二十二
「まだ立つな」
杜若が声を荒げるも、一磨は聞く耳を持たなかった。顔を強張らせながら領主であるエドゥアルトを睨み付ける。
「ティルラ、か。女の名かな? だが、中々に良い名だな、貰っておこう。いつまでも甲乙という名ではな色気もない」
その言葉に、一磨は駆け出した。素早く大地を駆け抜けると途端に身体から血が飛び出てくるが、構わずに抜刀して斬りつける。
「……お前か? 実験体と暮らしていた異国人というのは。なるほどなるほど。奇縁ここに極まるか」
噛み合った歯がぎりぎりと音を立てて擦れあうようなせめぎ合いでも、エドゥアルトは自信げな表情を崩しはしない。
「ティルラを知っているのか」
「ティルラという名は知らんが、俺の研究材料が逃げ出したのは事実だ。いやいや、逃がしたのだったな。俺の馬鹿息子が良心によって命を捨てた行動によってな。泣けるじゃないか、めぐり巡って、こんな」
エドゥアルトは心底楽しそうに声を漏らす。
一磨は肩で息をしながらも押し込む事が出来ない。決して、一磨の傷だけが原因ではないのだろう。相手の余裕がそれを物語る。
「帝都から査察団が来るなんて話が耳に入るついでに、偶然手に入った実験体の消息。見つけたなら、適当に処分しておけとは言ったが、まさかまさか」
その言葉にラーレも甲殻の下で苦々しい顔つきになっていることだろう。初めから査察団を引き入れて殺すつもりだった事など、領主エドゥアルトの戦力から察する事は容易。甲士を随行させなければ、今頃ラーレは単独でこの化け物たちと戦わなければならず、騎士などは紙くずように死んでいった事だろう。
「お前だけは……」
せめぎ合いを打ち切ると一磨は薙ぎに一閃を放つ。続いて逆袈裟から返しに袈裟を浴びせかけた。その流れる三連撃をエドゥアルトは容易く避けた。一度として剣を交える事はない。
「怪我の身で、早い早い」
最早一磨に相手と会話する余裕はないのだろう。ただ一太刀入れる。それだけに集中しているように、ただひたすらに一撃を狙っている。決して甘くはない斬撃。大振りではなく、型に嵌る。その言葉が似合う攻め方であった。
「刀使いはどうしてどうして、こんなに強い輩が多いのか」
エドゥアルトは少々憮然とした表情になると、何かを思いついたような顔の後に笑みを浮かべた。
「おぉ、そうだそうだ、お前に言うべき事がある。大事な事だ」
無視して攻撃してくる一磨に、エドゥアルトは少々残念そうに口を尖らせつつも、避けて受けてとしながら口を開いていく。
「お前は何ゆえだ。何ゆえ教会に加担する? 天竜以外は皆教会の甲士。俺の研究は教会からの支援、延いては帝国からの要請だったのだがな」
その言葉に思わず一磨の動きが止まる。
「甘いわ」
一撃が決まった。エドゥアルトは一磨の動きが止まった瞬間、逆袈裟に斬りかかった。判断が遅れ後手の防御に走った一磨は二の腕を切り裂かれる。寸前で刀を戻して受けたが、肉が断ち切れる深手を負った。それでも骨までは達していなかったのが幸いしてか、一磨は間合いを取った。
二人の攻防の背後では、未だ天甲士たる三人が化け物と戦っている。ラーレはどうやら押し込めているようにも見えるが、余裕があるわけではない。その光景は、一磨の戦いに仲裁する事も出来ず、化け物に足止めされているような状態とも取る事が出来た。
「ふむ。中々に面白い」
「帝国が……」
「お前は帝国が絶対の正義と信じていなかったか。いやいや、これは悪い事をしたな」
不敵な笑みを見せて「すまんすまん」などと謝ってみせるエドゥアルトを見ようともせずに顔を歪める一磨は、頭を左右に振った。
その隙をついて、エドゥアルトが鋭い突きを見せた。完全に遅れる形になった。一磨にその一撃を避ける余裕は無かった。
「天竜、か。聞きしに勝る素早さよ。まさかまさか、防がれるとはな」
そんな言葉を一磨は吹き飛ばされながらも耳に入れる事が出来ていた。そして、身体を貫かれるラーレの姿も一緒に。
「貴様、人ではないな」
平然と装うラーレは刺さった剣をしっかりと左手で握り、右手で剣を振った。吸い込まれるように寸分違わず喉へ入り、エドゥアルトの首が飛ぶ。そして、ラーレの左腕が同時に飛んだ。
「ラーレ!」
一磨が叫ぶ。背後から放たれた斬撃を避けきれず左腕を失ったラーレは、それに構わず右手の剣を横に振り切り、化け物の腹を一文字に切り裂いた。
「気を抜くな。奴はまだ生きている」
ラーレの言葉に一磨は息を呑む。化け物は腹から内臓を垂れ流しつつも、エドゥアルトの飛んだ頭部を持ち去って間合いを取った。
すると、突然に化け物がエドゥアルトの頭部をその傷口に押し当て始めたのだ。
「いや、本当にどうしてどうして」
化け物からエドゥアルトの声が聞こえてくる。
「天竜を殺せるのは僥倖だ。研究成果としてまだまだ不満だが、それもまた良かろう。尤も、俺は一度死んでしまったのは誤算だったがね」
その言葉の瞬間――
ラーレの全身は化け物から伸びた黒光りする鋭利な棒に貫かれていた。
倒れこむラーレと時を同じくして、地甲士が城門から駆け抜けてくる。
「まだ居たのか。これでは魔物も全滅になっているな。まったく嘆かわしい、金がどんどんと消えて行く」
不満げにエドゥアルトが呟くが、漫然と構えているだけで地甲士の進軍を阻む気配はない。
「こちらは良い。そちらを頼む」
青竹の檄が飛ぶと、地甲士の角付きがエドゥアルトの前に立ち、左篭手を巨大化させる。
「流石さすが、防御の地と言われるだけの事はある」
喜々とした声を挙げるエドゥアルトは機敏に動いて地甲士を攻め立てる。しかし、角付きは巨大な盾となった左腕を軽々と動かし、時にそれを押し出すなど武器として戦い始める。
一人の地甲士が鋭い爪で横から襲い掛かっていく。
「ラーレ様、お気を確かに」
その隙に、残った地甲士が治癒を始める。
既に、ラーレは変身が解け生身の状態だった。吐血と身体からの流血で真っ赤に染まっている。
その姿を見て、一磨も傍へ寄った。
「どうして」
一磨は呟く事しか出来なかった。
「すべては、決まっていた事かもしれない」
ラーレは言った。
「妹を頼みたい。全てを終わらせてくれ、そうすれば全てが見えるはずだ」
「ラーレ」
ラーレの身体は白く輝き出すと変身する際に発生する膜が包み込む。地甲士は、両手をその膜に入れた。
「すまなかった」
薄く中が見えるその膜の内から声が聞こえてくる。その言葉に、一磨は反応した。
「どうして」
何故謝ったのかを一磨には理解できなかった。
「お前は、変われる。お前は――」
最後の言葉を聞き取る事は出来なかった。何かを呟いた。両口端が広がり、息を吐き出した後、眠るように眼を閉じられた。浅い呼吸も弱くなっていき、ラーレの全身から力が抜けていく。それでも地甲士は治癒を止めない。
「まだ、助かる可能性はある」
気休めだと判るほど、地甲士の言葉に余裕はなかった。けれども、今の一磨にはその言葉すら耳に入る事は無かった。
その横では一磨が呆然と座り込み、甲士達が化け物となったエドゥアルトに戦いを挑んでいく。四人であったとしても攻めきれず、一身一体の攻防が繰り広げられていた。
「君は逃げろ」
地甲士は治癒を続けながらも一磨に向けて言葉を放つ。しかし、一磨は放心しているかのように動く事は無く、ひっそりとラーレを眺めているだけであった。何もせず、何も考えずにただ漫然とそこに存在している。地甲士は一瞥こそしたが、特に言葉を続ける事は無く、治癒の手を止めて戦線に参加していく。
途端に白い膜は霧散して、先ほどと変わりないラーレの身体が横たわっている。けれども、よくよく観察してみると止血だけは辛うじて終わっているようにも見受けられるが、それも完全とは言えなく、急所となっているだろう腹部は完全に傷が消える事はない。
腹部は真っ赤に染まっているが、大地を染め上げる血液の量は少なかっただけで、誰が見ても待ち受けている結果は同じに見えたであろう。
やがて、天甲士と戦っていた化け物も、融合するかのようにもう一体の化け物と合わさると、いよいよ八人の甲士と一体の化け物という戦いに発展していった。
その状況下において尚、一磨は口で息をしながら、瞬きの一切を諦めたかのように瞳を乾かせつつ、虫の息となってしまったラーレを見つめていた。