第4話:漏れ出す力と世界の拒絶
フォルト村を後にしてから、俺たちの旅は一層慎重さを要するものになった。
人のいる集落を避け、街道からも外れ、獣道や森の中を選んで進む。エリアは、なぜ急にそんな旅路になったのか、不安そうに尋ねてきたが、俺は「追っ手が来る可能性がある」とだけ伝えて誤魔化した。
本当の理由は、口が裂けても言えなかった。
お前の存在そのものが、災厄を振りまいているからだ、などと。
しかし、隠し通せるものではなかった。エリア自身が、自分の身に起きている変化に気づき始めていたからだ。
ある日のことだった。
休憩のために立ち寄った小さな泉で、エリアが水を飲もうと手を差し伸べた。その瞬間、澄み切っていた水面が、インクを垂らしたように微かに黒く濁った。
「……あ」
エリアの小さな息を呑む音が、静かな森に響いた。彼女は弾かれたように手を引っ込め、恐ろしげに自分の手と泉を交互に見つめている。
「り、リアンさん……今、の……」
「……気のせいだろ」
俺は平静を装って答えたが、エリアは首を横に振った。
「いいえ……気のせいじゃありません。村でも、そうでした。私が近づくと、花が……萎れて……」
その声は、震えていた。
フォルト村で、彼女は気づいていたのだ。自分に向けられる人々の敵意の理由を。そして、その原因が自分自身にあることも。
彼女の純粋な心は、自分の力が周囲に与える悪影響を、敏感に感じ取ってしまうらしい。
その夜、焚き火を囲みながら、エリアはぽつりと呟いた。
「私はやっぱり、魔王なんですね……」
その横顔は、昼間見た時よりもずっと青白く、弱々しく見えた。俺は言葉を探したが、気の利いた慰めの言葉など、一つも思い浮かばなかった。俺は勇者で、これまで敵を斬ることしかしてこなかったのだ。
「私が生きているだけで、世界を傷つけてしまう……。こんなことなら、やっぱり、あの時リアンさんに斬ってもらえばよかった」
「馬鹿なことを言うな」
俺は、思わず強い口調で遮っていた。
「お前は何も悪くない。悪いのは、お前にそんな力を押し付けた先代の魔王だ」
「でも、現にこうして……!」
感情が昂ったせいか、エリアが激しく咳き込み始める。ケホッ、ケホッ、と空咳が続き、その小さな背中が痛々しく波打った。
瞬間、俺たちの周りで異変が起きた。
焚き火の炎が、不吉な紫色に揺らめいた。地面から生えていた草が、見る見るうちに黒く変色し、枯れていく。近くの木々がざわめき、まるでエリアを拒絶するかのように枝を震わせた。
これが、彼女の力の正体。
本人の意思とは無関係に、感情の波に呼応して漏れ出す、制御不能な破滅の力。世界そのものが、彼女という「異物」を排除しようと軋みを上げているかのようだ。
「……ひっ……」
エリアは、自分の力が引き起こした現象を目の当たりにし、恐怖に顔を引きつらせた。そして、俺から距離を取るように、後ずさる。
「ち、近寄らないで……! リアンさんまで、私のせいで……!」
「落ち着け、エリア!」
俺は彼女の肩を掴もうと手を伸ばすが、エリアはそれを振り払った。
「嫌……! 嫌です! 私は、誰も傷つけたくない……!」
パニックに陥った彼女の体から、さらに強い魔力の波が迸る。風が荒れ狂い、周囲の空間がビリビリと震えるのが分かった。
まずい。このままでは、彼女自身の魔力が暴走し、自滅しかねない。
俺は躊躇を捨て、無理やり彼女の体を抱きしめた。
「……っ!?」
腕の中で、エリアの体がびくりと硬直する。
「聞け、エリア」
俺は、できるだけ穏やかな声で、彼女の耳元に語りかけた。
「お前の力は、確かにお前のものじゃないかもしれない。だが、お前の命は、お前自身のものだ。それを、他人の都合で終わらせていい理由にはならない」
震える彼女の背中を、ゆっくりと撫でる。
「俺が、そばにいる。お前の力が暴走しそうになったら、俺が止めてやる。だから、何も恐れるな」
俺の言葉に、どのような力があったのかは分からない。
ただ、腕の中で暴れていたエリアの体の力が、少しずつ抜けていくのが分かった。荒れ狂っていた魔力の波も、次第に凪いでいく。
やがて、俺の胸に顔をうずめたまま、エリアのしゃくり上げるような泣き声が聞こえてきた。それは、ずっと一人で恐怖と絶望に耐えてきた少女の、初めての慟哭だった。
俺は、ただ黙って、彼女の小さな背中をさすり続けた。
この旅が、単なる逃避行ではないことを、この時、俺ははっきりと悟った。
これは、世界から拒絶された少女の心を、俺が守り抜くための戦いの旅なのだと。
その夜、エリアはひどい熱を出した。
魔力を消耗し、精神をすり減らした当然の結果だった。
彼女の荒い寝息を聞きながら、俺は自分の無力さを噛み締めていた。
俺は最強の勇者だ。だが、この少女一人を、病と孤独から救ってやることすらできない。
夜明けの空が白み始めた頃、俺は一つの決意を固めた。
このままでは、エリアの体も心も持たない。彼女の苦しみを和らげる方法を探さなければならない。
確か、この先の森の奥深くに、あらゆる知識を持つと言われる「賢者」が住んでいるという話を、旅の途中で聞いたことがあった。
俺は眠るエリアの体を慎重に背負い、まだ薄暗い森の中を、東へと向かって歩き出した。




