第35話 囲炉裏の話と、火を囲む距離
朝から、家の中が静かだった。
外の風は冷たいのに、騒がしくない。
秋が一段、腰を下ろした感じがする。
縁側に出ると、昨夜の冷えが板に残っている。
みーちゃんは祠の方角を向き、尻尾を足に巻いていた。
タマは丸くなり、まだ動く気配がない。
「今日は、寒くなるって」
「火の話をする日じゃ」
「火?」
「囲む火じゃ」
そう言われて、思い当たる。
祖母の家の奥、使っていなかった囲炉裏。
埃を被り、道具だけが揃っている場所。
冬には使っていたと、祖母が言っていた。
午前中、戸棚を開けて道具を出す。
灰は乾いていて、重たかった。
古い鉄瓶を拭くと、黒が戻る。
触るほどに、昔の時間が浮いてくる。
「火、つけられるかな」
「焦らねばつく」
「それ、いつも」
「火は急ぐと、拗ねる」
みーちゃんは、囲炉裏のそばに座って言った。
紙と細い薪から始める。
小さな火が、息をするように揺れる。
ぱち、と音がして、赤が増えた。
部屋の中の空気が変わる。
冷えた輪郭が、少し丸くなる。
タマが起き上がり、距離を測るように近づいた。
「近いと熱いよ」
タマは答えない。
数歩戻り、ちょうどいい場所で座る。
猫は距離を外さない。
昼過ぎ、ツネさんが覗きに来た。
「囲炉裏、起こしたの」
「はい、試しに」
「いいねぇ。火はね、人の間をつなぐんだよ」
そう言って、芋を二つ置いていった。
灰に埋め、ころりと転がす。
音は小さいが、確かな重みがある。
待つ、という時間が、自然に生まれた。
「火、好き?」
「嫌いではない」
「神様っぽい答え」
「火は、人の扱いが出る」
「扱い?」
「近づきすぎると、傷つく」
昨日の霜の話と、どこか似ていた。
芋を取り出す。
皮が弾け、湯気が立つ。
指先が熱く、でも痛くない。
縁側ではなく、囲炉裏の周りに座る。
三つの影が、円になる。
距離は近いが、触れない。
「こういう感じ、久しぶり」
「忘れていただけじゃ」
「何を?」
「人の真ん中」
真ん中、という言葉が、胸に残る。
夕方、火を落とす。
赤が灰に戻り、部屋は静けさを取り戻す。
でも、冷えは戻らない。
「また使おう」
「冬になったらな」
「まだ先?」
「すぐじゃ」
その言い切りが、頼もしかった。
夜、風鈴は鳴らない。
代わりに、灰の中の余熱が、家を保つ。
火を囲む距離は、
詰めないまま、温かい。
そのことを、
体が先に覚えた一日だった。




