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第54話 小さな祠と、知らない距離

朝、空が淡く明るかった。

 雪はないが、冷えはしっかり残っている。

 冬の空気は、遠くまで見通せる。


 台所で湯を沸かしながら、外を見る。

 隣の家の若い人が、庭のあたりを歩いていた。

 歩き方がまだ落ち着かない。

 土地を確かめる足だ。


 「動いておるな」

 みーちゃんが縁側から言う。

 「慣れようとしてるんだね」

 「場所を覚える足じゃ」


 朝食のあと、縁側で湯を飲む。

 冷えた空気の中で、湯気が真っ直ぐ上がる。


 隣から声がする。


 「すみません」

 振り返ると、若い人が坂の方を指していた。

 「この先、ちょっと行ってもいいですか」

 「どうぞ」

 道は誰のものでもない。


 若い人は、ゆっくり坂を上がる。

 しばらくして、足が止まる。


 祠の前だった。


 私は少し遅れて歩く。

 霜が、ぱき、と鳴る。


 若い人が祠を見上げている。

 小さな屋根、石の台。

 雪も霜も、ここでは形を崩さない。


 「これ、神社ですか」

 「祠です」

 「昔からあるんですか」

 「あります」

 それ以上の説明は、要らない。


 若い人が近づき、しゃがみ込む。

 石の表面をじっと見ている。


 「なんか……落ち着きますね」

 その言葉が、少し嬉しい。


 みーちゃんが、祠の横に座る。

 いつも通りの顔で、何も言わない。


 若い人が猫に気づく。


 「この子、よくここにいるんですね」

 「そうですね」

 嘘は言っていない。


 少し風が通る。

 鈴の紐は、今日は動かない。


 「お参りとか、するんですか」

 若い人が聞く。


 「する人もいます」

 「しなくてもいい?」

 「いいと思います」

 その答えに、若い人は少し安心した顔をした。


 「でも、ここ好きです」

 その一言で十分だった。


 しばらく三人で立つ。

 祠の前は、言葉が少なくていい場所だ。


 やがて若い人が立ち上がる。


 「教えてくれてありがとうございます」

 「何も教えていません」

 本当だった。


 若い人は坂を下りていく。

 足取りは、さっきより軽い。


 「気づいたな」

 みーちゃんが言う。


 「何を」

 「場所の呼吸」

 それは、言葉では説明できないものだ。


 祠の前に、足跡が三つ並ぶ。

 私と、若い人と、猫。


 冬の空気の中で、

 その並びが、少しだけ自然になっていた。

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