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十ノ一  作者: 泰然自若
13/30

十三


 朝起きれば、おはようとやわらぎある清々しい挨拶をしてもらえる。用事があれば何処へ行くかをきちんと告げて家を空け、川へ向かい僕の服を洗濯してくれたり食事の材料を村に行って調達してくれる。それも僕が増えて単純に二人分を整える必要があるのにも拘らず、家計が厳しい中で身体に良いという事で沢山食べさせてくれる。

 僕の身体を心配し、包帯の取替えも毎日してくれた。

 ティルラは僕を本当に、大切にしてくれている。

「一磨さん。大丈夫ですか? 無理はしないで私に任せて」

「もう大丈夫です。ティルラが看病してくれたお陰ですっかり良くなったから」

 僕はそう言って、薪に斧をめり込ませてから振り下ろして真っ二つにする。

 本当に、傷は完治している。少し痛む事があるけれど、傷が開く事はない。 ティルラの家で目覚めてから七日目。起き上がって軽く身体を動かす事が出来るようになり、家事を手伝い始めるようになってからは三日が過ぎていた。

 それくらいしかやれるような事が何もなかったし、何よりも身体を動かしていたいと思えていたのもあった。何かをやっていなければならない。言い知れぬ焦燥に身を焼かれていた。

 急所を外れていたからなのか、それとも僕の身体が? ティルラの看病が適切だったからかもしれない。とにかく、僕は生きている。だけれど、何かに怯えている。違和感が僕を急かす。

 それを払拭するために、僕は必死に恩返しをしようと働いた。

「少しでも恩を行動で返したいんです」

 汗を拭いながらも僕はしっかりとティルラを見つめる事が出来た。この世界の人々はなんて良い人ばかりなんだろうか。そんなことすら考えてしまった。僕の状態を心配してくれて、何かと声をかけてくれるティルラ。そして、ここに来るまで僕を支えてくれたラーレ。

 まだ多くの人々と関わった事がないけれど、僕には十分だった。

「そんな、私も一磨さんが来てから本当に楽しい毎日を送っていますから」

 微笑んでくれるティルラは本当に、僕の事を想っていてくれる事を知ることが出来る。けれど、僕には判らない。どうしてティルラはそんなに笑っていられるのか。

「それでも、僕は何かしたいんだ」

 僕はティルラのために、頑張りたい。僕の命を救ってくれた恩人だから。

「有難うございます。一磨さん」

「僕もありがとう。ティルラ、手紙まで出してくれて」

 ティルラは僕の事情を信じてくれた。生憎と異世界人だという事はラーレから伏せておけと言われていたので、異国出身という嘘を付いてしまい心が痛んだけれど無駄な心配と迷惑を掛けたくなかったからしっかりと嘘を貫き通したい。

 異国から戦人になるために、連れて来られた。帝国の軍学校に手紙を送る事が出来れば、僕を見つけにきてくれるかもしれない。そう説明して、ティルラはすぐに文字の書けない僕の代わりに代筆を行い、村に来た行商人に渡してくれた。

「困った時は何でも言ってくださいね」

「はい。ティルラも僕に何でも言って」

 僕の言葉にティルラは頷いてくれた。

 僕とティルラは一緒に村へも行くようになり、この世界について勉強する事も出来た。

 ラーレや教会の人から習っていたことの復習もあったけれど、普通の人たちがどういった生活をしているのかを知ることが出来たのは良かった。

 大まかな事前知識は教会という組織の存在や国の簡単な概要と諸国との関係。そして魔族のことばかりだったので、ティルラが主に何を食べて、どんな事をしているのかを知れたのは生活観を想像する事が出来たし、村や街の様子も一緒に行けるようになるまでは想像出来なかったので詳しく聞いて、実際に村を訪れた際に、浮かないよう振舞う事も出来た。尤も、見慣れない人物だったから、視線が集まってしまったけれど、それもすぐに無くなった。

 宗教的な風習も身近なところでは殆どない事も教えてもらい、今後この世界で生活していく上で有り難い知識となっていた。

 帝国は皇帝という主君の元に貴族となる所領を持った城主が集まる。その貴族は所領をある程度自由に統治することが出来る。そして、ここはその所領の中でも辺境伯と呼ばれる位を持つ貴族が統治している土地だった。

 ティルラはとても利発で頭の良い女の子だったけれど、僕が色んな事を聞くことに対して本当に親切で、丁寧に教えてくれた。何も聞かず、ただ僕という存在を肯定して、共に生活してくれて、知識を授けてくれる。僕には女神様のような存在だった。

 村の人達も皆、表向きでは優しい人たちで、僕に話しかけてくれる。暖かく、楽しい日々を送る事が出来ていた。

 だからこそ僕は知りたいと思ってしまう。

 どうしてティルラは村に住まないのか。街も近くにあるのにどうしてそこへ住まないのか。細々と暮らしている理由を、僕は知りたい。

 ティルラはいつも一生懸命に生きているし村の人も好意的だ。それでも村でティルラに向けられる二種類の視線に僕は気付いていた。

 一つは、同情的な視線。僕はラーレや教会の人から向けられた事がある。不快には感じなかった。けれども、ティルラはその視線を何処か居心地悪そうに受け止めている。

 二つ目は、僕の過去と同じ視線。始めは僕に向けられていると思ったけれど、それは勘違いだと気付いてしまった。突然沸いたように投げ掛けられるその視線は、時折。それでも、確実にティルラを追っていた。複数で、あるいは一人で。

 視線の先に目を向けると、投げかけている人物は男だった。だけれど、僕はその男を咎める事も出来ず、ただ視線を向けられているティルラに向けて、なんとか気を反らそうと話題を振る事しか出来なかった。

 一人で暮らしている事を僕は知らないまま一緒に生活している。知ったところで、何が出来るかはわからない。

 だからかもしれない。

 贖罪、とも言える。安っぽい贖罪だ。けれども、何かしたかった。

 僕を助けてくれたティルラを助けてあげたかった。

「ティルラ。少し、良いかな」

 だから、僕は黙っている事なんて出来なかった。

 ティルラは不思議そうな顔をしながらも椅子に腰を落ち着けて僕と向かい合ってくれる。

 今、僕はどんな顔をしているのだろう。

「どうしました?」

 ティルラはいつもと変わらない顔と声で僕にそう聞いてきた。その言葉に、何故か気圧されてしまった。

 ”いつもと同じティルラ”に僕は、衝撃を受けていた。それと同時に、言いようもない熱が身体を駆け巡る。熱い、汗が一斉に噴出し始めていた。

 恥ずかしい? 緊張している? どうして?

 何をしようとしているのかを改めて実感させられる。

 僕は、本当に聞くのか?

 逡巡が生まれ、僕は黙ってしまう。それでも、ティルラは怪訝な顔をせず僕の言葉を待っているようにカップにお茶を淹れた。

 浅はかな思い違いをしていたのではないかという考えが僕を支配していく。そして、僕に一体何が出来るのか。そんなことが今更ながら自問自答という形で僕の中で広がっていく。

 僕に何が出来るかを考えた。ティルラはどうして一人暮らしなのか。そう聞いて返ってくる言葉に、僕はきちんと答える事が出来るのか。

 受け止めてあげる事が出来るのか。

 確かに、僕に浴びせかけられた忌む視線に似ているけれど、本当はそうでなかったとたら、僕はどうする。村の視線に気づいていた事は判っている。だから、ティルラは積極的に僕の話に乗ってくれていた。その彼女に、僕は再び言うのか。助けてあげられる可能性があるかもわからないのに。

 咄嗟に、僕は話題を考えて喋っていた。

「手紙の返事は、まだだよね」

「そうですね。ここから帝都までは遠いですし、吟味されているのかもしれません」

 僕のもたついた会話に、ティルラはしっかりと受け答えしてくれた。それが、逆に僕を締め付ける。

 何をしたいのか判らなくなってくる。

 僕は、ティルラを救えるなんて思ったのだろうか。

 馬鹿げている。自分すら救えない僕が他人を救うなんて事が出来るわけがない。

 そう思うと途端に全身の熱が下がっていく感覚に襲われる。

 僕は何をやっているのだろう。

「一磨さん」

 ティルラが僕を見据えながら名前を呼んだ。

「有難うございます」

「えっ?」

 突然の感謝に、僕は思わず声を挙げていた。

「私は、魔族の血を受け継ぐのです」

 何を言っているのか。わからなかった。ティルラが、魔族?

 戦人となって僕が戦うべき敵が、ティルラだって言うのか。僕を襲ったあの化け物も魔族で、目の前にいる女の子も魔族だって言うのか。違いすぎる。だって、ティルラはどこからどう見ても人間だ。確かに、髪色や瞳の色は珍しいけれど、絶対に人間だって言える。

 信じられない。どうしたって、人を食う化け物には見えない。

 それでも、ティルラの瞳はしっかりと僕を見据えてくる。そして、その瞳は僕なんかとは比べ物にならないほど強い。それなのに、僕は視線を泳がせてしまう。

 胸の奥が痛む。もやもやとした何かが僕にべったりとくっ付いて来る。

「詳しい事は何も知りません。ですが、私は魔族と人間との間に生まれた存在だと言われました」

 忌み子となるには十分な理由だった。それは僕と似たようなものだけれど、全然違う。

「幼い頃、私は父の手によってこの家に隠されたと言います。元々、父の信頼できる人が住んでいて、私を大事に育ててくれました。父と母の顔、名前すらも知りません。ですから、私にとって育ての親であるこの家の家主が父であり、母でした」

 脳裏に過ぎったのは幻。顔の見えない父と、優しい笑みを浮かべる母が浮かんでは溶けていった。

「村の人は私に魔族の血が流れている事は知りません。ですが、私の肌は日に焼けたわけでもなく、こうして小麦色。瞳の色も赤ですから……」

 そう言って、ティルラは悲しげに微笑んだ。その顔に、僕は唇を噛み締めてしまう。

 どうして、そんなに笑う事が出来るのか。

「ですが、父に楽をさせてあげたかった。だから私はここまで生きてこれました。亡くなる前夜、ありがとうと……その言葉だけで、救われましたから」

 綺麗で、儚げだったその顔は僕の胸の奥を締め付けてきた。

 ティルラはどうして、僕よりも辛いかもしれない状況にあったはずなのに。僕なら、僅かな希望に縋りつき、傍観者となった村人に絶望していたかもしれない。それでも、ティルラはこんなにも気高く懸命に生きている。

「泣いて、くれるのですか」

 止める手立てなんてありはしない。

 思い知らされた。

 僕の環境は、反抗する機会など山のようにあったはずだった。逃げ出そうとすれば逃げ出す事なんて簡単だったはずなのに。僕はあの環境に慣れて、あの虐めの中での生活に妥協してしまっていた。

 それなのに、目の前の女の子は逃げる選択肢を自ら放棄し、他者のために生きる事を選んでいた。そして、その人が亡くなってからここで生活を続けて――

「私は大丈夫です。村の人ともようやくわだかまりが消えて、楽しくやれていますから」

 なんて、強い子なんだろう。

 僕は、なんて情けない男なんだろう。

「一磨さん。ありがとうございます。嬉しかった……私の事を心配してくれて」

 ティルラの言葉が、彼女の善意が、僕の心を突き刺していく。

 僕は、そんな人間じゃない。そんな出来た人間じゃないのに。

 救う?

 本当に馬鹿だった。

 救うまでもなく、彼女は自らの力で自分の道を切り開いているじゃないか。

 それを、僕は――

「ごめん」

 謝りたかった。

「ごめんなさい」

 謝る事しか出来なかった。

「止めて下さい」

 涙が止まらない。世界が揺らぐ。

 テーブルに僕の涙が染みを作る。手で涙を拭うけれど、止め処ないのだからどうしようもなかった。

「一磨さんも」

 その言葉と共に、僕は熱を与えられる。

「頑張っています。私は知っていますよ。私なんかよりずっと、懸命に生きています」

 どうして、ティルラはこんなにも大きく、暖かいのだろう。

 抱き締められたからかもしれない。僕は、たがが外れたように声を挙げてしまった。

 やろう。頑張ろう。ティルラを守る。僕は、ティルラを絶対に守る。

 絶対に、戦人になってティルラと、ティルラの住む世界を守ってみせる。

「頑張る」

 僕は呟いた。

「守ってみせる」

 僕はただ呟いていた。

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