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十ノ一  作者: 泰然自若
序章
1/30

壱 一ノ一

不定期更新の予定となります。

異世界物です。

誤字脱字等々あるかもしれません、悪しからず。

「一磨、生きて」

 夢はいつもその言葉によって終わりへと突き進んでいく。夢の中の暗がりは夜を指し示すものだが、やがては光を発し一磨の世界を白く染めていく。

 一磨はそんな夢を見るようになったのは、六歳の頃からだった。

 物心が付いた頃から一磨は母と二人きり。一磨の住まう家はとても大きく、それはたいそう立派な家柄の子供だった。その家の中で、二人は生活していた。

 宛がわれた一間は広く何も置かれていない畳の世界。襖を開けて外を眺めれば、そこには手入れが成された綺麗な園が広がり、真剣な眼差しで庭師が働いている。

 そんな姿を見て一磨は真っ赤な林檎のようなほっぺを膨らませながらへの字の口を作り、壁の向こうに見える青空に焦がれた。いつか、あの壁の向こうを母と共に歩きたい。幼い心にそう誓って、一磨は生きていた。

 そんな一磨が、ここはこんなにも小さな世界だと知ったのはいつの頃だろうか。人々は何故、こんなにも辛く当たるのかを考えるようになったのはいつからだったか。

 物心が付いた頃から一磨は母と二人きりだった。間違いではない。

 一磨とその母にとって、広い家での生活は不自由だった。傍から見れば金は腐るほどあって、物に、食に困る事なんてありえない。そんな環境で、一磨と母は生活していたにも関わらず、その母は全てを投げ出してしまった。その狭い世界と、日常化する憎悪の波に耐え切れず――。

「一磨、生きて」

 思えばその言葉は悪魔の囁きに他ならないと、一磨は夢を見つつも振り返る。

「一磨、生きて」

 生きてという言葉が夢の中で何度も、何度も呟かれていく。

 様々な場面が切り取られながら、夢はどんどんと彩られていく。その場面ばめんのことごとくに、一磨の母である女性の姿があった。

 今も一磨の見る夢に出てくる母は、綺麗だった昔の姿で立っている。どの姿も一磨には美しく、気高い存在として描かれてはいる。だが、まるで霧に隠れてしまっているかのように、その顔は酷く曖昧だった。

 その母の姿が突如として霧のように乱れ漂い消えていくと、瞼を閉じるような刹那の間に別の場面へと変わっていた。

 暗がりの中で、一磨は即座にその場面がどういうものかを察する。それは何度も見続けてきた光景だった。

 ――今はもう、解っている。

 母が幼い頃の一磨に向けた笑みは悲しげだった。それが夢の中だけの顔なのか、本当に当時の顔そのままなのかを知る術はあるはずもない。

 その日は一磨にとって母と過ごした最後の夜。奇しくも二人きりで壁の向こうを歩いた記憶だった。

「辛いと思うなら」

 その母の顔はとても穏やかだった。白い肌と同じような白銀の髪色が、風に揺れ動く姿は幻想的だと一磨が思えるほどに。

「お母さんと一緒に来たいのなら、手を取りなさい」

 穏やかな夜だったと一磨は記憶している。月明かりと道を指し示すような灯篭だけが目印の暗がりで、母の白い肌は良く見えて――今でも忘れる事は無く、こうして夢として一磨の視界一杯に広がっている。もう何度目かも覚えてはいないほど一磨にはありふれた夢。

 母と離れ離れになりたくない。ずっと一緒に居たい。幼い一磨はそう思っていた。その思いが夢だと理解している今の一磨はひたすらこの夢の終わりを願いつつも、早く起きる方法は誰かに起こしてもらうほかにない。しかし、一磨は解っている。誰も自分を起こそう等という理由で早起きもせず、まして一磨の住まう一間を訪れる酔狂者が居ない事を。

 一磨は悪者にされる母を助けることが出来るのは自分だけだと信じていた。今の一磨が鼻で笑えてしまうほど、当時の一磨は清廉としていた。何も知らず、何も判らず、ただ漠然と母を想い、何かを恨みながら、何となく生きていた。

 子供だった、それが子供の生き方だとも今では理解している。判ってはいるのに、自分自身が許せずにいる事もまた事実だった。

「どこへ行くの?」

 歩けど歩けど母は何処へ行くのかを言ってはくれなかった。一磨は手を繋がれながら母を信じて、ただただ付いていく行くけれど、やはり視線は不思議に、不安に思って母の顔に向く。

 この時の母は一体何を思って自分の手を引いたのだろうか。

 母は幼い一磨と目線を合わせる事も、まして一瞥すらも拒むかのように固く、かたく前を見つめていた。

 場面は急速に加速していく。一磨がはっきりとその視界に収めて世界を確認する時には、母が幼い一磨を抱きかかえ、大きく口を開けた闇の御許へ足を踏み入れる寸前であった。

「さむい、さむいよ」

 風もないため波立つものすら存在しない内海の湖に、母は静かに入っていく。一磨は抱きかかえられながら寒いと言い続け、迫り来る漠然とした恐怖に蝕まれていった。

 ――嗚呼、これは本当に怖かった。

 一磨が静かに脳裏で呟いた。

「大丈夫。お母さんがついているわ」

 しがみ付くように一磨を抱き締めた母は水の中へ徐々に沈んでいく。

 気が付けば夢の世界が妙に白く発光していく。いつもそうだった、恐怖からかこの夢はいつも途中から真っ白く曖昧になっていく。一磨はそんな曖昧な夢の中で見続ける過去の出来事に思いを馳せた。この時の自分はどんな事を考えていたのだろうか、と。

 怖かった。苦しかった。

 どうして、どうして?

 冷たく、何も見えない暗闇に放り出された感覚に襲われる。ただ母の体温だけが、まだ自分が自分であるという事を知らしめていた。

 母はどうしてあんなにきつく自分を抱き締めたのか。それは逃さないつもりだったのか、死ぬのが怖かったからなのか、考えてみたところで、いつも答えは同じ。

 何もわからない。判らないが、今こうして夢で見ているのだから、一磨がそこで一緒に死ぬ事を選ばなかった事だけは確かである。

 一磨は身動きが取り難い状況にも関わらず、必死の形相で自分の母の首に噛み付いていた。力の限り噛み付いて、動く限り爪で引っ掻き回し、母の腕から逃れた。

 そこには何も無い、その行動はかくも単純明快で、言葉も思いもただ一つ。生きたい。助かりたい。本来生き物が持っているであろう生存本能によって突き動かされていた。

 当時六歳だった一磨は、まだ死と言うものを漠然としか捉えてはいなかった。死ねばどうなる、死ぬ瞬間はどんな場面なのか、死とはどういうことなのか。そんな事を思い描く事すら出来ない子供だったし、それが普通だった。

 そんな幼い一磨はこの時に初めて死を知り、死に直接触れ合ってしまった。虫を殺して、あるいは親族の死を経験して、死とは何なのかを考える、考えさせられるという月並みな経験を飛び越えて、自分が今死ぬかもしれないという事態に陥ってしまったのだ。あまりに性急すぎる事態であったはずだが、一磨は初めて死に触れて、純粋に恐怖する事が出来たのだ。死にたくないと、心の中で叫び声をあげてその爆発が行動に結びついていた。

 必死に母の腕から逃れ、岸を目指す一磨の背後には沈み行く母の姿があった。白い世界で一磨は視線を向けると母は悲しそうな顔を見せていた。今でも、母の白い姿が消える事は無く、夢に何度も出てきている。

「一磨、生きて」

 やまびこが返ってくる、そんな反響を生みながら母の生きてと懇願する言葉が聞こえてくる。

 そこからは、唐突ながら世界が体裁を保てなくなったかのように、うやむやと光景が広がっていく。

 一磨にとってこの記憶は、初めて生きるために身体を動かし、生きるために他を犠牲にしたもの。

 生きる事を選んでしまった日。もはや後ろを顧みる事もせず、幼き日の一磨は必死に泳いでいた。犬掻きよりも不恰好な姿で、身体が動く限り岸辺を目指して泳いでいた。

 揺らめく湖面と荒い息遣いが現在の一磨にははっきりと聞こえている。これが一瞬、夢ではないのかもしれないと錯覚してしまうほどだったが、何度も繰り返している一磨は冷静だった。夢を見ている一磨の瞳には一切の感傷が込められてはいない。漫然とただこの夢が早く終われば良いと思いながら、ひたすら気だるい瞳で過去を見つめていた。

 この強烈過ぎる印象が、十六歳となった今でも何度となく夢として思い出してしまう要因なのかもしれない。

 この日から一磨は一人で生きていくことになり、一人で全てを受け止める必要があった。

 死ぬ事は許されない。この時、一磨は誓ってしまっていた。絶対に生きると。母のためにも自身のためにも生き抜く。幼い一磨はそう決めてしまっていた。それは覚悟だったはずだ。母を殺して自分が生き延びたのならば母の分も精一杯に生きよう。そんな幼い一磨の覚悟を現在の一磨は忌々しく思っていた。今更どう足掻いても変わる事はないにも関わらず、心情は非常に単純で、過ぎた事をいつまでも抱え込み、恨んでいる。

 ようやく夜の夢が終わりを告げる。未だ岸を目指し幼い一磨は泳いでいるが、世界が急速に白み始めていく光夢はが終わり、地獄の日々が始まる合図である事を一磨は知っている。

 ゆっくりと夢心地から開放されると、一磨は小さく息を吐き出した。

 部屋の中はまだ暗く、障子を透けて入ってくる光は優しい色をしている。まだ、日の出には早かった。



この話を保存していたPCが逝ってしまったので、かなり遅筆になる予定。

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