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第1話 呪いのビデオを手に入れてしまった

 目覚ましのアラームが激しく脳内に響き渡る。暗闇の中、手探りに固形物に触れると薄目を開けた。時刻は夕方の四時を指していた。スマートフォンのアラームを切る。


 寝っ転がると薄汚い照明と古臭い天井が目に入った。見覚えのある光景だった。起き上がってみると、平べったい布団が落ちた。腕は毛むくじゃらで顎を触ってみると髭がジョリジョリと手のひらにあたった。


 急いで鏡を見てみると、厚ぼったい顔に無精髭を生やした男が現れた。前世の俺だ。


(あぁ、戻ったんだな)


 俺は気怠い身体を引き伸ばして立ち上がった。十五から三十代に戻るとあちこちにガタが来る。棚からコップを取り出して蛇口を捻って水を注いだ。それを目覚めの一杯にして脳にぶち込んだ。


 冷たい水が喉を通り、全身に活力が湧き上がる。頭の中であらゆるファンタジーな幻想が過ぎったが、段々薄れていった。


(あれは夢だったのかな)


 なんて思っていると、時刻は四時半になっていた。そろそろ支度をしないと仕事に行く時間だ。


 歯を磨いて髭を剃って、適当な服に着替えた。外に出るとボロアパートが夕陽に差していた。もう春だと言うのにまだ冷え込んでいた。くたびれたダウンジャケットで身体を丸めて強く吹く風を守った。


 職場である居酒屋に行き、裏口から入って後輩やパートに挨拶する。ロッカーで制服に着替え打刻を済ませると、夜勤が始まる。そこから深夜まで働いて終わったら酒を煽って眠る。


 こんな毎日が延々と続くのかな――と思いながら淡々と仕事をこなしていると、もう深夜一時を回っていた。この時間帯になると働く人も客も少ない。今日は従業員だけだった。


 キッチンで皿洗いをしていると、「先輩」と背後から声をかけてきた。振り返ると、十二歳下の後輩の烏山(からすやま)介奈(かな)が話しかけてきた。ポニーテールが魅力の女の子だった。


「先輩、時間あります?」

「もうすぐ皿洗いが終わる……って、どうしたんだよ。その顔」


 介奈(かな)の顔をよく見ると、目元に酷い隈が出来ていた。


「夜更しでもしたのか? アニメの見過ぎか?」

「いやいや、隈はいつもの事ですよ。それより……」


 介奈(かな)は俺以外キッチンには誰もいないのに周囲を見渡した後、声を潜めた。


「ちょっと面白いものがあるんですよ」

「面白いもの? なんだよ」

「先輩……ホラーお好きでしたよね?」

「うん、そうだけど……」


 俺の回答に介奈(かな)の顔が口が避けるほどの笑顔を見せた。


「呪いのビデオって知ってます?」

「呪いのビデオ? えー、あの? 見たら呪われるやつ」

「そうです!」

「へー、市販の?」

「特殊に入手したものなんですけど……見たらマジで呪われるらしいですよ」

「本当に?」

「はい! でも、先輩なら絶対に気にいると思いますよ!」

「うーん……」


 俺は腕を組んで考えた。何か大切なことを忘れているような気がするが、見たら呪われるという情報が俺のホラーマニアの血を騒がせる。


「いいよ。DVD?」

「ビデオなんですけど」

「ビデオ?! うちにあるかな……でも、いっか。もらうよ」

「本当ですか?! ありがとうございます!」


 介奈(かな)は嬉しそうに手を叩いて喜んでいた。その笑顔についカッコつけて見られるかどうかも分からないビデオをもらった。


 ふと店内に春の歌が流れた。普段はJポップなのに急に童謡が流れて驚いた。


 俺にも春が来たのかな。



 バイトが終わった帰り道、俺は考えた。


 どうしよう。見たら呪われるビデオを手に入れてしまった。


 バイトの後輩から何日間も寝ていない顔で呪われるとか言ってきたから間違いないだろう。


 いや、そんなものを俺に押し付けるなよ。まぁ、貰う俺も俺だけど。


 それにしても呪いのビデオか。


 ビデオなんていつの時代の話だよって感じたけど、俺の押し入れに偶然にもビデオデッキが残っていた。


 久しぶりだからか、使い方をド忘れしてしまったので、携帯電話で調べてから入れてみた。


 部屋を借りる時に付いていたブラウン管テレビの画面が光った。


 真っ青な画面が映った後、すぐに真っ暗になった。


(やっぱり見られないか)


 そう思ってビデオを取り出そうとした瞬間、ザーという音が聞こえた。


 見上げると、白黒の砂嵐が流れていた。俺は何か嫌な予感がして、取り出すボタンを押した。


 が、何回押しても反応しなかった。そうこうしていると、また画面が切り替わった。


 今度は単色の映像ではなく、ちゃんとしたものだった。


 とある屋敷の部屋だろう。そこには、ブランとぶら下がった女性がいた。


 椅子が倒れている事から縊死(いし)なのは間違いない。


(なんて気味の悪い映像だ)


 そう毒吐(どくつ)きながらビデオを取り出そうとしたが、ゴトンという音がした。


 テレビからだった。映像が動いているのかと、チラリと見てみると予想通り、女性が倒れていた。


 すると、ムクリと起き上がった。少しずつ彼女の身体が大きくなるのが分かると、一目散に玄関へと走った。


 ドアノブを捻ろうとしたが、接着剤で硬められているかのように動かなかった。ガチャガチャ動かしても、足で蹴っ飛ばしても、うんともすんともいわなかった。


 外に助けを呼ぼうとした時、背筋が寒くなった。恐る恐る振り返る。テレビの画面から手が出ていた。俺は壊れるかと言わんばかりにドアノブを揺らした。


 背後から異様な冷気を感じ、鳥肌がたった瞬間、息ができなくなった。



 目を開けたら、知らないおじさんとおばさんの顔がドアップに現れた。


「おぉっ! 目を開けたぞ!」

「早く奥様にお伝えしないと!」


 どうやら召使いらしい。ブカブカの服を着た執事とメイドが慌ててどこかに行った。


 俺は首を動かそうとしたが、うまく出来なかった。腕も脚も思い通りにできなかった。唯一眼と脳だけが自由にできた。


 視線をキョロキョロさせるが、分かるのは天井だけ。だけど、この状態はどこか懐かしかった。


 まるで幼少期を思い出すような――そう思っていると、バンという扉を乱暴に開ける音が聞こえてきた。


 ドタドタという足音と共に、いきなり視界に現れたのは、長い黒髪の女の子だった。


「ママーー!! これが弟?! 思ったよりも毛むくじゃらーー!!」


 幼児特有の蜂蜜のような甘い声で、俺を好奇の眼差しで見ていた。


(うーん、俺ってそんなにモジャモジャだったっけ?)


 そう思っていると、今度は赤髪の子が顔を出した。頭に大きなリボンを付けていて、黒髪の子より細目だった。


「まぁ、これが私の弟……」


 黒髪の子より年上なのだろう、大人びた口調で俺を我が子のような暖かな目で見ていた。


 この時点で、俺が今どんな状況か、分かった。俺は赤ちゃんになったのだ。どうやら怨霊に襲われた後、転生してどこかの家に生まれたらしい。


 どうせなら死んだ時と同じ年齢が良かったが、この可愛い姉達にチヤホヤされるのも悪くない――と、しみじみと生まれ変わった実感を身にしみていた時だった。


 何の前触れもなく、新たな子が姿を現した。最初は、ブロンドの前髪が両眼で覆ってしまっているので兄か姉かの区別は分からなかった。


 が、頭にピンクのカチューシャを付けているのが見えたので、姉と判断した。その子は僕を見ても特に何も言わず、ただジッとこちらを見ていた。


 それが何だか不気味で、乳児特有の泣き声を出してしまった。すると、赤髪の子が「あらあら」とスッと僕を抱きかかえると、早熟した胸元に近づけて「よしよし」と揺らしてくれた。


(あぁ、中身は成人しているけど、赤ちゃん気分も悪くないなぁ)


 あまりの心地に泣くのを止めて眠りにつこうとしたが、黒髪の子が「ミャーナ! ドアの前に突っ立ってないで、こっち来なよ!」という馬鹿でかい声に妨げられてしまった。


 赤髪の子のおかげで、見える景色も変わった。ドアの方を見てみると、白のツインテールで推定八歳くらいの女の子がモジモジしながら立っていた。


 その子は猫みたいにアーモンドの形をした眼でキョロキョロさせると、チラッと僕の方を見た。


「わぁ……」


 ボソッと呟くような声が聞こえた後、ハッと顔を真っ赤にさせて、逃げるように部屋から出ていってしまった。


 赤髪の子が「もう、恥ずかしがり屋さんね」とクスッと大人の余裕の笑い方をしていた。


 僕はアバアバと言いながら彼女に甘えていると、強い視線を感じた。


 見える限りの範囲で探してみると、青のショートカットの子がジッと僕を見ていた。


 あの前髪隠れていた子より身体や顔尽きが一回り小さく、ずっとおしゃぶりをチュパチュパさせていたので、この姉達の中で一番年下だと考えられた。


 だが、その子はおしゃぶりを外して、「マローナ姉ちゃん、私も抱っこしたい」と普通に話していた。


 マローナという名の赤髪の子は「いいわよ」と、その子に渡した。


 青髪の子は慎重に僕を受け取ると、チュパッとおしゃぶりを外し、僕の口に入れた。信じられなかった。彼女は自分がさっきまで付けていたおしゃぶりを弟に咥えさせたのだ。


 僕は抵抗する間もなく、チュパチュパするはめになった。衝撃的な間接キスだ。マローナが「ちょっと、メローナ! なに勝手に咥えさせているの?!」と少し怒り気味に声を出して、おしゃぶりを奪うように外した。


 すると、青髪のメローナが「お姉ちゃん、やめて! それであやしているの!」とムッとした顔になった。


「マローナ、メローナ、喧嘩はやめなさい」


 二人の姉が今にも言い合いになりそうな時に、豪華なドレスに身を包んだ女性が部屋に入ってきた。


 姉達が口々に「お母様」と言っていたので、これが僕の母なのだろう。


 五人の娘を産んだとは思えないほど、美貌を維持し、ふくよかな唇が魅力的だった。母はマローナから僕を受け取ると、「よしよし」と子守唄を歌った。


 その声が余りにも心地良くて、僕はあっという間に眠りについてしまった。

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