二十九
中庭には多くの貴族が集っていた。そのどれも周辺国から派遣された明日開かれる戴冠式に出席する特使達である。彼らは各々、従者となった甲士や騎士を引き連れながらも、周りをぐるりと守護する帝国騎士や甲士に奇異の目を向ける、事はなく、設けられた演説台の上で熱弁を揮う皇女へ視線と耳を傾けていた。
周囲からは喧騒と怒声が飛び交い、戦闘が起こっている事を窺い知る事が出来るのだが、特使達は不安に思いつつも、皇女の姿にこの帝国はそう簡単に崩れ去るものではないと感じていた。
「我が帝国公爵家が以前より魔族と繋がりを持ち、我が帝国、延いては人間を支配しようと画策しておった。その野望により、多くの尊い犠牲が生まれ、こうして諸侯に不安と危機を与えてしまった事を、皇帝として陳謝させていただく」
レオノーレの瞳は眼前に集った特使に向けられる。澱みない、綺麗な眼差しだった。
「だが、安心して欲しい。我が帝国は滅びぬ。我が帝国には天地を統べる者が就いている事を知って置いてもらいたい」
その言葉に、一同は色めきたった。誰もが知っている英雄譚に、天地を統べる者は登場し、文字通り帝国を救っている。それは実話に基づいて六十年ほど前から生まれた逸話であった。
「今、帝国は危機に瀕しておる。だからこそ、天地は全てを見ている。そして必ずこの地に現れ、我が帝国を危機から救うだろう。聖地よりの使者と交わした先代からの約束」
言葉はどこまでも果てなく届いた。
「その約束に応えるために我こそが正統な皇帝として天地を導かねばならぬ。公爵の欲に溺れた野心を打ち砕く天地の矜持を、我が皇帝となって応え、迎え入れる。そして、この場に集う特使諸君の安否を約束しよう。天地は既に向かってきている」
誰もが息を呑み、その言葉を胸にしまいこみ、新しい皇帝の誕生を目の当たりにしていた。
レオノーレは万遍の笑みを浮かべ、特使はその笑顔に答え拍手を浴びせた。彼らに不安は無く、レオノーレにも不安は無かった。ここまで大言を吐いたのだから、後は異世界人を待つばかりであった。
「陛下、一先ずお逃げください」
拍手が消え失せると、後は皆中庭で思い思いに場を繋げる事に終始する。安易に出歩こうものならば化け物にたちまち殺されてしまう。中庭だけは予め、掃討作戦が行われ、召喚術式も解除されていた。今、皇城の中で最も安全な地帯であった。
その安全地帯にありながら、レオネーレの護衛をしている甲士が背中で声を挙げた。誰もがその声に反応し、演説台の上に視線を戻す。
「なんだ?」
レオノーレは呟いた瞬間には、視界は青い空を眺めたかと思えば瞬く間に地が視界一杯に広がり、地面に打ち付けられた。あまりの痛さに涙目となってしまうが、今は少しでも早く何が起こったかを理解する必要があった。レオノーレは上体を押し上げて演説台を眺め見る。
「黒い、甲士?」
目の前で護衛に就いていた甲士の下半身だけが血を噴出しながら直立していた。凶器は刀であろう、得物である刀を握った黒い甲士が佇んで、こちらに青白い瞳を向けていた。背筋が凍る中で、レオノーレは自分を助けてくれたのが即死したであろう甲士であることを知った。甲士だった彼の上半身がレオノーレの近くに落ちていた。
嗚呼。
思わずレオノーレは嗚咽を漏らした。はじめて見る人の、残忍な死に方を見てしまった。特使の悲鳴が挙がると、一斉に騎士と甲士がレオノーレと特使を守護するために、身を固め、黒い甲士に挑みかかる。
黒い甲士に一番近かった三人の甲士が襲い掛かる。黄土色の甲士は右腕を鉄砲のように変化させると、臆する事無く、鮮やかな黄色の弾を発射していく。その弾丸は黒い甲士に当たる事は無く、天へと飛んでいっては消えていく。黒い甲士は即座に天を泳ぎ避けていたが、左から臙脂色の甲士が斧槍を逆袈裟に持ちながら迫り、右から桔梗色の甲士が同じく斧槍を持ち、下に垂らしながら甲士が迫った。
挟撃という状況であったが、黄土色の甲士も照準を合わせて来ている。黒い甲士に逃げ場は無かった。左右の斧槍が風を斬り、音を立てて振り切られた。
「何だと!」
驚きの声を挙げたのは鉄砲腕を持つ黄土色の甲士だった。その視線の先には、全身を貫かれて甲殻化が解除された二人の男の死体がぶら下がっていた。
黒い甲士の至るところから鋭利な突起物で二人の攻撃を受けきると、別に伸ばした突起物を触手のようにうねらせながら、甲士の甲殻を貫いていた。
本来、甲士の防御能力は高い。生身の人間が傷をつけようとしても不可能と言われるほどに硬い。化け物であったとしても、かなりの怪力や甲士と同等の力を持っていなければ無理だと言われているし、それが世界の認識だった。
甲殻は綺麗に貫通していた。今はもう生身を貫通している状態で、その死体を投げ捨てられ、地面に落下していたが、それは人が死んだと事よりも、”甲士でも太刀打ち出来ない”事に対しての衝撃が大きかった。
今まで世界の均衡、魔族との絶対的な抑止力として頂点に君臨してきた甲士。その中で、天甲士は空を飛べる唯一の甲士にして絶対の存在。今、二人の天甲士が何もさせてもらえずに殺された。この事実に中庭は静まり返った。
叫びたい衝動に駆られた者も少ない。彼らが叫び声を挙げなかったのは暗に叫べばこの場が大混乱に陥る、自分に牙をむけられて来るかもしれないという恐怖に息を呑み込み、震える身体を必死に黙らせようとしていた。
黒い甲士は辺りを見回し、倒れているレオノーレを見つける。
レオノーレは何故、自分が狙われるのかを理解するまでに時間を要した。何のことではない、皇帝を名乗ったが故に狙われているのだが、あまりにも突拍子もない殺戮が繰り広げられていかに聡明なレオノーレであったとしても、いまいち現実感を持ちえては居なかった。
甲士がレオノーレを守るように立ち塞がる。騎士も寄って防御を固めていくが、黒い甲士は動く気配を見せない。帝国の甲士もそんな相手を見て、攻撃を戸惑う。先ほどの攻防を目の当たりにしているので、簡単に攻め込めないと言った方が正しい。
黒い甲士はやがて演説台に降り立ち、天を見上げた。手に握る刀は黒く染まり、その刀身を輝かせては大きさを変えていく。青白い線が幾本も黒い甲士の身体を駆け巡っていくと、眩く発光していく。
ふてぶてしい。黒い甲士はその威厳を当たりに振りまきながらもこの場にいる全ての甲士と騎士が眼中に入っていなかった。敵にする価値も無いとばかりに振舞う。甲士たちもそれを理解しているのだろう。何人かが、取り囲むように動くがある一定の間合いまで詰めてからは一歩も動けずに居た。
黒い甲士の背中から触手が伸び、甲士達の機先を制していた。動かなければ殺しはしないという示威行為であった。
「来ルカ」
黒い甲士が呟き、レオノーレは顔を顰めた。
間に合わなかった。思いを吐露する事は出来ない。国を愛した男に対するせめてもの情けとして、気づきはしたが決して口を開く事はしなかった。と、同時に、黒い甲士が何かを待っている事も理解する事が出来たレオノーレは顔を挙げ、黒い甲士の望む先を見やる。
何も見えない。そこには青々とした空と白い雲が見えるだけだった。
黒い甲士はゆっくりと刀を水平に構えながら、腕を伸ばし顔の前に置く。その瞬間、演説台は崩壊し、中庭に集った全ての人間が地べたを這う衝撃と土埃に襲われた。
一磨にとって、何故黒い甲士が敵だと判断出来たのかを明確な言葉で説明する事は出来なかった。今もこうして、互いに刃を打ちつけつばぜりあいをしている。
直感、とでも言えば良いのだろうか。一磨は自身の内に鳴り響く警鐘に戸惑いつつも、その直感のような流れに身を委ねていた。
状況の整理とか、ラーレの妹が誰であるかの確認だとか、それら一切を省いても構わない存在、最優先でなすべき事は目の前の相手を打倒する事だと、一磨は漠然としながらもその事を受け入れていた。そも、一磨が甲士の力全てを使いこなせているとは限らない事は自身も理解していた。一磨には、この黒い甲士もそうであると直感で判断し奇襲で攻めかかったのであった。結果は見事に失敗だったが、それでも機先で後れを取る事はない。
考える中で、一磨は今まで感じてきた違和感の正体がどういったものを汲み取ってきている。違和感に助けられ、疎ましく思ったことは多い。
一磨は、咄嗟に間合いを取り、追撃するかのように黒い甲士から無数の触手が襲い掛かる。左右上下、背面以外から襲い掛かる攻撃からの脱出は、一磨の行っている避けながら間合いを取る以外にない。
身体を捻り、身体を反り、時に宙返りを行い、刀で受け流しながら上空に逃げ遂せるが、黒い甲士は既に間合いを詰めてきている。
一磨は集中する。全ての動きを把握し、全ての攻撃がどの部位を狙ってくるかを予測し、行動する。
左の一撃は自分の行動範囲を誘導する囮で、下からの攻撃は左脚を狙っているので回避したいが、左からの触手が回避行動を予測して罠を張っている。迫り来る数々の触手が有効打になり得るか、はたまた囮として迫っているか。判断しながら一磨は動いていく。回避を選択するが身体を大きく傾ける事はせずに僅かな挙動、一つの部分のみを――左足ならば、左足を押し曲げつつも、左からの攻撃の当たらない新たな逃げ道を探し当て、身体を滑り込ませた。
刹那の攻防で、囲まれていたはずの一磨はその包囲網を掻い潜って見せた。視界が開ける。触手は尚も追随してくるが一磨には相手の懐に入るまで算段がついていた。
躍る。一磨は躍っていた。全身を駆け巡る興奮は、死という恐怖を自覚させながらも、心地良いとさえ思わせるほどに甘美なものだった。
一磨は興奮していた。戦いに、と言っても差し支えはないだろうが、本質を見るのならば、一磨は生きる事に興奮していた。過去から続けてきた事が、意味も判らなく受けてきた虐めの全てがこの攻防だけで、全てが意味のあるものに早代わりしてしまっていた。
白く発光する刀と黒く発光する刀が再度交錯する。一磨の望むべき事態ではない。刀は存外に脆い代物だ。こうも力任せにぶつけては刃がこぼれてしまう。
一磨は判っているが、あえて強行しているのは白く発光して刀身が伸びている自身の握る得物を心底信頼していたからに他ならない。
「楽シイモノダナ」
黒い甲士がそう漏らした事に一磨は見えない笑みを浮かべた。
「何が楽しい?」
力に呑まれてはいない。ラーレの死によって力を欲し、生きたいという欲望のために体現化した一磨の甲殻化は、自身が力に溺れ本人はその力の心地良さに浸っているだけの状態だった。
今も一磨の状態がエドゥアルトを殺した当時のままだったのならば、この中庭が焦土と化しても黒い甲士を殺そうとしていただろう。一磨の根底にある生きたいという強烈な欲求によって甲殻は自我を持ったかのように所有者の手から零れ落ちて力を揮ったはずだ。
「理由ガ必要カ」
「楽しいと思うのは、絶対に理由があるんだよ」
一磨は力を征服している。己の手でしっかりと甲士たる力を握って、行使している。
黒い甲士はその逆を行っていた。力に支配され、力が所有者を食らってしまっている。自分が何故楽しいと思えるのかすら理解できない。
黒い甲士の状態を鑑みるならば、エドゥアルトの研究は成功とも言え、失敗とも言える結果となった。自我を失わせながらも甲士と同等以上の力を得る。その代償として必要以上に力を捻出できてしまった時、魔族として生まれ変わるはずだった新しい人格さえも侵食され、力がその器となった人体を操り始めてしまっていた。果たしてエドゥアルトが存命だったとして、この兵器を制御できただろうか、疑問が残る。
「貴方はきっと、僕に会えて嬉しかったんだ。だから、ずっと待ってた。気づいたのにワザと僕の奇襲を受け止めた。避ける事だって、その後反撃だって出来たはずなのにそれをせずに、じっくりと僕の力量を噛み締めた後、貴方は攻撃を開始した」
一磨には判っていた。自分とは逆の形で同じような力を持ってしまった事。言うなれば、甲石を持つ者全てが一磨や黒い甲士のような存在に昇華してしまう危険性を持っているのだ。
判ってはいたが、どうして皆が力を解放せずに居るのかを理解する事は出来なかった。
一磨は刀をぶつけ合う。黒い甲士はその攻防に華やかさを持たせるように触手の攻撃を止めることはない。一磨は木の葉のように舞いながら黒い甲士に迫っては刀を打ち付け合って両者の握る得物は音を轟かせた。
「貴方は、どうして?」
言葉に反応したように、黒い甲士は挙動を変化させてくる。その身体の中を蛇が這っているかのように蠢き歪むと、その歪みが触手となり、今まで一磨を襲っていた触手と共に黒い甲士の身体から切り離される。途端に触手は意思を持ったかのように一磨に殺到した。一磨はそれを迎撃し、避けながらも数を減らしていく。
攻撃する事は出来たはずだ。一磨は未だ力を使いこなせてはしない。支配下においてもその全てを理解しては居ない。黒い甲士も立ち回りで理解していたはずだ。動きは天甲士でも実力者――それこそ天竜甲士といわれたラーレならば行える動きでしかない。
黒い甲士はその程度の動きを続ける一磨をただ黙って見つめていた。黒い甲士が怪我を負ったわけでもない。
一磨はその姿を視界に入れながらきっと悩んでいる。と決め付けた。だからといって身体を休ませるわけでもなく、次々と触手を切り裂いて行く。幸いに、切り裂いて地面に落下していく触手が再び動くはなかった。
「答えを聞かせて」
奇妙なやり取りだった。方や漆黒に染まる甲士で、先ほど瞬く間に天甲士を葬り去った実力者。方や純白を纏う甲士で、先ほどから縦横無尽に天を駆け回り踊るように剣戟を加え、黒い甲士と互角に戦う未知の甲士、いやレオノーレが言うところの天地を統べる者となった一磨。
互いに敵と認識しているにも関わらず、二人の間に殺意とは別に理解しあう気持ちがぎこちなくも触れ合っていた。初めて出会った男女が手探りながら交流を行っていくような、慎重に、相手の出方を伺いながらも徐々に距離を詰めていく。
会話も殺しあっている者同士のものとは思えなかった。
「貴方は、どうして楽しいと思っいるの?」
一磨の問いかけが再び黒い甲士に向けられた時には、触手は全て迎撃され地面の塵となっていた。
再び、両者は対峙した。両者は空を飛ぶわけでもなく、大地に降り立って対峙していた。
「楽シイ、嬉シイ」
片言の台詞が一磨を刺激する。
哀しさが、不意にこみ上げてきては一磨の胸を締め付けていく。懇願、に聞こえてしまったのだ。一磨にはその呟きのような言葉が、自分自身に向けられた願いであると受け取った。
思いを受け取り、一磨自身がどう動くかを考え、ゆっくりと一磨はやや前傾姿勢の構えを作った。下段の構え、左足を引き両手握った刀を左に持って行く。相手の出方を誘いつつも、構えた一磨も複数の攻め手を講じる事の出来る受け寄りも構え。
本来ならば、受け。そこには一磨の前傾姿勢は考慮されていない。
攻める。宣言とも取れる前傾姿勢に対して、黒い甲士もまるで応えるかのように構えを作る。
居合い。黒い甲士が構えたのはまさにそう呼べる代物だった。急造の鞘を身体から作り出し、そこへ刀を納める。左足を僅かにすり出し腰を落とす。
誰が想像しただろうか、まさか魔族がそのような構えを作る。一磨は思わず、甲殻で隠れる顔で万遍の笑みを浮かべた。
――応えてくれた。
一磨の構えはやや見慣れない特異ながらも剣術としての構え。実戦においてはこのような構えも似たような得物を持っていない限り、それほど重要ではない。元々一磨は心理的要素によって構えを作る癖がある。安心、癖、集中すると言ったような心理的な効果を無意識化にもたらしてくれるのが一磨にとっての構えであった。
実践では構えを作る暇もない場面は多いがこればかりは十年以上続けてきた稽古が今更構え無しを由としないのかもしれない。
今回もそのような意味がもちろん含まれているものの、一磨は見せ付けるように独自の構えを作って見せたのは理由があり、一磨の狙い通りになっていた。
一磨の構えには、攻めるという意思を乗せ、黒い甲士はそれに受けた状態になった。
黒い甲士が居合いの構えを作った時点で、これは無秩序なる殺し合いではなくなり、殺し合いになる試合となっていた。
理解するには十分だった。一磨にとって、相手の顔色を伺いながら生きる事が日常だったが故に、黒い甲士の言葉が何を意味しているのかを理解した。
力に呑み込まれながらも、黒い甲士の中でもがく何かを感じ取り、その遺志とも取れる漠然とした感情を一磨は受け止め、叶えようとした。
両者は摺り足で寄っていく。構えを作るもの同士、互いの間合いに入る直前で決め合っていたかのようににじり寄りが止まり、見えないけん制の応酬が始まっていた。
何故かも知らない。誰かもわからない。初対面であったはずの二人に流れる奇妙な疎通。間合いは常人よりも遥かに広い、およそ三間から四間ほどであろうか。張り詰めた息苦しさを感じさせるほどに、無言を貫き両者は固まったまま動く事はない。
漆黒の甲士は青白い光を滲ませる幾つもの筋を身体に這わせ、同じように光る眼を純白の甲士に向けた。
純白の甲士は赤黒い光によってぼやかされていくように筋が光り、二つの赤黒い眼はまるで宝石のような輝きを持って漆黒の甲士に向けた。
きっかけは、何だったのか。
誰一人気付かぬ内に二人の甲士は風となった。
人の目では捉えられない両者は陰陽のごとく交わりながら、その刹那に攻防を繰り広げた。居合いが迫る。目で天地甲士となった一磨の目ですら捉える事の出来ぬ神速を感性のみで見切り、右足一本だけで急停止してのけるとその一撃を避けきり、停止の勢いそのままに、両腕で握った刀を振り上げた。
全てを受け入れたような姿だと一磨は思った。
右腰に刃が入る。そのまま左首筋を切り裂いて、天に刃を掲げた。
助かったよ。
一磨にはそんな声が聞こえてきた気がした。
甲殻化の裏に隠れてしまっている黒い甲士の顔を想像するに、ひょっとすれば穏やかな表情を浮かべていたのかもしれない。一磨は食い縛っていた口を開けながら、ゆっくりと息を漏らし、力を抜いた。
風が、寄り添ってくる。黒い甲士は青白い光を失い、切り口がまるで溶けて行くかのように、消えていく。
一磨はただその光景を見つめ続ける。力みこそ無くなったが、その構えを解く事もせず、そのままの体勢で消え去る甲士を悼むかのように目を離さなかった。
中庭に集っていた多くの常人が、再び甲士の姿を確認した時――漆黒の甲士は塵となり、いずこかへ溶けて行くところであった。
彼らの目の前に佇むのは純白の甲士。日の光が艶やかな甲殻を撫で回す。
先ほどの戦いから今起こった不可思議な現実は、この場に居る人間に強烈な印象を与え、声を失わせる。
誰もがその光景に目を奪われていた。