第37話 しまう手と、残すもの
朝の冷えが、前日より少しだけ長く残った。
陽が出ても、庭の端は白っぽいまま。
音は増えない。
季節が、歩幅を揃えにきている。
縁側に出ると、板は冷たいが滑らない。
みーちゃんは祠の方角を背に、静かに座っている。
タマは毛づくろいを途中でやめ、外を見ていた。
「今日は何する?」
「しまう」
「何を?」
「要らぬもの」
要らぬ、という言い方がやさしかった。
午前中、押し入れを開ける。
夏の名残が、布に包まれて眠っている。
薄い敷物、扇風機のカバー、風鈴の箱。
ひとつずつ、埃を落とす。
「全部、仕舞う?」
「残すものは残す」
「基準は?」
「主が、迷わぬもの」
迷わない。
それが、分かるようになってきた。
風鈴は箱に戻さず、戸の内側に掛け替えた。
鳴らなくていい。
そこにあるだけで、季節のしるしになる。
タマが箱の角に鼻を当てる。
興味がないと分かると、すぐに離れた。
猫の判断は、速い。
昼前、祖母の箪笥を少し整理する。
奥に、古い手袋が一組。
片方だけ、縫い直した跡があった。
「直して使うって、面倒じゃなかったのかな」
「面倒でも、残したかったのじゃろう」
「それ、分かる気がする」
声にすると、納得が増えた。
昼食は簡単に済ませる。
湯気が、いつもよりありがたい。
囲炉裏は起こさない。
今日は、触れない日。
午後、庭をひと回り。
枯れた枝を拾い、石の位置を直す。
整えるほどではない。
躓かない程度に。
祠の前で立ち止まる。
鈴の紐はそのまま。
音を足さない選択が、自然だった。
「雪、来るかな」
「来る」
「今日は?」
「まだ」
短い答えが、よく通る。
夕方、日が落ちるのが早い。
影が増えても、焦らない。
今日片づけたものは、戻す必要がないと分かっていた。
夜、灯りの下で手を洗う。
水が冷たく、でも痛くない。
袖を下ろすと、ちょうどよかった。
「全部、しまわなくてよかった」
「残すものがある家は、呼吸が楽じゃ」
呼吸。
最近、その言葉をよく聞く。
布団に入る前、戸の内に掛けた風鈴を見る。
鳴らない。
でも、音の記憶がそこにある。
しまう手は、
捨てる手ではなかった。
残すものを、
はっきりさせる手だった。
その感触を確かめながら、
眠りに入った。




