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十ノ一  作者: 泰然自若
序章
5/30

五 一ノ五

 軍人の名はラーレ・マリー・ライヒェンという長いものだった。マリーという名は親しい人が呼び合う名前で明記はするが、通常は名乗らないものだと一磨は説明を受けた。

 ラーレからはマリーと呼んでくれて構わないと言われたのだが、一磨には呼ぶ勇気もなく、事前の親しい者が呼び合う名という事を気にするあまり恐縮してしまっていた。当分は”ラーレ”と呼ぶ事になるだろう。

 ラーレはアイリスと呼ぶ大陸に存在するケムリッツ帝国の軍に所属する軍人だという話を蕎麦屋で蕎麦を啜りながら説明していく。

 蕎麦は値段は安いが汚い内装ゆえか人は疎らだったが旨い蕎麦屋だと一磨は感じていた。

「古来より、僕の世界とラーレさんの世界とは繋がりがあったという事ですか?」

「この内海という土地限定という言葉が付くがね」

 ラーレの話によると、古くからこの内海地方はアイリス大陸と交流があったのだという。元々、内海家が支配していた土地柄。十河家は代々内海家に仕えていた武家である。

 一磨も一応はその十河家の人間ではあるのだが、本人にはアイリスという単語は聞いた事が無かった。尤も一磨が愕然とするわけもなければ、知らない事を訝しがるなんて事もない。耳に入ってこない事など日常茶飯事だったので、知らないけれど十河家は知っていたかもしれない。一磨にとってはその程度の認識だった。

「アイリスは古来より化け物との戦争を行っている。血みどろの生存闘争だ。どちらかが繁栄するにはどちらかが滅びなければならない。そんな争いを何百年と続けてきている」

 化け物という言葉に一磨は唖然とする。いきなり魑魅魍魎と戦争をしていると言われても、困るだろう。無理もないがラーレの表情は真剣だ。先ほどのように、器用な箸さばきで蕎麦を啜っていた顔ではなかった。

「その戦争の火種がこちらの世界にも飛んで来かねない事態が起こる」

「それは……」

 一磨の顔が沈む。異世界という突拍子もない存在と共に、内海が戦禍に巻き込まれる危険性があるなどと言われてしまえば流石に、考え込んでしまう。

「私がこの世界と元の世界を行き来出来る。それが答えだ。……門となる器を使うことによって、一定の周期間、往来する事が可能になる」

 視線を泳がせながらも一磨は口を開いていく。唇が嫌に乾くのか湯飲みを一度口に運んでからゆっくりと、

「帝国が負ければ、その門は化け物の手に渡り、使い方を知られればこちらの世界にも化け物が湧き出てくる。という事ですか」

 相手の様子を伺うように、おっかなびっくり小さな声で喋る一磨にラーレははっきりとその言葉を、

「そうだ」

 肯定する。

 湯飲みを両手で抱えるように持ちながら、一磨は残り少なくなった蕎麦湯の白濁を見つめる。

「門とは、なんですか?」

 顔を挙げる。狼狽はしている。してはいるが、先ほどよりも落ち着いている様子に、ラーレは目を僅かに細め感心する。

 不安がりながらも、自分が置かれている状況から多くの知識を得ようとしている。その姿勢はラーレには好印象を与えていた。

「内海湖だ」

「えっ?」

 一磨は思わず声を挙げてしまった。ラーレの瞳が一磨を見据えると気恥ずかしそうに縮こまって肩を竦める。

「あの広大な湖が門となる。そして、その鍵は浮島だ」

 ラーレは微笑を浮かべながらも答えを一磨に提示する。

「浮島って、あの?」

 一磨はどうしても門の姿を想像できなかった。

「内海湖の湖畔から見える小さい島だ」

「だって、あそこは祠しかなくて、神事の時くらいしか」

 祖父くらい偉い人ではないと入れない場所。おぼろげながら一磨の記憶にそんな知識が残っていた。

「神聖な場所とすることで、無用な手が入る事を防いでいる」

「本当なのですか?」

「今に判るから半信半疑でも構わないさ」

 ラーレはそういうと苦笑いを浮かべた。

 不安が無いと言えばもちろん嘘になってしまう一磨だったが、ラーレの思いと自分の思いを無碍にはしたくなかった。

 僅かに震える身体を必死に落ち着かせながら、自分は異世界に行くと誓った事を胸中で呟き続ける。

 鼓舞しながらも、ラーレという人からの期待を裏切りたくは無い――裏切ってしまった時に見放されてしまうかもしれない、失望されてしまうかもしれない。

 落胆される事への恐怖が、今の一磨を突き動かしていた。

「元々、交流事態は偶然の産物だったようだ。だから、当初はこちらに来たアイリスの住人の事を神として崇めていたそうだが、こっちだって神に縋りたい時分だった。巧く信仰心を掴みながらこちらの権力者を説き伏せ、援軍と言う形で昔は兵を送ってもらっていた。そういった兵の中に、英雄と呼ばれるような人物が出てくると、私達は味を占めるようになる。しまいにはこちらにある信仰を持ち帰り、教会が崇める神にしてしまうほどにね」

 内海に残る宗教といえば、夫婦神信仰だった。

「甲士と呼ばれる特別な甲冑を纏う事が出来る戦人には二種類あってな。天を舞う者と地を駆ける者。まぁ、向こうについて詳しく話すが、とにかく内海の信仰は戦いの神と豊穣の女神だろう?」

 一磨は頷いた。内海を守護する夫婦神、神々の戦争に参加した夫の神は武功あげて軍神となり、妻は豊穣と生命を尊び慈愛の女神として、夫である神の帰るべき場所を守り続けた。

「それに肖り、天を守護する軍神に地を守護する女神。甲士をそれに当てはめ、天甲士と地甲士という名前をつけたんだ。最初は戦意高揚目的だったが、教会が今でもそれを利用し続けている。今ではアイリスにおいて一般的な呼び名にまでなっているな」

 一磨は信仰心を巧み操って戦局を変えようとした事を悪いとは思わない。当時の人はどんな物にでも縋らなければ、何かが音を立てて崩れ落ちるほどに逼迫していたのではないかと考える事が出来ていたからだ。

 つい先ほどまでの自分に、どこか似ていると思えたからかもしれない。

「今回も帝国は縋りたくなったんだ。その英雄話にな。だから私が居て、この地で元々の権力者と直に相談でもしようかと思っていたところだったんだ。不甲斐無いと思うかもしれないが、化け物だけと戦争するわけではない。だからこそ、魔族への抑止力して有能な甲士、そして戦人を揃えたいという思惑がある。たとえ、部外者を巻き込もうと」

 ラーレは力なく笑みを浮かべる。その笑みが何を理解しているのか一磨には判らなかったが、どうにもその笑みが哀しそうに見えていた。言葉通りにラーレ自身が歯がゆく、不甲斐無いと思っているからこその笑みだったのかもしれない。

「今日は散策がてらに、その一件で事情を知る者と会ってたんだが、お偉いさんに会うのは苦手でずいぶんと疲れたよ。まぁ、その苦手を乗り越えてみたら中々どうして、良い拾い物をした」

 照れているのか笑い飛ばそうとしているラーレを見ていると一磨はなんだか取り残されたような気分になっていく。この人は、どうしてこんなにも普通に笑う事が出来るのだろうか、と。

「一磨。お前の事だよ」

「えっ?」

「良い拾い物。もしかしたら、甲士の適正も高いかもしれないな」

 何を言っているのか判らなかった。面を食らっている。何ともだらしない顔を一磨は見せ付けていた。

「安心しろ。一磨は私が責任持って軍学校に入れてやる。甲士の適正が低かろうが一磨はスジが良い。鍛えていけば良い戦人になれる。ひょっとすれば、適正が低かろうが出世して騎士になれるかもしれないな」

 尤も、貴族連中ばかりでうんざりするかもしれないがな。ラーレはそう付け加えた。

 ――出世?

 一磨は訳が判らず、首を捻る。ラーレは一体何の話をしているのだろうか。一磨自身の話をされているにも関わらず、当人は他人事だった。

 元より、一磨は今までこれほどまでの期待を受けた事が無かったからか、完全に考えると言う事を放棄しているように感じられる。一磨にとって実感がない、まさしく夢心地だった。

「一磨」

「は、はい」

 ラーレは再び、一磨の名前を呼んだ。幾分語尾を強くしながら言い放つと、一磨は肩を竦めながらも、ラーレの顔を見つめる。怯えている瞳だった。

「本当にお前は軍人、向こうでは戦人と言われる職に就くか?」

 一磨の視線はラーレの元に置かれた湯のみに向かって下がった。握り続けていた手前に置かれている湯飲みを口に運び、一気に飲み干した。

「……はい」

 今更、代える事を一磨はは望んでいない。この機を逃せばまた元の生活に戻ってしまうかもしれない。

 望むべき変化はラーレから差し出された手にか無く、今、握る事が出来る最後の機会である事も理解している。一磨に拒む理由はない。

「良く言った。生活は保障する。だが、なれるかどうかはお前次第だぞ」

 ラーレの言葉は力強かった。

「戦人は戦いの中に生きる人という意味。何故戦うのか。それは、戦わなければ守れないものがあるからだ。そして、戦いたくても戦えない者のためにも、俺達は命を賭けて戦い、化け物を殺し、時に人間をも殺す」

 身震いが一磨を襲う。祖父との対峙を思い出していた。正眼で構え合う状態を連想してしまうほどにラーレの視線は力強く、真剣だった。

 かつて、内海の地は北の激戦地として名を馳せた。数多くの戦が起こり、勝った負けたの殺し合いが行われた土地。十河はその内海で武家と認知されている。数多くの戦に参戦し、戦ってきたからだ。

 一磨にもその十河の血が流れている。

 人事だ、などと一磨には思えなかった。十河は仕えていた国を失っている。内海という国を、内海家を守る事が出来なかったという歴史的事実が存在し、十河家も一時は取り潰されてもいる。

「生きるため、守るために命を賭して戦うんだ。我々戦人が国を守り、貴族達が土地を治め、王が国を管理する。一つでも欠けてしまえば、国は回らない。特に、我々が居なくなれば誰が守る。化け物だけじゃない。人間同士も未だに不毛な謀略を巡らせ、領土拡大を狙っている。勿論、我が帝国もだ。内も外も守るには、抑止力となる戦人の質が関係してくる」

 一磨の身体は急速に火照っていく。

 一磨の中にある血が騒いだのかもしれないが、誰よりも一磨はその血を嫌っている。この血のために今までどれほどの苦痛を味わってきた事か。そう思っているにも関わらず、一磨の身体はラーレの言葉に興奮していた。

 戦う事の意味と、失う怖さを十河は知っている。内海は知っている。その血と歴史が一磨には刷り込まれている。

 ラーレの言葉は、一磨にとって重く、それでいて胸のうちに酷く響いていた。嫌っていた血が騒ぐのを嫌悪している自分と、興奮している自分。その二つの相反する気持ちが、身震いという形で外に発散されていた。

「一磨、君も色々と辛い事を経験してきたようだが、これからもそれは続くだろう。少なくとも軍学校に入って一年。配属されてから二年はな」

 一磨は喉を鳴らす。口が渇き、息が僅かに荒い。ラーレはそれに気付きながらも、言葉を続ける。その必要があると思っているからだろう。瞳は真っ直ぐと一磨を射抜いている。

「今更、辞めました。は無理だぞ?」

「覚悟は、出来ています」

 初めて、蕎麦屋に入って初めて二人の視線が真っ直ぐぶつかり合った。一瞬ではあったが、そのぶつかり合いに一磨はうろたえながら、ラーレは嬉しそうに顔の強張りを解した。

「その意気だ。こちらとしても給金を出して学ばせるんだ。教え甲斐のある奴が欲しいからな」

 給金について事前説明を受けていた一磨だったがよくは判っていない。元々、身銭を持たされるという事自体が無かったからだが、衣食住に関しては全て問題も無いとも言われていたので、生活に関しては不満を言うつもりは毛頭無かった。

 金が無い中で、一磨は生活してきていた。今更、大金を与えられても使い方に困るだろう。

「身分もはっきりするし、一般的な教養も叩き込むから安心してほしい。除隊した場合は仕事の斡旋もしている。尤も、除隊しても住む場所は国から指定される上に、優先的に徴兵されるがね」

「はい、ありがとうございます」

 一磨にとって、むしろ異世界での知識を学ぶ事が出来る、その事の方が有益だった。その上、除隊後の斡旋と住居までも用意してくれる国に驚きもしていた。いよいよもって、一磨の中で帝国がとてつもなく巨大な国家に創造されていた。内海から出た事の無い一磨からすれば、想像が暴走してしまうのは無理もない話しでもある。

「よし、蕎麦は旨かったかい?」

「はい。ご馳走様でした」

「門限付きで素行調査ありだが外出も可能だ。訓練生は二週間の長期休暇もある。尤も、教官から妥当判断を貰った奴らだけだがね。まぁ、それまでこういった事は我慢してくれ」

「はい」

 休暇なんて一磨には心底どうでも良かった。確かに異世界観光はして見たいと言う誘惑はあったのだが、絶対したい。というほどに魅力的には感じてはいない。一磨にとって、この広い世界を生きているという事実だけで、未だ実感が沸いてきていない。内海を歩いたというだけでも当人からは夢のような出来事にも関わらず、異世界へ行く事になったなどと、本気で受け入れられるわけもなかった。

 一磨は、未だ夢心地で全てを了承し、蕎麦屋を後にするラーレの背中を付いていった。




 先ほど蕎麦屋に入った頃よりも日が傾き、紅く燃え上がる綺麗な世界が二人の目の前に広がっていた。一磨は思わず立ち止まってその世界を噛み締めながら眺めてみる。

 今生の別れになる。もうこの土地に戻って来ない。覚悟を決めていたはずだった。一磨にとってこの内海には良い思い出などありはしない。

 今、一磨の胸中は揺れている。この燃え上がる太陽に照らされる町並みは美しく、どこか未練がましい気持ちが溢れてきていたからだ。

 ラーレの後を追いながら、一磨は湖畔を歩いていく。内海と呼ばれる由縁はこの広々とした湖だった。今は太陽の光を反射し、穏やかに風もなく水面にもう一つの太陽が顔を覗かせている。

 母は今もこの湖で、きっと眠っている。一磨の思いが自分自身を締め付けていく。それは言いようの無い後悔だった。本当に、自分の選択は正しかったのか。出るはずもない自問に何ともいえない不甲斐無さに頭を垂れ下げた。

「十河一磨」

 前を歩きながら、ラーレは声をかけてきた。一磨の姓名をはっきりと呼びつつ立ち止まった。

 不思議な気持ちを一磨は覚えた。今まで呼ばれてきたどんな人とも違っていた。母のようでいて、そうじゃない。もやもやとするけれど、決して不快じゃない。という奇妙な思い。

「はい」

 一磨は自然と頭を挙げた。その顔は少し強張って緊張している事が見て取れる。何か悪い事でもしたのかもしれないと思ってしまっている一磨がそこには居た。

「別れを済ませる人は、居るか?」

 思わず身体が固まった。ラーレはおもむろに一磨の方へ向き直る。その顔は真正面から一磨を見据える真剣ながらも力みを見せないものだった。親身、なのだろう。一磨の事を心配してくれている。どこか穏やかさすら垣間見せる表情だった。

「大丈夫、です」

 色んなものを飲み込んで一磨はそう答えた。

「そうか。なら、良い」

 そう言って、一磨の肩に手を乗せるラーレの顔は打って変わって柔和なものだった。

 どうして、この人はこんなにも優しくしてくれるのか。一磨には理解できなかった。理解できなかったが、嫌いじゃない。

 母のようで、それでいながら感じた事もない――それこそ父のようなでもある。自分の事を褒めてくれる。気にかけてくれる。それが何よりも一磨にとって嬉しかった。

「もうすぐだ、覚悟決めてついて来い。十河一磨」

 二度、一磨の肩を叩いてラーレは前を向いて歩き始める。その背中は夕焼けに染まり、一磨にはとても明るく、とても大きく見えていた。

「――はい」

 名前を、正しい姓名を言ってくれた。そんな気持ちが身体の至る所から溢れてきてしまい、一磨は震える身体を止める事が出来なかった。

 ――せめて顎を上げ、口を噤み、空を見上げよう。泣くにはまだ早い。僕は、まだ。何も成し遂げていない。まだ、動き始めてもいない。取っておくんだ。これから始まる僕、十河一磨の人生のために。ここぞという時のために今は我慢するんだ。

 決心したところで、辛かった過去の思い出が走馬灯のように頭を過ぎり、一磨は涙を止める事が出来なかった。初めて、生きている喜びを噛み締める事が出来ていた。

「これを渡しておく」

 ラーレは腰から下げていた鞘を抜くと、一磨へ振り返り刀を前に押し出した。

「一磨、君が持つものだ」

 一磨はその刀を受け取った。受け取って早く背中を向いて欲しかった。そう思ったのは泣いている姿を見られる事が、とても恥ずかしかったから。一磨の願いを裏切って、ラーレは優しく笑いかけながら、一磨の頭をやさしく撫でる。

 ――ずるい。

 一磨は心の中で呟きながら、声を挙げて涙を流した。溜め込んでいたものが全部出てきている。今の一磨にはそんな勢いを止める術は残されていなかった。


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