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十ノ一  作者: 泰然自若
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七 二ノ一

 天からは冷たい優しさを持った弱々しい光りが、黒々と眠る大地に降り注いでいる。木々の僅かな音色と虫の奏でる生の気配が、一磨の身体を包み込んだ。

 虫の音が一際近くで一磨の耳をくすぐった。目を開けると、身体にひんやりとした冷たさと、身体の重さからか頬や腹に刺さってくる感触に、土の匂いが漂ってきている。

「ここは?」

 月明かりが一磨の白い手に影を乗せて来る。夜だと言う事を漠然としながらも頭の片隅で理解する。

 一磨は地面でうつ伏せの状態になっていた。四肢に力を入れるが目立つ痛みは走ってはこない。怪我をしていない事を確認してから、ゆっくりと上体を起こして辺りを見回し始める。まず目に付いたのは、左右に広がった真っ黒い口を開けた木々の群れ。そこから自分がやけに開けた場所にいる事を確認すると首を動かす。正面を向き、振り返る。前後には真っ直ぐと伸びる道がある。下に目を向けるとわだちも無い。綺麗に整備された道の中心で、一磨は立ち上がった事を一つひとつ丁寧に確認していった。

 確認を一先ず終えると、心の拠りどころとなる人物を思い浮かべる。姿は何処にも見えなかった。

「ラーレさん!」

 一磨はラーレを呼ぶ。近くに居るかも知れないという望みと、何かを叫びたかった衝動から、夜中の森でとにかく大声を挙げた。

 返事はなく、静寂とは言いにくい虫の調べが聞こえてくるばかりだった。

 辺りを見回した一磨はここは異世界だと即座に把握できている。先ほどまで内海湖に浮かぶ浮島に居たのにも関わらず、光に呑み込まれたと思えば突然木々に覆われた道の真ん中で倒れていたのだから、異世界だと言われても一磨は納得できる。元より、一磨は異世界へ行くために祠が映し出す光景へと踏み込んだ。その事実が何よりもここが異世界だと一磨を信じ込ませている。

 信じてはいるが想定外だった。

「どうして」

 搾り出す言葉はどうしたって小さく、闇に溶けていく。一磨は浮島で見た光景とはまったく違う場所に居る事が理解できなかった。

 言い知れぬ不安に押し潰されないように、咄嗟ながら一磨は刀の柄に触れる。続いて大きく深呼吸をし、改めて辺りを見回した。前に伸びる道の先には何も見えない。ただ、大地を踏み倒した土色の線があるだけだった。

「光だ」

 再度、振り向いてよくよく遠方を覗き見るように目を細めてから一磨は気付く。遠くに微かな光が揺らめいた。その光りから、もしかしたら集落があるのかもしれないと一磨は考えた。月が天高く出ているのだから、それなりに耽っている頃合いだろう、にも関わらず光が見える。

 それなりに大きな集落、町かもしれない。一磨は、思わず顔を綻ばせる。

「あっ」

 一磨は安堵と共にある疑問を頭に浮かべてしまう。ラーレとは普通に会話する事が出来た。出来たが、果たしてこちらの世界の人々と本当に会話が出来るのか。ラーレとの会話はその保証にはならない事に一磨は気が付いた。

 ラーレは一磨の住まう内海には初めて来たと入っていたが、元々権力者と会う約束を取り付けていたはずなので、現地の言葉を学んでいる事を想像するのは容易い。だからこそ、自分と流暢に会話できたのかもしれない。そう考えると、途端に身体が訳もなく震え出していた。

 今の一磨は正真正銘、たった一人だと認識してしまった。それが心細かった。今まで感じた事のないような寂しさが一磨を覆い隠していく。言葉が通じるかどうかも判らない世界に放り出されたのだから無理もない。

 祠の光景は石壁と変な模様が描かれていた。本当ならばラーレが使用した術式の空間に出てくるはずだったのだろう。あそこならきっとラーレの仲間がいて、話も通じただろうけれど、ここはどこかも判らない。その事実が一磨を震わせる。予想が付かないことに対する恐怖と不安に押し潰されそうになってしまっていた。

 一磨は今、動く事も出来ずに居る。勝手に動いて万が一にもラーレと合流できなかった事を考えてしまうと、どうしても一磨は動けない。一体どうやって生きていけば良いのか判らないのだ。

 ここの住人を誰も知らず、ここの知識が何も判らない。そんな世界で独りなのだ。次第に一磨の胸中には、何かに縋りたいという気持ちが強くなっていく。

 決して寒いわけでもないのに、一磨の身体は小刻みに震えだし止まる事は無い。思わず、肩を持ち自分自身をきつく抱き締める。

「大丈夫。大丈夫」

 気休めでも声に出して自身を感じる。体温と声で一磨は自我を保った。そうしなければ、怖かった。恐ろしくて、寂しくて、泣き叫びそうになった。

 自然と視界が揺らめく。

 ――また僕は泣くのか。ラーレさんに出会ってから泣いてばかりだ。

 恐怖と不安から辛うじて潰されず、落ち着こうとしている一磨を支えていたのは、ラーレに期待されているという事実があったからだった。今の一磨は泣く寸前でその思いから踏み止まっている。

 再会した時に頑張ったと褒めて欲しいという思いもある、と同時にがっかりされたくないという思いも一磨にはある。今はとにかくラーレという存在が一磨を支えている事に変わりはなかった。

「おい」

 一磨はその声に素早く身構える。柄に右手を添えながら声のした右手の森へ身体を向ける。途端に、周囲から人の気配が出現する。一磨はすでに囲まれていた。

「夜に一人で出歩くのはダメですよ。おぼっちゃん」

 最初に声を挙げた男の声と同じだった。月明かりにその姿が映し出され、その手には剣が握られている。

 ――賊だ。

 こんな夜更けに集団で、抜き身の刀剣を見せ付けてくる輩は賊に違いないと一磨は決め付ける。

 数は四人。綺麗に一磨を中心に四方を囲まれている。逃げるには誰かと斬り結ぶ必要がどうしても避けられない状況だった。

 低い笑い声が聞こえてくる。その声に、一磨の身体は思わず萎縮してしまう。

 一磨にとって、初めての実戦だった。

「金目のもん。だしな」

 賊の言葉に一磨は一歩も――指先すらも動かす事が出来なかった。

 一磨としては必死に動かそうとしてはいるし、刀を抜いて構えを作りたいと思っている。走馬灯とは違う、はっきりとした記憶で蘇る苦痛の稽古。

 ――動け。戦うんだ。

 その思いもむなしく、頑なに身体は動く事を拒み続ける。

 何のためにあの稽古を十年も続けてきたんだ、という思いで必死に鼓舞しようとも、死にたくなければ動くしかないぞ、と脅しつけても言うことを聞きはしない。

「おいおい。竦んで声も出せねぇってか」

 一磨の背後に陣取っている賊が鼻で笑った。

「なら、俺らが剥ぎ取ってやると全部な」

 左手の賊が面白おかしく声を張り上げた。

 賊がおもむろに近寄ってくる。そのような事態に陥っても、一磨は一向に動かない。どうしても身体が固まってしまう。殺されるかもしれないと言う恐怖があるにも関わらず、一磨はどうする事も出来なかった。

「良く見れば中々に色気のある良いガキじゃねぇか。気に入ったぜ」

 目の前に居る賊が一磨の顔を覗きこんでから、口の端を吊り上げた笑みを浮かべる。一磨にはその言葉の意味が判らなかったが、自然と全身が総毛立っていく。

 一磨の顎に賊の手が伸びる。ささくれた皮膚の刺々しい感触が直に顎から伝わってくると、思わず一磨は顔を背けた。

「おいおい。本当に、男か? ますます気に入ったぜ」

 本当に、何を言っているのか判らずも、とにかく逃げなければならない事だけは理解している一磨は、ようやく身体を動かす事に成功した。

 もう良い、光を目指して全力で走ろう。一磨はそう思って全速力で駆け出そうとした瞬間、一磨の顔に賊の拳が迫っていた。

 迫ってくる拳を視界はしっかりと把握している。向かってくるのは顔面で、左顎に飛んで来る。

 避けろ。一磨は咄嗟にそう思った。これくらい何とも無いと、祖父の一撃を思い出せと。遅い一撃だったと一磨は体感している。これならば容易に避ける事も出来る。

 ――さぁ動け。前かがみでも、首を曲げるだけでも、身体を反らせるだけでも……何通りも思いつく。

 避けられるはずだったその拳を、一磨はゆっくりと目で追い続け、左頬に入るまで見届けた。

 思った以上に軽い一撃だった。痛みも祖父の一撃に比べれば大した事もないと感じている一磨だったが、それ以上に思い知らされてしまった。思わず一磨は愕然とうな垂れるように体勢を崩した。

 祖父の稽古は、どこまでいっても一磨を殺そうとしたものではなかった。虐めの数々も一磨を本気で殺そうとしたものではなかった。

 一磨は思い知る、そう思うのならば今殴って来た賊はどうだと。腹に蹴りを食らわせ、地面に押さえつけている賊は――

”僕を殺さないという保証は無い”

 その考えに一磨は対抗する術はなかった。怖かった事に嘘はつけない。殺されるかもしれないという思いは隠す事も出来ない。

 今まで虐めを受けてきたのは殺される心配が無かったからだった。虐めてくる十河の人間は、どんな趣向で、どんな虐め手を使ってくるかを知っていたから、一磨はその通りに動いて相手に満足してもらっていた。

 祖父との稽古もそうだ。防げなくとも、何処に一撃が来るかが判った。一磨を殺す気持ちなんてものは微塵も無い。だからこそ、一磨は痛めつけられても立ち上がる事が出来たし、動く事が出来た。痛いだけで済む。殺されるわけじゃない。

 今の状況は全てが違った。十河の中での常識ではない。

 一磨は賊の事を何も知らない。どんな人物で、どんな事をしているかも知らない。

 純粋にその事が怖かった。

 無抵抗なら殺されないかもしれない。抵抗すれば殺される可能性が高い。そう考えてしまってはもう一磨は動けなかった。

「もう終わりかい?」

 そんな声と共に、一磨は頭を押さえつけられる。そのままうつ伏せ倒されると、身動きも取れず、衣類を剥ぎ取られ始める。

 何をするのか一磨には理解できない。それでも一磨は怖くて抵抗することが出来なかった。

 嫌だ。殺されたくない。そう思っても、身体は借り物のように動いてはくれない。

 気が付けば自然と涙が溢れてきていた。

「嫌だ」

 声が漏れる。

「嫌だ!」

 叫ぶ事しか出来ない。

「良い声で叫ぶじゃねぇか」

 その声に、賊の喜々とした声を挙げ、一磨の耳を支配する。

 誰も助けてくれない。誰も、誰も。

 嫌だ。こんなの望んでいない。何のために生きてきたんだ。こんなのどうして。悔しい。怖い。死にたくない。全部が全部。一磨の頭の中でぐるぐると渦巻いてごちゃごちゃになって暴れまわっていく。

 仕舞いには声にならない叫び声を挙げた。一磨はただ、張り上げて叫んだ。悲鳴だ。それは、”う”と”あ”しか使っていないただの悲鳴だった。

「おい。口を塞げ」

 一磨の悲鳴に、堪らなくなったのか賊が仲間に声を掛けると一磨の口に布切れが押し込まれた。

 悲鳴すら挙げる事が出来ず、一磨は涙で揺らめく世界で、土を濡らすことしか出来なかった。

 嫌だと、一磨は必死に思った。怖くて、絶対に死にたくなくて、けれど叫べない。誰か助けて。そう願い続けた。

「あっ?」

 そして、賊が何か呟いた時――誰かの悲鳴が聞こえてきた。それも、一磨の近くで聞こえた。

「誰だ!」

 その言葉で、一磨は唐突に身体の自由を取り戻す。取り押さえていた賊が剣を抜いているのを一磨は仰向けになりながら見つけていた。

 賊に襲い掛かるのは、一つの人影。薄暗く、良く見えないはずだったが、一磨ははっきりと誰かを言い当てる事が出来ていた。

 ラーレだった。

 瞬く間にラーレは手前にいた賊の腕を切り落とし、そのまま蹴りつける。男の悲鳴が木霊するが、ラーレは顔色一つ変える事はなかった。

「てめぇ」

 生き残りが恫喝してくるが、攻め込んではこない。

「退くぞ」

 一人の賊がそう呟くが、肝心の身体自体が動いてはくれない。逃げるにはどうしても、ラーレに背中を見せる事になってしまう。賊はそれを嫌がった。その一瞬、賊の三人は視線を合わせあった。確認のためだ、三方に逃げるとか、誰かが囮になるとか。そういった様々な意図を持ったやり取りだったはずだが、致命的な隙となった。

 ラーレにとって、一人を確実に斬り殺す余裕があった。一気に間合いを詰めると、賊は一斉に逃げ始めるが、これまた一番近くにいた賊は早々に首を刎ねられる。残り二人だったが、一人は早々に森へ隠れ姿は見えない。

 ラーレは殺した賊の剣を拾い上げると狙い済まして投擲する。音を立てて迫っていく剣を眺め続けることはせず、ラーレ自身も駆け出していく。

 賊が背後から投擲された剣に気付き、咄嗟に避ける事は叶ったが、全速力で駆けて来るラーレから逃げ切る余裕は残されてはいなかった。

 悲鳴が聞こえ、一磨は初めて人の殺される場面の一部始終を目撃していた。そこには恐怖も確かにあったが、ラーレという人物の強さに興奮を覚えてしまっていた。

 武家の人間、そんな大層な代物ではなく、単純な憧れとして一磨はラーレの姿に見惚れていた。

「……ラーレさん」

 ラーレは何も言わず一磨に近寄って、乱れたままになっている一磨の衣類を整えた。されるがままだった一磨は、暫く呆然としているように思えるほど、固まっていた。

 ラーレは一磨の衣服を整え終えると、視線を同じ高さにあわせるように膝を大地に付けた。

「すまなかった」

 土と涙と鼻水で汚い顔をしていた一磨にラーレはそう漏らし、一磨の顔を布で拭き取っていく。

 一磨にはとにかく言いたい事が一杯あった。山のようにあったはずの言葉、そのどれ一つ、一磨はラーレに言う事は出来なかった。

「すまない」

 一磨はただ、謝られる言葉と共に、背中を擦られながら嗚咽を漏らし続ける事しか出来なかった。


まさか所持しているパソコンが全滅するとは、予想外でした。


ゆったりと掲載して、パソコン直すゆとりを持った後、掲載分も修正を入れる可能性があります。


若干ながら時間軸をずらしているので、どこかで齟齬が出てくるやもしれません。


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