第56話 焦げた匂いと、冬の台所
昼前、空気の中に少しだけ違う匂いが混じった。
雪の匂いでも、薪の匂いでもない。
もっと身近で、少し慌てた匂い。
台所で味噌を溶いていると、
外から小さな物音が聞こえる。
鍋の蓋がぶつかる音。
戸が開いて、閉まる音。
そして、もう一度。
焦げた匂い。
「やったな」
みーちゃんが縁側で言う。
「隣?」
「隣じゃ」
私は味噌汁を弱火にして、外を見る。
隣の家の窓から、うっすら煙が出ている。
危ないほどではない。
でも、明らかに料理の匂いだ。
少しして、隣の戸が開く。
若い人が鍋を持って外に出てくる。
鍋の底を見て、肩を落としている。
「大丈夫?」
声をかけると、若い人が驚いた顔をする。
「あ……すみません」
「謝ることじゃないよ」
鍋を覗く。
大根と味噌。
底が、少し黒い。
「火、強かった?」
若い人がうなずく。
「止めるタイミング、分からなくて」
その言葉に、少し懐かしい気持ちになる。
去年の冬、似たことをした。
「火、ゆっくりでいいんです」
「弱く?」
「最初は強くても、途中で弱く」
鍋の中身を混ぜる。
焦げは底だけ。
上はまだ食べられる。
「まだ大丈夫ですよ」
若い人が少し安心した顔をする。
「本当に?」
「大丈夫」
鍋を持って家の中へ戻る。
炬燵の匂いと混ざり、台所が温かくなる。
「味噌汁ですか」
「はい。さっき教えてもらったので」
湯を少し足す。
味噌をほんの少しだけ足す。
ゆっくり混ぜる。
「焦げた匂い、取れますかね」
「完全には取れないです」
若い人が少しだけ困った顔をする。
「でも、冬の味になります」
その言葉に、若い人が笑う。
「そんな味あるんですか」
「あります」
鍋を返す。
今度は、ちゃんと温かい匂いだ。
若い人が戸口で振り返る。
「今度、ちゃんと作ります」
「失敗もちゃんとです」
それだけ言う。
隣の家に戻る足音が、少し軽い。
縁側に戻ると、みーちゃんが座っている。
「焦げたな」
「少し」
「よい」
短い答え。
炬燵に入ると、タマが動く。
温度の中心を選び、また丸くなる。
冬の台所は、
少し焦げても、
ちゃんと温かい。
失敗の匂いも、
この村では、
暮らしの音だった。




