第15話 夕立と風鈴
朝から空気が重かった。
梅雨の雨ではなく、夏の手前の湿り気。
遠くで雷がくぐもった声をあげている。
「今日は降るぞ」
みーちゃんは縁側の上で寝転びながら、確信たっぷりに言った。
タマは庭をうろうろし、落ち着かない様子で空をにらんでいる。
味噌桶に触れると、わずかに冷たかった。
「今日は静かだね」
「夕立の前は、みな息を潜めるのじゃ」
「味噌も?」
「もちろんじゃ」
得意げな顔が可笑しくて、笑ってしまった。
昼前、坂を下りて買い物に向かう途中、ツネさんに呼び止められた。
「たえこさん、ちょっとおいで」
縁側に入ると、古い木箱が置かれていた。
蓋を開けると、古いガラスの風鈴が、布に包まれて大切にしまわれている。
「掃除してたら出てきたんだよ。あんたのおばあさん、夏が好きだったからねぇ」
「おばあちゃん……」
布をほどくと、小さな風鈴が現れた。
透明なガラスに、青い波の模様。
「これ、ひとつ持ってきな」
「え、いいんですか?」
「しまっておくだけじゃ、風鈴も寂しいだろう?」
その言葉が、胸の奥に深く沁みた。
家へ帰ると、みーちゃんが寄ってきた。
「それはなんじゃ」
「風鈴。おばあちゃんの」
「鳴るのか」
「風が吹けばね」
「わしが鳴らす」
みーちゃんが鼻先でそっと触れると、りん、と小さな音が零れた。
「……鳴った」
「当然じゃ。神じゃからの」
どや顔が可愛くて、笑いをこらえきれなかった。
風鈴を縁側の軒下に吊るした。
夏の風が似合いそうな場所だった。
吊るし終えるころには、空の端で雷がもう一度鳴った。
午後、雲がどんどん集まり、庭の紫陽花の色が深く沈む。
風鈴が揺れ、かすかに音を立てた瞬間——
ぽつり、と最初の雨が落ちた。
「来るぞ」
「来るね」
次の瞬間、雨が一斉に降り出した。
縁側の屋根を叩く激しい音。
土の匂いが舞い上がり、風鈴が重たげに揺れる。
タマは驚いて駆け込んできた。
みーちゃんは座布団から動かず、尻尾で雨音に合わせて楽しげにリズムを取っている。
「雷、近いかも」
「祠が守っとる」
「そんなことできるの?」
「できるから祠じゃ」
いつも通りの言い切りに、少し安心する。
夕立の最中、風鈴がひときわ高く鳴った。
胸の奥がじんわり温かくなる。
祖母の家で聞いた、夏休みの音を思い出した。
あの頃の自分が、少しだけ胸のあたりで息をしている気がした。
夕方、雨が止むと空気がひんやり変わった。
庭の水たまりが淡く光り、雲の切れ間から薄い光が差す。
「涼しくなったね」
「夕立のあとは浄めの風が来る」
「浄め?」
「夏を通す準備じゃ」
みーちゃんは風鈴の下で目を細める。
私は風鈴の短冊にそっと触れた。
りん、とひと音。
夏の気配が、指先から伝わってくるようだった。
「いい音だね」
「主が鳴らすと、夏が寄ってくる」
「ほんと?」
「当然じゃ。風も土も、主の声を知っとる」
その言葉が、静かに胸を満たした。
夜、風鈴が短く鳴った。
夏はまだ遠いはずなのに——
確かに近づいてきていた。




