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LinkRing  作者: やくも
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Episode10:黄昏迫る頃


 氷室の携帯に電話がかかってきたのは、僕達が事務所に戻って間もなくした頃だった。

「すいません。ちょっと仕事が入りました。飛鳥、あとは頼みます」

 それだけ言い残すと、氷室はまた一人車を走らせてどこかへと向かっていった。

 仕事というのは、やはりこの経営していると思われる探偵事務所……つまり探偵としての仕事なのだろうか?

 普段の氷室がどんな仕事をこなすのかすごく興味深かったけど、今は詮索はしないでおくことにしよう。

「さて、どうしよっか?」

「どうするって……どうしよう」

 こうして僕と飛鳥が事務所に取り残されたわけだけど、結論から言えば何をするか何も決まっていない。

 氷室に仕事が舞い込んでいなければ、恐らくは先ほどの続きということでトレーニングを続行していたかもしれない。

 だから素直にそうするのも一つの手ではあるけれど、何か他にすることはないものだろうか。

 そう思ったまではよかったが、やはり結論としてはすることは何も見当たらない。

 僕も休日の大半は家で寝ているか、あるいは音楽を聴いたり雑誌を読みふけっているだけで消化してしまうタイプだ。

 母さんにはもっと時間を有意義に使えと呆れ果てられるが、僕にとってはそういうグータラな時間だって有意義なものに変わりない。

「……とりあえず、またさっきの続きでもする?」

 と、僕は提案する。

 もともと今日はそのために午後の時間を割いたようなものだし、僕自身も先ほどの疲労はもう何も残っていないので問題ない。

「んー、それもいいんだけど……」

 としかし、一方で飛鳥はあまり乗り気ではないようだ。

 まぁ、考えてみればトレーニングとはいってもお互いにすることは実に単調だ。

 飛鳥は攻撃を繰り返すだけで、僕はその攻撃を避けるだけ。

 それでも遊んでいるわけではないから、それなりに重要なものなのではあるけれど……。

「少し歩かない、大和?」

「え? うん、いいけど……」

「私、あんまり人が多いところって好きじゃなくってさ。できれば少し静かなところがいいんだけど」

「あ、僕も同じ。じゃあ、どうする? ここからだと、近い場所は森林公園くらいかな」

「なら、そこにしよう。今の時間なら、そんなに人も多くないだろうし」

 先に歩き出す飛鳥の背中に続いて、僕も歩き出す。

 太陽はまだ遥か頭上。

 ほのかに暖かな日差しが、休日の街並みを照らしていた。


 さっき遅い昼食を済ませた中心街を外れて、僕達は街の西側にある森林公園へと向かっている。

 ここは昔から小高い丘や小さな山がいくつも連なっていた場所で、その一部を開拓して作られたのが森林公園だ。

 僕も昔は、時々だけど母さんに手を引かれてこの場所にやってきたことがある。

 とはいえ、それも今から数えればずいぶんと古い話だ。

 こうしてこの場所を訪れたことなんて、もう十年振りくらいではないだろうか。

 家から割りと遠く離れた場所にあるということも、その理由の一つだった。

 自転車をこげば来れない距離ではないけど、そうまでして来るよりは近所か友達の家へ向かう方が遥かに楽だった。

「到着ー」

 公園の入り口にある小さなアーチをくぐり、飛鳥はグッと背伸びをした。

「あー……やっぱり静かなところはいいわー」

 その言葉がどこか、飛鳥本人の外見とはかけ離れて見えておかしかった。

 どう見ても飛鳥は、おとなしいというよりは賑やかという言葉のほうが当てはまりやすいと思う。

 口調も話し方もそうだし、何より活発で行動的だ。

 似合う場所は図書館ではなく、グラウンドや体育館に間違いないだろう。

「ん? 何? どうかした?」

 顔に出ていたのだろうか、振り返り僕を見た飛鳥は不思議そうに訊ねた。

「いや、別に。ただ、何となく意外だなぁって思って」

 言いながら、僕は数歩ほど歩き出す。

「意外?」

 僕の歩調に飛鳥が合わせ、僕達は隣り合って公園の敷地を歩き出した。

「飛鳥って、もっと騒いだりするのが好きなタイプだと思ってたから。それなのに静かな場所が好きだって言うから、ちょっとギャップみたいなのを感じちゃってさ」

「あー、確かにね。大和に限らず、氷室にも前に同じこといわれたことある」

 そうだろうなぁと、僕は声には出さずに胸の中で頷いた。

「まぁ、別に騒いだりするのが嫌いってわけじゃないんだ。やっぱり、楽しいことは大勢でやった方がもっと楽しいと思うし、賑やかなのはいいことだと思う。だけど、ね……」

「だけど?」

 わずかだが、飛鳥の声のトーンが落ちたことに僕は気付いた。

 表情では相変わらず何事もないように小さく笑みを浮かべているけど、肝心な感情を隠しているような、そんな妙な違和感を覚えた。

「……ううん、何でもない。私が静かなところが好きだっていうのは、別に大した理由じゃないよ。ほら、大和にだってあるでしょ? 時々、一人になりたい時間とかさ」

「まぁ、そりゃね……」

「それと同じ。たまーに一人で考え事とかするときは、やっぱり静かな場所の方が落ち着くんだ。誰かに気を遣う必要もないし、逆に気を遣われる心配もないから」

「そう、だね……」

 飛鳥の言いたいことは、僕にも何となくだけど分かる。

 多分、そのことには理由なんてないんだと思う。

 誰にも相談せず、だけど一人で抱えるには少しだけ大きな悩み事とか。

 そんなとき人は、自分に向き合うのかもしれない。

 誰でもない、自分自身に。

 その自問自答の中で、答えを見つける人もいるだろう。

 もちろん、そうでない人もいるだろう。

 けど、どんな結果でもそれは、自分自身で悩みぬき、考え抜いた結果なのだから、答えがなくてもそれでいいものなんだ。

「……あのさ、大和」

「……何?」

「大和は、十六歳だっけ?」

「そうだよ。飛鳥は十五歳だっけ?」

「うん。そっかそっか、一つだけど、大和は人生の先輩ってワケだ」

「人生って……そんな大げさな。たった一年生まれたのが早いだけの話だよ。大差なんてないって」

「……ううん。そうだとしても、やっぱ違うと思う。一年早く生まれた大和には、私より一年分沢山のことを見たり聞いたり感じたりできてるもん。それって、たった一年でもすごいことだと思わない?」

「……まぁ、そう言われてみれば確かにね。あんまり昔のことなんて、もう全然覚えてないけどさ……」

「あーあ……」

 吐き出すようにそう呟くと、飛鳥は視線を空に向けて続けた。

「もしも私があと一年早く生まれてたら、今十六歳になってるはずの私は、今と同じようにこの場所でこの空を見上げてたのかな?」

「……どうなんだろう。それは分からないと思う」

「……そうだよね。そんなの、分かりっこない、か……」

 そう呟くと、飛鳥は視線の高さを戻して僕の方を振り返った。

「あのさ、大和」

「うん」

「もしも……もしもだよ? どんな願いも一つだけ叶えてくれる魔法のアイテムがあったとしたら、大和は何を願う?」

「……願い、かぁ……。どうだろ。いざ聞かれると、それらしいことって何も浮かんでこないんだよね」

「アハハ、確かにそうかも」

「……飛鳥は?」

「え?」

「飛鳥は、何かあるの? その、叶えて欲しい願い事っていうの」

「……私は、そうだなぁ……」

 考えながら、飛鳥はもう一度空を見上げた。

 つられて、僕も同じ空を見上げる。

 秋の空は雲が少なく、少し薄れた青色の空が澄み渡っていた。

「…………を、…………に……ことにして…………」

「……え? 何?」

 何かを呟いていた飛鳥の声は、小声過ぎて僕には聞き取ることができなかった。

「……やっぱいいや。そんなこと、あるはずないもの」

「……飛鳥?」

「何でもない。変なこと聞いてゴメンね」

「いや、いいけど……」

 一瞬僕が感じたその違和感も、気紛れに吹いた秋風が何事もなかったかのように全てをさらっていってしまった。

「せっかく来たんだし、もう少し散歩でもしていこ」

「え? あ、うん」

 そうやって振り向いた飛鳥は、僕が垣間見た違和感を全て忘れ去ってしまうほどに今までどおりだった。

 気のせい、だったのかな?

 浮かびかけた疑問を掻き消して、僕は飛鳥の背中をゆっくりと追いかけた。




「よぉ。お早い到着だな、名探偵」

「茶化さないでください、竹上さん。その呼び方はやめてくださいと、何度も言っているでしょう」

「そう言うな。事実、お前さんはそう呼ばれるに相応しいだけの頭脳を持ってるんだ。もっと誇れ」

「……まぁ、そんな話はいいです。それで、お話というのは?」

「なんだ、言われなきゃ分からないのか? お前さんほどなら、呼ばれた理由にはもう大方の見当がついてるんだろ?」

「……全く、相変わらず人が悪い。そりゃ、気付きもしますよ。こんな……」

 言いつつ、視線を逸らして氷室は続ける。

 目の前にはすでに全焼してしまい、見る影もなくなりつつある建物の遺影。

 二階建ての全八室のアパートは、見るも無残なほどに焼け焦がれていた。

「こんな火事としか思えない現場に、捜査一課の刑事であるあなたが出向いている時点で不可解と言わざるを得ないでしょう」

 するとその答えに満足したのか、竹上と呼ばれた刑事は薄く口元を歪めた。

「ま、そういうことだ。お察しの通り、これはただの火事じゃない。放火の可能性大ってとこだな」

 つまらなそうに舌打ちをしたあと、竹上は懐から取り出した一本のタバコに火を点けた。

 放火現場だと言っておきながら、そんなところでタバコに火を点けるのはいかがなものだろうかと、氷室は内心で呟く。

「それで、被害の方は?」

「ん? ああ、とりあえず幸いにも、住人は全員出払っていたそうだから死傷者はいない」

「……アパートの管理人は?」

「そのときは買い物に出かけていたそうだ。で、帰り道に炎上するアパートを遠目で見つけて慌てて戻ってきたらしい」

「……そうですか」

 見ると、現場の一角で色々と事情を話している中年くらいの女性の姿が目に入った。

 仕草や状況からして、恐らくあの女性がこのアパートの管理人なのだろう。

「……どうした、名探偵? 何か気になる点でもあるのか?」

 フーとタバコの煙を吐き出しながら、竹上は無関心に言う。

「……竹上さん、そういうのはあなたの悪い癖だ。何か気になる点があったから、こうして私を呼んだのでしょう?」

「……ホンット、お前さんは勘がいいねぇ……」

「そういう職業なのはお互い様でしょう。違いますか?」

「いや、違いない違いない。じゃ、そろそろ本題といこうか」

 咥えタバコを地面に吐き捨て、靴の踵でグリグリと竹上は踏み潰した。

 そしてまたフーと、一つ大きな溜め息を吐き、言葉を続けた。


 「――火の手が上がった事件当時、アパートに誰もいなかったのはただの偶然か? 答えろ、名探偵」


「……いいえ、必然ですね。犯人は誰もいないと知って火を放ったのでしょう。普通なら限度の枠を超えたイタズラか、性質の悪い愉快犯のような行動にも見えます。ですが……」

 氷室はそこで一度言葉を区切る。

 だがもしもという、そんな嫌な予感が頭の中を横切る。

 少し前に自分の目に映ったあの映像が、リアルタイムで再生された。

 やはりあれは、ただの見間違いや気のせいではなかったのではないだろうか?

 いや、だがそれはそれでありえてはいけない事実だ。

 確認することはまだいくつかある。

 結論を出すのは些か早いだろう。

「どうした? 腹でも痛いのか?」

「……いえ、そういうわけではないんですが。ところで竹上さん、その、放火に使われたと思われる道具などは?」

「ああ、一応今調べさせてはいるが、期待はできんだろうな。お前の言うとおり、もしもこれが誰もいない瞬間を狙っての騒ぎ目的の事件だとしたら、そこまで頭の回るヤツがそんな初歩的なミスをするとは考えにくい」

「……それもそうですね。ですが一応、調べてみる価値はあるでしょう。少なくとも、火種となった何かは見つかるはずです」

「まぁ、それだけの手がかりじゃ何とも言えんがな。やってはみるさ。ムダの積み重ねが警察の仕事なんだ」

 と、竹上はやれやれといった感じで二本目のタバコに火を点けようとして、どこか罰の悪そうな表情でそれをやめた。

 その様子を見送って、氷室は再び目の前にある全焼したアパートに目を向ける。

 隅から隅までが黒コゲになっている。

 もはやこれは、聳え立つ炭の塊と言っても過言ではないだろう。

 木造アパートだったのがいけなかったのだろうか、火の回りは思った以上に早かったようだ。

 最近になってからは、こういった火事騒ぎがこの街でもずいぶんと多発している。

 そのほとんどは火の元不注意から始まる小さなボヤ程度で事なきを得ていたが、こうして一つの火災という形で現れたのはこれが初めて

ではないだろうか。

 季節的に決して珍しいことではないとはいえ、話としては物騒なことこの上ない。

 どれだけ注意を促しても、必ずミスは出る。

 それが人間という生き物なのだ、こればかりはもはや仕方がない。

「…………」

 氷室はゆっくりとその場を離れ、すでに面影すら残さないアパートへと歩み寄る。

 木造の床や壁はおろか、鉄の柱やコンクリートの階段までもが真っ黒に塗り潰されている。

 近寄ると、まだ微かに煙たい匂いが鼻腔を突いた。

 と、氷室は視界の端にあるものを見つけた。

 それは焼け焦げて崩れ落ちた木の一片で、今はもうただの炭の塊になってしまっている。

 地面に落ちたそれは、どこかの壁か床が崩れたものだろう。

 しゃがみこみ、その炭の塊を拾い上げようと手に掴んで……。


 ――瞬間、まるで砂粒のように炭の塊が音もなく風化した。


「……これは」

 サラサラと、まるで砂時計が落ちるかのように黒い粒子が風に乗って地面の上を流れていく。

 ただ手で触れただけで、その炭の塊は溶けるように消え去ってしまったのだ。

 しかしそれは、普通ではありえない光景だった。

 どれだけ炭を焼いたとしても、こんな風に、砂粒かそれ以下の大きさになってしまうことなんてまずありえない。

 よほどの高熱で焼かれれば、こうなる可能性もゼロではないかもしれない。

 だが、あくまでも今いるこの場所は至って普通の火災現場だ。

 もしもそんな高熱を持った火災が発生したら、それは消防隊はおろか生身の人間では現場に近づくことさえできはしないだろう。

「……嫌な感じですね。思ったこと全てが、最悪の方向に流れ始めている……」

 小声で氷室は呟いた。

 嫌な予感は消え失せるどころか、逆に炎のように燃え上がるばかりだ。

 炎……。

 それも悪いイメージだ。

 そう考えるだけで、全ての事実がその一点に集束してしまう。

「竹上さん!」

 ふと、そんな声がした。

 氷室が振り返ってみると、竹上の隣にはまだ若い男性の刑事がおり、どうやら何か報告のようなものを済ませているようだった。

「そうか、ご苦労さん。念のためもう一度周辺を調べておけ。それと、お前はこのことを本部の方にも伝えておいてくれ」

「分かりました」

 会話を終えると、若い刑事は元来た方向へと走り去っていった。

「何か進展が?」

 竹上の下へ歩き、氷室は聞く。

「進展っつーか……なんなんだろうな、これは……」

 フゥと、竹上はどこか重苦しい息を吐き捨てた。


 「――現場からは、何も発見されなかったそうだ。着火装置の類はもちろん、ガソリンや灯油が撒かれた形跡も見当たらないそうだ」


「……それは、本当ですか?」

「ウソ言うほどこっちも暇じゃない。そもそも、呼び出したお前さんにウソ言ってどうするんだ」

 舌打ちしながら竹上は言った。

 そしてそれは、同時に氷室の中にある悪い予感が一つの事実へと切り替わった瞬間でもあった。

「竹上さん、すいませんが急用を思い出したので、今日はここで失礼します」

「そうか。わざわざ呼び出してすまなかったな。何かあればこっちから連絡する」

「ええ、お願いします」

 口早にそう告げると、氷室は急いで車へと向かう。

 その途中で一度だけ振り返り、竹上の名を呼んでこう付け加えた。


 「――竹上さん、恐らくもう放火は起きないと思いますよ」


 それは、確かな自信があった言葉だった。

 なぜなら。


 ――その放火魔が狙っているのはどの住宅や建造物でもなく、古代が遺した未知なる遺産だけなのだから。



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