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十ノ一  作者: 泰然自若
12/30

十二

 白い壁に区切られた内なる世界には幾本もの長い廊下が伸びている。いつも僕はその廊下を掃除していた。毎日、毎日。朝早く起きて、誰にも見つからないように、誰かが起きて来る前に綺麗に掃除をする。それが、僕の始まりだった。

 掃除を怠ったと言われて殴られた。汚いと言われて、僕が殴られた。早くしろと蹴りつけられた。

 これは夢だ。夢なのに、痛む。苦しい。

 過去の僕で、過去の全て。消せない記憶。消えない記憶。

 もっと綺麗に掃除をしろと叱咤される横で、誰かが砂を撒き散らし、ここが汚れていると声を挙げる。

 こんな事も出来ないのか。

 誰かが僕に唾を吐き掛けるように大声を挙げる。手が振り下ろされて、僕の左頬に迫る。眼の辺りは拙い。僕はそう思って僅かに顔の位置を変え、頬へ綺麗に当たるよう調整して、殴られる。

 涙目になりながらも決して上目遣いを使わない。決して視線を合わせない。合わせても、訴えかけても、拳が飛んでくる。蹴りが伸びてくる。生意気だと罵声が突き刺さる。

 僕が地べたに伏せているその先で、誰かがこちらを見ていた。殴られても、蹴られてもその人は動かず、ただこちらを見ているだけだった。

 母さん。

 母さんは、どうしてそんな優しい顔をしているの?

 助けて、助けてよ。母さん。

 どうして。

 どうして僕は生き残る道を選んでしまったのだろうか。

 あの時、母さんと一緒に行けたらどんなに安らかだったか。一時の苦しみに耐え切れば、僕はずっと楽になれたかもしれない。

 場面が変わる。暗闇の中で祖父が目の前に立っていた。綺麗な正眼の構えで、真剣を持っている。稽古着を着こなし、一分の隙も見せない構えがそこにはあった。

 構えろ。と祖父は言う。無慈悲で感情の篭っていない声だった。

 無理だよ。と僕は震える声を挙げた。思えば稽古中にそんな事を言った事はない。これは、僕の願望でもあるのだろうか。

 構えろ。と祖父は言う。

 僕は得物を持ってはいません。

 手には何一つ握られていない。無手で相手をする事なんて不可能だ。

 構えろ。と祖父は言う。

 僕は戦えません。と僕は泣き出した。

 どうして、祖父はそんなに僕を虐めたいのですか。どうして、僕がこんな仕打ちを受けなければならないのですか。

教えてください。教えてください。

 煌くように、気が付けば僕の手には綺麗な刀が握り締められていた。

 祖父の姿は消え去り、暗闇の中でその刀の刀身だけが怪しくもどこか神々しく、それでいながら――僕の事を想ってくれているようにも感じられた。

 僕は、何をしたいのだろうか。




 眩しい。

 眼を細めながらも視野を広げていくと、寝床に横たわっている事に気が付いた。

 身体が重く、腹に鈍い痛みが走ったが、逆にその痛みで急速に意識を回復させる事が出来た。

「二度目だ」

 小さく呟かれた声は僕の予想よりもずっとしっかりと言えていた。腹を締め付ける感覚から、誰かが処置をしてくれている事も判った。

 有難うと素直に言いたいけれど、処置してくれたであろう家の人の気配はない。首を回せば全てが判る。

 右に視線を向かわせれば、机――テーブルと二つの椅子。その奥には一段下がって土間が見えて、戸口がある。それだけの家だった。

 正面には戸棚があって、僕の刀が鎮座させられていた。

 裕福な家じゃないと直ぐに判った。それなのに、僕を助けてくれてさらには傷の手当てをして、一つしかない寝床を貸し与えてくれた。

 本当に、凄い人だと助けてもらった側としては思う。人はここまで他者に対して慈悲深くなれるその慈悲を受ける経験している事に、僕は信じられないような驚きと、慈愛に溢れた家人に誠心誠意の恩を返したいと心に誓う。

 こんな僕を助けてくれた人に、助けてよかったと思われたい。

 不思議な感覚だった。けれど、どこかで感じた事のある違和感。わき腹の痛みだと思ったけれど、少し違うようだった。

 僕はその違和感に苛まれる中で静かに目を閉じようとした。まだ身体の調子が戻っていないから、無理して起きていても意味は無い。

 そう思った時に、戸口が開かれた。僕は思わず視線を戸口に向かわせると、人影が一つ。

「眼が覚めましたか?」

 女の子だった。

「貴方が、僕を?」

「川から流れてきた時は驚きました」

 僕も驚いた。

 新緑のような瑞々しい髪の毛が肩まである綺麗な女の子だった。赤茶の瞳に小麦に焼けた健康的な肌。

「有難うございました。こんな僕を助けてくれて」

 女の子は僕よりも歳が下のように思えた。それだけあどけなさを持っている容姿。

 寝床が一つしかないし布団も一つ。だったら、他に暮らしている人が居ないのかもしれない。こんな子がここで一人暮らしをしている事が判らなかった。

「瓦礫が一緒に流れていました。察する、魔族の襲撃にあったのでは?

「はい」

 その言葉に、あのときの光景が広がっていく。途端に、全身が小刻みに震えだす。

「暫く安静にしてください」

 僕の様子に、そっと手を差し出して手を握ってくれた。とても暖かくて、心地が良かった。

「でも、迷惑をかけては」

 本心からそう思っていた。僕なんかを助けてしまっては迷惑になる。助けてくれた人だからこそ、遠ざけてしまいたかった。

「迷惑なんて……」

 そう言って女の子は目を伏せてしまう。

「ごめんなさい」

 僕は咄嗟に謝っていた。

「いえ、すみません」

 女の子も謝ってくる。

「僕の名前は、一磨と言います」

 少しだけ、姓を名乗る事に抵抗を覚える自分が居た。

「一磨さん。珍しい名前ですね」

 女の子の表情が少しだけ良くなった。僕が珍しい名前だから? でも何でだろう。

「私はティルラと言います。貴方を迷惑だなんて思っていません。身体が良くなるまで休んでくださいね」

 そう言って、ティルラは微笑んでくれた。その顔がとても安らかで、とても嬉しそうに見えるのは僕の気のせいじゃないと思う。

「はい。お言葉に甘えさせていただきます」

 僕は、ティルラの笑みを陰りさせたくないという思いに突き動かされて口を開いていた。でも、傷が痛いのも本音だった。

 ティルラは僕の言葉を聞くとハイ、なんて元気の良い返事をしてくれた。なんだか僕までも嬉しい気持ちになってくる。

 彼女は、土間へ向かい食事の準備をしてくれるようだった。僕はそれを横目に見ながら、雨戸が開け放たれた窓から外を眺める。

 変わらず、空は青々として雲が島のように漂っていた。


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