第19話:届かぬ声、届いた温もり
紫色の魔力が荒れ狂う嵐の中を、俺は突き進んだ。
肌を焼くような魔力の奔流が、俺の体を絶え間なく打ち付ける。聖剣から放つ聖なる力で障壁を展開していなければ、一瞬で塵と化していただろう。
「エリア! 目を覚ませ!」
俺は叫び続けた。だが、嵐の中心に立つエリアには、その声は届いていない。彼女の瞳は虚ろなままで、ただ無差別に破壊を振りまき続けている。
その姿は、痛々しいほどに孤独に見えた。
自分の制御できない力の中で、たった一人で溺れている。
「小賢しい真似を!」
背後から、ギルヴァレスが追ってくる気配がした。奴もまた、エリアを止める(・・・・・)ために、この嵐に飛び込んできたのだ。もちろん、その目的は俺とは全く違う。
俺が先に、エリアの元へ辿り着かなければ。
俺は最後の力を振り絞り、嵐の中心――エリアの目の前へと躍り出た。
「エリア!」
俺がその名を呼んだ瞬間、エリアの動きが、ほんのわずかに止まった。
その虚ろな瞳が、一瞬だけ、俺を捉えたような気がした。
だが、それも束の間。彼女は、まるで敵を認識したかのように、その小さな手を俺に向けた。
掌に、圧縮された魔力が、紫色の光球となって収束していく。
「……殺……ス……」
エリアの唇から、初めて、はっきりとした言葉が紡がれた。
それは、憎悪と破壊の本能に染まった、魔王としての言葉。
俺の胸が、鋭い刃で貫かれたように痛んだ。
だが、俺は聖剣を構えなかった。
斬ることは、できない。
この少女を、俺の手で傷つけることだけは、絶対に。
俺は、覚悟を決めた。
聖剣を手放し、両腕を広げる。
完全に、無防備な姿で。
「……リアンさん……?」
俺の行動が、暴走する彼女の心にかすかな揺らぎを生んだのかもしれない。エリアの瞳に、ほんの一瞬だけ、元の理性の光が宿った。
だが、一度放たれようとしている力は、もう止められない。
紫色の光球が、俺の胸めがけて、放たれた。
「――それでいい、エリア」
俺は、静かに目を閉じた。
死を覚悟した俺の脳裏に、これまでの旅の記憶が、走馬灯のように駆け巡る。
初めて会った時の、怯えた瞳。
リンゴ飴を頬張った、無邪気な笑顔。
温かいスープを飲んで、幸せそうに流した涙。
短い、あまりにも短い時間だった。
だが、俺の空っぽだった人生を、確かに満たしてくれた時間だった。
こいつを守れたのなら、それでいい。
衝撃を、待った。
しかし、いつまで経っても、俺の体を破壊の光が貫くことはなかった。
恐る恐る目を開けると、信じられない光景が広がっていた。
俺の目の前で、エリアが俺をかばうように、背を向けて立っていたのだ。
彼女が自ら放ったはずの魔力の光球は、彼女自身の小さな背中に吸い込まれるようにして、消滅していた。
「……ぐ……ぅ……!」
エリアの体が、ぐらりと傾ぐ。
暴走していた紫色のオーラが、嘘のように霧散していく。
彼女は、最後の最後で、自らの意志の力で、暴走をねじ伏せたのだ。
俺を、傷つけないために。
「……エリア!」
俺は、崩れ落ちる彼女の体を、慌てて抱きしめた。
腕の中のエリアは、糸の切れた人形のように、ぐったりとしている。その体は、まるで燃え尽きた炭のように、熱く、そして脆くなっていた。
「……リアン……さん……」
か細い声が、俺の名を呼ぶ。
「……よかった……。怪我……なくて……」
そう言って、彼女は安心したように、ふっと微笑んだ。
それが、彼女の意識の限界だった。
エリアは、そのまま俺の腕の中で、静かに目を閉じた。
「エリア! おい、しっかりしろ! エリア!」
俺は何度も彼女の名を呼んだが、もう返事はなかった。
ただ、かろうじて、弱々しい呼吸だけが続いている。
「チッ……! 土壇場で理性を……! 面倒な小娘め!」
背後で、ギルヴァレスが忌々しげに舌打ちする音が聞こえた。
俺は、意識のないエリアを抱きしめたまま、燃えるような怒りの瞳で、ギルヴァレスを睨みつけた。
「……貴様だけは」
俺の口から、自分でも驚くほど、冷たい声が出た。
「貴様だけは、俺がこの手で、塵も残さず消し去ってやる……!」
聖剣が、俺の怒りに呼応するかのように、黄金の光を激しく放ち始めた。
勇者としてではない。
ただ、愛する者を傷つけられた、一人の男として。
俺の心は、生まれて初めて、純粋な殺意に満たされていた。




