どこか様子がおかしい妹を問い詰めた結果……
実験的に書きました。
妹とは、昔から険悪だった。
クラリスにとって、それはもはや疑いようのない事実だった。幼いころの記憶をたどっても、リリアンと無邪気に笑い合っていた時間はほとんど思い出せない。
きっかけは些細なものだったはずだ。
どちらが先に褒められたか。どちらがより目を引いたか。
そんな、取るに足らない差だとクラリスは思っていた。侯爵家の娘として生まれた以上、比べられることなど避けようがない。姉妹であればなおさらだ。いちいち心に留めていては、息が詰まるだけだろうと、幼いながらにそう割り切っていた。
けれど、リリアンは違った。
クラリスは左程気にしていないようであったが、リリアンはそういったものに酷く敏感であったようだ。
大人たちの何気ない言葉の順番ひとつ、侍女が結ぶリボンの位置ひとつ、茶会で先に声を掛けられたのがどちらか――そんな些細なことまで、驚くほどよく覚えていた。
まだ幼いころ、母が二人に揃いの髪飾りを贈ってくれたことがある。
薄青の石をあしらった、可愛らしい品だった。どちらも同じものだったはずなのに、リリアンは箱を開けるなり眉をひそめた。
「お姉様のほうが、石が大きいわ」
クラリスにはそうは見えなかったし、実際に並べて確かめても違いはなかった。だが、リリアンは納得しなかった。泣きはしなかったものの、その日じゅうむっつりと黙り込み、せっかくの髪飾りにも手を触れようとしなかった。
そのような事の積み重ねで、リリアンの不満は、年を追うごとに目に見えるように膨らんでいった。
そして、成長するにつれ、二人の評判は自然と分かれた。
クラリスは大人しく、落ち着いていて、礼を失しない娘。
リリアンは華やかで愛らしく、誰の目も引く娘。
それだけなら、よくある姉妹の違いで済んだのだろう。
だが周囲は、違いを違いとして扱うだけでは満足しなかった。
「お姉様はしっかりしていらっしゃるのね」
「妹君はなんてお可愛らしいのかしら」
似たような言葉を、大人たちは何の気なしに口にする。
誰かを持ち上げるためではなく、本当に思ったことをそのまま言っているだけなのだろう。だが、そうした何気ない一言は、受け取る側の心次第でいくらでも棘になる。
クラリスは、自分が「華やかではない」側に置かれていることを早くから理解していた。
それを悲しいと思ったことがないわけではない。人々の視線がまずリリアンに向かい、そのあとでようやく自分に流れてくることに、劣等感を覚えた日もあった。
それでも、どうしようもないことだとも思っていた。
自分はリリアンにはなれないし、リリアンもまたクラリスにはなれない。ないものを数えるより、自分にできることを磨くほうがましだと、そう考えるようになっていた。
だが、リリアンは違った。
妹は褒められてなお満たされないようだった。
自分が誉めそやされても、クラリスがひとつでも認められれば、そこに不機嫌な顔が表れていた。誰より目立っていても、姉が先に名前を呼ばれただけで面白くなさそうに唇を尖らせるのだ。
まるで、比べられることそのものが嫌なのではなく、比べた末に姉にわずかでも何かが残るのが許せないと言わんばかりだった。
そんな歪んだ関係性が決定的になったのは、クラリスに婚約が決まってからだった。
そんなクラリスにも、やがて婚約者が出来た。
地味で、ことさら人目を引くこともない。そういう娘である自分に、縁談が持ち込まれ、しかもそれが平穏にまとまりつつあることを、クラリスはありがたいと思った。
相手はレオニード・ヴァレントン。
名門伯爵家の嫡男であり、社交の場でも評判のよい青年だった。
「お会いできて光栄です、クラリス嬢」
よく通る声でそう言って、彼は自然に微笑んだ。
ありふれた挨拶のはずなのに、不思議と気負わせない言い方だった。
クラリスはひそかに安堵した。
劇的な恋など、最初から望んではいない。
胸を焦がすような激しさや、周囲が羨むような熱に浮かされた関係は、クラリスには眩しすぎた。
普通が良いのだ。
実際にレオニードはよくデートに誘う上に、そうした誘い方にも変な押しつけがましさがなかった。
「このあいだ話していた焼き菓子の店ですが、通りかかったら思い出しまして。お好きでしたよね」
そんなふうに、クラリスの好みをきちんと覚えたうえで声をかけてくる。
そんな微笑ましい関係性をよく思わないのが、リリアンだった。
もともと婚約の話が出た時点で、妹の機嫌がよくないことはわかっていた。
祝福の言葉こそ口にしたものの、視線の冷たさは隠しきれてはいなかった。
けれど、クラリスとレオニードが実際に何度か出かけ、少しずつ関係が深まっているらしいと知るにつれて、その不快さは目に見えるものになっていった。
「またお出かけですの?」
支度を整えていると、いつの間にか部屋の扉口に立っていることがある。
「ええ、少しだけ」
「ふうん。ずいぶん熱心ですのね」
それだけ言って、リリアンは意味ありげに微笑む。何が言いたいのかをはっきりさせない、あの嫌な感じだった。
あるいは、レオニードが屋敷を訪ねてきたときもそうだ。
応接間で話していれば、廊下を通りかかるついでのように顔を見せる。庭を案内していれば、ちょうど散歩中だったと言わんばかりに姿を現す。
「あら、お邪魔でしたかしら」
そう言いながら、邪魔をしている自覚がないはずもない。それでも涼しい顔で会話に加わってくるのだから、相変わらず性質が悪い。
リリアンは華やかな娘だ。そうして現れれば、その場の視線が一瞬そちらへ向くのも無理はなかった。
だが、レオニードはそこに関心を示さなかった。
婚約者の妹として礼儀正しく接するだけで、特別親しげな態度を取ることも、気を持たせるような言葉を掛けることもない。
そのことが、かえってリリアンの癇に障っているようだった。
◇
ある日の事だった。
朝からリリアンがやけに機嫌よく、どこか浮き立って見えた。
食卓についても鼻歌まじりで、侍女が紅茶を注げば普段より親しげに礼を言う。新しいリボンを選ぶときでさえ苛立った様子を見せず、鏡の前で満足げに髪を撫でている。
それだけなら珍しいこともあるものだと見過ごせたかもしれない。
だが、その上機嫌が何度もクラリスへ向けられる意味ありげな視線とセットになっていれば、さすがに気づかないふりもできなかった。
廊下ですれ違ったときも、リリアンはまるで何かを待ちきれないような顔をしていた。
目が合うなり唇の端を持ち上げ、ひどく愉快そうに笑う。
嫌な予感がした。
その日の午後、クラリスが書庫から自室へ戻ろうとしたところで、ちょうど渡り廊下の手前にリリアンが立っていた。窓から差し込む光を背に、妹はわざとらしいほどゆっくりと振り返る。
「お姉様」
呼び止める声まで弾んでいる。
「何かしら」
「別に。ただ、お伝えしておこうと思って」
その言い回しだけで、まともな話ではないとわかった。
クラリスが黙って先を促すと、リリアンは扇の先で自分の唇を軽く叩き、にっこりと微笑んだ。
「あら、レオニード様はどうやら貴方より私の方が興味があったみたいだわ」
一瞬、言葉の意味が頭に入ってこなかった。
リリアンはその反応を見逃さず、満足そうに目を細める。
「……何を言い出すの」
「そのままの意味ですわ。わたくし、少し驚いてしまったもの。だってお姉様、何もお気づきでなかったのでしょう?」
クラリスは妹をまっすぐ見た。
ここで取り乱せば、相手の思う壺だと本能的にわかったからだ。
「いつになく随分と悪質ね。証拠でもあるのかしら?」
するとリリアンは、待っていましたとばかりに笑みを深めた。
「まあ、そんな言い方。証拠だなんて、まるでわたくしが嘘をついているみたいではない」
「そう受け取られたくないのなら、根拠を示しなさい」
「根拠、ねえ」
リリアンは窓辺へ寄りかかり、ことさらに余裕たっぷりに肩をすくめた。
「ええ、ありますわよ」
甘く囁くようにそう言って、リリアンは扇を閉じた。
「だって――キスまでしたもの」
渡り廊下に、しんとした静けさが落ちた。
風に揺れた薄布のカーテンが、窓辺でかすかに音を立てる。
リリアンはその沈黙を、動揺の証だと思ったのだろう。
唇の端をゆっくり持ち上げ、うっとりと目を細める。
「最初はわたくしも驚いたのよ。まさか、あちらからあんなふうに距離を詰めてくるなんて思わなかったもの」
クラリスは黙っていた。
怒りより先に、奇妙な違和感があったからだ。
リリアンはそれを気にする様子もなく続ける。
「お姉様には、ああいう一面は見せていないのでしょうね。まあ、無理もないわ。お姉様はいつだって堅苦しいもの」
「……どこで?」
ようやく絞り出したクラリスの問いに、リリアンは得意げに眉を上げた。
「知りたいの?」
「答えて」
「王都の庭園よ」
即答だった。
「このあいだ、お姉様がお出かけになっていた日のこと。人目の少ないところでお会いして、そのまま少しお話をして……気づいたら、という感じだったかしら」
そこまで言って、リリアンはわざとらしく視線を逸らす。
「まあ、詳しくは言わないでおいて差し上げるわ。お姉様には刺激が強すぎるでしょうし」
その言葉を聞いた瞬間だった。
クラリスはふっと息を漏らした。小さく、押し殺したような笑いだった。
リリアンの顔がぴたりと止まる。
「……何が可笑しいの?」
苛立ちを含んだ声で問われても、クラリスの表情はむしろ穏やかだった。
「いいえ」
クラリスはゆっくりとかぶりを振った。
「随分と、それらしいことを言うものだと思って」
「それらしい、ですって?」
「ええ」
そこで初めて、クラリスははっきりと笑った。
それが、リリアンには何より堪えたらしい。
勝ち誇っていた顔に、露骨な苛立ちが滲む。
「何がそんなに可笑しいのか、仰ってくださる?」
「簡単なことよ」
クラリスはまっすぐ妹を見た。
「その日は、彼はずっと私と一緒だったもの」
「……は?」
呆けたような声が落ちる。
「あなたが言っているのは、三日前のことなのでしょう? 王都の庭園へ出かけた日」
「そうよ。それが何だというの」
「何だも何も」
クラリスは少し首を傾けた。
「その日、私たちは庭園の奥にいたの。人の少ない区域で、昼過ぎから帰る時間まで、ほとんど二人きりで。温室の裏手の小径も歩いたし、東屋でも休んだわ。途中で彼が離れたなんて、一度も無かったわ」
そこまで言って、クラリスは静かに結んだ。
「少なくとも、あなたと人気のない場所で逢引をして、しかもキスまでしている時間なんてなかったわね」
リリアンの顔から、さっと血の気が引いた。
「だって、確かに……!」
言い募ろうとして、リリアンは口をつぐむ。
確かに、と言い切るには、何かが足りないのだと自分でも気づいたのだろう。
クラリスはその様子を見逃さなかった。
「確かに、何?」
「顔を見たわ」
「名前は?相手が自分で名乗ったの?」
リリアンの唇が、わなわなと震え始める。
「見間違えるはずがないわ……」
かすれた声だった。
「金の髪で、青い目で……声だって、それらしかったもの」
「それらしい、ね。貴方、人様にキスをする時位は顔を確認なさったら?」
リリアンは何か反論しようと口を開きかけたが、声にならなかった。
そう、リリアンはどこの馬の骨とも知らぬ誰かとキスをしていたのだ。
「そんな……違うわ……。だって、あの人は……あの人は確かに……」
だが、裏付けるものがどこにもない。
それを、今になって否定しきるだけの根拠が、リリアン自身の中になかったのだ。
「……随分と、軽率なことをしたのね」
「違う……そんなつもりじゃ……」
「つもりでなかったとしても、結果は変わらないわ」
ただ首を振るばかりで、言葉が続かない。
クラリスはしばらく、その様子を見ていた。
怒りは、もうほとんど残っていなかった。
ただ、呆れとわずかな嫌悪だけが残っていた。
「母上に言われたくなかったら、金輪際、私のレオニードに関わらない事ね。もし、次またこんな事をしたら、知らない誰かと不貞をしていたって言いふらすから」
その言葉に、リリアンの瞳が揺れた。
「……わかった、わ……もう、しない……」
あれほど自信に満ちていた声は、もうどこにも残っていないのだった。




