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LinkRing  作者: やくも
108/130

Episode108:約束


 氷室がその場に駆けつけたとき、事態は一応の収集を終えたところだった。

 が、誰一人としてその収まり方に納得できていたはずもなく。

 無言で、ただただ立ち尽くすばかりで。

 やりきれない気持ちは言葉にもならず、示すには奥歯を噛み締めるか、拳を強く握ることしかできなかった。

 そんな空気を氷室も肌で感じたのだろうか、すぐには何があったのかと聞くことはなかった。

 しばらくそのまま時間だけが流れて、ようやく誰の頭も落ち着きを取り戻しかけた頃に、氷室は口を開いた。

「全員、無事ですか?」

「……うん、平気」

「……ああ」

「何とか、ね……」

 大丈夫だと口々に告げる僕達ではあったけど、誰一人として無事なはずがなかった。

 それは肉体的に受けた傷が浅いとか深いとか、そういう問題の話ではなく。

 全ての終わりが刻一刻と近づくこのときに、目の前で胸の内を明かしたかりんの想いとその言葉に、僕達はただの一つも言葉を返すことさえできなかったのだから。

 いや、言葉だけで返すことならできたのかもしれない。

 けど、少なくとも僕にはそれができなかった。

 たとえどんなにもっともらしい正論を叩きつけても、優しい言葉を並べ立てても、きっと今のかりんに対してそれらは求めている答えには結び付くことのないものなのだろう。

 それだけ、かりんの願いは真剣で、儚くて、切ないものだった。

 死んだ人は……いや、人に限らず、命あるものはそれを失えば二度と甦ることはない。

 それは世界の……万物の法則の一つだ。

 時間を遡ることができないように、空間を捻じ曲げることができないように、それはすでに全世界が共通で認める不可能な命題。

 誰が決めたわけでもない。

 いつの間にかそうなっていたものなのだから。


 逆に言えば、だからこそ人は特に願うのだろう。

 家族が、友人が、恋人が死に往く最後のときをその目で見ていながら、死なないでくれと願わずにいられないものがほとんどのはずだ。

 それでも、死は等しく、いずれなにものの前にも必ず現れる。

 生まれたその瞬間、その命は死を背負うのだから。

 では、生まれなければいいのではないか?

 それは根本的に間違っている。

 生まれたからこそ、僕達は生きることができる。

 やがて訪れる死であっても、それを回避するために生まれたことを後悔するなんてことは絶対に間違っている。

 生まれたことが罪ならば、死に往くことは罰となる。

 ならば救いはどこにある?

 ならば希望はどこにある?

 僕達は一体、何のために生まれてきたというのだろう?

 死ぬために生まれる命なんてありえない。

 あってはいけないんだ。

 たとえそれが、いずれ訪れる決められた最後であっても、恐れてはいけない。

 自分だけが背負っているんじゃない。

 誰もが当たり前のように背負っているんだ。

 ただ、背負うことに気付くのは体も心も大人に近づく頃のこと。

 だから、なのかもしれない。

 かりんの場合、唯一の家族であった兄を、かりん自身がまだ幼い頃に失ってしまっている。

 当然、幼いかりんに兄の死を受け入れることなどできるはずもない。

 きっと、しばらくの間眠り続けていても、やがて目を覚ますと思ってしまうだろう。

 それでも、心のどこかでは気付き始めているのかもしれない。

 死というものの定義。

 それが意味すること。

 還ること、還らないこと、還れないこと。

 気付いていても、それはきっと理解はできない。

 納得などできるはずもない。

 そんなときに、それは囁いたのだ。


 「――君のお兄さんを、元に戻してあげようか?」


 その言葉に、すがりつかない理由がない。

 言い換えればそれは、なくした大切なものを見つけてあげるよという、親切な言葉なのだから。

 だがそれは、現実には絶対にありえないことだ。

 死んだ命は二度と還らない。

 誰だって分かっている。

 そう、かりんだってもう、本当は気付いているはずなんだ。

 そんなことは不可能なのだと、知っているはずなんだ。

 それでもかりんはすがりついた。

 一縷の望みでも、一夜限りの夢でもいい。

 その言葉が本当なら、操られるがままの人形になっても構わない。

 その結果、世界を一つ崩壊させることになったとしても……。

「……かりん」

 呟き、僕はかりんが消えた幹の穴を見据えた。

 大きな口を開け、やってくる獲物を呑み込まんとするその黒い入り口は、何かの咆哮のように見えた。

「約束、したよね」

 覚えているだろうか?

 嫌、もうそれどころじゃなくなってしまったかもしれない。

 ……けれど。

 僕は、ちゃんと覚えているから。

 だから、だからきっと……。


 「――必ず、君を救うから」


 遠くない日の約束。

 忘れたのなら、思い出させよう。

 自分を押し殺すのは、もう終わりにしよう。

 本当の声は、何を求めているの?

 本当の声は、何を叫んでいるの?

 本当の君は、今、どこにいるの?

 全て見つけ出すよ。

 そして、必ず。

 必ず君を……。




「時は来たり、か」

「……思った以上に早かったがな」

「けっ、どうだっていいだろーがそんなこと。どうせ一度、何もかもぶっ壊れるんだろ?」

 赤穂、蓮華、日景の三人は、揃って根の中にいた。

 ここがあの大樹の根に当たる部分だということは聞かされていたが、そういわれても実感は沸かない。

 確かに足元には、無数に張り巡らされて絶え間なく走る木の根が密集してはいるが、別に違和感を感じるほどのものでもない。

「もう間もなく、か。世界崩壊まで……」

「なんだ、日景。この期に及んで心残りでもあるのか? この腐りきった偽りだらけの世界に」

「……心残りか。いや、そんなものは何もない……いや、何もなかったはずだった、と言いかえるべきか」

「はん、今更思い残すようなことなら、さぞかしどうでもいいようなことなんだろうよ」

「……案外、そうでもないかもしれない」

「お前、何を考えている?」

「……さて、な。むしろ、何も考えてないのかもしれないな」

「回りくどいぞ。言いたいことがあるのならはっきりと口にしろ」

「そう怒鳴るな。俺の勝手な私情を、お前達に語る道理もないだろう。大丈夫だ、覚悟は決まっている。ここまできてどうこう騒ぐくらいなら、最初から俺はこの立場にいることを選びはしない」

「……相変わらず、おかしなやつだお前は」

「お前が言うなよそれを。ま、俺も含めてだがな」

 赤穂は笑いながら言う。

「そもそも世界崩壊なんて馬鹿げた話に便乗してる時点で、どっちもどっちだろーが」

「……ああ、正論だ」

「正論ではあるが、お前に言われると妙に腹立たしいぞ」

「けっ、言ってろ」


 大樹の根の、その最深部。

 根の中にあるとは思えないほどの広大な空間に、かりんは一人でいた。

 いや、正確には一人と一匹だろうか。

「……かりん、大丈夫か?」

「……」

 クロウサが話しかけるも、かりんは答えない。

 さっきからずっとこの調子のままだ。

 何を言っても、かりんはうんともすんとも答えない。

「……オイラは」

 それでもクロウサは話しかけ続ける。

「オイラはさ、どんなことがあっても最後までかりんの味方だよ。ずっと傍にいるよ。かりんが信じた道を、一緒に歩くよ」

「……」

「だから、ちゃんとオイラに聞かせてくれよ。今のかりんの気持ちを」

「……気、持ち……?」

「そう、気持ち。こんな形になっちゃったけど、きっとヤマト達はここにやってくることになるだろう。そうすれば、戦うことは絶対に避けられない。望んだものじゃないにしても、もうくるところまできちゃったんだから」

「……」

「だからさ、ちゃんと言葉にしてくれよ。かりんは、ヤマト達と戦って……たとえ殺してしまうことになっても構わない。その覚悟で、今この場にいるんだね?」

「……っ、……」

 わずかだが、かりんの体が震えた。

 その小刻みな震えは、腕の中にいるクロウサにははっきりと伝わった。

「いいんだね、それで? それが、かりんの出した答えなんだね?」

「……私……私、は……」

 その言葉も震えている。

 まるで、冷たい雨の中、傘も差さずに置き去られたように。


「…………ない……」

「……かりん?」

「…………ないよ。私……」

「…………」

「わかん、ないよ……私。もう……わからない……」

「かりん、やっぱり本当は……」

「わかんないよ……どうしたらいいのか。わからないよ…………」

 ああ、それでいい。

 それでいいんだ、かりん。

 一度は止まった涙が、再び溢れ出した。

 そのひとしずくが、クロウサの頬を打つ。

 その感覚を、クロウサはなぜか暖かく感じた。

 わからないわからないと繰り返すかりん。

 けどそれは、助けてほしいとう叫びの裏返し。

 それを、クロウサは誰よりも理解している。

 助けてほしいと、かりんは叫んでいる。

 それだけで十分だった。

 言葉にできないその本音を、しっかりと受け取ることができたから。

 悩む必要は、もうなかった。

「大丈夫。大丈夫だよかりん」

「……っ、…………」

「必ず、必ず助けてやる。オイラとヤマトが、絶対に助けてあげるから……」

 ありがとう、と。

 そんな言葉はなかったけれど。

 少しだけ、抱きしめる力が強くなって。

 それだけで、答えには十分だった。



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