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十ノ一  作者: 泰然自若
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二十八

 レオノーレはその日、翌日に迫った戴冠式に向けて衣装を整えていた。着るつもりは勿論あるのだが、切に明日がやってくる事を願っても居た。ここに至るまで、皇女派は様々な防衛手段に打って出た。露骨な行動を見せ付ける事によって、相手の出方を抑制する目的も持っていたのだが、思った以上に公爵派はこの動きに反応していた。

 食事の管理を徹底させ毒殺を封じ込めてきていた皇女派閥の動きに反応し、公爵派の動きがより過激に移り変わった。即反乱を実行しようと逸る公爵派内部において、マイダンが密かに反乱ではなく暗殺を働きかけた結果であろうとレオノーレは独断で判断している。尤も、今この状況ではそれが正しかったどうかはわからない。

 今のレオノーレには過程の正答を確認するよりも、護衛についている甲士の腕を信じて、今、今後と自分の出来る事を行うしかない。レオノーレは既に覚悟を決めていた。

 今日、レオノーレの覚悟が試され、誰しもが予期していた事態が訪れた。始めに気づいたのはレオノーレを護衛していた甲士の一人だった。

「陛下。ご決断を」

 その言葉にレオノーレは静かに頷いた。

 途端に、レオノーレが使用している一室の窓から数人の化け物が出現し、レオノーレに飛び掛っていく。予め、召喚術式を作り出していたのだろう。その手際は良かった。

 犬のような顔をした化け物が鋭い爪を得物にレオノーレへと突進する。

 甲士がそれを許すはずも無く割って入る。統率の取れた動きで、まずはレオノーレ本人の安全確保を主眼に化け物を殺すよりも行動力を奪い、攻め手を限定させるように働きかけていた。

 皇女側も準備は整っている。事前に帝国の甲士隊を各所に配置し、騎士も来賓者への警護に向けている。その甲士隊や騎士団には、教会からも秘密裏に少数ではあるが派遣されている者が混じっている。

 瞬く間に化け物が駆逐され、一先ずの静寂が舞い戻ってくる。

「お怪我は?」

「無い」

 この襲撃はレオノーレの術中に嵌った事を意味していた。戦闘を観察しつつも、レオノーレはため息を打ち漏らす。

「マイダンめ、やはり動いたか」

 その言葉と共に不敵な笑みが作りなされるが、即座に移動を始めて護衛に固められるように部屋を後にする。

「準備は?」

「中庭に集めております」

 イルマは目の前で起こった戦闘に表情を変えず、抑揚のある声で返答する。

 来賓者を中庭に集めたのにはわけがあった。予め避難という名目で公爵派との差別化も綺麗さっぱりになされている状態で、誘導は迅速に行われていた。

「お早く」

 一人の甲士がそう言って廊下に残る。背後には化け物が溢れていた。レオノーレは後ろを振り向かずに中庭に向かう。背後からは化け物の絶叫と、闘争の音色が尾を引いた。

 レオノーレが甲士を殿しんがりに据えてまで中庭に向かうには理由がある。自分が正統な帝位継承者である事を伝え、帝国が再び蘇る光明を特使に見せる必要があった。言うなれば宣言することによって、公的に大義名分を得ている事を印象付けると共に、諸国からの信頼を少しでも得るという思惑もある。皇帝とは誰かという事を知らしめ、帝国とは内部の綻びですら食らい尽くす巨大な力を持っている事を伝えるためだった。

 正直に言えば、表向きに公爵派と皇女派の戦力比は互角。質では皇女が勝ろうとも、召喚術式が至る所に仕込まれている皇城内では、公爵派に軍配が挙がってしまうかもしれない。

 召喚術式とは一定数の生命体を遠距離間移動させる事が出来る術式だが、その実、魔族が使えるだけの専属術式であった。術式を作った者と契約している魔物を召喚するという手法のため、投入される魔物の数が見当も付かないというのも拙い事態ではある。かなりの数が投入される事は端から予想されてはいたが、現状も続く戦渦を鑑みると苦戦している事は明白だった。

 救いがあるとするならば、護衛を差し向けている中庭は安全だという事だけだ。公爵派も流石に諸国の特使を安易に殺すといった愚行を犯すはずも無い。馬鹿な真似をしてしまう輩は少なからず出てくるかもしれないが、護衛は信頼できるとレオノーレは信じている。 最悪特使が殺害されるような事が起こるならば、混乱の極致たる帝国と連合が戦争に突入することになり、弱体化したところを魔族が全てを奪ってしまう可能性すらある。

 危険性は十二分にある。レオノーレもそのような事を考えていないわけではない。頭痛に悩むほどに考えあぐねる前に、レオノーレはある事に思い当たり、匙を投げた。

 果たしてマイダンが公爵派に愚行を許すか否か。

 答えは出ている。

 レオノーレが中庭に急遽建設された演説台に向けて足早に進むのが答えだ。今は演説を行い、諸国から仮初めであろうとも信頼を、公爵派を討ち取り、レオノーレが皇帝となるべき大義名分を宣言する必要があった。

 形など構っていては皇帝になどなれはしない事態、言葉八寸でもその場限りでも、レオノーレは皇女派、教会が表立って掃討に動き、諸国が軍事介入して来ない理由を得る必要があった。

 宣言はする。そう誓ってレオノーレは行動している。その宣言が終わったのならば、後は待つしかない。

 英雄となる異世界人の登場を、地べたを這いずり回ってでも皇帝として生き延び、待つのみだった。




「どういうことだ」

 公爵は既に魔族化し、その巨躯を震わせていた。山羊のような立派な角が頭部から生え、本来二つあるはずの眼は一文字に繋がり、その奥には複眼で緑に輝く瞳が見えている。

 公爵の恐れを抱かせるには十分な容姿を目の前にして、マイダンは心底気だるそうに椅子へどっしりと腰を落ち着けて、公爵を見上げていた。

 公爵からすれば未だ人の姿を崩しては居ないマイダンと見られているだろう。

「向こうは対策を立ててきている。このままでは我らは人類の敵として、魔族の急先鋒となり戦うハメになるぞ」

 公爵は妙に反響する重い声で喋った。

 マイダンに埋め込まれた魔石をさらに応用し、公爵も魔石を使った新しい魔族となった。嬉々としながら変態を遂げた公爵だったが、それもマイダンが成功したと思い込んでの事だろう。思い込んでいる証拠に、自分が洗脳されていない事に気づてはいない。まったく別の人格として生まれ変わる予定だったのだが、公爵の記憶にはその一文は綺麗に残っていなかった。魔族化してからただ、その力を行使する事が楽しかったに違いない。

 その姿は子供のようだった。自分に与えられた力に心酔し、驕りたかぶる。そのような男がエドゥアルトの言葉を覚えていないとも普通なのかもしれない。元々のところ、魔族のような心を持っていたとも思えてくる。

「それで良いではないか」

 マイダンの笑みに、甲殻化している公爵の右手が僅かに動いた。ワインレッドに染まる甲冑姿を形作ってはいるが、目は複眼にして一つ目。顔は全体的に突き出ており、口はくちばしのように鋭利だ。背中には、折りたたまれた蝙蝠のような翼が収納されているが、武器らしいものは持っていない。

「貴様、何を言っている」

 公爵はこの期に及んでもマイダンの言動に戸惑っていた。その戸惑いから、マイダンに絶大な信頼を寄せていたという事がわかる。対してマイダンはこめかみに一旦右手を向かわせて顔を顰めつつも、口を開く。

「始めから勝ち目は無い。異世界人を召喚し、その異世界人を殺しきれなかった時点で五分と五分」

 右手を戻し、向けられた視線に混ぜ込まれているものは哀――蔑みだった。

 マイダンの動きによって、全てが仕組まれていた。事実ではあるが、そこにはほんのちょっぴり起こった奇跡が加わり、今の状況を決定付けている。全ては計画通りかとも思えるが、マイダンの胸中に、事の全てを手のひらで踊らせたという感覚はない。元より踊らされたという思いの方が強かった。

「最初から、わかって俺を導いたとでもいうのか」

 公爵は右手をマイダンに向けると手のひらから剣を作り出した。素早く抜き出され、そのままの形でマイダンの首元に合わせる。手のひらと同化したままの剣を物珍しそうに眺めるマイダンには、死の恐怖を感じる事は出来ない。

 マイダンの微笑は崩れておらず、不敵そのものであった。

「異世界人に天地の才覚ありとなれば、最早打つ手は無い」

 その言葉に思わず公爵は一歩、あとずさりする。マイダンの笑みが深まる。

「認めぬ! 俺は認めぬぞ、貴様が裏切り者だというのか!」

「裏切り者ではないぞ?」

 心外だと言わんばかりに、マイダンはため息を吐き出して首を左右に振った。

「何?」

「最初から味方になったつもりはないからな。言い掛かりはよしてくれ」

「貴様」

 公爵が激情の赴くままに、右手の刃を水平に振るいマイダンの首に目掛け飛んでくる。

 ――ようやく、死ねるか。

 安堵。微笑を浮かべつつマイダンは死を受け入れていた。ようやく死ぬ事が出来る。魔族と人間の狭間でもがき苦しみ、優秀な部下の出世と能力を奪いつくしながらも生き続けてきた。疲れを感じる事も無い。最早、五感すらも自分の身体とは思えないほど薄らいでいた。全てはこの時のため、出来る限り精一杯に生き恥を晒し動いてきた。

 後は、祈るのみ。成すべき事を全てやり遂げたマイダンの安堵がその微笑に溢れていた。

「貴様、楯突くか」

 死ねる、はずだった。

「――人として、死ぬ事も許されないのか」

 公爵の怒りとは裏腹に、マイダンは失意に憂いを帯びた視線を自身の左腕に向けた。その左腕は甲殻され、漆黒に染まっていた。既に、マイダンの意志は身体の言う事を聞かせる事は出来ずに居た。その顔は歪み、泣きそうな顔を作った。初めて見せたマイダンの弱気な顔を公爵はあっさりと見逃し強行する。

「おのれ、マイダン!」

 絶叫と共に斬り掛かる公爵であったが、全てを左腕一本で防がれてしまう。

 マイダンの息が荒くなり、苦痛に顔が歪まれていくと遂には痛みからか苦悶の声を挙げていく。

 公爵はまったくもって攻撃が通用せず、間合いを取り、左腕を変化させ、鉄砲の要領で身体の一部を撃ち出していく。轟音が両者の聴覚を一時的に無力化する。

「馬鹿な」

 言葉は自然と公爵の口から漏れていた。一切の傷をマイダンが負う事は無かった。実力差がある事は誰が見ても解る事だった。公爵だけではない、マイダンですら他人事のようにそう思っていた。

「何故だ、貴様よりも後に俺は、俺はより完全な魔石を」

「俺が知るか」

 マイダンは投げやりに答えた。もはや自分ではどうすることも出来ない。ゆっくりと、それでいてマイダンの意志に関係なく、一人でに立ち上がって甲殻化していく身体。マイダンは感覚が徐々に薄れていく。

 マイダンは自身の死が遠のく事を味わいながら、静かに涙を流した。

 やるべき事はやった。悔やむべきは己の死を感じる事も出来ず、自分はこの世界から消えてしまうという事のみか。

 ――異世界人に頼るしか道がなかったとはな。自分の国だろうに。

 マイダンの意志が溶け去った後に残ったのは、背中に六枚の赤黒い翼を持つ、漆黒に染まった甲士が佇んでいるだけだった。

 青白く光る二つの眼に、人の頭蓋骨がそのまま剥き出しになっているような黒い兜。その頭部には小さく角が後頭部まで一列に走っている。大きくも角ばった爬虫類の鱗を連想させるような肩掛けから篭手までが継ぎ接ぎなく繋がり、肋骨のような筋が八本露出し、その胸部は僅かにせり出ていた。

「こんな、これでは、俺がまるで……子供ではないか」

 その姿に威圧された公爵は腰を抜かし、目の前に誕生した新しい魔族に怯えていた。

 エドゥアルトが生きていたのなら、公爵は失敗作だと言い放つだろう。自我を失う事も出来ず、魔族としても中途半端な存在になってしまっているからだ。マイダンのように、成功したように見せ掛けては居ない分、その醜態は露骨だった。

 そのような存在が、本物の魔族となってしまった――いや、エドゥアルトが追い求めた本物の魔甲士と対峙して無事に済むはずはなかった。

 一歩、前に踏み出す。

「ま、待て俺は同胞だぞ」

 恐怖に吸い寄せられるかのように、黒い甲士は歩みだす。同胞というのは広義では決して間違っていないだろうが、黒い甲士にその言葉は通じない。殺して当然だと思っている節がある。それほど素直に動いた。

 その純然たる魔族の姿に、廉価品たる公爵が適うはずも無く、まして、逃げる事など出来はしなかった。



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