10.将来の旦那様
逆さに印を刻んだ手許から溢れる妖気。
艶やかな笑みを浮かべたキヨの周りで亡霊の数は増え続ける。
「キヨは、ほとほと幸せ者にございます。咎める御方がいる……命を投げ出してまで」
街の蹂躙の進行具合に笑みが落ちたキヨの前に。
俺はミチルの護衛騎士と立ちはだかった。
「手筈、どおりにぃ……」
「ああ。それと、俺に命を捨てるつもりはないから。無理だと思ったら全力で逃げるんで、その前に折れてくれるとありがたいかな」
死んだら誰も得しない、あの糞女神以外は。
「情けない開陽様のお姿も惚れ惚れしますわ」
「一応でもこうして腹括って立ってるんだから、そこを強調してくれると!
「それはまだ、だって……今の開陽様には、不純物が混ざっているんですもの」
キヨは俺達に裏降三世印を構えた。
貪り、憎悪、記憶喪失の呪いの付与だったか。
「こわいもんはこわいんだよ!?」
叫んだ俺はミチルから習った智拳印で跳ねのけた。
「悲鳴をお上げになる割に、対策は万全ですのね」
裏馬口印で亡霊の獣性を強化。
ケダモノの本性で突進する悪鬼の群れを刀印で亡霊を消し飛ばした。
「い、いいぞっ……意外にも、対応できてる。やるな」
「意外にも、は余計だ……そして本当だから余計キツくなる!?」
対魔族妖術の法を指南したミチルの評価に堪らず俺は膝を折ってしまう。
「慣れない魔力が突然循環したから、身体に負荷がかかっているんです! いくらなんでも無謀ですこんなやり方ッ!」
街や人への被害が加速しないよう、亡霊を剣で食い止めていたアイスは歯がゆそうに喉を絞った。
「キヨのために、そこまで……ああ。開陽様……キヨのご主人様!!」
キヨの奴隷紋の輝きが増す。
「なんだよ、くそッ……!」
それがなにを意味しているのか本能的に悟った俺は歯を食いしばった。
魔に通じる能力を使った結果、俺は勇者として覚醒しつつあった。
キヨはそんな俺と、奴隷紋で繋がっている。俺が勇者に近付けば奴隷紋を通じてキヨも力が上がっていった。
それが、キヨは震えるほど幸せなことなのだ。
「開陽様に、どんどん相応しい女になっていく……」
「それはぁあ……ありえない、よぉお」
火照る顔を押さえるキヨ。
そんなキヨに、ミチルの護衛騎士は手を叩いた。
「しあわせなぁあ、ひとねぇ、え……」
煽られたキヨの青ざめた顔。まさに熱も引くというものだった。
キヨは開陽と今は『向かい合っている』。
勇者の隣にいるべきは奴隷の魔族ではなく騎士。
「え、えぐいこと考える、な……」
「なにすんの!?」
騎士が肩を当てに来たので俺は逃げた。
これにはミチルも戦慄し内心を呟かせた。
「作戦、どおりぃい」
こんなの打ち合わせになかったが!?
「あとなにナチュラルに手の内曝してんですが!」
キヨは……ああ、大丈夫そうだ。
「開陽様の、となり……取られちゃった。取り返さなくちゃ。取り返さなくちゃ。と、と、ととと……ととととと」
あ。
「あ。やりすぎたぁあああ……」
「妹がおバカでごめんなさい!!」
頭の蜘蛛足の髪が逆立っていた。
流した血の涙が振り上げた出刃包丁に落ちて、赤黒く煌めき出した。
全ての亡霊をミチルの護衛騎士ひとりに差し向けたキヨ。
魔法を起動させ、俺の手を引き周囲の鬼を蹴散らし気怠そうに往く護衛騎士。
「圧倒的な力の差ぁぁあ……見せつけてぇ、開陽の見ているまえで、敗北させて、あげるぅうう」
その宣言に、ついに包丁を手に突撃した。
展開した防御魔法を最初の一振りで破壊したキヨに、散々に煽ったミチルの護衛騎士も目を見開いた。
「もうどいて、そこはキヨの!」
「いい加減、とまれ!」
やっと作戦通り。
盾になった俺は掌を切られた。
驚きに、主を傷付けた罪の意識が混じったなんとも言えない表情で仰向けに倒れたキヨの胸の奴隷紋を血で濡れた指でなぞった。
「開陽、と、となえろ……!」
「この者を縛る我が鎖を、契約の血を以て断つ!!」
奴隷契約の解呪の呪文を唱えた。
「やめて、やめッ……いやぁああああああ!!」
激しく抵抗したキヨから。
記憶が俺に逆流した。
奴隷市場に売られた魔族の娘。
それを、勇者として転生した一人の男が救う未来の記憶だった。
〇〇〇
故郷を焼かれた鬼の姫。
特殊な性癖を持つ貴族の男共に苛まれて銅貨三枚の価値しかない。
「勇者様なら割引も利きますよ? 銅貨一枚……勇者様もアレ目的で買うでしたら」
檻の鍵を見せびらかし笑った奴隷商に。
勇者は女神に貰った手持ちの金貨を全て払った。
「これ、なんかの冗句で?」
「君の一族を滅ぼしたという貴族は、ほかでも悪事を働いていてね。この金で貴族の情報が欲しかったんだ」
睨み付け奴隷商を追い出した勇者は檻を開け、足の鎖を引きずり出てきた奴隷に呪いをかけた。
「これで俺の魔力が流れ、君を癒し守ってくれる」
刻まれたら最後、魔族としての誇りをすべて奪われるだろう。
そう父であり長である魔族から聞かされ、時が来れば死を選べと教え込まれていた姫に抵抗する力はとうになく、奴隷紋を刻む火傷の痛みに怯えた。
だが、痩せたその顔は痛がりながらも嬉しそうに笑っていた。
「今のが」
「女神に見せてもらった、開陽様とキヨの出逢いです」
意識が戻った俺が尋ねた。
「女神が現れた時、おなじ紋章をキヨに刻みました。貴族の家で襲われている間も、この記憶を頼りに精神が壊れずに済んだんです」
「だけどそれって」
未来を見せしばらく放置した。
俺を異世界に連れてくるよう忠誠心を植えようとした。あの女神の考え付きそうなやり方だ。
「身体が」
目を閉じたキヨの身体は淡く光り出した。
奴隷紋が消えこの世界に留まる力を失った。間もなく異世界に戻される。
「これを狙って、わざとキヨに攻撃させたのですか……?」
「驚いたのはぁあ、ほんとう」
そうだ。
作戦だと、もっと攻撃させ冷静さを欠いたタイミングで結界を解くつもりだった。
「一回で破壊されて、本気で焦ったよ。君は元の世界に戻っても、自力で運命を選べるくらい強い。それに」
「そんな顔を、なさらないで。ご主人様の意を無視した……キヨは、この世界から消えるべき存在……こんな奴隷に罪悪感なんて」
「抱くよ、弱いのは……俺の方だ……!」
キヨに手を切られに行ったのは、自分や護衛騎士に切られる勇気がなかった。
ほんの指の先を切って血を流すのも怖い俺は、キヨが視た勇者ではない臆病者だった。
キヨを殺したくないのは事実。
異世界に戻った彼女はどうなるのか。故郷もなく、勇者不在でいつか滅ぶ世界で。
下半身が消えたキヨ。
「じゃあ……最後にわがまま、聞いてくれますか? 奴隷紋を刻んでください」
「今さら刻んでも」
「無駄でしょう。ただ、異世界に戻って、開陽様といた確固とした証が欲しいんです」
「……ごめん、君が未来で会うはずだった勇者を、奪って」
解呪に使った血で奴隷の印をキヨに書いた。
すると、奴隷紋を開陽が刻むと消滅が止まった。腰から下も元通りになっている。
「状況から察するに、魔力を基にした奴隷紋が効力を発し、彼女をこの世界に繋ぎ止めたみたいだ」
「久志兄ちゃん?」
自身の護衛騎士と避難誘導を行って無事だった久志は肩を竦めていた。
「これが君の狙い……じゃあないみたいだ」
キヨの顔は本心から驚いていた。
「まさか」
俺に奴隷紋の仕組みを吹き込み、最初からすべてを知っていた顔をしていた護衛騎士に俺は詰め寄った。
アイスとミチルは唖然と焦りが混ざったような顔をしているし。
俺はというと。
「消えなくて、ほっとしたような顔をしているよぉお?」




