第38話 初雪の重さと、足音のない朝
目を覚ましたとき、音がなかった。
遠くの車も、鳥の声も、風の気配も。
代わりに、光だけが窓辺に溜まっている。
障子を開けると、白かった。
庭も、屋根も、祠のまわりも。
すべてが同じ色で、境目をなくしている。
「……降ったね」
「触れる雪じゃ」
みーちゃんは縁側に座り、外を見ていた。
タマは一歩も外に出ず、家の内側から白を眺めている。
縁側に出る。
板の端に、雪が薄く積もっている。
足を置く前に、一瞬ためらう。
「踏んでいい?」
「よい」
「昨日は触れない日だったのに」
「今日は、残す日じゃ」
意味が、すぐに分かった。
足を下ろす。
きゅ、と小さな音。
足跡が、はっきり残った。
初霜の朝とは、違う。
壊れる音ではなく、重さを確かめる音だった。
台所で湯を沸かす。
火の音が、いつもより頼もしい。
味噌桶に触れると、木が静かに冷えている。
「寒いね」
「寒さに、慣れる日じゃ」
「慣れられるかな」
「慣れぬままでも、生きられる」
それは、励ましでも正論でもなかった。
朝食の湯気が、なかなか消えない。
雪の日は、家が湯気を手放さないらしい。
食後、外を見る。
雪は細かく、静かに続いている。
道も、足跡がまだない。
「誰も歩いてないね」
「最初の人がおる」
「私?」
「そのつもりなら」
みーちゃんは、強制しない。
上着を羽織り、庭に出る。
膝までの長靴が、雪に沈む。
一歩進むたび、音が消えていく感じがした。
祠の前まで歩く。
白の中で、祠だけが形を保っている。
「こんにちは」
小さく言う。
返事はない。
でも、空気が動いた。
足跡は、祠まで続き、
そこで止まっている。
帰り道は、まだ白いままだ。
家に戻ると、タマが不満そうな顔をしていた。
冷えた足元に、身体を擦りつけてくる。
「冷たい?」
返事はない。
でも、温度は伝わってきた。
昼前、雪は止む。
空が少しだけ青を見せる。
白は、すでに重さを持っていた。
「溶けるかな」
「今日は残る」
「明日は?」
「分からぬ」
それで十分だった。
夕方、足跡の縁が丸くなる。
白が、形を覚え直している。
風鈴は鳴らない。
でも、音のない静けさが、
家の中まできちんと届いていた。
初雪は、
優しくもなく、
厳しくもなく。
ただ、ここにあるものを
はっきりさせていた。
足跡と、家と、
そして、ここに立つ理由。
それだけで、
十分な朝だった。




