十一
帝都トロジア。ケムリッツ帝国が誇る巨大な街は綺麗な正方形に形作られている。これも、異世界人たる者が知恵を出した賜物であった。
中央は行政区として、完全に民の生活から隔離されており、貴族すらも居を構えては居ない。文字通り行政を行うためだけの区間であり、ここに唯一居を構え住んでいるのは皇帝だけであった。聳え立つケムリッツ城は政を行う場所であり、皇帝の住まう家。
「失態だな」
鋭く、それでいて明るさを損なわずに溶けていく少女の声。
壁一面を硝子窓としている一室は明るい日の光が存分に堪能でき、磨かれた床は石作りだったが、その上に見事な刺繍が施された毛織物が広々とした一室の一部を染め上げ、その上を数人が臆する事無く踏みしめていた。
「申し訳ございません」
ラーレは右膝と握りこぶし作る右手を床につけながら、頭を垂れてそう言った。目の前には、横を向く少女が背もたれの妙に長い椅子に座っている。視線の先には目の前にある長く細いテーブルの先、眩い日差しが床を照らしている窓辺に向けられていた。テーブルには、白い陶器の器が並べられ、カップには茶が入り、皿の上には菓子が広げられていた。
「しかし三日……か。だが、良くぞ早馬で知らせてくれた。と、いうべきだな」
椅子の肘掛に乗せられた腕はそのまま、声を出した少女の頬を包み込み、頭を支えている。その瞳は青く、大きい目をしていた。黄金の髪は綺麗に整えられ、肩下まで伸びる髪を左右と後に一本ずつ纏め上げ、側頭部から垂れ、丸みを持つように整えられた髪は、肩から胸部にかけて、そこが定位置のように似合っている。
「捜索は襲撃後から始めておりますが、教会側も人手不足です。元より我々には人員は……」
ラーレは先ほどの姿勢のまま答える。
「なら、後は待つのみだろうて」
少女はそう言って、半眼でラーレを一瞥しながらも不敵に笑う。未成熟な容姿ながらも、その笑みには何処か妖艶な危うさを持っている女性の雰囲気を漂わせていた。
「して、報告は誠なのだろうな」
視線を戻して少女は口を開いた。テーブルの上には陶器のカップが一つ。その横には侍従らしき女性が三人ほど控えていた。
「はっ。十河一磨は確かに、適性があります」
「ならば、問題はなかろう。適性があるのならば、魔族どもに遅れは取らんはずだ」
少女はカップを握り、僅かに鼻で香りを楽しむと、その紅い茶を口に含む。
「その事について、報告が」
ラーレの言葉に、少女は姿勢を改めた。
「なんだ」
「一磨は、少々臆病過ぎるのです。故に戦いを恐れ、得物持って揮う事ができない……ですが、大器だという事は断言出来ます」
少女はラーレの頭部を見ると僅かに唇を動かした。
「お主にそう言わせるのなら、安心できる」
ラーレは恐れ入ります。と相槌を打って言葉を続けた。
「十六歳で、あのような鍛え抜かれた身体を手に入れたのですから、相当の鍛錬をしてきた事は一目瞭然。並大抵の努力ではあそこまで自分の身体を追い込む事は出来ません。しかし、あの少年には、自信がまったくと言って良いほど無いのです。自分が、どれほど才能に溢れているかも判っていない」
ラーレの言葉には、感情が浮かんでいる。それを感じ入ったかのように、少女は言葉を促すように喋る。
「その事については、何か聞いたのではないのか」
一度、ラーレの頭が下がったようにも見えた。
「はい。実のところ、彼は長年虐めを受けてきていたそうなのです。その虐めにより、自身は不要な人間であると思いこんでいるのです。私は、それを取り除こうとしましたが、今回のようになってしまい……」
虐め。
少女は小さくそう呟いて眼を細めた。それは笑顔を作りなす細目ではなく、鋭く睨みつけるような眼。だが、それも刹那に消え去る。
「ふむ。なれば、生きておれば心の成長に繋がるだろうて」
「そうなれば、良いのですが」
少女は僅かに、口の隅を釣り上げた。
「今回の襲撃、幸運と見るべきだ。辺境貴族が動いておる。城内の貴族も恐らくは息が掛かっておる者が多いだろう」
その言葉に、ラーレが反応する。
「マイダン・ヴァルデマール。ですか?」
「我が帝位を継承する。何事も無ければ決まっておる事だ。しかし、奴の力は強い。強硬から来る求心力と統治能力は、はっきり言えば我より上だ……奴に少しでも忠誠心があり、我慢強ければ、政の全権でも帝位でも譲ってやったものを」
我はお飾りだろうに。
少女は頷きながらもそう答えた後、視線をラーレとは逆に向ける。
「イルマ」
「はい」
イルマと呼ばれた侍従が二人のいる席近くに寄る。
銀色に染まる髪の毛を一つに纏め上げながら後頭部で丸めて整えている壮年の女性だった。黒い侍従服に身を包むイルマは眼鏡を押上げながら、一礼をする。
「二日前、マイダンを宰相とする議案が出されました。帝位が空いているという事を理由に、強引でしたが今回は保留という形で一応は落ち着きました……ですが、それに同調し、各地方でかく乱と思われる反乱騒ぎが発生しておりますが、それもまた、即座に終息を見せております」
ラーレは床を見つめながらも眼を細める。
「つまりは、我を女帝と認めぬ、そういう事を遠まわしに宣言しているという意味を持たせているのだ。まったく味なまねをしてくれる。これでは反乱鎮圧をさせる我直属の部隊も疲弊する上、中立や好意的な貴族連中も傾く。あるいは我と共に疲弊し、魔族の横行を許す結果にもなりかねん。かといって家取り潰すにしても、辺境伯や城伯が加担している証拠も無い。あくまで民衆主導の暴動扱いだ」
少女は顔を顰めながらも、そう言い切った。
「裁けて、騎士や甲士に多い男爵くらいですか……」
トカゲの尻尾切りに、貴重な戦力となる騎士や甲士の首を無闇に取るわけにもいかない。
「魔族との繋がりも、濃厚であっても尻尾が掴めません」
イルマは深刻そうに俯きながら答える。
「良い良い。あの狸がそう簡単に尻尾を掴ませてくれるとは思っておらん。故に、我も勝手に動いておるのだからな。だが、予想外の事で我にも運が回ってきた」
「……今回、一磨が行方不明になった事ですか?」
ラーレが頭を挙げそうになったのを我慢するように僅かながら身体を震わせた。
「奴らが我と教会との繋がりを知らぬはずはない。そこから我の不審な単独行動を経ているとなると、導き出される答えは一つだろう?」
ラーレの様子に少女は気付きながらも、薄ら笑いを浮かべて言葉を続けた。それを聞き終えると、ラーレは僅かに喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
「向こうの世界で、襲撃がありました。ですが、把握されていたなど不可能です。私ですらこの時期に召喚など驚かされたのですよ。周期からあまりにも外れている。最悪でも後四年は待つべきだという事は誰もが判っているはずです」
自分のした事がそこまで相手側に露見していたのに驚きつつも、今回の襲撃はマイダンの差し金ではないかという疑いをラーレは持ち始めていた。
「奴らとてそれはわかっている。だからこそ、まだ此方に迫ってきておらん。あくまで推測の内。今は動けない。その時になって異世界人は行方不明という報が入る。これはある意味で僥倖と捉えるべき事象となった。これで異世界人を見つけ出せれば帝都に巣食う魔族に加担した奴らを一掃出来ると言うものよ。今回、異世界人を襲ったのは奴の命令ではないだろうからな」
「独断専行ですか」
少女の言葉に、ラーレは今度こそ、頭を挙げた。
「やっと、顔を挙げおったか」
「あっ」
ラーレはやってしまった。という悔しい顔を見せ、少女は良い笑顔をしている。
「お主、反省していたつもりだろうが、そんな事で我が喜ぶとでも思ったか?」
「いえ、これは自分の矜持が」
曇る顔は苦々しい。
「まったく変な所で固い奴だ」
少女はそれでも小さく仕方がない、と言わんばかりのため息を吐いた。
「重々、承知しております」
深く一礼を入れる。
「それで、独断専行とは」
ラーレは言葉を促し、少女も大きく頷いた。
「うむ。マイダンにとって異世界人を確保、ないし殺す事が目的ではない。今、大々的に魔族との繋がりを見せるのも拙い。ただでさえ露骨に動いているのだからな」
その言葉に、ラーレは思わずため息を出し、少女は声を出して笑った。その光景に侍従達も何処と無く呆れた笑みを浮かべている。
「今回の襲撃に関してだけは、手綱を握りきれなかった奴の失態と考えるべきだ。場所からしてもマイダンの息が色濃い場所ではない教会による不可侵地帯だ。いくら宰相となることが決まっているような男でも、真正面から教会に喧嘩を売るとは考えにくい」
「甲士体制が磐石の状態ですから、ここで教会と対立する態度が露呈しては、性急すぎる争いになると……?」
ラーレの言葉に、少女は頷いた。
「そこを我が突付いて時を稼ぐ。教会を焚き付ければ奴とて黙ってはおらん。その隙にお主は教会連中と共に探し出す」
「ですが」
「判っておる。お主の姿が我の元から見えないとなるとそこを言われかねないからな」
「では」
「辺境貴族への査察団へ組み込んだ。離れている理由としては問題ないだろう。地理は?」
少女の言葉に、ラーレは大きく頷いて見せた。その表情は引き締まっている。
「襲撃地点と馬車の欠損場所から見て、一磨は川に落ち、流された可能性が高く、それを考慮に入れ捜索範囲は下流に向けております」
「うむ……なれば、エルツェ家が辺境伯として治めている領地が匂うな」
ラーレは、何かに気付いたように少女を見つめる。
「川が領地を通っておりますな」
領主城がある街からは距離があるが、確かにラーレの頭に描かされた地図には川が流れ込んでいた。
「都合が良かろう? それでいて、辻褄が色々と合うのもお得だな……どうにも、掴まされているだけのような風評だけが耳に入る」
そう言って半眼鋭い笑みを浮かべる。その言葉には、暗に情報の捏造と検閲が施されていると言っているものだった。
「表向きはあくまで査察、エルツェ家の前に近しい辺境伯へ会うようになる。我の戴冠式は約一月後。大顰蹙だったからな。骨が折れた」
少女の瞳は強い意志を見せる。それをラーレは真正面から受け止めた。空位の状態で、一刻も早く皇帝を据えて国内外に発表する必要がある。そうすることによって、今現在、帝国に斥候を入れている各国を落ち着かせ、いらぬ反意を持たせないように出来る。その特効薬というべき継承式を一月も先延ばしにするのだ。これでは、流石に顰蹙を買って然るべきだった。
「宜しいのですか?」
「戴冠式に諸侯の悪行を暴くか。問題は諸国がどう動くか。だろう?」
「はっ」
「案ずるな。教会頼み、というわけでもない。我らには絶対的な力を見せ付け、抑止力となる」
「賭け、になるのですよ」
ラーレの言葉は固く、唇が乾いたのか動く口は重い。その一言を呟けば、閉口した戦人たる男の顔が出来ていた。
「お主の言葉に、偽りがあったと?」
戦人に対して平然とその言葉を放った少女の視線は真っ直ぐとラーレに向けられる。突き刺さるのではなく、覆い尽くすようなゆとりある柔和な眼差しであった。
「そのような問題では」
思わず、ラーレは視線だけを僅かにずらした。
「賭け事には賭す物が必要であろう? 我の立場は危うい。目隠しをして風靡く縄の上で立っているようなものだ。なれば、分の悪い賭けだろうと全てを賭してみたくもなるだろう?」
ラーレは苦しい顔を見せた。自分の発した言葉を悔いたのか。はたまた、少女の運命を嘆いているのか。
「全てが巧く行くなど思っておらん。お主だけが巧く行けば後はどうとでもなるのだ」
少女の言葉は余韻すら残さず、鋭い切れ味を見せた。達観でも投げやりでもなく、その言葉には絶大なる信頼という重みが含まれていた事を、ラーレは態度で理解してみせる。
「ご命令を。レオノーレ皇女殿下」
ラーレは、先ほど注意されたように再び頭を垂らした。ただ、そこには自身への戒めなどはなく、単純な忠誠が込められていた。未だ、即位すらしていない皇女たる少女に向けて、一戦人として近習の甲士たる身分として侍している事の宣言。
「……嫌じゃ」
予想外の返答に、思わずラーレは力無く前方へ身体を反らせてしまう。慌てて立て直すが、それほど予想外の言葉に驚いたのだろう。
「何を突然」
困惑する、そんな手探りな言葉がラーレの口から零れ落ちた。しかし、レオノーレの方は真剣な眼差しを向けていた。それを、平伏しているラーレが知る由もないのだが、
「……マリー従姉様」
その言葉に、ラーレ・マリー・ライヒェンは僅かに口を開けた後、唇をかみ締めすべてを悟る。
目の前の少女がラーレに要求するのは臣下、近習としてではなく――
暫しの間が両者を包み込む。ラーレの内では、葛藤による無音でありながらも激しい鬩ぎ合いが行われていた。それも刹那に終わりを告げて、風の音よりもささやかな吐息が漏れた。
「すまなかった。エルナ、行って来る」
ラーレの顔は安らかでいながらも、目の前の少女を労わるかのように語りかけた。たとえ、本当の兄妹でなかったとしても、家族として接し合って来たからこそ、レオノーレはラーレを兄と呼び、ラーレは妹としてエルナという名を呼んだ。
その態度に、レオノーレ・エルナ・ツィルヒャーは嬉しそうに笑みを浮かべる。
「従姉様、武運を祈っております」
ラーレはその言葉を聞くと微笑みながらも、起立して部屋を後にした。
ゆったりとレオノーレは席を立ち、侍従を引き連れながら煌びやかに魅せ続けた窓辺へ寄った。
「さて、一枚岩か否か――」
見下ろせる庭園に人影を見つけていた。
レオノーレの表情は、僅かな憂いを残す笑みを浮かべた。
「イルマ」
「教会は好意的な立場を崩しておりません」
イルマは静かに返答する。
「それが、匂うのだ」
「……意図的なものとお考えですか?」
レオノーレの視線は以前として庭園を見つめている。
「教会とて人が動かす組織。歴史も長ければ中身がどうなっておるか検討も付かん。我らでさえ、容易に踏み込む事が出来ぬ聖域扱いだな」
「ラーレ様ならば――」
「判っておる。”天竜”の二つ名を持つこともな。だが、実力を知っておろうが心配な気持ちはどうする事も出来ん」
伏せるように細められるその瞳は、僅かに揺れ動く。
「誰も、居らんのは寂しい」
「――はい」
イルマはただ、そう返答するかなかった。
父と母を失い、今では帝位継承権第一位となった少女は僅か十二歳。実権は侯爵宰相が握っているが、直にマイダン王領地伯がその地位に就く。お飾りと自覚していても、今の立場は非常に危うく打開策も文字通り賭けでしかない。故に、その幼き双肩に掛かるのは重圧。察する事は出来るが、決して肩代わりする事の出来ない荷物を背負いながら、少女は唯一と言っていい――家族と呼べる存在を死地に向かわせなければならない。
「さて、何を話しておるのやら」
少女の呟きは儚くもそよいだ風に流れていった。
「今更、言い訳をするつもりもなかろう」
抑揚の効いた男の低い声が漏れ聞こえてくる。その男の背後には見事な彫刻が施された噴水が清らかな音を立てさせ、男の視線は庭園の美しい花々へ向けられていた。
「はっ」
侍従が歯切れの良い声を出す。優雅さを醸し出す一礼は卒がなく、手馴れていた。
「”女”はな、我らが研究している人形に興味があるそうだ。今まではのらりくらりとやってきたが……」
侍従を一瞥もせず、男は呟いた。
「申し訳ございません」
二人の周りには見晴らしの良い空間が広がり、人影は見渡す限りありはしない。
「癪に障るが実験資料を渡すしかない。だが、奴らとて腹の内は同じ。敵対関係ではなく、今のところは……味方だろう。何れ我らが支配すれば何も問題はない」
振り向いた男は噴水の作りなす波紋に顔を投影させつつも、視線は城内へと向けられる。僅かに頭を上に挙げる。
「人形遣いに実験資料を送るようにしろ」
優雅とは程遠い、半眼に細めながら口を釣り上げた笑みを張り付かせながら男は侍従に言った。
「それとだ。研究成果も見せ付けろ。丁度良い判断材料が近々そちらへ向かう。そう伝えておけ」
「”男”はいかが致しましょうか。恐らくはこちらの動きに反応してくるのでは?」
視線を初めて侍従に向ける。その瞳は冷たく、顔に至っては無表情と言えるほどに固いものであった。
「奴らは”女”と逆を行く。単純な話、敵になるという事で、その対処を考えるのに何の問題がある? それともお前はその程度の事も考えられない頭しか持っていないのか」
「も、申し訳ございません。決してそのような」
「次はない」
その言葉は暗に、この場に人目が無ければ死んでいる事を伝えていた。
「はっ」
侍従は冷や汗を流しながらも完璧なまでの返礼を主に向けた。
「帝国さえ支配下に置けば、俺は人間の王となる。そうなれば……」
――教会も、魔族もどうとでもなる。
自信に満ち溢れた万遍の笑みを浮かべる男は顎を二度ほど撫でる。
「公爵殿下、そろそろ」
恐々としながらも自分の職務を真っ当するかのように侍従が男に告げる。その言葉に、何かを言いかけたように息を吸ったが、
「良かろう……愚者どもの世間話に付き合うとしよう」
と言い直し、公爵は踵を返して城内へ入っていく。
侍従は安堵のため息を公爵の背後で漏らしながらも付き添っていった。