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十ノ一  作者: 泰然自若
16/30

十六

一人称。

 空が燃えていた。夕焼けは何処までも紅く、それでいて美しい。

 木々の焼け落ちる音が鳴り響き、僕の生活が終わりを告げた。

 何の冗談かと思ったけれど、目の前で燃え盛る家は紛れもなく僕とティルラの過ごした家で、火をつけたであろう人影がはっきりと見えていた。

 四人。

 僕に襲い掛かって来る。手には短剣を握っていた。首に迫る一撃を、身体を捻りこみながら避けるともう一人の突きにあわせて、身体を沈め、肩上を通過させてそのまま、腕を掴み投げ飛ばす。

 残りの二人は僅かに、挙動が遅れていたので相手にしない。僕はゆっくりと脇差と小太刀を抜き去った。右手に小太刀、左手に脇差を。

 小太刀剣術の心得はあった。祖父から教え込まれたものに他ならない。

 嗚呼、いつも祖父には勝てなかった。一刀流も、小太刀剣術も、棒術も、弓術も、馬術も。何一つ勝てるものはなかったな。

「ティルラは?」

 誰も僕の問い掛けに答えようとはしない。ただ、僕に殺気を押し当てるだけだった。無理もない。目撃者は消される運命と相場が決まっている。

 僕は、死ぬべきなんだろうか?

 ここで約束を守れなったからといって死ぬのも悪くはない。そう思いつつも、僕の身体は自然に、敵からの攻撃を避けてはのらりくらりと動き回っている。

 身体が軽い。何故だか、恐怖もない。身体が震えているのは判るけれど、決して身体が硬直してしまう事はなかった。

「殺したの?」

 誰も答えない。返って来るのは殺しにくる攻撃が答えの代わりだった。

 そうだろうね。だから、家に火を放ったんだろう。言わなくても判る。けれど、僕は言いたかった。

 刃が迫ってくる瞬間、僕は動いた。相手は突進で前傾姿勢になりつつも、短剣を左手に握り、横薙ぎで首を狙ってきていた――その全ての挙動が僕には判った。

 だから身体を沈めて、空いている胴に脇差のはばき元からふくらまでを使って通り過ぎた。

 嗚呼――人を殺すって、こんなに簡単な事だったんだ。

 何かが飛び散り、大地を染め上げる気配を背後に感じつつ、残り三人となった敵に襲い掛かった。

 一番近くに居た男に小太刀を投げる。僕の挙動に遅れているところに悪いけれど、脚を狙った。迷わず相手の右太腿に突き刺さり、相手は男の声で叫び声を挙げた。痛いよね。だから、狙ったんだ。無闇に引き抜けば、簡単に死んでしまうから抜こうにも抜けない。けれど、太腿から沸き起こる圧迫感と異物が入っている違和感が痛みに拍車を掛けてくる。その痛みによって思考能力を鈍らせて、恐怖をより身近に感じさせる事になってしまう。

 だから、もうこの男は戦力になりはしない。這いずり回って逃げようとするだけで、仲間が居なければ逃走する事も叶わない。

 仲間が居れば逃げる事は出来る。

 刃を打ち合わせる必要すらないほどに、相手は僕に呑み込まれている。僕はきっと、目の前で布によって顔を隠した男のように恐怖で雁字搦めにされながら、祖父と対峙していたんだろう。これは、何処からでも打ち込める。どんな攻撃にも対処する事が出来る。

 稚拙な斬りつけを避けて、僕は首筋を一閃。刎ね飛ばす必要すらない。骨を斬って、万が一にも刀に傷がついてしまえば手入れが大変になってしまう。

 判っている。今の僕は、恐ろしいほど冷静で僕じゃない。別人が乗り移ったみたいに滑らかに人を殺している。だけれど、僕はこの行動を止めようとは思わない。むしろ、僕はこれを望んでいる。この男達を殺す事を、僕自身が成すべき事だと思えている。

 だって、こんなにも人を殺す事に戸惑いはなく、哀しみすら感じず、悲鳴すら我関せずに一人を除いて殺す事が出来ている。

 何も問題はない。何も。

「ねぇ」

「く、来るな」

 男達は布で顔を隠していたのに、いつのまにかこの男はそれらを脱ぎ去っていた。苦しかったのかもしれない。

「誰の差し金ですか」

 口を閉ざす男は、血の気の引いた顔ながら、短剣を振り回しながらも後ずさりして逃げようとする。

「動けば、それだけ早く死ぬ事になるけれど」

 僕の忠告なんて聴く耳を持たない。

「誰が、命令した」

 あまりにも必死に逃げるから、思わず敵の足首を斬りつけた。

 悲鳴が挙がる。今はもう暗くなった世界で赤黒い血が流れ出す。

「誰が」

 太腿の小太刀に足をかけた。小突けば、悲鳴が挙がる。もう一度小突こうとかと思えば、涙でぐちゃぐちゃになった男が口を開いた。

「エドゥアルト。エドゥアルト・エルツェ――」

 ありがとう。

 僕は、笑ってあげることができた。




 良く燃えている。ティルラと過ごした思い出の場所が、音を立てて真っ黒い墨になって行く。

 ティルラ、ごめんね。僕は助けてあげる事が出来なかった。許して欲しいなんて言えないよ。僕が守るって決めたのに。守れなかったんだから。

 何をしていたんだろう。

 どうして、こんな……こんな事になってしまったんだ。

 判らない。判らないよ。

 どうして、ティルラが死ななければならなかったんだ。

 魔族だから?

 魔族の血を持っていたから。ただそれだけの理由で殺されなければならなかったのか。

 だったら、

「どうして僕は殺されずに生きている」

 何もかもが違っていた。結局のところ、僕とティルラはまったく別の存在で、互いに理解し合う事も、共有する事も出来てはいなかったんだ。僕の独りよがりで、勝手にティルラの生活に踏み込んで、彼女を笑わせて、僕も楽しんで。

 僕が悪かったんだ。全て、僕の責任で。

 気が付けば、身体が勝手に動いていた。どうしたって、動かなければならなかった。家の周り、まだ延焼せずに残っていた薪置き場には、倉庫がある。眠っているように置かれている桶を握り締め、僕は走っていた。

 川まで走った。一直線に川辺まで駆け下りて、桶に水をたっぷりと入れてまた戻った。零れないように気をつけながら、それでも素早く家に舞い戻り、まだ燃えている家に向かって水をぶちまけた。

 消えるはずがない。

 僕はまた走った。川へ向かい水を汲み、燃える家に戻り水をかけてまた――

 どうして。なんで?

 ティルラが死ぬ必要なんて無かった。どうして殺されなければならなかった。誰か、教えてください。誰か、答えを。僕に訳を、理由を。

 息を吸うたびに身体が生き返る。荒々しい息に、鼓動をは跳ね上がり身体は泥を纏ったように重くなっていく。そんな身体の状態なんてお構いなしに、僕はただひたすらに往復して、水をかけた。決して消えるはずもない炎に向かって、何度も何度も。

 理由なんて判らない。それでも、僕が泣き叫びながら火を消そうとしている行為を辞めるつもりはなかった。

 ずっと。ずっと。動かなければ、僕が僕で無くなってしまうかもしれない。

 怖いのか。寂しいのか。哀しいのか。怒っているのか。

 どんな気持ちなのか、自分の気持ちすら判らなくなっていた。

 ただ、叫んで泣いて。無意味な事を繰り返し続けた。




 その日は、月がとても綺麗な夜だった。冷たくて、明るくて、大きくて。僕の影を長く長く伸ばしている。

 本当に静かな夜だった。夕暮れに轟々と燃えていた風景がまるで夢か何かのように思えてくるほどに、静かで寂しい夜だった。

 目の前には真っ暗闇な瓦礫が山になっている。面影はどこにもなく、ティルラが何処に居るかも判らない。それを、探す気力すら残されていなかった。どれくらい、こうしてじっと蹲っているのかすら判らない。

 何をしたかったのか。僕にも判らない。だけれど、この疲労感は今の僕にとっては有り難いものだった。

 何も考えなくて良い。全てを忘れて眠りにつける。瞼が重くなり、悪夢から醒めればきっとティルラが朝餉の準備をして僕に「おはようございます」と声をかけてくれる。そして、またいつもの日常が始まるんだ。

 ティルラ、君に黙っていた事があるんだ。僕は、異国人じゃない。異世界人なんだ。うん、違う世界から来たんだ。ごめんね、今まで言わなくて。でも、言わなきゃいけないと思ったんだ。ティルラが話してくれたから、僕も本当の僕を知って欲しかった。僕はね、ずっと虐められていたんだ。家族に、家の従者達に忌み子として、ずっとずっと。僕の血には、汚らわしいものが流れているんだって。本当にそうなのかは知らないし教えてくれなかったけれど、それだけの理由で僕は虐められてきたんだ。初めてティルラと会って、本当に楽しかった。僕を助けてくれた事だけじゃない。一人の人間として接してくれて本当に嬉しかった。だからね、ティルラに向けられる視線にも気付いていたんだ。だから、僕はあんな事を聞いてしまったんだ。ごめんね、僕はなんとか助けたいなんて考えていたんだ。僕と同じ人を助けたいって。でも、それは驕りだった。ティルラはもう自分の道を歩いていて、とても気高くて、かっこよかった。僕はね、ティルラのそんな姿を見ていたから、ティルラを守りたいと思ったんだ。そして、僕も前を向いて頑張っていこうと決めたんだ。ティルラ、僕が戦人になれたら一緒に暮らそう。同情でも、気紛れでもない。ティルラと一緒に居たいんだ。ずっと、ずっと。絶対にティルラを守る。絶対に、一人にしない。絶対に、絶対に――

「嗚呼……」

 ティルラ。

「僕は、どうして」

 ティルラ。

「何で、こんなに弱いんだ」

 笑ってくれてありがとう。

「何で、僕は……」

 僕を救ってくれてありがとう。だから、これは僕の我がままだから。

 ゆっくりと立ち上がり、瓦礫の山に歩いていく。一歩、一歩。重い身体を引き摺るようにしながら、目指すところは一つだけ。

 月の光を艶やかに照り返す刀の輝きは、いつもの棚にあった。まるで、僕をずっと見守ってくれていたかのように、ずっと見つめる事しか出来なくて、泣いているように輝いていた。

 寝床――ベッドの面影が僅かに、骨組みだけが残っていた。

「ティルラ、ごめんね」

 足の裏に熱が伝わる。まだ熱の篭った瓦礫達を踏みしめながら、僕はそっとティルラを抱き締めた。

「ごめんね。ごめんね」

 煤だらけで、爛れていて、それでもその人はティルラだった。

 普通の火事だったのなら、ティルラが逃げる事なんて簡単に出来たんだ。出来ない理由なんて判りきっている。だからこそ、僕は僕のやるべき事をしたいんだ。

 ティルラ、君は僕を恨んでくれるだけで良い。だけれど、全てが終わるまで僕は生きていたいんだ。それでも、良いかな。ねぇ、ティルラ。

 鼻をつんざくような臭いが漂い、全てが黒に染められた瓦礫の山で、僕はそっと顔を挙げて、眩く光り輝く得物を見据える。

 ティルラを寝かしつけ、ゆっくりと得物を握る。火災の中で、鞘すらも無傷だったこの刀はどんな代物なのか。そんな事を気にはしない。むしろ好都合だとすら思った。妖刀ならば、僕の思いに応えてくれるはずだ。

 涙は枯れた。滾る思いを吐き出す準備も出来ている。後は、行動するだけ。

 僕は腰にしっかりと刀を下げる。

 延焼から逃れた倉庫に入り、木製の円匙えんぴ――スコップを取り出して、ティルラを埋めるための穴を掘り始める。

 ずっとこのまま、自然の風化に任せてしまうのはあまりにも不憫すぎるし、何よりも僕が我慢ならなかった。

「絶対に、帰ってくるよ」

 全身が悲鳴を挙げている。もう休ませてほしいと懇願してくる。けれど、僕はそれを拒み続けた。

「お墓参りに来る。約束するよ、絶対に守る。今度こそ」

 ティルラ、僕の全てだった人。この世界に来て、死に掛けて助けてくれた女神様のように慈悲深く、優しい人。魔族の血が流れていようとも、僕にとっては掛け替えのない人だった。

「怒るよね。ティルラなら……きっと僕を諌めてくれる。復讐なんて」

 不甲斐ない自分を、きっとティルラは許してくれるだろう。僕が望むように恨んでくれるなんて事をしない、慈悲深い人だった。だけれど、そんな許しに縋るほど、僕も弱いままで居たくはない。たとえ咎められようと、成すべき事を心の中に刻み付けている。それを変える事は出来ない。たとえ、全てを否定されようとも。

 ラーレ、ごめんなさい。

 僕は貴方の手を振り払う事になります。どんな理由があろうとこの世界の権力者である領主を殺す事は罪になるでしょう。ならば、僕は戦人になる事も叶わない夢と消える事になります。国を守る誇るべき仕事に、国に忠義を誓っている権力者を殺める犯罪者がなろうとなどと思うのは、ラーレの誇りにすら傷を付ける事になってしまいます。

 今まで有難うございました。もう、貴方の元へ帰る事は出来ないと思います。

 絶対に忘れません。貴方は僕を助けてくれた初めての人だから。僕に初めて可能性を見出してくれた、示してくれた――大切な人。父だったら、どんなに嬉しかったか。夢想したことすらあります。

 だけど、僕は行かなければなりません。

 ラーレ、僕は弱虫で臆病です。震えて何も出来ません。だけど、僕は人を殺しました。四人も一度に殺しました。一切の迷いもなく、人の命を奪いました。

 攻め手が甘い。そう言われた事は忘れては居ません。だから、間違った成長だとわかります。だけれど、今は進みたいのです。たとえ人の道を外れてしまおうとも、その覚悟をしています。

 神様。お願いします。ティルラの事をよろしくお願いします。ティルラは良い子で、本当に優しく慈愛に溢れています。僕なんかよりもずっと極楽へ行くのに相応しい人です。魔族の血が流れていようとも、ティルラを連れて行ってください。

 魔族が悪で、地獄に落ちてしまう存在だとしても、どうか。極楽へ連れて行ってください。地獄には僕が参ります。

 お願いします。お願いします。

 掘り終えて、優しく抱き締めながらティルラを埋葬した。墓石は不恰好だけれど、川辺にあった大きいものを一生懸命持ち上げて運んだ。

「ごめんね。もう、行くよ」

 不思議と眠気はとうに消え去って、焦がれるような熱気が僕を包み込んでいた。

「エドゥアルト・エルツェ」

 まずは、情報を集める。

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