第65話 声をかける日と、ひとつ増える席
朝、空は白くやわらかかった。
雲が広がり、光が均一に落ちている。
冷えはあるが、静かだ。
台所で湯を沸かす。
火の音が、今日も同じように広がる。
味噌桶の蓋を開けると、匂いが落ち着いている。
縁側に出る。
坂の上と下を、ゆっくり見る。
少しして、戸の音。
佐伯さんが外に出てくる。
いつものように、こちらに気づく。
「おはようございます」
「おはよう」
坂を少し上がってくる。
足取りは、もう迷っていない。
縁側の前で止まる。
今日は、少しだけ間がある。
「座ってもいいですか」
「どうぞ」
いつもの席に座る。
板の冷たさにも慣れている。
タマが足元に来て、丸くなる。
みーちゃんは少し離れた位置。
沈黙が落ちる。
風が通る。
雲は動かない。
私は、少しだけ考える。
そして、言葉を出す。
「お茶、飲みますか」
自分でも少し驚く。
佐伯さんが、顔を上げる。
「いいんですか」
「あります」
短く答える。
戸を開ける。
家の中の空気が、外に少し流れる。
佐伯さんが靴をそろえて入る。
動きが自然だ。
居間へ案内する。
炬燵。
湯気。
いつもの場所。
今日は、席がひとつ増える。
湯を注ぎ、湯飲みを二つ置く。
湯気がゆっくり立ち上がる。
佐伯さんが両手で湯飲みを持つ。
「温かいですね」
「温かいです」
それだけでいい。
タマが炬燵の中から顔を出し、
少しだけ位置をずらす。
みーちゃんは縁側の方にいる。
「こういう時間、いいですね」
佐伯さんが言う。
「いいですね」
同じ言葉が、少しだけ重なる。
外は静か。
音は少ない。
でも、家の中には、
二人分の時間がある。
しばらく何も言わない。
でも、何も足りない感じはしない。
「前は、こういうの苦手でした」
ぽつりと佐伯さんが言う。
「どんな」
「誰かの家で、こうして座るの」
少しだけ笑う。
「今は?」
「大丈夫です」
その答えに、頷く。
「よかった」
それだけ言う。
湯気がゆっくり消える。
席が、ちゃんとできている。
少しして、佐伯さんが立ち上がる。
「ありがとうございました」
「どうぞまた」
戸を開けると、冷えた空気が戻る。
坂を下りていく背中。
縁側に戻る。
みーちゃんが言う。
「招いたな」
「うん」
席は、自然にできるものではなかった。
声をかけることで、
ひとつ、増えるものだった。
冬の家に、
またひとつ、
人の温度が置かれた。




