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第62話 前にいた場所と、ここにいる理由

朝、空は低く曇っていた。

 光は弱いが、冷えは少しやわらいでいる。

 雪は降らない。


 台所で湯を沸かす。

 火の音が、静かに広がる。

 味噌桶の蓋を開けると、匂いがいつも通りに立つ。


 縁側に出ると、坂の下で戸の音。

 佐伯さんが外に出てくる。


 少しして、こちらに気づく。


 「おはようございます」

 「おはよう」


 間を置かずに、坂を上がってくる。

 縁側の前で止まる。


 「座ってもいいですか」

 「どうぞ」


 もう、迷いはない。


 縁側の端に座る。

 板の冷たさにも、慣れてきている。


 タマが足元に来て、丸くなる。

 みーちゃんは少し離れた位置。


 少し沈黙。

 冬の音が、薄く流れる。


 佐伯さんが、ゆっくり口を開く。


 「前、どこにいたんですか」


 問い方が、慎重だ。


 「東京です」


 それだけ答える。


 「やっぱり」

 少し納得した顔。


 「なんとなく、そんな感じがしました」


 風が通る。

 縁側の板が、かすかに鳴る。


 「どうして、ここに」


 同じように、ゆっくりした問い。


 少しだけ考える。


 「疲れてたんだと思います」


 嘘ではない。

 でも、全部でもない。


 佐伯さんはうなずく。


 「自分も、似たような感じです」


 その言葉が、静かに落ちる。


 「仕事、やめて」


 少し間。


 「何も分からなくなって」


 声は小さいが、揺れていない。


 去年の自分の中に、同じ形がある。


 「それで、ここに」


 「はい」


 それ以上の説明はない。

 でも、十分だった。


 タマが寝返りを打つ。

 布団の中で、温度が動く。


 「ここ、どうですか」


 少しだけ、こちらから聞く。


 佐伯さんが空を見る。


 「最初は、静かすぎて」


 少し笑う。


 「でも、今は」


 言葉を探すように、少し止まる。


 「落ち着きます」


 その言葉が、ゆっくり残る。


 「そうですね」


 短く返す。


 みーちゃんが、縁側の端で動く。


 「来たな」

 小さく言う。


 「うん」


 声に出さずに、心の中で返す。


 佐伯さんは気づかない。


 風が止む。


 静けさが、形になる。


 「無理に何かしなくてもいいの、いいですね」


 ぽつりとした言葉。


 「いいですね」


 それだけで、十分だった。


 少しして、佐伯さんが立ち上がる。


 「話して、楽になりました」


 「それはよかった」


 坂を下りていく背中。


 昨日より、少しだけまっすぐだ。


 縁側に残る静けさ。


 みーちゃんが言う。


 「同じじゃな」


 「少し違う」


 そう答える。


 同じ形の理由でも、

 立っている場所は違う。


 それでも、

 並べることはできる。


 冬の村に、

 少しだけ、

 言葉が深く落ちた。

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