
するとそこに、一人の少年が立っていた。
間違いなく今の今までは、そこには人影はおろか動物の気配すら存在しなかったというのに……。
「何だ? 今日はあのメガネの兄さんは一緒じゃないのか? そりゃ好都合だ」
そう言うと、少年は歳相応には相応しくない嫌な笑みを浮かべた。
一瞬、僕は炎の中にいるのに寒気を覚えてしまう。
そして同時に、本能的に感じ取ってしまった。
目の前にいる少年も、僕達と同じ……能力者であると。
「……お前、生きてたのか……」
絞り出すように飛鳥は言う。
その額にはわずかに汗の球が浮かんでおり、それがこの炎の熱さなのか緊張のせいなのかははっきりとは分からない。
「ああ、このとおりな。だが、あのときはマジで死ぬかと思ったぜ? あんなキツイ一撃もらったら、それこそ跡形も残らねーわな」
「……っ、だったら、どうしてお前はこうしてここにいる……!」
「あ? 人の話を聞いてなかったのか? だから、喰らわなかったからだよ。お前のあの、必殺の一撃をな」
「っ……」
僕だけが取り残されたかのように会話は続くが、その話の内容で僕も大体のことが分かってきた。
今目の前にいるこの少年は、恐らくあの夜……僕が初めて現実の狭間を踏み越えたあの夜に、飛鳥と氷室が戦っていた少年だ。
あのときは遠目で顔はおろか容姿もまともに見ることはできなかったけど、今こうしてみると、僕や飛鳥とほとんど変わらないくらいの年頃に見える。
「さて。だとすると、また一つ疑問が出てくるよな? どうして俺はあのときのお前の一撃を、回避することができたのか?」
「…………」
飛鳥は無言だったが、それは肯定を意味していた。
それもそのはずだ。
僕もあのとき、飛鳥の放った巨大な雷の槍を目の当たりにしているから分かる。
あれは直撃はおろか、かすりでもしてしまえば細胞の一つも残さずに消し飛ばすくらいの威力を持った一撃だ。
加えて、その速度は音速を遥かに凌駕する。
一秒の時間もかからずに的を射抜く矢は、放たれたのを確認してからでは回避する手段などないはずだ。
「ま、タダで教えてやるほど俺も優しくないんでな。だから、これから見せてやるよ。もっとも、それを俺に使わせるかどうかはお前の努力しだい……だけどな」
言うなり、少年は今までポケットの中に突っ込んでいた両手を外へ出した。
僕も飛鳥も警戒するが、その手には特に何も握られてはいなかった。
「あの夜は出し惜しみしたが、今回は見せてやるか。苦手な水使いの兄さんもいないことだし、大サービスだ」
少年の握られた手が開く。
そして次の瞬間、少年の掌から迸るほどの炎が立ち上った。
轟々と猛るその炎は、見ているだけで相当の高温を思わせるものだった。
にもかかわらず、少年はその熱さをまるで感じさせない涼しげな表情をしている。
確信が持てた。
この少年は、炎使いだ。
「まずは一つ。よーく見てろ……」
言われたことに従うわけじゃないけど、僕は少年の手に視線を集中させた。
隣の飛鳥も警戒だけは解かず、しかしすでにその両手にはバチバチと音を鳴らす雷の矢が握り締められていた。
「――我が手に宿るは真紅の焔。形無しの焔よ、契約者の名の下に命ず。触れるものを灰燼と化す刃となりて形を成せ……」
詠うように紡がれた言葉。
それを合図にするかのように、少年の掌の上で渦を巻いていた炎がさらに激しく猛り、そして徐々にその形を変えていった。
やがて炎は揺らめいたままの赤色で形を持ち、それらは少年の両手にしっかりと握られた。
その炎は、短剣。
見た目だけならサバイバルナイフによく似ているが、それは刃物であって刃物ではない。
なぜならそれは、形のない炎が短剣の形を見せているだけだからだ。
だが、それは決して見せかけのものではない。
「……これが俺の、イマージナル・ウェポンだ。言っておくが、ただのナイフと思うなよ? どういう意味かは、切られれば分かるさ」
赤く揺らめく短剣が光る。
そして少年は、己の武器の名前を囁いた。
「――行くぜ。プロミネンス・ダガー」
そして、少年の手から二本のナイフが矢のように投げられた。
同時にそれは、未知なる戦いの合図となった。
赤い二本の短剣が空気を切り裂く。
標的となったのは飛鳥だった。
二本の短剣はそれこそバカ正直とも言うほどに真っ直ぐ、飛鳥へ向けて切っ先を向けてくる。
「こ、のっ!」
対して飛鳥も、その二本の短剣に対して両手から一つずつの雷撃の矢を放った。
青白い火花がバチバチと音を立て、矢の鋭さをもって迎え撃つ。
両者の中間距離ほどの場所で、炎の短剣と雷撃の矢は互いに衝突した。
一瞬まばゆいほどの閃光がはためき、直後に小さな爆発と共に白煙が立ち上る。
僕はただその勢いに押されるように、腕で視界を覆い隠すことしかできなかった。
威力はほぼ互角、結果は相殺だろうか?
しかし、そう思ったのも束の間だった。
「大和、離れてて!」
飛鳥のそう怒鳴るような声が聞こえて、僕は反射的にその言葉に従った。
急いで足を動かし、周囲を囲む炎の壁に背を向けるようにして立つ。
徐々に白煙が晴れていく。
そして元に戻った視界の中には、僕の目には信じられない光景が映りこんだ。
「な……」
思わず僕は言葉を失った。
それはあまりにもデタラメな絵だったからだ。
僕と同じ心境なのだろう、飛鳥も苦々しい表情を隠せないでいる。
「悪いが、俺の炎に相殺なんて安い真似は通じねーよ。って、言わなくても見れば分かるか?」
相変わらずの嘲笑うような声。
己の絶対の優勢を思わせる、自信に満ち溢れた声。
しかし、それもそのはずだ。
少なくともこの状況……四方を炎の壁で囲まれている限られた空間の中では、少年のこの力は最大限に効力を発揮すると言える。
少年の手には、すでに新しい短剣が二本。
そればかりではない。
少年の周囲を取り囲むかのように、いくつもの炎の短剣が鋭い切っ先を向けて宙に浮いているのだ。
その数はゆうに二十を超える。
一つ一つが陽炎のように揺らめきながら、真っ赤に燃える刃を飛鳥へと向けている。
飛鳥と似た飛び道具系の能力ではあるが、その数が違いすぎる。
少年の短剣は、まるでその一つ一つが少年の意志一つで自由自在に動かせるような……言わば高性能の誘導弾のようなものだ。
対して神楽の雷の矢も、威力では決して劣ってはいない。
いや、威力の面だけで見れば恐らく上だろう。
しかし、そこには機械のような正確さはない。
結局は矢を放つのは飛鳥自身なわけで、狙い定めるのも本人の役目だからだ。
負けじと飛鳥は両手に雷撃を溜めてはいるが、これではさすがに多勢に無勢。
飛鳥が仮に両手のそれぞれの五指から雷撃を放ったとしても、限界数は十。
対して向こうはその倍以上もの数を用意している。
十を相殺しても、残りの十が飛鳥の体を突き刺す。
それでは全く勝ち目がない。
「さて、解説終了。まぁ、せいぜいがんばって避けてみろ」
少年が手を前方にかざす。
それに反応するかのように、まずは計五本の短剣が飛鳥へと襲い掛かった。
「くっ!」
飛鳥の反応は早い。
ただの直線的な攻撃であれば、身体能力だけでも余裕に回避できるほどだ。
しかし、それは意味を成さない。
向かってくる短剣は、的を追いかけるかのように進行方向を変えてくる。
つまり、避け切ることはほぼ不可能。
ならば、やはりムダと分かりながらも相殺するしかない。
「この……」
左手を払い、同時のそこから五本の雷撃の矢を放つ。
再び正面から激突する互いの攻撃。
そうなるはずだった。
だが……。
互いの攻撃がぶつかり合うその直前、その変化は起きた。
グニャリと、まるで溶けた飴細工のように短剣が形を変えた。
「な……」
真っ直ぐに撃ち出された飛鳥の雷撃は、迎え撃つはずの短剣の一つも破壊することなく空を切る。
そして変化はまだ続く。
一度は溶け出した短剣が再び形を取り戻し、こともあろうか、その数を倍の十に増やして再び飛鳥へと襲い掛かった。
一つ一つの短剣が溶け合い、二つの短剣へと変化していた。
威力そのものは半減されるが、その数は倍。
下手な鉄砲も数撃てば当たるというが、これはそれよりも数倍性質が悪い。
なぜなら、その全てが下手じゃないのだから。
「飛鳥!」
僕は思わず叫んだ。
飛鳥は雷撃を放ったままの体勢で、とてもじゃないがあの十本の短剣を避けることなんてできない。
しかしそんなことはお構いなしに、時間を取り戻した十本の短剣が襲い掛かる。
「……っ!」
飛鳥の表情が強張る。
無理だ。
回避なんてできっこない。
じゃあ、どうすればいい?
今から僕が走り出したところで、間に合わないのは明白だ。
どうする?
どうする?
せめて、せめてもっと……。
――……もっと、もっと速く動くことができれば……。
そう思った瞬間、僕の周囲にわずかな変化が起きた。
ふいにはためいた優しい風。
僕の体を包み込むように、足元から立ち上る。
炎の熱さを忘れるほどに暖かく、それでいて身を裂くように鋭い。
風が舞う。
そのとき僕は、一つのイメージに支配された。
――今なら、間に合う。
その言葉が何度も脳の中で反芻されたと思ったら、僕の体はすでに動き出していた。
自分でもはっきりと分かった。
地を蹴る足。
体を包む風。
目の前の景色が、急速に近づいた。
周りの景色なんて、それこそ止まって見えた。
そしてたった一歩を踏み出しただけのはずの僕の体は、直後に……。
背後ではいくつもの短剣が地面に突き刺さっていた。
「何?」
少年の声。
疑問を隠せないのが、その口調からよく分かる。
少年の言葉は至極当然のものだった。
なぜなら今地面に突き刺さっている十の短剣は、その全てが確実に飛鳥の体のどこかを突き刺すに違いないものだったのだ。
にもかかわらず、短剣は全て的を外して地面へと突き刺さった。
つまり、飛鳥がそこにはいないということだ。
では、何が起こったのか。
少年はわずかに視線を動かし、その方向を見る。
そこに。
――飛鳥の体を抱きかかえるようにして方膝をつく、僕の姿があるはずだ。
「……大和?」
驚きを隠せないでいたのは、どうやら飛鳥も同じだったようだ。
いや、僕自身この出来事に驚いている。
「……あ、れ? 僕、何を……」
気が付けば僕は、距離にして三十メートルほどを移動していた。
あの一瞬で、だ。
それでも僕は、はっきりと覚えている。
今の一瞬で、僕自身が確かに動き、飛鳥の身を抱えていったことを。
あの瞬間、湧き上がるような力をこの体が感じ取ったことを。
どうやら、これが……。
「――これが、風の力……?」
誰かに問うように、僕は静かに呟いた。