第21話 祭り前夜の灯と風
夕方の空が、いつもよりゆっくり暗くなっていった。
昼の熱が地面に残り、家のまわりには夏草の匂いが満ちている。
縁側に腰を下ろすと、風鈴が短く鳴った。
「今夜じゃな」
みーちゃんが、庭を見渡しながら言う。
「うん。灯籠を並べる日」
「人が一番そわそわする夜じゃ」
「みーちゃんも?」
「わしは違う」
即答だったが、尻尾の先が少しだけ揺れていた。
日が沈みきる前に、坂を下りて集会場へ向かう。
道の途中、家々の軒先にはすでに提灯が下がり、
白い紙が風に揺れて、かすかな音を立てていた。
祭りの匂いは、まだ音を持たない。
集会場では、灯籠がずらりと並んでいた。
昼間に作ったもの、昔から使われているもの、
紙の色も絵も、それぞれ違う。
ツネさんが声をかけてくる。
「たえこさん、こっち手伝ってくれる?」
「はい」
灯籠を持ち、川沿いの道へ運ぶ。
石の上に置き、向きをそろえ、間隔を整える。
ただそれだけなのに、不思議と胸が落ち着いた。
スイカ帽子の兄妹も来ていて、
「この灯籠はこっち!」
「間あけすぎ!」
と元気に指示を出している。
周りの大人たちは笑いながら、それに従った。
やがて空が濃い藍色になり、
ひとつ、またひとつと灯籠に火が入った。
小さな炎が紙の内側で揺れ、
川面にその光が映る。
「きれい……」
誰かが小さくつぶやいた。
そのとき、背中をなでるような風が吹いた。
昼間の熱をそっと払う、やさしい風。
灯籠の炎が一斉に揺れ、
紙に描かれた色が、少しだけ生き物みたいに動いた。
私は思わず、祠のほうを見た。
暗がりの向こう、木々の影の中に、
小さな三毛の姿が見えた気がした。
(やっぱり……)
灯籠を置き終え、しばらく川辺に立つ。
水の音、虫の声、遠くの人の笑い声。
それらが重なって、夜が形を持ちはじめる。
ツネさんが隣に立った。
「いい夜だねぇ」
「はい。なんだか、落ち着きます」
「祭り前夜はね、静かでいいんだよ。
一番大事な音は、まだ鳴らないから」
その言葉が、胸に残った。
帰り道、家の前で足を止める。
縁側の灯りはつけていないのに、
どこか明るく感じた。
「ただいま」
返事はない。
けれど、縁側の柱の影から、
みーちゃんがゆっくり姿を現した。
「よい灯じゃった」
「みーちゃんが風、吹かせたでしょ」
「吹いておらん」
「でも……」
「人の願いが多すぎて、
風が勝手に集まっただけじゃ」
言い切るが、目はどこか満足そうだ。
「祭りは、ちゃんとできそう?」
「できる。
今夜、灯が迷わなかったからな」
「灯が迷うって何」
「帰り道を忘れることじゃ」
「忘れなかったんだ」
「忘れん。
この村は、覚えておる」
みーちゃんはそう言って、縁側に丸くなった。
私はその隣に腰を下ろす。
風鈴が、ひとつ鳴った。
今夜の音は、少し低くて、落ち着いている。
明日は祭りの日。
でも今夜は、まだ準備の夜。
静かな灯と風の中で、
夏が深く息をしていた。




