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【三作目・全55話投稿予約済み】最強勇者の俺、倒すべき魔王が余命一ヶ月の少女だったので、看取ることにした  作者: 立花大二
第1章:看取る決意と旅の始まり

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第1話:最強の勇者、最後の敵

 どれほどの時間を、この旅に費やしただろうか。

 故郷を捨て、仲間と出会い、そして別れ、数え切れぬほどの魔物を斬り伏せてきた。そのすべては、この瞬間のためにあった。


 勇者リアンは、目の前にそびえる巨大な扉を見上げていた。黒曜石を削り出したかのようなその扉には、禍々しい紋様が刻まれている。世界のあらゆる悪意と絶望を練り固めたような、魔王城の玉座へと続く最後の扉だ。


 ここまで辿り着くのに、多くのものを失った。背負った人々の希望は、いつしか鉛のように重い義務へと変わっていた。それでも、歩みを止めることは許されない。俺が、勇者だからだ。


「……終わらせる」


 誰に言うでもなく呟き、リアンは扉に手をかけた。想像を絶する重さも、呪いの類もそこにはない。ただ、長い間開かれていなかったことを示すように、軋んだ音を立ててゆっくりと開いていく。


 隙間から漏れ出すのは、淀んだ魔力と、そして――薬草を煎じたような、微かな匂い。

 リアンは眉をひそめた。魔王の間に満ちているべき匂いではない。訝しみながらも、彼は躊躇なく中へと足を踏み入れた。


 玉座の間は、想像していたよりもずっと静かだった。

 天井は高く、ステンドグラスには歴代魔王の禍々しい姿が描かれている。しかし、床には埃が積もり、豪華であるはずの調度品は白布で覆われていた。まるで、主を失って久しい廃墟のようだ。


 そして、その中央。

 部屋の広さには不釣り合いなほど巨大な玉座に、それはちょこんと座っていた。


「…………子供?」


 リアンの口から、思わず声が漏れた。

 玉座にいたのは、世界を恐怖に陥れる魔王ではなかった。年の頃は十六か、十七か。色素の薄い金色の髪を長く伸ばした、痩せた少女が一人、そこに座っていたのだ。

 着ているのは、魔王の威厳を示す豪奢なローブではなく、質素な白いワンピース。その小さな体で、あまりに巨大な玉座を持て余しているように見える。


 少女は、リアンの存在に気づくと、びくりと肩を震わせた。その大きな紫色の瞳が、恐怖と、そしてどこか諦めに似た色をたたえて、まっすぐにリアンを見つめている。


「……あなたが、勇者様、ですか?」


 か細く、鈴を転がすような声だった。しかし、その声には生気が感じられない。

 リアンは警戒を解かず、腰の聖剣に手をかけたまま、ゆっくりと距離を詰める。


「いかにも。俺が勇者リアンだ。貴様が、この世界の災いの元凶、魔王か」

「……はい。私が、今の魔王、です」


 少女はこくりと頷いた。その拍子に、ケホッ、と乾いた咳を漏らす。口元を押さえた指は、病人のように白く、細かった。


 リアンは困惑していた。目の前の少女からは、確かに膨大な魔力を感じる。それは紛れもなく、世界を歪めるほどの強大な力だ。

 だが、それだけだった。憎悪も、悪意も、敵意も感じられない。ただ、巨大な力の器が、中身の重さに耐えきれず、今にも壊れそうに軋んでいる。そんな印象だった。


「……何故、抵抗しない。なぜ、配下の魔物を呼ばない」

「配下なんて、もう誰もいません。みんな、私を見捨てて、どこかへ行ってしまいましたから」


 少女は寂しそうに微笑む。

「それに、抵抗なんて、できません。私は……この玉座から、もう一人で立つこともできないんです」


 その言葉を証明するように、少女は少しだけ身じろぎをしたが、すぐに苦痛に顔を歪めて動きを止めた。


 何かがおかしい。

 リアンは聖剣〈アルティウス〉を鞘から引き抜いた。黄金の輝きを放つ聖なる剣。魔を滅するために鍛えられたこの剣は、邪悪な存在を前にすれば、その輝きを増すはずだった。


 しかし、聖剣は静かな光をたたえるだけだった。

 目の前の少女を「悪」だと認識していない。ただ、そこにある膨大な「魔力」そのものに反応しているに過ぎない。


 リアンは、初めて感じる事態に、剣を握る手に力がこもる。

「……貴様は、何者だ。なぜ、魔王になった」


 問いかけると、少女は少しだけ遠い目をした。

「私の名前は、エリア。ただの村娘でした。……偶然、先代の魔王様が封印されていた遺跡に迷い込んで、それで……無理やり、この力を押し付けられたんです」


 彼女の体は、魔王の力の器にされただけ。その強大すぎる力に適合できず、魂と生命力を内側から喰い荒らされている。リアンの目にも、それがはっきりと分かった。


「この力のおかげで、私の命は、あと一ヶ月くらい、だそうです」


 エリアは、まるで他人事のようにそう告げた。

「だから、いいんですよ、勇者様。私を、斬ってください。それで世界が救われるのなら、その方がずっといい。もう、苦しいのは、嫌ですから」


 彼女はそう言うと、そっと目を閉じた。長い睫毛が、白い頬に影を落とす。

 覚悟を決めたその姿は、あまりに儚く、そして美しかった。


 リアンの旅は、ここで終わるはずだった。

 この少女を斬れば、世界は救われる。人々は勇者を称え、平和が訪れる。それが、リアンが背負ってきた義務であり、唯一の目的だった。


 リアンは聖剣を振り上げた。

 黄金の刃が、エリアの細い首筋にかかる。

 あとは、振り下ろすだけ。感情を殺し、これまで幾度となく繰り返してきた行為を、ただ、実行するだけだ。


 ――だが。


 リアンの腕は、震えていた。

 剣が、重い。ただの鉄塊のように、重い。

 目の前の少女を「倒すべき敵」として、どうしても認識することができなかった。


 長い、長い沈黙が流れる。

 やがて、目を開けたエリアが、不思議そうにリアンを見上げた。その紫色の瞳には、困惑の色が浮かんでいる。


「……勇者様?」


 その声に、リアンは我に返った。

 彼は、振り上げた聖剣を、ゆっくりと、鞘へと納めた。

 カチン、と金属の澄んだ音が、静まり返った玉座の間に響き渡った。


「……貴様を斬るのは、やめた」

「え……?」


 エリアが驚きに目を見開く。

 リアンは、そんな彼女に向き直ると、静かに告げた。


「代わりに、お前の最後の願いを聞いてやる。死ぬ前に、やりたいことはあるか」


 それは、勇者としてではなく、一人の人間として、リアンが初めて自分の意志で下した決断だった。

 最強の勇者の旅は、この日、終わりを告げた。

 そして、新たな旅が、今、始まろうとしていた。

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