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LinkRing  作者: やくも
107/130

Episode107:涙、ひとしずく


「……どういうつもりだい?」

「……」

 その問いに、何も答えない。

 クロウサを抱きかかえたまま、かりんは一人僕達とそれの間に立ちはだかるようにして立っていた。

「……そっちこそ。どういうつもりなの?」

「……」

「……約束のはず。大和達は。危険な目に。遭わせないと」

「……え?」

 その言葉に耳を疑う。

 どういうことだ?

 そんな約束が、この二人の間に交わされていたということか?

「かりん、どういうこと……」

「……」

 聞くが、かりんは答えない。

 それどころか、背を向けたまま振り返ることさえしなかった。

 ただ真っ直ぐに、正面を向き直る。

 それを直視する。

「……説明して」

「……説明も何も、これは仕方のないことなんだよ。もちろん僕は、彼らに傍観を勧めた。けれど、彼らはそれじゃ納得しないみたいなんだよ。となると、さすがに僕もお手上げさ。降りかかる火の粉は払わなくてはならないだろう?」

「……」

「さぁ、分かったらそこをどくんだかりん。君にはまだやるべきことが残っているし、何より君が望んだものはこの先にある。違うかい?」

「……確かに。そうだけど」

 かりんの声が、ただでさえ小さな声がさらに低く小さく消え入りそうになる。

 何を考えているのだろうか。


 一拍の間を置いて、再びかりんは口を開いた。

「……けれど。こんなことを。私は望んでいない。今すぐやめて。でなければ。私はもう何もしない」

「……やれやれ、困ったものだな」

 口では困ったと言いはするが、その表情はあの不敵な笑みをそのまま残している。

 流れる間は思考のためのものなのか、それとも全く違う別の何かなのか。

 どちらにしても空気はさらに重苦しくなっていく。

 そしてしばらくの沈黙を経て、それは言った。

「……いいだろう。この場はかりんに免じて、ここまでにしておこう。だが、次もあるようならばそのときは僕も容赦はしない。それでいいね、かりん?」

「……分かった」

 かりんの返事を受け、それは闇を退けさせた。

 ずるずると地を這い、出来損ないの影がそれの足元へと吸い込まれていく。

「そういうことだ。かりんに感謝することだね」

 僕達に向けて言い放つ。

 恐らく、殺そうと思えば本当に苦もなく僕達を皆殺しにすることはできたのだろう。

 余裕に満ち溢れたその表情はまさしく、強者が弱者を嘲笑う様そのものだった。

「さて、と。それじゃあ僕は、最後の下準備に取り掛かるとしよう。かりん、この場は君に一任するよ」

 返事を待たず、それは樹に向けて振り返る。

 そしてその手を幹の前にかざすと、その部分が大きく口を開け、入り口のような空洞が現れた。

 そしてそれは、何事もなかったかのようにその中へと入っていく。

「っ、待ちやがれ……」

 反射的に真吾が立ち上がり、その背中を追おうとする。

「……やめて」

 が、それをかりんの低い声が静止させた。

「……もうやめて。あなた達では。束になっても。彼には勝てない。それを今。実感しているのでしょう?」

「……っ」

 その言葉が間違いなく正論なだけに、真吾も言葉を返すことはできなかった。

 すでにそれの姿は樹の中へと消え去り、取り残されたように入り口だけがポッカリと口をあけている。

 来たければ来い。

 だが、それが意味することは分かっているな?

 まるでそう告げられているかのように。


「くそ……っ」

 その場に膝を崩し、地面に拳を叩きつける。

「……お願いがあるの。もうこれ以上。かかわらないで」

「……かりん、何を言って……」

「……聞いて。最後まで」

 何かを決意したようなその眼差しに、僕は気圧されそうになる。

「……このままじゃ。皆死んでしまう。大和も。大和の仲間達も皆。だからもう。やめて」

「やめてって、どういうことよ……」

「……」

「このままアイツの好きにさせろっていうの? それがどういう意味か分かってる? アンタが言ってるのは、この世界の消滅を受け入れろって、そういうこと……」

「分かってる!」

 かりんが怒鳴った。

 その声も決して大声とは呼べないほどのものだったが、その大人しい外見からは想像もできないほどの悲痛な叫びだった。

「……お願いだから。もうこれ以上……」

 声が尻すぼみになっていく。

 聞き取れないほどに小さく掠れる声。

 胸の奥底から、本当に絞り出したような言葉。

「……かりん、教えて」

 僕は聞く。

 いや、聞かなくてはいけない気がした。

「どうしてかりんは、そこまでしてくれるの? 僕達を死なせたくないから? そうだとしても、このままじゃ世界そのものが消えて、結局僕達も一緒に消えてしまう」

「……それは違う。確かに一度。全ては無に還るけど。その先には再生が約束されている。その場所で。また全てが元通りに修復される」

「違うよ。そんなの、元通りでも何でもない。今ここにいる僕やかりんが一度消えて、仮に新しい世界で再生されたとしても、それはもう今の僕じゃないし、今のかりんじゃない。全くの別物だよ」

「……それでもいい。そこにしか。私の求めたものはないの。間違いと分かっていても。すがるしかないの。たとえ騙されていてもいい。私はまだ。夢を見ていたいの……」


 押し殺した声が響く。

 それは願いなのか、望みなのか、祈りなのか。

 恐らく、口にしているかりん自身が誰よりもそれを理解できていない。

 それでもその思念を曲げない。

 すがる価値がそこにあるから。

 その価値はきっと、他人から見れば一瞥できるような些細なものかもしれないけど。

 かりんにとっては、何物にも変えがたいもので。

 何を犠牲にしても手に入れたいもので。

 それを成すためなら、あるいは成せる可能性がそこにあるのならば、悪魔に魂を売ってでも追い求めるべきものなのだろう。

 間違いと知りながら、その道を歩くこと。

 あるものはそれを愚かと罵るだろう。

 あるものはそれを無垢だと奉るだろう。

 どちらも正解で、同時に不正解でもある。

 結局のところ、自分の中の信念というものに限って言えば、外からの言葉は全て否定したくなってしまうものなのだ。

 たとえ誰に何を言われようと、信じた道を突き進むこと。

 それは潔いことかもしれない。

 でも同時に、哀れなことかもしれない。

 実現するかどうかも分からない……いや、この場合で言えば夢物語にしか聞こえない言葉。

 それでも、かりんはすがりついた。

 自分の願いを、現実にするために。


 「――……もうこれしか。お兄ちゃんを取り戻す手段は。残っていないの…………」


 小さな少女は懸命に告げる。

 当たり前だった過去が欲しいと。

 ただ、ひたすらに。

 ただ、真っ直ぐに。

 望んだものは、大好きだった人の笑顔。

 追いかけたのは、大好きだった人の背中。

 手を伸ばしたのは、大好きだった人の手の温もり。

 誰がそれを、責められる?

 誰がそれを、くだらないと吐き捨てられる?

 誰がそれを、諦めろと促せる?

「かりん、もしかして……」

「……そう。彼は約束してくれた。再生された世界で。お兄ちゃんもまた。再生してくれると。それが。私のたった一つの望みだから」

「そんなのっ……アンタを都合よく動かすための嘘に決まって」

「……証明できる?」

「え?」

「……それが嘘だと。間違いなく嘘だと。証明できるの?」

「それ、は……」

「……理由はそれと同じ。嘘か本当か。結局最後まで見届けなければ。どちらの証明にもならない。だから私は。賭けたの。五分の勝負では。ないかもしれないけど。それでも私にとって。彼の言葉は。間違いなく救いだった」

「かりん、そこまでして……」

「……だからお願い。もう何もせず。ただ時を待って。苦痛の中で消えていくより。何も感じずに消える方が……」

「…………」


 かりんは目を伏せた。

 小柄なその体を、さらに縮めて立ち尽くす。

 僕は奥歯を噛み締めた。

 色々な感情が頭の中を巡って、正しい答えなんて何一つ導き出すことはできそうにない。

 けど、それでも。

 答えを出さなくちゃいけない。

 たとえその結果が、かりんが望むものとは真逆のものだったとしても。

「……かりん、ごめん」

「……」

「その提案は、受け入れることはできない。僕達はまだ、諦めるわけにはいかないんだ」

「……そう」

 低く一つ、かりんは答える。

「……私から話すことは。もう何もない。次に向かい合うときは。敵同士。私も容赦はしない」

「…………」

「……あなただけは」

「……っ」

「……大和。あなただけは。巻き込みたくなかった。でも。もうここまで。次で本当のおしまい」

「かりん……」

「……私達は。根の奥であなた達を待つ。入り口はここ。覚悟ができたら。この穴をくぐればいい」

 かりんはそう言い残し、自らもその穴の中に体を刷り込ませていく。

「……もう。殺し合うことでしか。互いの未来は。掴めないだろうから。だから。本当にこれが。最後」

 振り返り、かりんは僕を真っ直ぐに見据える。

 その目が。

 いつからだろうか。

 透明な雫で溢れ返っていたのは、いつからだっただろうか。

 その一滴が、音もなく頬を伝い、地面に落ちた。


 「――……サヨナラ」


 後に残ったのは、やりきれない気持ちを抱えた僕達と……。

 はるか頭上で悲しげに枝葉を揺らす、大樹の泣き声だけだった。



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