表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/44

第31話 封を切る音と、戻らない距離

朝、庭に霧が残っていた。

 山のほうから降りてきた白い気配が、草の先にまとわりついている。

 秋の朝は、音が遅れて届く。


 縁側に出ると、板が湿っていた。

 みーちゃんは丸くなり、祠のほうを背にしている。

 タマは霧を避けるように、家の中を行ったり来たりしていた。


 「今日は、冷えるね」

 「境目の朝じゃ」

 「また境目」

 「今日は、はっきりしておる」

 みーちゃんは目を開けずに言った。


 台所で湯を沸かし、湯気に手をかざす。

 昨日より、少しだけ指先が喜ぶ温度だった。

 机の上に、あの封筒が置いてある。

 白くて、角がきれいで、こちらの様子を窺うみたいだ。


 朝食を終え、縁側に戻る。

 霧はすこしずつ薄れ、庭の輪郭が戻ってきた。

 私は封筒を手に取った。

 紙は思ったより固い。


 「今日か」

 「うん」

 「読むのか」

 「読む」

 言葉にすると、体の中で重さが定まった。


 封を切る音は、小さかった。

 それでも、家の中でははっきり響いた。

 紙を引き出し、折り目を伸ばす。


 内容は、想像していた通りだった。

 近況を問う文。

 以前の仕事の状況。

 もし、戻る意思があるなら、という一文。

 丁寧で、悪くない文章。

 だからこそ、距離が分かる。


 読み終えて、机に置く。

 胸は静かだった。

 動揺も、期待も、大きくはない。


 「どうじゃ」

 「優しかった」

 「それだけか」

 「それだけ」

 言ってみると、不思議なくらい足りていた。


 庭を見る。

 霧は消え、草が同じ方向に倒れている。

 風は、昨日と同じ向きだった。


 「戻りたい?」

 みーちゃんの声は、探る調子ではなかった。

 「分からない」

 「本当か」

 「前なら、すぐ分からなかった。でも今は……」

 言葉を探す。


 「戻らなくても、困らない」

 声にすると、輪郭がはっきりした。


 みーちゃんは、短くうなずいた。

 「距離ができた証じゃ」

 「いい距離?」

 「戻れるが、戻らねばならぬ距離ではない」

 その表現が、腑に落ちた。


 昼前、ツネさんが通りかかる。

 「今日はいい天気になるねぇ」

 「そうですね」

 「顔、すっきりしてるよ」

 何も説明しなくても、伝わるものがある。


 午後、返事を書かないまま、便箋をしまう。

 返さない、ではない。

 今は、書かない。

 その区別が、私の中で大切だった。


 夕方、縁側に影が伸びる。

 みーちゃんが、いつもより近い場所に座った。

 風鈴は鳴らない。

 けれど、風は確かにある。


 「今日は、ここで過ごす」

 「それでよい」

 「迷ってない?」

 「迷いは、音が多い。今日は静かじゃ」

 確かに、胸の中は整っていた。


 夜、灯りを落とす。

 封筒は引き出しに入れた。

 処分はしない。

 ただ、しまう。


 封を切る音は、

 何かを始める音ではなかった。

 距離を確認する音だった。


 そしてその距離は、

 戻らないことを、静かに選べる長さだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ