Episode100:操り人形達の談義
こんな夜中じゃ営業している店も限られている。
なので、結局僕達は氷室の事務所へと集まる形になった。
とはいえ、真夜中に事務所の明かりがついているのもそれはそれで目立つので、以前使った地下の区域に僕達は身を潜めることにした。
高校のグラウンドほどはあろうかというその空間に、計五人が集う。
「とりあえず、ここならしばらくは安全でしょう。絶対の保障はできませんが」
「……一体どうなってんだ、あんたの周囲は。事務所の地下にこんな場所を確保してるなんて」
「今はそんなことどうだっていいじゃない。それよりも……」
疑問を口にした真吾を、飛鳥があっさりと切り捨てる。
「大和、体の方はどうですか?」
「……うん、大分楽になったみたい。とりあえず、今は痛みはもう感じないよ」
僕がそう答えると、誰からともなく安堵の溜め息が漏れる。
まとわりついていた緊迫感のようなものが、ようやく少しだけ薄れてきた感じだ。
僕は自分の手で、そっと自分の胸の辺りに手を置く。
傷痕もすっかり塞がって、ついさっきまで穴が開いていたとは思えないほどだった。
それに何より、しっかりと自分の心臓の鼓動が手を伝って感じ取ることができた。
生きている。
そう確信すると共に、そこにある命をくれたシルフィアに、もう一度胸の中でありがとうと呟いた。
指の中の『Ring』は、もう以前のように語りかけてくることはない。
そこにあった魂は、還るべき場所に還ったのだろうか?
分からないとは知りつつも、僕はふとそんなことを考える。
「それで」
と、話を区切るように真吾が言う。
「これからどうするつもりだ?」
その言葉に、まずは一同沈黙。
誰しもがどうするべきかを考えるべく、わずかな間が流れる。
「……今のままでは、何度挑んだところで同じ結果しか得られないでしょうね」
まず氷室が答える。
「目で見ただけでも十分に理解できました。私達ではあれに勝つことなど到底叶わない。それどころか、対等の条件で向き合うことさえ不可能に近いでしょう。力のレベル、次元そのものがあまりに違いすぎる。仮に数に任せて挑んだところで、結果は変わらないでしょうね」
淡々としたその答えに、しかし誰も口を挟むことはない。
誰もが痛感しているから、それも当たり前のことだった。
そしてこの中で唯一、直にその攻撃の矛先を受けた僕が、誰よりもその差を実感しているのだから。
「……大和」
「ん、何?」
氷室の呼びかけに僕は顔を上げる。
「こんなことを聞くのは空気が読めていないと思われるかもしれませんが……実際、あれと対峙してどうでしたか? 面と向かってみて、どういう印象を受けましたか?」
「……ちょっと氷室、大和はついさっき殺されかけたのに……」
「分かっています。ですが、実際に攻撃を受けたのは大和だけだ。今は少しでも情報がほしいんです。どんなわずかなことでも、些細なことであったとしても、もしかしたらそれが意外な糸口になるのかもしれないのですから」
「それは、そうかもしれないけど……」
「……いいよ、僕は大丈夫。とりあえずは、こうして生きているしね」
「……どうですか、大和?」
氷室の問いに少しだけ間を置いて、僕ははっきりと答える。
「……正直、何もできなかった。実際に目を見たわけでも、言葉で圧力をかけられたわけでもない。あの腕みたいに伸びた闇のほんの一部に触れられそうになっただけで、今まで感じたことがないくらいの寒気がした。冷たいとか、そういんじゃなくて、もっとこう……本能的な恐怖感を感じた。胸を貫かれたときも、痛みなんてまるで感じなかった。貫くっていうよりは、隙間を通り抜けたっていうような、そんな感じ……」
曖昧な言葉しか並べられないけど、これが僕が素直に受けた印象だ。
もはやあれは、力の強弱ですらくくることができないものだ。
言葉どおりに、触れたものを全て消滅させるという、それだけを忠実に実行する兵器と言ってもいい。
本体から離れた箇所までも、意思一つで遠隔操作できるような。
「……私も似たような感覚を覚えました。とにかくあの力は、仮に『Ring』によってもたらされたものだとしても群を抜いている。まともな方法じゃ、本体であるあれに触れることはおろか、近づくことさえできやしません」
つまり、お手上げだ。
遠回しでなくても、一度その目であの光景を見てしまえば誰もがそう思う。
「加えて、あれは七つ目の封印まで開放してしまった。本来ならそれは真吾に該当したものだったはずですが……どうなんです? こういう場合、開放によって得られるはずの力はどっちに受け継がれるんですか?」
「……どうだろうな。まさか俺も、法則無視してこんなことになるなんて考えても見なかった。だが、実際今の俺には前以上の力があるとは思えないし、そんな感じも受けていない。法則を無視したんだから、開放された力は霧散してしまったと考えたいところだが……」
その先を言わずとも、誰もが続く言葉を理解できた。
もしも開放による力が、適合を無視して開放した者に宿るとすれば、あれはさらに力を増幅させたということになる。
ただでさえ縮まらないほどの差が、また一歩広がってしまったことになるのだ。
この場にいる誰もがそれを知っている。
だから、何も言葉が出てこない。
気休め程度の言葉をいくら積み上げたところで、歴然とした差はこれっぽっちも縮まりやしない。
どうにかしなくちゃいけないと思うほど、坩堝にはまって身動きが取れなくなる。
かといって、時間が全てを解決するなんて、そんな戯言に頼ってしまっては本末転倒だ。
結局何も変わりはしない。
けれど、確実に世界は変わろうと……終わることで変わろうとしている。
組み間違えたパズルを正しく組み直すには、一度全てを壊してから出なくては意味がない。
その理屈自体は、決して間違っていることじゃない。
途中で迷って、最初からやり直すことで成功を収めることはいくらでもあるからだ。
ただそれは、あくまでもその過程で力と時間を費やすのが当人一人だけであればという話であって。
そう望まない存在を巻き込むことがあるのならば、それはただの独裁にしかなりえない。
「……どうなるんだろ、これから……」
小さく飛鳥が呟く。
「…………」
誰も、何も言い返すことはできない。
そんな中で、僕はふと気付く。
「……かりん?」
さっきからずっと黙ったまま、下を俯いているその姿に目が向いた。
気のせいか、体は小刻みに震え、表情も苦しそうに見える。
地下だから、気温が低いのは仕方がない。
それを差し引いても、かりんの様子はどこかおかしかった。
それは寒さに打ち震えているというよりは、恐怖に怯えて身を竦ませているようにしか見えない。
ただ、震える両腕で強く強く、クロウサを抱きしめていた。
「……どう、して……」
と、震えた小声でかりんは呟いた。
その声に、誰もが視線を移す。
「……こんな。こんなはずじゃ……なかった……」
その言葉が意味するところが何なのか。
このときはまだ、誰も知る由はない。
「……こんなはずって……どういうこと?」
飛鳥が聞き返す。
小さな体をさらに縮ませ、震えを堪えてかりんは静かに答える。
「……誰も。誰も傷付かずに。全て終わるはずだった。戦争というのも。表面上の建前。ありえない力が複数あって。それを一つに束ねるとすれば。自然とお互いを。敵対視しなくてはならなくなるから」
その理屈は間違っていない。
かりんはさらに続ける。
「……戦うことになれば。更なる力を求めることも。不思議ではない。封印の開放は。あくまでもそのために。後付されたルール」
「後付ですって?」
その言葉に氷室が反応を示す。
「ということは、最初は封印開放というシステムさえ、用意されていなかったということですか?」
かりんは無言のまま、静かに首を縦に振った。
その場にいる全員が息を呑んだ。
驚愕の事実であると同時に、頭の中が混乱をし始める。
「ちょ、ちょっと待って。それが本当だとしたら、最初はそもそも封印なんてものがなかったってことでしょ? でも私達は実際に、いくつもの封印を解いて、その結果として力を強めてきてる。それをどう説明するの?」
「それだけじゃない。仮に後付できたとして、その必要性は何だ? 後付したってことは、何かしらの計画を進めていく上で何らかの支障が出て、それを不自然じゃない形で改善する手段としてやむをえず用いたってことだ。そのぶつかった障害とやらが何であるかってことだ」
飛鳥の言葉に続き、真吾が意見を口にする。
そしてまた、全員の視線がかりんに移る。
「……もともと。封印と呼べるものは。一つだった。けれど。その封印に用いられた力は。あまりにも強力なもの。彼の力を持ってしても。開放に至ることはできなかった。だから彼は。封印を分割することを考え付いた」
「封印の……」
「分割……?」
また一つ頷き、かりんは続ける。
「……一ヶ所に留まった。封印の力を。いくつかに分割し。別々に一つずつ。開放することで。遠回りではあるけれど。確実に。開放に至ることができる。封印の数が。八つだったことは。ただの偶然に過ぎない」
「……なるほど。一応の筋は通ってます。百の力に五十で挑んでも敵いやしませんが、百を十の十に分けてしまい、それを一つずつ潰していけば、いつかは百に至る……」
「……封印が八つに分離して。あとは確固を開放していけば。それでいいはずだった。けれど。彼はその開放に。力の大半を費やしたから。個々の封印を開放する力すら。残らなかった。だから。偶然この地に眠っていた。古代の遺産をうまく使って。自分以外に。八人の能力
者を生み出すことにした」
「それが、僕達ってこと……?」
「……八つの封印の。一つが開放されるたびに。費やした彼の力の一部も、比例して彼に戻っていく。八つの封印全てを。開放すれば。彼は元通りの力を手にする」
「……それってつまり、能力者全員がアイツの手駒ってこと?」
「……どう聞いてもそうとしか聞こえないな」
「……そうして全てが。順調に進めば。全ては静かに。幕を下ろすはずだった。ただ一つの。例外がなければ……」
「例外?」
「……なるほど。真吾の存在ですね?」
言われ、かりんは真吾に視線を向ける。
「……彼にとっても。まさか自分の分身が。選ばれるとは思っていなかった。選ばれれば。お互いに気付かされる。何が起こっているか。起こそうとしているか。だからあなたは。いち早く動けたはず」
「……ああ、その通りだ」
少しずつだけど、見えない部分が見えてきた。
最初から全ては仕組まれていたということ。
本来なら、こんな『Ring』などというシステムはなかったということ。
そして。
開放のたびに、あれは力を取り戻すということ。
それはつまり。
今でさえ、あの力は不完全なものであって。
残された封印は、もうあと一つしか残されていなくて。
後にも先にも動けないような、そんな状況にいつの間にか立たされていることを、実感せざるを得なかった。