第20話 灯籠の灯りと、猫の手仕事
朝、窓を開けた途端、むわっとした夏の空気が流れ込んできた。
昨日よりもさらに熱がこもっている。
蝉の声が途切れず、まるで地面の下から湧いてくるみたいだった。
「今日は灯籠づくりの日じゃな」
みーちゃんは縁側の柱の影で、じっとこちらを見ている。
タマは縁側で伸びて、完全に夏仕様のぺたんこ姿だ。
「灯籠って、そんなに難しいのかな」
「紙と竹と願いで出来ておる」
「願い?」
「願いがなければ灯は遠くへ行けぬ」
よく分からないけれど、みーちゃんらしい言い方だ。
昼前、坂を下りて集会場に行くと、すでに大勢が集まっていた。
大きな長机に竹の枠が並び、白い紙と刷毛、のりの匂いが部屋に満ちている。
ツネさんが手招きしてくれた。
「たえこさん、こっちこっち。今日は一緒に貼っていこうねぇ」
「お願いします」
竹の枠に紙を張る作業は、思っていたよりずっと繊細だった。
紙をなでる指先が少しでも強いと破れてしまう。
でも、うまくいくと空気がすっと入って、紙がぴんと美しく張られる。
「上手じゃないかい、たえこさん」
「ほんとですか?」
「紙が喜んでるよ。ほら、ほっこりしてる」
紙がほっこり、という表現が何だか可笑しくて笑ってしまう。
みんなが灯籠の側面に絵や文字を書きはじめるころ、
スイカ帽子の兄妹が近づいてきた。
「たえこさん、描いてー!」
「テーマは夏!」
「急にむずかしいよ!」
わたしは苦笑しつつ筆を取った。
川の青、夜空の紫、風鈴の銀。
手元にある色で、小さな夏の断片を灯籠に描いていく。
すると、子どもたちがきらきらした目で言った。
「すごい!」
「やっぱり絵、うまいんだ!」
「そんなことないよ……!」
頬が少し熱くなる。
隣のツネさんが笑って言った。
「ほら、描いた人の心が灯籠に宿るんだよ。素敵だねぇ」
その言葉が胸に残った。
作業が続くころ、集会場の窓の外に、小さな三毛の影がよぎった。
みーちゃんだ。
窓の桟に前足を乗せ、中をじいっと見つめている。
(……来てたんだ)
少し嬉しくなった。
けれど次の瞬間、
筆に乗せた青い絵の具が、なぜか思ったより鮮やかに紙に広がった。
まるで風が後押ししたみたいに。
「きれい……!」
子どもたちが歓声を上げる。
ツネさんも、
「水が流れてるみたいだねぇ」
と言ってのぞき込んでくる。
私は窓の外をちらりと見た。
みーちゃんが、ほんの少し尻尾を揺らしている。
(……やったな)
心の中だけでそう言った。
夕暮れが近づくころ、灯籠がずらりと並んだ。
紙の白が夕日の金色を反射して、どの灯籠も少しずつ表情が違う。
片付けが終わり、外に出たとき——
川のほうから、ひんやりした風が吹いた。
灯籠が揺れ、紙がふわりと鳴った。
「きれいだね……」
独り言のようにつぶやくと、足元で声がした。
「当然じゃ」
「わっ……みーちゃん」
「主の描いた灯籠は、よく光る」
「まだ火つけてないけど」
「祈りが光っとる」
みーちゃんは、そう当然のように言った。
家に帰る途中、空に一番星がひとつ出ていた。
風鈴のある縁側の前に立つと、さっきよりも少し強い風が吹いた。
風鈴がひん、と澄んだ音を響かせる。
みーちゃんが足元に座り、尻尾を揺らす。
「主よ」
「なに?」
「灯籠の火は、迷わぬ」
「迷わない?」
「願いがある灯は、必ず帰る場所を知っておる」
「……私の灯も?」
「当然じゃ。わしが見とる」
それは、夏の夕暮れのなかで聞くには少し胸の奥が熱くなる言葉だった。
縁側に腰を下ろすと、風鈴がまた一度鳴った。
夏祭りの灯りがともる日が、少しずつ近づいている。




