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第22話 夏祭りの夜と、ひそやかな手

朝から、村の音が違っていた。

 戸を開ける前から、人の気配が空気に混じっている。

 遠くで木槌の音、笑い声、紙が擦れる音。

 祭りの日の朝は、音が先に起きる。


 縁側に出ると、風鈴が短く鳴った。

 「今日だね」

 「今日じゃ」

 みーちゃんはすでに起きていて、庭をじっと見ている。

 タマは朝から落ち着かず、庭と廊下を行ったり来たりしていた。


 朝食は軽めに済ませる。

 台所に立つと、味噌桶がほんのり温かい。

 「今日は静かにしててね」

 「祭りの日に味噌を起こす者はおらん」

 みーちゃんは、いかにも当然という顔で言った。


 昼前、集会場へ向かう。

 提灯が通りにずらりと下がり、白い紙が日に透けている。

 屋台の準備が進み、甘い匂いが風に乗って流れてきた。

 焼きそば、かき氷、綿菓子。

 どれも久しぶりの匂いだ。


 ツネさんが声をかけてくる。

 「たえこさん、これ運んでくれる?」

 「はい」

 手渡されたのは、昨日並べた灯籠の予備。

 紙の手触りが、少しだけ夜を思い出させる。


 スイカ帽子の兄妹が、もう浴衣姿で走り回っていた。

 「たえこさん見て! 新しい下駄!」

 「鼻緒きつくない?」

 「だいじょうぶ!」

 元気な声が、祭りの輪郭をはっきりさせていく。


 夕方になると、空がゆっくりと茜色に染まった。

 提灯に灯りが入り、通りが一気にやわらぐ。

 太鼓の音が、試すように一度だけ鳴った。


 「始まるね」

 「始まる」

 みーちゃんは、私の足元で座り、尻尾を静かに揺らした。


 夜。

 人の波が集会場に満ちる。

 太鼓が鳴り、盆踊りの輪ができる。

 灯籠の光が川面に映り、揺れている。


 私は人の流れの外側で、少しだけ立ち止まった。

 にぎやかさが嫌なわけじゃない。

 ただ、胸がいっぱいで、うまく足が出ない。


 「入らぬのか」

 みーちゃんが見上げて言った。

 「うん……見てるだけでもいいかな」

 「よい」

 「いいの?」

 「主がここにおる。それで足りる」

 その言葉に、肩の力が少し抜けた。


 そのとき、空気が変わった。

 人の声が一瞬だけ遠のき、

 灯籠の火が、ふっと揺れた。


 私は祠のほうを見た。

 暗がりの中、木々の影が重なり、

 その中心で、風が静かに渦を巻いている。


 「……みーちゃん?」

 「静かに」

 声は低く、いつもより短かった。


 次の瞬間、涼しい風が通りを抜けた。

 汗ばんでいた首元が、一斉に楽になる。

 灯籠の火は揺れたが、消えなかった。

 むしろ、芯が強くなったように見えた。


 「気持ちいい風!」

 「今年の祭り、涼しいねぇ」

 人々の声が重なり、

 太鼓の音が、また力を持つ。


 私は分かった。

 これは偶然じゃない。

 でも、誰にも気づかれない形で行われた、

 みーちゃんの仕事だ。


 盆踊りの輪が広がる。

 私は一歩、輪の中に入った。

 足を一歩、手をひらり。

 子どもたちが笑い、ツネさんがうなずく。


 その輪の外で、

 みーちゃんが、祠の影からこちらを見ていた。

 誇らしげでも、偉そうでもない。

 ただ、静かに見守る目だった。


 踊りが終わり、拍手が起きる。

 夜空には星がいくつも浮かんでいる。


 帰り道、風鈴が家の前で鳴った。

 いつもより高く、澄んだ音。

 私は靴を脱ぎ、縁側に腰を下ろす。


 「ありがとう」

 「何のことじゃ」

 「分かってるくせに」

 みーちゃんは一瞬だけ黙り、

 それから言った。

 「祭りは人のものじゃ。

  わしは、少し整えただけ」

 「それが一番すごいと思う」

 「神は目立たぬのが仕事じゃ」


 みーちゃんはそう言って、丸くなった。

 タマがその隣にぴたりとくっつく。


 遠くで、太鼓の音がまだ続いている。

 灯籠の光は、夜の中で揺れながら、

 ちゃんと帰る場所を知っている。


 夏祭りの夜は、

 にぎやかで、やさしくて、

 そして、確かに守られていた。

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