Episode109:分岐
考える時間はほとんど必要じゃなかった。
誰から言い出すわけでもなく、僕達は揃って歩き出し、幹の大穴に身を潜らせた。
穴を抜けるとそこは、不思議な場所だった。
樹の幹の中身がそのままくりぬかれたような空洞になっていて、上を見上げれば何もない空間が際限なく続いている。
巨大な円柱の中に入っていると考えれば分かりやすいかもしれない。
「これが、樹の中なの?」
「改めて実感させられますね。この樹の常軌を逸した大きさというものを……」
「すごい……」
僕は素直に感心してしまった。
そんな落ち着きを見せるほど、心の余裕はないというのに。
「突っ立ってないで、さっさといくぞ。アイツは根で待っているといったんだ。だとすれば、どこかに下に続く順路があるはずだ。手近なところをくまなく探すんだ」
真吾に言われ、僕達は周辺を探索する。
でこぼこに張り巡らされた根の地面の上はやたらと歩きにくく、余所見をすればすぐに足を取られて転びそうになってしまう。
強靭な筋肉のように地を走る根は、コンクリートの地面のように隙間なく敷き詰められているわけではない。
ところどころに手が入りきるくらいの隙間もあり、その中のいくつかには、空いた隙間から新しく芽吹いた若葉や草が顔を覗かせている場所もある。
樹の中にいるとはいえ、やはりこれは正真正銘の植物なのだ。
「ねぇ、ちょっとこっちにきて」
飛鳥の声に呼ばれ、全員でその場に駆け寄る。
「これ、そうじゃないの?」
指差すその方向を見ると、そこには螺旋階段状に地下へと続く道が流れていた。
「間違いないみたいですね」
「そうだな。よし、いくぞ」
そうして僕達は、下へと続く根の道を下り始めた。
残された時間がどれだけのものなのか、それは誰にも分からない。
間に合うのか、仮に間に合ったとしても、防ぐことは叶うのか?
……やめよう。
できるできないじゃなく、やるかやらないかだ。
根の道は緩やかな傾斜で続く。
なるべく一歩一歩を慎重に進みたいところではあるが、精神的な余裕のなさが歩調を速めているのだろう。
かれこれ、下り坂を歩き始めて五分ほどが経過した。
距離にすれば恐らく、四、五百メートルほど進んだ頃だろうか。
変化らしいものは何一つ見えない。
螺旋状に歩いているということもあり、方向感覚もとっくに狂っている。
加えて、下に進むにつれて薄暗さが密度を増していく。
今でもどうにか互いの表情を見ることくらいの明るさは保てているが、前を歩く者と数メートル距離が離れると、もはや背中を追うこと
さえ難しくなってしまう。
密集した状態で僕達は歩く。
光源になるようなものは何もない。
氷室ならライターくらいもっているかもしれないが、こんな樹の中でもしも周囲の根の引火してしまえば、それこそ大惨事になってしまうことは目に見えている。
いや、そもそも火をつけて燃え尽きる程度のことならば、何も考えず最初からそうしていたかもしれない。
氷室がそのことを口に出さず、しかも行動にさえ移さないということは、それが無意味であることを理解しているからなのだろう。
「……ずいぶんと、深いね」
「歩いた距離はそれなりですが、潜った深さはまだ大したものじゃないですよ。恐らく最初の地点から考えても、十数メートルくらいでしょうね」
「時間稼ぎのつもりか、くそ……」
「……あ、あれ見て」
気付き、僕は声を上げた。
一度全員の足並みが止まり、それを視認した後、早足で駆け寄った。
「分かれ道?」
「厄介ですね、これは……」
僕達の目の前にある道が、そこで分岐されていた。
その数、四通り。
ちょうど僕達全員の人数と同じ数だ。
これはただの偶然では済まされないだろう。
考えられるケースとしてもっとも可能性が高いのは、一つが正解で残り三つは不正解という典型のパターン。
不正解とは即ち、迷路などで言うところの仕掛けやトラップに遭遇して先に進めなくなることを意味する。
本来なら、一つの道に一人ずつを割り当てて、分割して先に進むことが無難だろう。
四人同じ道を選んだ結果、その道が間違ったもので、しかも引き返せないとなってしまっては元も子もないからだ。
が、これは明らかに何かが仕掛けられていると見るべきだ。
そもそも、どれか一つは正しい道だと、そう考える根拠がどこにもない。
全てを不正解の道にしておくことが、もっとも効率よく僕達を排除できる仕掛けなのだから。
とはいえ、これでは永遠に水掛け論だ。
時間だけが無意味に消耗されていく。
それだけはできない。
「……僕は、こっちの道を行くよ」
「大和?」
「待ってよ大和。これって絶対罠だって」
「そうかもしれない。けど、水掛け論を続ける時間なんて僕達にはないはずだよ」
「……そうだな」
頷き、真吾も一つの道を選んでその前に立つ。
「俺はここだ」
「……分かりました。では、私はこっちの道を行きます」
「……分かった。じゃあ私はこの道ね」
それぞれに進む道を決め、その前に立つ。
「では、行きましょう。できることなら、誰一人欠けることなく最深部で」
「うん」
「ああ」
「ええ」
「それともう一つ。どんな境遇であっても、先に進むことを最優先してください。時間は限られています。余計な手間は取られないように祈るばかりです。では、またあとで会いましょう」
その言葉を合図に、僕達はそれぞれ、別々の道を先に進み始めた。
この先に待っているものが何なのか。
そして選んだそれぞれの道は、正しいものだったのか。
全ては先に行けば分かる。
当然、一筋縄ではいかない道だとは分かっていた。
それでも行くしかないんだ。
止めるために。
救うために。
前に、走れ。
「四つの道に分かれたようだね。さて、こちらも迎撃の準備をしておかないといけないかな」
それは独り言を終えると、静かに振り向いた。
そこには、蓮華、赤穂、日景の三人が立っている。
「君達にも色々と面倒をかけてしまった。けれど、これで最後になるだろう。すまないが、彼らの足止めを頼むよ」
「……言われるまでもない」
「はん、どうでもいいけどよ、前みたいに殺すなってのは面倒な話だぜ? 向こうもここまできたら、そりゃ死に物狂いだろうよ」
「ああ、そうだね。だから今回は、君達に全て一存する。殺すも殺さないも、君たちの意思で自由に決めてもらって構わない」
「ここまでくればヤツラもすでに用済みと、そういうことか?」
「もともと、封印の開放が僕の分散した力を取り戻すための手段だったからね。極端な話、開放さえ終わればその場で殺してしまったところで何ら問題はなかったんだよ。けど、君達だって得た力を振るうことなく終わるのは口惜しいだろう?」
「けっ、相変わらず目ざとい性格してやがる」
「……まぁいい。それで? 俺達はどこで誰を待ち受ければいい? それと、向こうが四人に対してこちらは三人だ。一人不足しているようだが……まさか、かりんを戦わせるつもりか?」
「そのことなら心配ない。残る一人は僕が相手をするよ。かりんにはまだ、最後の大仕事が残っているからね。今は少しでも休んでもらう必要がある」
「最後の大仕事?」
「……じきに分かるよ。さぁ、それではすまないが、時間稼ぎを頼むよ」
言うと、それは静かに前へと手をかざす。
次の瞬間、何もなかった根の地面の上に、三つの黒い水面が浮かび上がった。
「それに乗るんだ。あとは自動的に、それぞれに適した相手の場所に辿り着くだろう」
「適した相手、ねぇ。やる前からその顔がはっきりと脳裏に浮かぶぜ」
暴れたいという欲求を丸出しにして、まず赤穂がその中の一つに足を踏み込んだ。
するとそれは、底なし沼のようにその体を呑み込み、音も立てずに赤穂の姿ごと消えた。
「日景、私達も行くぞ」
「……ん? ああ……」
続き、二人もその水面に足を乗せる。
体は沈み、音もなく消えた。
「……さて、と」
それは再び振り返る。
根の最深部のさらに奥。
この大樹の核となるその部分に、幾重にも重なって張り巡らされた根の壁によって、守られるように安置された一つの棺があった。
「最終段階突入、かな?」
ケタケタと、飼いならす闇が不気味に笑う。
終わりの時は、近い。