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十ノ一  作者: 泰然自若
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十九

 夜は本当に静かだった。

 この街の夜は、息を殺し何かに怯えるだけの世界に支配されている事を僕は知っている。蝋燭の光さえ消し去る事を教えられた。

 絶望しても、人は立てる人と立てない人が居る事を知ったのは、僕にとって行動による成長を実感出来た。

 この街は沈んでいる。誰もかもが疲れ果て、移民者が入り込んでは現実を直視して顔から生気が消えて行く。これが、人の所業かと言われてしまえば、僕は素直に頷く事しか出来ない。

 所詮、人は他者に悉く冷たく接する事が出来る

 どんな理由があろうと、人は体裁を保つ事も無く、他者を嘲り、踏みつけ、優越に浸かる事が出来る。そこにはティルラのような慈悲も無ければ、ラーレのような誇りもありはしない。

あるのは渇きから来る無尽蔵な欲望。

 それが、この街に来て感じた事の全てだった。

 街を歩けば衛兵が眼を光らせているわけでもない。ただ、眼に付いた女を引っ張っていく。ただ、目に付いた男を暴行し、殺害しても罪になりはしない。領主に仕える者達の馬車が通れば頭を垂れる。怠れば首を刎ねられ、色気に惚れられた女は持ち去られ、陵辱の限りを尽くされて飽きたという一言で捨てられる。

 商いは場代を過分に取られ、払えなければ撤去される。誰もが領主や役人に媚を売り、命乞いをするしか道は無い。

 遊郭も兼ねているこの宿は寂れていた。尤も、女を囲っている屋敷はそれなりに良い構えをしている。そこから考えるに、この宿側は儲かっていないのだろう。隙間風が容赦なく襲い掛かる、人が横になるだけの一間に金を払って寝泊りする事が許されている。客なんてものは存在すらしていない。誰もがこの街を避けている。

 エドゥアルト・エルツェ。男。エルツェ領を統治する男爵の位を持つ貴族。帝都より離れている土地を治めているため辺境貴族と呼ばれる。容姿は研ぎ澄まされた刃のように、整い、端麗。歳は三十代。護衛には常時甲士が三名、金魚の糞として随行。ここ三日は城から姿を見せては居ない。最後に城を出た際は三十名の衛兵と五名の甲士を率いて狩りへ出かけている。その際、狩りの案内をした狩人二人を殺害。

 殺害理由、狩り対象となる動物がいないと言われ、獲物役として追い立てられた後――

「国は……何故こんな男を」

 狂っているなんてものじゃなかった。調べれば調べるだけ、人間の所業ではないものが出てくる。

 一刻も早く、殺さなければならない。この情報を得たのは今から五日も前の事だった。それなのに、未だ達成する事が出来ない。

”よそ者はすぐに目を付けられる、悪い事は言わない早々に立ち去りなさい”

 この街に来て真っ先に言われた言葉。そして、向けられたのは厄介ごとを嫌がるような視線。

「弱虫」

 街の人が、全てを諦めていた。逃げだす事すら諦めて、この地獄のような環境に慣れてしまっている。

 どうせ、どうにもならない。

 自然と笑みが零れて来るのは、怒り狂っているからじゃない。何一つ、僕との違いがなかったから、そのあまりに同じ状況に思わず自嘲じみた笑みを浮かべてしまった。

 まったく同じだ。どうせ変わらないと思いつつも、変わりたいと願い、ほんのちょっぴり行動する意志を持っている。

 そのほんのちょっぴりが、この街には十人居た。




 出会いは、最悪だった。誰もかもが猫を被り機を伺っていた中で、いきなりよそ者、それこそ領主城に近づこうとする人間が居たのだから。

 客引きを装って接触してきた男は、一目で僕が領主に恨みを抱いている事を見抜いていたからからこそ、僕の耳元で「落ち着いて付いて来い」なんて囁いたんだ。

 連れて来られた遊郭――娼婦宿の中で、僕は胸倉を掴みあげられて脅された。最初は、この男も領主側かとも思ったけれど、主張は至極真っ当で僕と何ら変わっていなかった。だからこそ、僕は自分の思いをぶつけた。言葉で、主張を述べた。

 今までずっと出来なかった。

 誰かに、自分の思いをぶつける事など許されなかったからでもある。でも、その日常の中でそれが当たり前だと思いこみ、いつのまにか選択肢として思い浮かべる事すら出来ずにいた。だから、出来なかったんじゃない。しなかったんだ。

 でも、今は違う。自分の意見を主張して、僕は真っ直ぐに男を見据えた。迷いは無かった。ここまで人はひたむきに罪を犯す事にまい進する事に感心すらした。自分が今、何をしようとしているかを理解しながらも、そうしなければ気がすまない。

 男は、憮然としながらも仲間の組織へ引き入れてくれた。数百人の住人が住まう領主のお膝元にあって、この街に住まう人々に巣食う恐怖は僕とはまた違った種類だったはずだ。その恐怖の中で十人が立ち上がったのはむしろ幸運だったのかもしれない。

 その十人が、この宿屋を紹介してくれた。衛兵に金を握らせ、女を抱かせ、懐柔に懐柔を重ねた場所。売春も兼ねているここは昼夜を問わず、衛兵の出入りがある。

 誰もが見知った場所に毒を持った蛇が居るとは考えない。見知っているからこそ、安心だと知っている。だからこそ、僕が怪しまれることはない。精々主人の下役と認識される程度。誰の眼にも普遍的に映るように、誰からも特に気にも止められないように動き、働く。誰からも怒られる事もなく、かといって褒められる事もない。ただでさえ、僕は異世界人でここでは浮いてしまう容姿をしている。だからこそ、余計に気を使う。小汚い姿に身を扮し、時に馬の糞に塗れた。誰もが嫌がる仕事をしていると思ったに違いない。たとえ文句を言おうにも、汚さに気後れする。かといって表に立つ事もない僕に文句を言いにくる奴もいない。彼らは汚物を視界に入れたくはない。決して怠慢な仕事を見せ付けているわけでもない汚い僕は、衛兵の視野に入ろうが、道端に転がっている埃と同じようなものだったはずだ。

 何の事もない。僕の半生をただ繰り返せば良いだけだった。過去では全てを諦めながら行っていた行動でも、今は違う。

 化けの皮を被っている。そう思うだけで総毛立ち身震いを禁じ得ない。今こうして一人で座しているだけで、興奮してくる。

 時を待っている。僕は、時を待っている。そして、同士の合図を待っている。領主を殺す計画を僕よりも早くから練っていた十人。彼らは家族を、婚約者を奪われていた者達。愛した女性を連れ去られ、城門に吊るされた者。愛する息子の首と胴体を埋葬することすら叶わず、烏についばまれ続ける遺体を眺め続けた者。経緯は様々だったが、気持ちは同じだ。

 殺したところで何が変わる?

 皆は口を揃える。

”俺の気が済む”

 そう、これは弔い合戦なんて矜持のあるものなんかじゃない。これは、単なる殺し。殺したいという感情を抑え切れないから、殺すために行動するだけ。

 誰もが判っている。死んだ人が戻ってくるわけじゃない。死んだ人がどう思っているかなんて判らない。

 これは独りよがり。ただの独りよがり。

 それだけで――相手を殺すには十分だった。


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