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9.黒雨に揺れる



 夏休みが過ぎ、新学期が始まった。


 思えば進級してからずっと描き続けていた絵がやっと納得いくような形に完成して、今日は天沢くんんにお披露目する日。


 今日は残念ながら雨が降っていなかったから、天沢くんはバス、俺は自転車で朝早くの学校で待ち合わせをした。


 まだちらほらとしか登校して来ていない静かな学校で会うのは、雨の日に同じバスに乗るのと同じくらい特別感があって好きだ。


「……うん、やっぱり俺、この絵が好きだなぁ。雨の音が聞こえるような気がする」

「そう言ってくれるの嬉しい。この絵は本当に特別だから……」

「そんなに特別な絵なの? 何か思いがこもってるとか?」

「うん、思いがこもってるんですよ」


 雨の日に傘を差す男性の後ろ姿。


 天沢くんにこの絵の意味や、描き始めた時の気持ちを話したことはなかったけれど、今なら伝えられる気がした。


「この絵、初めて天沢くんとバスで会った時に描き始めたんだよね」

「……4月にバスで会った時の話?」

「うん。あの時……俺の前を傘を差して歩く天沢くんの後ろ姿を見たら、この瞬間を絵に残したいなって思った。だから美術室に行ってすぐ、真っ白だったキャンバスに絵を描き始めたんだよ、実は」

「そんなこと思ってくれてたの? ……それはちょっと、かなり嬉しい」


 キャンバスと俺を交互に見て、結局顔を真っ赤に染めて手で顔を隠しながら「ありがとう」と言う天沢くんにきゅうっと胸が締め付けられた。


「前に一緒に美術館に行った時……人物画を見て、自分の労力と時間を使ってでもこの人の“今”を残したかったんだろうなって言ったの覚えてる?」

「もちろん。あのあと画家のことも調べたし、今でもそう思ってる」

「……俺も同じことをするかもって言ったら笑う?」

「え?」

「俺もあの画家みたいに天沢くんとの“今”を描いていきたいって言ったら、気持ち悪い……?」


 これは結構、かなり、勇気を出した。


 好きって言葉を口に出すのも勇気が必要だったけど、俺のこの言葉はこの先の『未来』を想像させるものだ。


 もしかしたら天沢くんは俺との付き合いを学生のうちだけとか、そんなに長く付き合うつもりはないとか、ただの人生経験で――とか思っていたらすごく辛いけど、思ってる可能性もある。


 そうだとしたらかなり重い感情を告白してしまったことになるけれど、俺の予想とは裏腹に天沢くんの瞳から雨の雫がこぼれ落ちた。


「えっ、えっ、どうしたの!?」

「いや、ごめ……ごめん、驚かせた」

「どこか痛い!? 体調悪いなら帰ったほうが……!」

「違うよ、大丈夫。嬉しくて、つい涙が出てきただけ」

「うれしくて?」

「うん。璃斗は本当に、魔法使いみたいだね」


 よく分からないまま天沢くんに抱きしめられて、今日は何だか小さく見える彼の頭をゆっくり撫でた。すりっと顔を寄せられると首筋に柔らかい髪の毛が触れてくすぐったい。


 くすくす小さく笑っていると天沢くんが顔を上げると、優しい口付けが待っていた。


「……璃斗が俺との未来を考えてくれてるのが、すごく嬉しい」

「引かない?」

「全然。むしろ、俺だけがそう考えてると思ってたから……本当に嬉しい、ありがとう」


 こつんっと額を押し付けられる。天沢くんに触れられたところから甘い熱が伝わってきて、夏のじめっとした暑さとは違う熱はひどく心地よかった。


 何より、天沢くんも同じ気持ちでいてくれたことが嬉しい。学生の間だけとか一夏の恋とか、そう思われていなかったことがこんなにも嬉しいなんて。


「でもこれから大学に進学したりすると、今よりもっと魅力的な人が周りにいるよね……それはちょっと、不安かも」

「俺が目移りすると思ってる?」

「そ、そういうわけじゃないけど……可能性?っていうか」

「俺には璃斗だけ。好きになったのも自分から告白したのも、全部璃斗が初めてだよ。相当好きだから、この先の未来のことも考えるくらい……それくらい、璃斗が好き」


 真っ直ぐ見つめながらそう言ってくれるので、本心なのだろう。これで嘘だったらびっくりだし、天沢くんは俳優になったほうがいいと思う。そう思うくらい、今の天沢くんは真剣な顔をしていた。


 もちろん俺も天沢くんと同じ気持ちだけど、言葉にしたら伝わらない気がしたからぎゅっと抱きついた。天沢くんは小さく笑って抱きしめ返してくれて、優しい体温が伝わってくるのが嬉しかった。


「あのね、もう一つ見せたいものがあるんだけど」

「もう一つ?」

「うん。この絵の続きというか……コンクールには出さないものなんだけどね」

「あ……!」


 隣に置いていた一回り小さいキャンバスにかけていた白い布を取ると、天沢くんの目が驚きに見開かれた。その絵を見つめる彼の横顔はキラキラしていて、喜びを表すように口元が緩んでいる。


 そんな天沢くんの顔を見て、俺もゆっくりとキャンバスに視線を移した。


「大切な人が見つかったんだ……」

「そうだよ。雨の中で一人だった彼は、大切な人を見つけられたみたい」


 俺がずっと描いていた絵は傘を差した男性が一人で立っている絵だった。天沢くんがこの絵を最初に見た時に「この絵の中の人は寂しくないかな?」と言ったのがずっと引っかかっていて、そのインスピレーションを頼りに新しい絵を描いてみた。


 天沢くんと付き合うようになってから描いた絵だからかもしれないけれど、自然と手が動いていた。雨の中を一人で佇んでいた男性の隣に、同じように傘を差す人を描いたのだ。


 絵の中の二人はただ前を向いて立っているわけではない。傘の角度が傾いていて、顔は見えないけれど二人が会話をしていると分かるような構図で描いてみた。


 雨の日にも隣にいてくれるような人と出会えたこの二人は、きっともう寂しくないだろう。


「すご……! 俺と璃斗みたい」

「そ、そのつもりで描いたから……だからこの絵はコンクールには出せないなって」

「じゃあ、この絵を見られるのは俺だけ?」

「うん、そうだね。天沢くんに見てほしくて描いたようなものだから」

「そっか……嬉しい。俺と璃斗だけの絵なんだ」


 本当に嬉しそうに笑う天沢くんは俺の手を握って「ありがとう」と無邪気な笑みを見せてくれた。そんな天沢くんの笑顔をまた描き残したいなって、筆をとりたい気持ちになる。


 今の時代はボタンひとつで大切な人の『今』を残せるけれど、自分の時間と労力を使ってその瞬間を丁寧に残す作業をしたことはこれから先も色褪せずに記憶の中に残るだろう。


 そう思える恋に出会えたことは俺の人生にとって奇跡のようで、このままじっくりと育んでいきたい大切な気持ち。4月に天沢くんと出会えてなかったら、あの雨の日がなかったら、こんな気持ちは知らないままだった。


「俺も何か、璃斗に返したい」

「え? そんなのいいよ、前に食器とかカップ買ってもらっちゃったし」

「足りないよ。なんかもうすごく好きで、嬉しくて、何かしてあげたいって思っちゃう。何かお願いしたいことない?」


 何でもいいよと言われると、欲張りな俺の頭の中には一つあるお願いが浮かんでくる。でも本当にいいのかなとか、まだ早いかもとか、不安だけが渦巻いていた。


「その顔、何かあるんだ?」

「うっ、何で分かるの……」

「伊達に璃斗のことずっと好きじゃないからね。白状したほうが身のためだよ」

「ど、どういう脅迫!? でも、うーん……」

「怒らないから言ってみて、ね?」


 本当に何でも大丈夫だから、と天沢くんが言ってくれる。あんまりこういうことを言ったことがない、というか、こんなわがままを言うのは初めてだから心臓がドキドキと早鐘のように脈打っている。


 でも、せっかく恋人同士になれたのだから。自分の気持ちはちゃんと伝えないと相手には分からない。


 天沢くんの手をぎゅっと握り返して、意を決して口を開いた。


「今度……文化祭の時、誕生日だよね?」

「あ、俺の? そういえばそうだったかも」

「そ、そのとき、ほんの少しでもいいから、一緒に回る時間がほしいかも、です……」


 自信がなくなってだんだんと小声になってしまったから、最後のほうは聞こえなかったかもしれない。何も反応がない天沢くんに不安になって顔を上げると、天沢くんはまた顔を赤く染めていた。


「そっ、そういうお願いがくるとは思わなかった」

「やっぱり駄目だよね……?」

「駄目じゃない! 駄目じゃないけど……みんなに見られてもいいってこと? 俺、多分浮かれ過ぎて手とか繋いじゃうかも」

「それはっ! バレちゃうのは困るけど、でも、天沢くんがしたいなら……」

「……璃斗の気持ちは? 璃斗が嫌がることはしたくないから」

「お、俺は……あんまり人がいないところでなら、繋いでも……」

「人のいないところに行きたいってこと?」

「ちが、そういう意味じゃない! そういうことじゃなくて!」

「ふ、はははっ、分かってるから大丈夫。意地悪言ってごめん」


 天沢くんといると俺は本当に子供に見える。頭をぽんぽん撫でられて機嫌を取られるなんて、今時小学生でもないだろう。


「俺の誕生日だから一緒にいたい、って思ってくれてるってことだよね?」

「うん……丸一日は無理でも、少しくらいは一緒にいたいなって」

「この前、祭りに誘ってくれた時も嬉しかったけど……誕生日に一緒にいたいって璃斗から言われるの、今までの人生で一番嬉しい言葉かも」


 そんなふうに笑ってくれるなら、これからもずっと言いたい。誕生日には一緒にいたいって、これからも言える関係でいたいと思ったのに――


 どうして人生って、上手くいかないんだろう。


「………え? 俺にお菓子作りを教えてほしい、って……」

「お願い、雨宮くん! 天沢くんが雨宮くんのお菓子美味しいって言ってるの聞いちゃって……一生のお願い!」


 人気のない屋上に俺を呼び出したのは、天沢くんと同じクラスの一宮千晴さんだ。前に天沢くんんが風邪を引いていた時、看病しに行くのを代わってほしいと申し出てきた、天沢くんに片想いしている女子生徒。


 彼女がこんなお願いをしてきたのは、まぁ、もちろん俺も悪い。実は夏休み中に、部活のために学校に来ることが会った時は何度か差し入れをしたことがあった。


 本当はお弁当を作りたかったけどそれはちょっと重いかなと思って、軽くつまめるクッキーとかのお菓子にしたんだ。まさかそれを天沢くんが人に話しているとは思わなかったけれど。


 一宮さんはその話を聞いて、自分は料理が苦手だから俺に教えてほしい――らしい。


「今度、文化祭の時に天沢くんって誕生日らしくて……だから誕プレ的な感じで渡したいの」

「な、なるほど……」

「看病は断られたけど、お菓子くらいなら迷惑じゃないかなと思ったんだけど……それに、思いきって告白、しようかなって……」

「えっ、それ俺に言っていいの!?」

「あ、雨宮くんは絶対他の人に言わなそうだもん、こんなこと! だから、お願い……! しっかり気持ち伝えて、それで振られるなら諦められるから……」


 みんなは知らないけど、天沢くんと付き合っているのは俺。高校を卒業しても一緒にいたいっていう話を先日したばかりだ。


 もし天沢くんが一宮さんに告白されたとしても断ってくれるのは分かっている。この世に絶対なんてないし、天沢くんと付き合っていることに胡座をかいているわけでもないけれど、一宮さんの『気持ちを伝えて、振られたら諦めがつく』という意見は否定できない。


 ちょうど当日が文化祭なのも相まって、お祭りムードの勢いに任せて告白をする人も出てくるだろう。その中で少しでも印象に残りたいとか、ただ単純に何かプレゼントしたいって言う気持ちもわからなくない。


 実際、俺も天沢くんと一緒にいる時間をもらいたいと言ってしまったわけだし……。


 ただ、その後押しを俺がするのは違うんじゃないかなとは思う。さすがに、付き合っている心の余裕というものがあっても複雑な気持ちになるのは変わりない。


「でも……俺に聞くより、女子同士のほうが可愛いお菓子とかそういうの知ってるんじゃない?」

「可愛いのとかじゃなくて、天沢くんが食べてくれるものを作りたいの……!」


 わ、分かる、それはものすごく分かる……っ。


 天沢くんは結構、何を食べても「璃斗が作ったものなら美味しい」と言ってくれるけれど、こっちとしては天沢くんの好みが知りたいのだ。


 これとこれどっちがいいと思う?という質問に、どっちでも似合うと思うよと返事をする男と一緒である。こっちはそっちの好みに少しでも近づきたいのに、それをちっとも分かっていない。だから『女心が分からない』と怒られるのだ。俺だって男だけど!


「……天沢くんは多分、甘いほうが好きだと思う」

「う、うんうん!」

「カップケーキとかそういうのじゃなくて、一口で食べられるようなもののほうがいいかも。それこそクッキーとか、一口で食べられる丸いドーナツとかスコーンとか……そういう工夫があったほうが喜ばれるかもね」

「なるほど……!」

「申し訳ないけど、味に関してはアドバイスできない。苦いとか辛いものじゃなければ大丈夫だと思うよ」

「そっか、そっか、分かった! 頑張ってみるね!」

「うん」


 俺にとってはライバルなのに、情報を与えてしまった。だって、あまりにも必死な『恋する女の子』だったんだ。


 好きな人に振り向いてほしい、誕生日だから喜んでほしい、という気持ちは俺も同じだから無下にできなかった。


 協力してあげたと言ったら天沢くんは「お人よしだよね」と言って呆れるかな。「何でそんなことしたの?」って怒られる可能性もあるかも。


「璃斗、呼び出し大丈夫だった?」

「あー……うん、多分」

「多分?」

「天沢くんの好みを教えてくださいって聞かれた」

「何それ? 天沢のこと好きな女子に呼び出されたってこと?」

「うん。ほら、一宮さん。前に俺に看病しに行くの代わってって言った子」

「ああ! あいつまだ天沢のこと好きなんだ」

「……そりゃ、誰が誰のことを好きでも自由でしょ」

「そうだけどさぁ……まぁ、うん。そうだよな」


 七緒は納得したように、頬杖をつきながらイチゴオレを飲んでいる。その反応に、もしかして七緒もまだ俺のこと――と考えて、さすがに烏滸がましい考えだなと思考をリセットした。


「それで、好みを聞かれたってなんで?」

「文化祭の日に天沢くんが誕生日だから、何か手作りのお菓子をあげたいんだって」

「へー。もしかして教えたの?」

「……駄目だと思いながらも、つい……」

「はぁぁぁ……お前、絶対怒られるぞ」

「呆れじゃなくて怒ると思う……?」

「俺だったら怒る」

「天沢くんに説明してたほうがいいかなぁ」

「まぁ、璃斗の性格を考慮してくれると考えると、天沢が怒るとも考えにくいけど」


 そう言って七緒が慰めてくれたけど、天沢くんにちゃんと説明をしておけばよかったなと思ったのはその翌日からだった。


「雨宮くん、これ作ってみたんだけど……どうかな?」


 と、一宮さんが自作のお菓子の試食をお願いしてきた。


 遠回しに一緒に作るなんてことは回避したつもりだったけれど、まさか試食をお願いされるとは思っていなかった。


「いや、お、俺が試食しても参考にはならないかと……!」

「そんなことないよ、お願い!」


 わざわざ持ってきてくれたものを突き返すわけにもいかず、お人よしが発動した俺は小さなクッキーを一口食べる。すると、ジャリッとした硬い食感に歯が欠けるかと思った。


「こ、個性的なクッキーだと思う」

「雨宮くん、遠慮しないでいいよ。私、本当に料理は壊滅的なの」

「……クッキーにしてはちょっと硬すぎるかも、です」

「そうだよねぇ!? なんでぇ……? レシピ通りにしてるはずなのにーっ」

「ちなみにだけど、分量とかもちゃんと量った?」

「うちにあった量りの電池が切れてて、目分量でいっかーって……」

「焼き時間は?」

「早く焼き上がってほしかったから、オーブンの温度上げてレシピ通りの時間で焼いたよ?」

「……一宮さん。それって“レシピ通りに作った”とは言わないよ」


 料理が苦手だと自分のことを分析しているのに、どうして『大体こうしたら大丈夫だろう』と思えるのだろうか。


 これはさすがに、部活も頑張っている天沢くんには食べさせられない。一宮さんには悪いけれど、体調が悪くなったら元も子もないし……。


「まず、料理だけじゃなくてお菓子作りも計量が命! これくらいでいいだろうっていう慢心はすでに失敗していると思ってもいいです!」

「う、うそぉ……!」

「温度を上げてレシピ通りの時間焼いたら、焼きすぎることになるのは当たり前! すなわち、このクッキーが石みたいに硬いのも当たり前!」

「石……」

「まずはレシピに忠実に! レシピ以上の量を作ろうとか思わないように! 全部きっちりレシピ通りにやってみて!」

「は、はいっ、師匠!」

「出直してきてください!」


 もしかしたら今から青春料理漫画でも始まる?と思うくらい、俺たち二人のやる気は異常だった。それに俺は、そもそも一宮さんが天沢くんに告白するための理由としてお菓子作りをしているということをすっかり忘れていたんだ。


「……璃斗って、最近一宮さんと仲良いよね」

「え? 一宮さん?」


 ある日の放課後、部活帰りにうちに寄ってくれた天沢くんは不機嫌そうな顔をしていた。そしてようやく口を開いたかと思えば、一宮さんの名前が飛び出してきたのだ。


「仲がいいっていうか、うーん……」


 あれ以来、一宮さんはたびたび俺のところに試食をお願いしにくる。最近では結構上手く作れるようになってきて、成果が出ていると喜んでいたところだ。


 そこでふと思い出したのは、一宮さんが作ったお菓子はのちのち天沢くんの手元に渡るということ。一宮さんが頑張っているとか、実は告白しようとしているとか、そんなことは話せなかったので思わず口をつぐんでしまった。


「一部では、二人が付き合い始めたって噂が出てるらしいけど」

「お、俺が一宮さんと!?」

「一宮さんが璃斗のとこに頻繁に通ってるとか、手作りのお菓子食べさせててラブラブだとか……そういう噂、俺も聞いたんだよね」

「いや、いやいや……それは本当に誤解だよ。俺たちはそんな関係じゃないから」

「じゃあ、最近二人で何してるの? 一緒に屋上に行くのも見たけど」

「そ、それは……」


 一宮さんが天沢くんに告白しようとしてる、と喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。一宮さんが『雨宮くんは人に言ったりしないでしょ?』と、少なからず俺のことを信用しているから。


 さすがに俺がそのことを話すわけにはいかないから黙っていると、はぁ、と重いため息が聞こえて体が震えた。


「璃斗と付き合ってるのって、一宮さんなんだっけ?」

「え、ち、ちがうよ」

「じゃあ誰?」

「天沢くん、だよ……?」

「だけど、彼氏の俺には話せないこと? 女子と二人で楽しそうに屋上に消える璃斗のこと見てた俺の気持ち、分かる?」


 天沢くんが見たこともない苦しそうな顔をしていて、やっと俺は自分が何をしているのか理解した。気づくにはあまりにも遅かったと思うけど、天沢くんにこんな顔をさせるために一宮さんといたわけじゃない。


 俺も一宮さんも、天沢くんを笑顔にしたい一心で――


「やっぱり女子のほうがいいとか、そういうこと?」

「え?」

「俺はどう転がっても男だし、可愛くもなければ柔らかくもない。女の子って魅力的だよね。小さくて可愛くて、いい匂いがするしふわふわしてる。璃斗は優しいし、そういう子とのほうが上手くいくのかも」

「ちょ、ちょっとまって! 何でそういう話になるのか分からないんだけど……! 一宮さんとは本当に何でもない。ただお菓子作りの試食を頼まれてるだけで……!」

「だから、それを何で璃斗にお願いするのかが不思議だって俺は話してる。なんで?」

「それはちょっと、色々あって……」


 この状況で説明できないのは、限りなく黒に近い。


 それを天沢くんも分かったのか、もう一度深いため息をついた。


 天沢くんなら分かってくれるとか、自分たちは喧嘩とは無縁だろうとか、そんな能天気なことを思っていた自分が憎い。これがもし逆の立場なら、俺だって色々考えて不安になったはず。


 それなのに、どうして天沢くんは許してくれるなんて思ったんだろう。


「あの、天沢く……」

「ごめん、言いすぎた」

「へ……?」

「最近、部活も母さんのことも上手くいってなくて、璃斗に八つ当たりした。本当にごめん」

「え、上手くいってないって……」

「忘れて。ちょっと頭冷やす」

「待って! こんな、何も解決してない状態で……っ」

「……多分、今話しても傷つけるだけだから」


 天沢くんは難しそうな、苦しそうな顔をしてうちを出て行った。


 先日、夏祭りに行くときにうちで浴衣を着た時の天沢くんはすごく楽しそうにしていたのに、この家で彼にあんな顔をさせたくなかった。


 自分が悪かったのはよく分かっている。だからすぐにメッセージを送ってみたけど【ごめん】とだけ返事が来て、それ以降は何も返事がこなかったので諦めた。


 さすがに天沢くんを怒らせた自覚と気まずさで、こっちから追撃メッセージを送るのは気が引けたから。


 今まで恋人はおろか友達という友達もいなかったから、喧嘩だってしたことがない。仲直りの仕方もこれからどうしたらいいのかも分からず、俺はただただ天沢くんからの連絡を待つしかなかった。


「天沢くん、もうすぐ誕生日だよね? これよかったらあげるー!」

「私も私も! 季節限定のコンビニお菓子だけど」

「ありがとう。大事に食べるよ」

「当日も祝わせてね〜!」


 天沢くんと喧嘩して以来、音沙汰ない。俺は世界の終わりのように感じているのに現実は無情で、時間もあっという間に過ぎていく。天沢くんの誕生日の日に行われる文化祭も近づいてきて、連日天沢くんが色んな人に祝われている姿だけを眺めているしかなかった。


「雨宮くん、最近なんか元気ない?」

「……ううん、大丈夫。元気だよ」

「そう? えっと、あのね……これ、今日は雨宮くんのために作ってきたの」

「俺に?」

「うん。いつもありがとう! 雨宮くんのおかげで上手くなったと思う!」


 今日は久しぶりに雨が降っている。屋上に続く階段の一番上で俺が会っているのは天沢くんではなく一宮さんで、彼女が差し出したのは可愛いラッピングがされている一口ドーナツ。彼女は結局、天沢くんに渡すお菓子はこれに決めたらしい。


 作り始めた時は焦げたり形が崩れてたりしてたのに、今では綺麗な形をしていた。こんなに最悪な気分なのに、こういう時でも甘いものは美味しい。そりゃそうだ、お菓子に罪はないのだから。


「美味しい、よ……」

「本当? よかったぁ。最後に雨宮くんに綺麗なのを食べてもらいたかったの。今まで本当にありがとう!」


 俺も一宮さんのように明るくて可愛い女の子だったらよかったのかな。


 いや、そんなに単純な話じゃないのかも。


「あ、ごめん! 文化祭の準備で呼ばれてたんだった……もう行くね」

「うん。ドーナツ、本当にありがとう」

「どういたしまして!」


 じゃあね、と手を振りながら一宮さんは笑顔で去っていく。彼女が去ったあとも階段に座って、ぼーっとしながらドーナツを食べていた。


 すると、ちょうど階段下の廊下を天沢くんと数人の友達が通って行って、俺とばっちり目が合った。


 でも――


「(無視、された……)」


 天沢くんと目が合ったはずだけど、ふいっと顔を逸らされた。今までなら、目が合った時はニコッと笑ってくれていたのに。


「(天沢くん、今日は雨だよ。一緒に買い物に行った日から久しぶりの雨……俺たちにとって、雨の日って特別じゃなかったの?)」


 実は、今朝乗ってきたバスでも天沢くんとは会えなかった。詮索するわけじゃないけど、気になって美術室から外を眺めていたらもう一本遅いバスに乗ってきたらしい。


 今日は朝練もあったらしいけど、一本遅いバスでも十分間に合う時間だというのを初めて知った。もしかしたら、今までは無理に合わせてくれていたのかも。


「……あ、やばいかも……」


 胸が痛くて、しんどくて、心が壊れそう。


 もしかしたらこのまま、自然消滅とかいう現象で別れてしまうのかな。面と向かって『別れよう』と言われるよりマシかもしれないけれど、変にずっと期待している状態なのもキツイ。


 恋の終わりってこんなに呆気ないものなのか。


 相手から嫌われると一瞬で、こっちは好きでも相手の気持ちは修復できないものなんだなと感じる。これから奇跡的にまた好きになってもらえるにはどうしたらいいんだろう?もう、そんな奇跡は起こらないのかもしれない。


「……璃斗?」


 顔を埋めて泣いていると、不意に名前を呼ばれる。もしかしてと思って顔を上げると、心配そうにこちらを見ていたのは七緒だった。


「な、なお……」

「どうした、大丈夫か!? 何で泣いてんの? 誰に何された?」

「いや、ちがう……俺が勝手に泣いてただけ、だから」

「理由もなくそんなに泣くのかよ?」

「それは……」


 言い淀んでいると、ぎゅっと強く抱きしめられた。


 七緒が使っている制汗剤の柑橘系の爽やかな匂いに全身が包まれて、体中に伝わってくる七緒の体温に驚いた。


「……俺なら、璃斗のこと泣かせない」

「ななお……」

「俺なら一人にしない。嫉妬して怒ることはあるかもだけど、でも絶対にすぐ仲直りする。だから……好きなんだよ、璃斗。俺やっぱり、まだ璃斗のことが好きだ。お前が泣いてんの見るの辛い」


 きつく抱きしめられながら七緒が伝えてくれる言葉は、本当に直球で素直だ。だから一緒にいると安心するし、いい友人を持ったなと思う。


「七緒……」


 天沢くんと出会って初めて、雨が降っている空は暗いなと感じた。




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