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34.抗えない誘惑

「いい加減、決めろッ……!」


 業を煮やしたミチルが俺に、いい加減決断するよう迫ってきた。


「急かすな、今度こそ……今度こそ決めるから!」


 俺はミチルを出した手で抑え、久志が投げて今は地面に突き立っていた剣の前で決意を固めたように言った。


 これで俺の覚悟はミチルにも伝わったはずだが、当の本人はというと飽き飽きしたと言わんばかりに鼻で笑うようにため息をしただけだった。


「それ、最初に言って……百二十回目」


 久志の決闘の誘いから、剣の前にいながら俺はおなじ言葉ばかりを繰り返していた。


 もはや立って待っているのにも疲れたミチルは久志の連れてきたメイドに、テントの下に設置されたテーブルに座しながらお菓子と茶を振る舞われていた。


 くそ、俺だってのど渇いたのに一人だけ!


 俺だって、まったくの微動だにしなかったというわけではないのだ。

 剣の周りを行ったり来たり、ぐるぐる回ってミチルとおなじように足だって痛い。


 テーブルにミチルが出した一枚の紙。それをびっしりと埋め尽くす『正』の字の固まりに俺は訊いた。


「なぜ数えている」

「暇だったから」


 いつになったら剣を抜くか。一分ごとに聞いてくるなと俺は腹の底で思ったが、はじめから数えていた。だったら。


「最初から暇だったのかよ」

「無理強いはしない。決断するのは開陽、僕はそれまで待つ」


 決闘するかは受けた側に采配があると言い切った久志。


「律儀な子ねぇ」


 そんな久志に感心したウケモチは、ミチルの向かいの席でカップを口に傾けた。


「強情なだけだろ。退屈だし、ウケモチさんと帰る、からな……」

「今日中に終わらないようだったらまた手紙で連絡するよ」


 席を立ったミチル達を引き止めようとする者は一人もいなかった。


 決闘の当事者を置いて、付き添い人はまさかの現地解散可。俺は声を上げた。


「薄情者! 俺はどうなるんだ!?」

「そうやって突っ立ってたら、なにもされない」


 お前も、そこから動けないけどな。猫背を震わせせせら笑ってきたミチル。


 相変わらず久志の寄越した剣を俺は抜けなかった。

 だがこっちの『伝家の宝刀』は抜けた。


「本気かよ、帰りやがったら……食堂でのこと、戻ってアイスとキヨに言いふらすからな!」

「!? ……し・ねッ!!」


 怒りを剥き出しにミチルは俺の死を心から願った言葉を贈った。


 久志に殺される命かもしれない俺を、最後はただただ罵倒しミチルはウケモチと本当に去っていった。


 俺達の友情が、争い、そして一杯の紅茶に負けた。


「……お考え直しください姫様!」

「今度は、一体なんだ……?」


 メイドに止められながら、一人の女性がミチルに泣き付いていた。


「共に彼を説得してください!」

「な、なんだお前……!?」


 わけがわからず、初対面の相手に肩を摑まれたミチルは目を回しているようだった。


 着込んだドレスが土で汚れるのもいとわず、ミチルを捕まえることに必死になる理由がなにやらあるような女は、不意に首を傾げると。


「どこかでお会いしませんでした?」

「し、しらん! お前のような猪女ッ!」

「猪、女……」


 ショックを受けた彼女の顔に、俺は先に思い出した。


「お、おまえ」


 そんな俺の様子に、ミチルも。


「いや。それでは伝わらんだろ」


 アヒルの動き、鳴き真似をしたミチル。


「あの時の鳥、あなただったんですね!」


 伝わった!


「その節は、お世話になりました……」

「こちらこそ」


 頭を下げ合うミチル、そして異世界の王女。

 なんの挨拶だよ。


 しかし。女性はやはり異世界の王女だった。


「止めたんじゃなかったのか」


 久志は王女に付いていたメイドを硬い表情と言葉で叱った。


「勇者様のお帰りがあまりにも遅く、私らどもの手には」


 メイド達は身を小さくし、弁明に適した言葉を選ぶように久志に陳謝を述べた。


 なんか、すみません……。


「勇者様、どうしてこんなことを!?」


 メイドに引き戻されながら感情を親友にぶつけた王女。

 女神の呪いがすっかり解けているようでよかった。


 しかしである。なにをそこまで久志に憤る必要が彼女にはあったのか。


「これは、僕だけの問題だ。強引についてきた君は、安全な場所にいてほしかった」


 久志も久志で真剣な面持ちで王女に返した。


 決闘の話は、どこにいった。まあ斬り合う必要がなくなったら俺としてはひと安心だが。


「一体なにがあなたをそこまで、魔王の城を無血開城したあなたは、だれよりも剣を振るって戦うのを嫌い、父である王をも説得させてみせたではありませんか!」


 王女の鬼気迫った表情。とても他人に対して向けるそれではない。


 異世界、しかも王女の心をこの短期間で掴むとはさすが久志。


 ……。ん?


「え、じゃあ……世界救われたの?」

「はい。あなたがだれかは存じませんか」


 王女はあっさりと認めた。

 そして俺の顔は、久志と日々を過ごした影響で完全に消えたらしい。

 あるいは異界の先で出遭った変態の顔を、魔法かなにかで意図的に抹消した。


「異世界に来て三日で、久志様は魔王との和平を成立させました。あ、あなた!」


 鋭い目付きで俺を警戒。

 会話から俺がだれか思い出した王女に、あの夜の寝室でのことをまた根に持たれた。


 俺からミチルを見た王女は話すように顛末を語った。


「魔族側の交渉もひとりでこなし、双方どちらの戦死者も出しませんでした」

「や。やるじゃん……」

「でもそうだったら、なんで軍をこっちの世界に派遣したんだよ。それに俺と、世界を賭けて決闘なんて」


 俺が疑問を口にするや否や、久志は剣を握ったままへたれ込んだ。


「もう、限界なんだ……こんなの、僕にはとても耐えられない!」

「……兄ちゃん……」


 久志が叫ぶとは思えない。告白は、魂の底から吐き出したようだった。


 異国の地で長く続いた戦争を終わらせようとし、気丈に振る舞っていながらも精神的に負担だったのだろう。


「辛かったんだな」


 こくり、力なく頷いた。


「ウォシュレットの付いたトイレで、僕は……用を足したいんだ!」

「そうか、そうか。ウォシュレットの付いたトイレで……ウォシュレット?」


 聞き間違いか?


「異世界じゃあ王宮でも、水道すらない汲み取り式だ!!」


 聞き間違いじゃなかった。


「我々は懸命に、我々の世界なりにもてなしました。もちろん、生活に不自由がないようにも。ですが久志様は我々の世界に窮屈さを感じはじめて。ですから、あなたを決闘で負かしこれを削銘殿と異世界側の政府との交渉のきっかけとして……強引にでもライフラインの変革を推し進めようと軍を動かしたのです」


 水洗トイレ。ウォシュレット。

 久志は溢れんばかりの恋しさを叫びながら何度も地面を殴り付けた。


 確かに異世界での生活とは聞こえはいいが。俺達は科学が最先端に発達した時代、そして世界に産まれた。


 中世ヨーロッパの生活水準に慣れず、精神的に追いつめられても無理はない。


「こ、これ」

「……なんだい……これ……ええ!?」


 話を聞いたミチルが久志に渡した。


 俺の沈黙タイムをカウントした紙の裏側を見た久志の身体は飛び上がった。


「水道を魔力で引く方法と、便器にウォシュレットが出る魔法陣を張る詠唱が記されているじゃないか!?」

「アニキの話を聴いただけで思い付いたってのか!?」

「自分が異世界に転生した際に備え、リリィ、私の護衛騎士と、術式を作った。音消しの音楽と、び、ビデもついてるゾ……」


 ピースサインをしたミチル。


「すげぇよミチルサマ! リリィも!」


 犬耳と尻尾を震わせた騎士は大興奮に姉妹の名前まで叫んでいた。


 あの騎士、リリィって名前だったのかよ。


「でも、こんな方法、受け入れてくれるかな」


 王女も久志を止めに来た。


 快適にトイレができるかはあくまで俺達のような人間の基準で、異世界人にとってはどうでもいい問題なのはその通りだろう。


 自分の提案が受け入れられないことを心配する久志にミチルは。


「私の、勇者の力を……忘れたか?」

「まさか、未来予知を……?」


 そーいやあったな、そんな設定!


「ありがとう! ありがとうミチル!」


 感激あまった久志にミチルは抱き着かれた。


「ひゃおぅ!!」

「離れろよ」


 リースが離れるよう諫めた。


「あんたには、心に誓った人がもういるだろう」


 照れる素振りの王女に、ミチルを放した。


「そうだった。開陽も。こんな再会にさせて悪かった」

「あんな風に、取り乱すこともあるんだな。俺こそ役目を押しつけたことを、ずっと謝れなかった。ごめん」

「……じゃあこれで、恨みっこなしだ」


 固い握手。

 久志も俺にああ言ったが。俺達の再会はいつも、どうしてこう大仰になるのか。


「お互い、大事なものをそれぞれの世界で守っていこう。僕は王女と、僕を守ってくれる騎士。彼女達にできた……新しい命を」

「戻ったら魔王のご息女との縁談も話し合わないとね」

「正妻の座を決めるってのも、決着はまだついてないからな!」


 おいおい。


「どうしたんだい、二人とも揃って生ぬるい笑顔なんか浮かべて」


 察しの悪かった久志に俺達は笑顔で息を合わせた。


「「リア充タヒね」」


 うん。


 やっぱり俺達には、これくらいの温度がちょうどいい。

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