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8.夏空に咲く



 理由がなくても会える関係になりたい、と言って天沢くんと恋人同士になってからずっとふわふわした気持ちでいた。でも高校生というのは忙しいもので、期末テストだったり部活だったり、打ち込んでいるものがあると恋愛を同時に進めるのは結構難しいものなんだなって感じている。


「璃斗、抱きしめてもいい……?」

「ど、どうぞ!」

「あはは、元気がいい返事だね」


 天沢くんは時々、部活の帰りにうちに寄ってくれることがある。大体は玄関先で俺を抱きしめて、頭を撫でて帰っていくことがほとんど。


 母さんが家にいない時は一緒にご飯を食べたりして、それなりに恋人としての交流はできている……と思いたい。


 夏休みに入ってからは、俺は9月初めが締め切りの絵画コンクールに向けて絵の完成を急いでいて、天沢くんはというとインターハイは三回戦敗退、今は春高に向けて部活が忙しい。来週からは予定通り強化合宿があるそうだ。


 お互いに忙しいのは分かっているのだけれど、俺はどうしても夏休みのうちたった1日、いやたった数時間でもいいから天沢くんと一緒にいたい日があった。


「……いつも甘えちゃってごめんね、璃斗。料理頑張ろうって言った矢先なのに」

「いいよいいよ。一日中部活して帰ってきたら作る気力も出ないでしょ? 天沢くんがたくさん食べてくれるの嬉しいし、作り甲斐があるから」


 今日は母さんがいないからうちでご飯を食べていってくれる日。俺は部活があると言っても大体午前中か、昼過ぎには帰ってくるから料理をすることは苦じゃない。それよりも部活終わりにわざわざ会いにきてくれる天沢くんが少しでも元気になって帰ってほしくて、俺のほうからご飯を作りたいって申し出たんだ。


 本当はお昼のお弁当とかも作ってあげたいけど、噂になったら困るかなと思って我慢してる。でも、許されるならいつか作ってあげたいとは思ってるから、漫画やアニメでよく見るカップルが屋上でお昼ご飯んを食べる……みたいなことをいつかやってみたい。


「来週から合宿だったよね?」

「うん。部活は好きだけど、璃斗と会えないと思うと辛いかも」

「そっ、そ、っか……!」


 恋人になった天沢くんは、結構素直だ。もしかしたら今までもそうだったのかもしれないけど、ストレートに気持ちを伝えてくれるから俺はすぐに胸がいっぱいいっぱいになって照れてしまう。


「璃斗は?」

「え?」

「俺と会えなくて寂しくない?」


 こてん、と首を倒してそう聞いてくる天沢くんは、すごくあざとい。惚れたほうが負けとはよく言うけれど、本当にそうだ。


「さ、寂しくないわけ、ないよ……」


 きゅっと、天沢くんのTシャツを引っ張る。こういうのは可愛い女の子とかがやるもんだけど、自然と手が動いていた。


 付き合う前は飲み込んでいた言葉たちを、せっかく恋人になったんだからと我慢するのはやめた。伝えたいことは伝える、素直になる。すごく普通のことだけど難しいことでもあって、俺はまだ練習中だ。


「同じ気持ちでよかった、嬉しい。毎日メッセージ送ってもいい?」

「うん……無理のない範囲で、送ってくれたら嬉しいよ」

「分かった。璃斗も遠慮なく送ってね」

「ぜ、善処します」

「ふは、お願いします」


 眉を下げて笑う天沢くんに頭を撫でられると、とくんとくんと鼓動が早くなる。そして、もう今日しか言うタイミングがないなと覚悟を決めて、俺は口を開いた。


「あの……悠くん。ちょっと相談があるんだけど、いい?」

「相談? どうしたの」

「来週、悠くんが合宿から帰ってくる頃なんだけど、夏祭りがあるの知ってる? 忙しいだろうし疲れてるだろうなとも思うんだけど……一緒に行けたら嬉しいなと思って」


 毎年この時期に開催されている夏祭り。たくさんの屋台が出たり花火も上がるような大規模なお祭りで、昔はよく家族三人で行っていた。ここ数年は家から花火の音だけを聞くだけだったけど、今年は天沢くんと行きたいなと思ったんだ。


 恋人っぽい夏の思い出を作りたい、というのが本音。海はちょっと遠いから現実的ではないし、夏祭りくらいだったら気軽に行けるかなと思ったから。


 でも、俺の誘いに天沢くんは口を開けたまま呆けていた。


「え、天沢くん? やっぱり疲れてるから無理、だよね……?」

「いやっ、違う! そうじゃなくて! ちょうど今日、部活でその話になったんだよ。みんなその日は部活を休みにしたいって言ってたから、俺から誘おうと思ってたんだけど……」


 そう言いながら天沢くんはどんどん真っ赤になっていく。顔だけじゃなくて首や耳まで赤く染めて「ごめん、ちょっと見ないで……」と言いながら片手で顔を覆った。


「璃斗から誘ってもらえると思ってなかったから、不意打ち……めちゃくちゃ嬉しくて、変な顔してる、から……」


 俺の提案が駄目だったわけじゃなくて、嬉しくて照れてしまったらしい。いつも天沢くんから誘ってもらうばかりだから勇気を出してみたんだけど、こんなに喜んでくれるなら頑張ってよかったなって安心した。


「じゃあ、一緒に行ってくれるってこと?」


 天沢くんがするように、俺もこてんっと首を倒して聞いてみる。片手で赤い顔を押さえていた天沢くんは「うっ」と言いながら、今度は右胸を押さえて苦しみ出した。


「えぇっ、どうしたの!?」

「ちょっと……好きな人が可愛すぎて、死にそう……」

「そ、そんなんじゃ死なないよ! それに俺、可愛くないし!」

「はぁー……ほんっと、今までよく無事だったな……」


 胸を押さえていた手は、今度は俺の手をぎゅっと握りしめる。赤い顔と同じくらい熱を持った指先から天沢くんの甘い体温が伝わってきて、夏なのにこの熱が愛おしいと感じた。


「夏祭り、一緒に行きたい」

「よかったぁ……断られたらどうしようかと思った」

「断るわけないよ。璃斗からのデートのお誘いなんて、俺が断るわけない」

「で、でーと……」

「デート、だよ。付き合ってるんだから」


 繋いでいた手をくいっと引っ張られ、手の甲に唇が押しつけられる。ちゅ、とリップ音を立てて離れる一連の動作に釘付けで、天沢くんから目が離せなかった。


「当日、楽しみにしてる。やっと恋人っぽいことできるね」

「あの、でも、学校の生徒とかも多いと思うから……」

「それでも、デートに変わりはないから。どうしよう、今からすごい浮かれてる」


 そこまで俺とのデートを喜んでくれる天沢くんが好きだなって、心の底から思えた。


 夏休みに一つ大きな約束ができたことで物凄くやる気が出たから、好きな人とか付き合うってすごいことだ。天沢くんが合宿でいない間、俺の絵も随分進んだのだから。


「あら、今日は璃斗くんだけ?」

「澪先輩! お久しぶりです。他の部員は少し前に帰ってしまって……俺が最後です」

「そうだったの……補習が終わったから来てみたのだけれど、遅かったわね」

「受験生ですもんね、大変そう……」

「来年は璃斗くんの番よ」

「うわぁ……」

「ふふ。絵の調子はどう?」

「もう完成します。なんとか締め切りまでに間に合いました」

「ずっと頑張って描いてたものね」


 まだ部活を引退したわけではないけれど、受験の準備で忙しい澪先輩が久しぶりに美術室に現れた。俺がずっと描いては消し、描いては消しを繰り返していた絵を見てもらうと「もっと素敵になったわね」と感嘆の声をもらした。


「本当に、璃斗くんの絵って繊細で綺麗だわ。私が大人なら言い値で買うくらい」

「それは褒めすぎですよ……」

「そんなことないわよ。いつか個展を開いたら教えてね、何点か購入するから」

「個展なんて話、澪先輩のほうが先に現実になりますよ」


 澪先輩は有名大学の美術科を目指して頑張っている。澪先輩なら合格するだろうし、今までのコンクール結果を見ても今後を期待されている若きエースだと俺は思っているのだ。


 俺もゆくゆくは美術科のある大学に進みたいとは思っているけれど、来年の今頃はどう考えているか分からない。澪先輩は腕を買ってくれているけど、自分の力はまだまだちっぽけだと感じる部分も多いから。


「璃斗くんと共同展なんていうのもいいわね。想像したらすごく楽しそう」

「わ、それは俺もやってみたいかも……」

「じゃあ、私のことを追いかけてきてね」

「え?」

「私たちは同じ道を進むだろうなって、あなたが入部してきた頃から思ってたの。それくらい私は璃斗くんも璃斗くんの絵も大好きなのよ」


 澪先輩が笑うと、窓から入ってきた風がふわりと長い髪を揺らして、目を離せなかった。


「あ、好きっていう意味はもちろん、後輩としてって意味ね」

「か、勘違いしてませんよ! 後輩として好きだなんて言われるの、すごく嬉しいです」

「そうよね、勘違いしないわよね。璃斗くんは悠しか見てないもの」

「………ふぇっ!?」

「あら、無自覚だったの? それとも隠しているつもりでいた?」

「あああああの……っ!」


 ずばり、言い当てられて混乱した。どうやら俺は嘘をつくのが下手らしい。こんなに焦っていたら『本当です』と言っているようなものではないか。


「って、誤解しないで。責めているわけじゃないし、私は応援してるの」

「お、応援ですか……?」

「ええ。そもそも、悠の気持ちを先に知っていたから」

「天沢くんの?」

「前にうちの学校であった練習試合で璃斗くんと会ったの覚えてる? あの時、悠から何をもらったのかも」

「そういえば、家に忘れ物をしたから先輩に届けてもらったって……美術館のチケットを」

「そう。いつだったか、進級してすぐの頃、璃斗くんについて教えて欲しいって言われたことがあったのよ。仲良くなりたい子が私と同じ美術部らしいから、って」


 天沢くんからもらった美術館のチケットは、俺の好きな画家の展示会だった。確かその情報を澪先輩から聞いたって言ってたっけ……!


「悠は明確に“好き(そう)”だとは言わなかったけれど、璃斗くんとのことをすごく楽しそうに話すものだから女の勘が働いたの。二人の様子を見ていると、もしかしてお付き合いを始めたのかなって……違った?」


 俺の独断だけで澪先輩に事実を伝えていいものなのか悩んだ。男同士、ましてや澪先輩のいとこが男と付き合っていると本当のことを伝えたらどうなるか――


 頭の中でぐるぐる考えたけれど、今まで俺が見てきた澪先輩は性別などで偏見を持つような人ではない。実際、先輩が言ってくれた『応援してる』という言葉を信じて、俺は小さく頷いた。


「せ、先日から……お付き合いさせてもらってます……」

「そうなのね! よかった、だから悠も変わったのね」

「天沢くん、変わりましたか?」

「料理を作りたいからって、うちの母に食材のことを聞いてたわ。悠が家事をするなんて驚いたの。理由を聞いてみたら、璃斗くんが看病してくれた時のご飯が美味しかったからって……あの子、隠すつもりないみたいだったわよ」

「そんなことを……なんか、恥ずかしいです」

「ふふ。私はすごく嬉しかった。悠のお母さんの話を聞いたと思うけれど……璃斗くんと仲良くなってから、明るくなった気がするわ」


 澪先輩も天沢くんの家庭事情を心配していたらしい。まるで天沢くんの本当のお姉さんのように安心した顔をしていて、俺も胸が締め付けられた。


 それと同時に、天沢くんが変わった理由が俺だということにがどうしようもなく嬉しい。天沢くんの事情を知るのも、再会するのも遅すぎたかなと思っていたけれど、結果的に彼がいい方向へ変わってくれたきっかけになれたことがすごく嬉しいのだ。


「少し、悠は自分で背負いすぎる性格なの。だから璃斗くんが側にいてくれるなら私も安心するわ」

「俺には何もできないかもしれないですけど……それでもいいんですか?」

「自信持って、璃斗くん。その“何か”をしてくれないと、あの子は変わらなかったんだから」


 天沢くんと付き合うようになっても自分にまだまだ自信がない俺だけど、澪先輩から肯定されてやっと、少しだけ自信が持てるようになった。


「それと実は、雨宮くんがこの絵を描き始めた頃に“好きってどういう感情か”って話をしたでしょう?」

「そういえば、そんなこともありましたね」

「その後に練習試合で会った時から、悠に対してきっとそうなのねって思ってたの」

「うわぁぁぁ……っ、やっぱり、そうですよねぇ……!?」

「そうねぇ。とっても初々しくて、可愛かったわ」

「わ、忘れてください!」

「いくら璃斗くんの頼みでも、それは無理なお願いね。いつかその時の二人をテーマに絵を描こうかしら」

「めちゃくちゃ恥ずかしい……っ」

「でも私には、二人がすごく輝いて見えるの。恋って素敵ね」


 澪先輩がふわりと笑うと、夏特有の爽やかな風が俺の肌を撫でていった。


 それから天沢くんと夏祭りの約束をしてからあっという間に時間は経ち、今日は久しぶりに会う日。うちの母さんが張り切って「お友達も浴衣着せてあげるから連れてきなさい!」と目をキラキラさせるものだから、天沢くんに無理言ってうちに来てもらうことにした。


 でも、その前に――


「……あんまり楽しい場所じゃないと思うけど、本当に一緒に行く?」

「天沢くんが嫌なら行かないけど……一緒に来てほしいって言ったの、天沢くんじゃなかったっけ?」

「う。そ、そうです……」


 久しぶりに会った天沢くんからお願いされたのは、夏祭りに行く前に病院についてきてほしい、ということ。天沢くんの体調が悪いとか部活でどこか怪我をしたとかではなく、お母さんに会いに行くためだ。


「母さんと会うの、久しぶりで緊張しててさ」

「きっと大丈夫。お母さんも天沢くんと会うの楽しみにしてるよ」


 病室がある階のエレベーターホールでずっとウロウロしながら緊張している天沢くん。そんな彼の姿は初めて見たけれど、俺にだから見せてくれてるのかなと思ったら嬉しくもある。


 ただ、もう10分くらいここにいるので、看護師さんたちに不審な目で見られているのも事実。


「――よし、そろそろ行く」

「うん。一緒に行こ」


 病室に行くまでに出会った看護師さんたちにペコリと頭を下げ、天沢くんのお母さんがいるという病室に足を運んだ。


「母さん、久しぶり」


 四人部屋の一番奥。カーテンが開いていたので見えたのは、窓の外を眺めている髪が長い女性だった。


「……悠? 来てくれたの?」

「最近来れなくてごめん。合宿とか色々あって……元気?」

「ええ、大分ね。姉さんも来てくれるし……って、あら? 悠のお友達?」

「雨宮璃斗です。天沢くんと同じ学校で、澪先輩と同じ美術部です」

「澪ちゃんの後輩? 悠とは同い年?」

「はい。クラスは違うんですけど、仲良くさせてもらってます」

「そうなの。今日は一緒に来てくれてありがとう。こんな格好でごめんなさいね」

「いえ、そんな……! あの、これ心ばかりですが、食べてくださったら嬉しいです」


 天沢くんにお母さんの好みを聞いて、食事制限もないと聞いていたから差し入れに日持ちのするクッキーを買ってきた。個包装されているタイプだからお見舞いに来てくれた人にも出しやすいし、同室の人たちにもあげやすいかなと思って。


 俺が差し入れを渡すと、お母さんは天沢くんとそっくりな顔をして嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう、とっても嬉しいわ。私がこのお店のお菓子を好きだって悠から聞いたの?」

「はい、参考にさせてもらいました」

「悠も雨宮くんのこと見習ったほうがいいわよ?」

「見習ってるよ……最近、自分で料理始めた。璃斗が料理上手で教えてくれるんだよね」

「簡単なものだけですけど……」

「あなたが料理? 姉さんから聞いてたけど、嘘だと思ってたわ!」

「失礼な……退院したら食べさせてあげるよ。絶対に美味しいって言わせるから」


 お母さんは思ったよりも元気そうで安心したけど、精神的に不安定だと感情の上がり下がりも激しいと聞いたことがある。今はタイミングよく気分がよくても、夜になると変わることも。退院もなかなか一筋縄ではいかないのかなって思えたけれど、天沢くんはお母さんの前では『息子』の顔になっていて何だか安心した。


 俺が今まで見てきた天沢くんはみんなの王子様で、勉強もスポーツも万能、成績も優秀でまさに絵に描いたような優等生。でも先日、体調が悪くてダウンしていた天沢くんが吐いた本音を聞いてからは、彼もただの17歳の男なんだよなって思うようになった。


 人に甘えるのが苦手そうな天沢くんが甘えられる人に見せる柔らかい顔が俺は好きだなと思うし、安心する。


「今日はこれから璃斗と一緒に夏祭りに行くんだよ」

「そうなの? 病院からは花火の音くらい聞こえるかしら」

「写真撮って送る。……今年はそれで我慢して」

「ありがとう、悠。いつかまた一緒に見られたらいいわね」


 俺たちが病室にいる間は調子が良さそうに見えたお母さんに挨拶をして病室を出ると、天沢くんは緊張が解けたように深く息を吐いた。


「お疲れ様。大丈夫?」

「……ありがとう、璃斗。大丈夫」

「お母さんとたくさん話せてよかったね」

「うん……璃斗がいてくれたから勇気が出た」


 そう言いながら、エレベーターの中で俺のほうに寄りかかってくる。180センチを超えてる男子にすることではないかもしれないけどそっと頭を撫でると、天沢くんは嬉しそうに笑って俺の手に擦り寄ってきた。


「嬉しい。ありがとう」

「ど、ど、どういたしまして……っ」


 ただ撫でただけなのにひどく嬉しそうな顔をするものだから、犬の耳でも見えるみたいな顔をされると心臓が高鳴った。


「じゃあ、えっと……うちに行くのでいい?」

「うん、もちろん。お邪魔します」

「母さんが張り切っちゃって、ごめんね。嫌だったら着なくてもいいからね?」

「そんなことないよ。こういう時しか着られないし、めちゃくちゃ楽しみに」

「本当? それならいいんだけど……うちの父さんのだし、変な匂いとかしたら恥ずかしい……」

「気にしないって」


 俺だって170センチそこそこあるけど、父さんは天沢くんと同じくらいの背丈がある。母さんは「お父さんが昔着てたやつでね、綺麗に保管してるものがあるから! 久しぶりに誰かが着てるの見たいのよ!」と大興奮で手がつけられなかったものだ。


「ただいまー」

「お邪魔します」

「あ、撫子さん。出迎えてくれてありがとう」

「撫子さん、こんにちは」


 すでに何度かうちに来たことがあるからか、撫子さんもすっかり天沢くんとは顔見知りだ。そういえば、前に撫子さんを彼女だと疑われたことがあったっけ。今になって思い返してみたら、あれは天沢くんの嫉妬だったのかも――


「璃斗!」

「えっ、父さん!?」

「久しぶりだな〜! またちょっと大きくなったか!?」

「うわっ、もう成長しないってば……!」


 リビングからひょっこり顔を出したのは単身赴任中の父さんで、俺の頭をわしゃわしゃ撫で回しながら大笑いしていた。最近は離れて暮らしているので、たまに帰ってくると子供扱いされるので嫌なのだ。


 って、今は天沢くんがいたんだった……!


「ちょ、父さんやめてよ! あ、天沢くんの前で恥ずかしいじゃんっ」

「天沢くん?」


 俺の頭を撫で回す手を止め、撫子さんが足にすりすりしている天沢くんにやっと気づいたらしい。父さんと目が合った天沢くんは「天沢悠といいます。璃斗くんとは同じ学校で、仲良くさせてもらっています」と礼儀正しく挨拶をした。


「璃斗にこんなイケメンな友達がいるとは! しかし背が高いな、君は! バスケ部か何かかい?」

「バレーをしてます」

「そうか! 爽やかなスポーツマンだな!」

「父さん、うるさいってば……近所迷惑!」


 父さんに似なくてよかったなと思うのは、ずばり声の大きさ。家中の窓を閉めていても近所に聞こえるんじゃないかと思うほどの大声で話されると、こっちがヒヤヒヤしてしまう。


「天沢くん、いらっしゃい! 二人とも、浴衣の準備できてるわよ〜!」

「今日は大事なものを貸してもらってすみません、ありがとうございます。お父さんが帰ってきてらっしゃるのを知らず、甘いもので申し訳ないんですけど……」

「そんな、気を遣わないでいいのよぉ! ちょっと璃斗、あなたも天沢くんのこと見習ったら?」

「お、俺だって、ちゃんとしたもん……」

「ふはっ、はは……母さんたち、同じこと言ってる」

「確かに……!」


 お互いのことを見習いなさい、とどこかで聞いたなと思っていたら。そういえば天沢くんのお母さんもさっき言っていたのだ。母親が考えることは大体同じなのだなと、天沢くんとこっそり笑い合った。


「まぁ! やっぱり似合うと思ったのよ〜」

「懐かしいなぁ。古臭いデザインかと思ったが、君はかっこいいから着こなせてるな!」

「あ、ありがとうございます……照れますね」

「いやいや、本当にかっこいいよ!」

「璃斗も似合ってるよ」


 父さんのお下がりである黒い浴衣は天沢くんの普段のイメージともぴったりで、スタイリッシュに見える。一方俺は紺色をベースに薄くストライプの柄が入っているものだ。


「璃斗、靴はどうするの? 下駄出そうか?」

「絶対靴擦れするからサンダルで行くよ。歩けなくなっても困るし」

「それもそうね。じゃあ楽しんでらっしゃい」

「父さんたちはゆっくり晩酌しながら花火の音だけ聞いておくな」

「はーい。行ってきます!」

「汚さないように気をつけます」

「天沢くん、気にしないでね! 二人とも行ってらっしゃい」


 両親と撫子さんに見送られ、浴衣を着て初めての夏デートに出かけた。


「もしかしたら今日も、雨が降るんじゃないかなって少し期待してたんだよね」

「俺も。天沢くんと出かける時、いつも雨だったもんね」

「そうそう。俺たちってそういう運命なのかもって思ってた」

「さすがに天気も、お祭りの味方だったねぇ」

「でも今日ばっかりは晴れのほうが嬉しい。璃斗の顔もよく見えるし」

「へ……」

「傘差してるとよく見えないから。今日は……うなじまでよく見えるから、ちょっと心配」


 天沢くんの視線がじっとうなじに注がれているのが分かって、思わず両手でうなじを隠した。するとくすくす笑われて「何もしないよ」なんて言われると、自意識過剰だったことに顔が熱くなった。


「人が多いから、はぐれないように気をつけて」

「う、うん。大丈夫だとは思うけど……」

「手が無理なら袖でいいから持ってて」


 俺の手を自分の浴衣の袖に持って行って、きゅっと握らせた。これはこれで、手を繋ぐより恥ずかしいと思うのは俺だけだろうか?


「何か食べたいものとか、見たいものある?」

「お腹すいちゃったから、たこ焼きとか焼きそばが食べたいかなぁ」

「じゃあどっちも買おう」

「あっ、ポテト! 天沢くん、トルネードポテトも買お!」

「分かった分かった」


 久しぶりに来た夏祭りにテンションが上がって、天沢くんの肩を叩きながら「アレ食べたいコレ食べたい」と年甲斐もなくはしゃいでしまった。屋台で売ってるものって基本的に高いけど、雰囲気のせいなのかどれも美味しく見えるのだから仕方がない。


「ちょうどあそこ空いてる。座って食べよう」

「めちゃくちゃお腹すいた〜!」

「屋台で売ってるものって何でも美味そうに見えるよね」

「そうそう! いっぱい目移りしちゃったよ」


 祭り会場内にある休憩スペースに座り、来たばっかりなのに腹ごしらえをすることにした。たこ焼きに焼きそば、トルネードポテトに焼き鳥、あとは瓶のラムネ。ザ・祭りを楽しんでいる人たち、みたいなラインナップだ。


「あのさ、璃斗」

「なに?」

「これ食べたらフルーツ飴買いに行きたいんだけど……」

「えっ、意外! りんご飴とかじゃなくて、いちごとかが何個か串に刺さってるやつだよね?」

「うん。部活のマネたちが絶対食べるんだって画像見せてきて……美味そうだなって」

「俺も食べたことないから楽しみ。何にしようかなー……違う種類買って半分こする?」

「……璃斗って、本当に無自覚人たらしだね」

「えっ、また? そんなことないと思うんだけど」

「誰にでも“半分こしよう”なんて言ったら駄目だよ。勘違いする人、絶対いるから」

「だ、誰にでもは言わないよ……悠くんにだけ」


 ここが休憩スペースの端っこでよかった。きっと周りの人には聞こえていないだろう。天沢くんにはバッチリ聞こえたようで、彼は顔を赤くしながら「ありがとう」と言ってラムネをぐいっと飲み干した。


 食べ終えた後、お目当てのフルーツ飴を買いに行った。いくつか屋台が出ていたけれど、どの店も女の子同士やカップルばっかりで、男二人で買いに来た俺たちはちょっと浮いていた。


 でも食べたいと言っていたいちごの飴とマスカットの飴を購入して、写真を撮ったり半分こしたり、恋人っぽいことができたので満足だ。


「あれ、璃斗?」

「あ、七緒!」

「来てたんだ。会えるとか奇跡じゃん!」

「会場広いもんね」

「あー…っと、天沢と一緒か」

「どうも、新海くん」


 もうすぐ花火が打ち上がる時間。場所をどこにしようか迷っていると、七緒とバスケ部の数名と出会った。


「天沢と雨宮くんって仲良かったの?」

「七緒がキレてた時も仲裁してたもんね、璃斗ちゃん」

「でも天沢と接点があるの意外かも」


 バスケ部の人たちからそう言われ、どう説明したらいいのか分からなかった。恋人だと言うわけにはいかないし、友達だと言ったところで『意外』と返されるのは目に見えている。


 七緒は俺たちの関係を知っているけれど、俺と同じようになんて言ったらいいのか分からない、というような顔をしていた。


「前、転校してきたばっかりの頃に道に迷ってたら助けてもらったことがあるんだよ」

「へー! さっすが璃斗ちゃん、天使みたいに優しいのはマジだねぇ」

「……おい、もう行くぞ。花火上がるって」

「でも七緒、いーの? せっかく璃斗ちゃんと会えたんに」

「いいって。こっちはこっち、あっちはあっちで予定あんだから! 行くぞもう!」


 七緒が気を遣ってくれたのが分かる。バスケ部の人たちをグイグイ押しやりながら振り返って「すまん!」と言ってくれたから、小さく手を振って応えた。


「……璃斗“ちゃん”って、呼ばれてるの?」

「え? あぁ……なんでか分からないけど、時々? バスケ部の人たちから」

「ふーん」


 天沢くんは唇をムッと尖らせて、俺の腕を掴んで人混みをかけ分けて歩く。突然どうしたのかと困惑したけれど、少し高台にある人がいない神社に引っ張られた。


「ど、どうしたの?」

「だから、隙がありすぎるんだって……」

「え?」


 ドン、という大きな音と地鳴りのように体が震える感覚がしたのと同時に、唇に熱くて柔らかいものが押し当てられる。


 掴まれた肩が火傷しそうなほど熱くて、角度を変えて何度も口付けられる天沢くんの甘い熱も相まって溶けてしまいそうだった。


「……あんまり、誰にも隙見せないで、璃斗」

「は、は、はいっ」

「特別仲がいいわけじゃない人たちから璃斗ちゃんとか呼ばれてるの見ると、めちゃくちゃ心配するし嫉妬する……」


 色とりどりの花火に照らされる天沢くんの顔がいやに真剣で、多分怒られているにもかかわらずドキッとしてしまった。


「隙を見せないってどうしたらいいのか分かんないけど、が、頑張る!」

「……本当に分かってる?」

「色んな人にあんまりヘラヘラしないように、ってことじゃない……?」

「うん、正解。約束してね、璃斗」

「ん……」


 せっかくの花火は、キスに夢中であまり見られなかった。でも天沢くんとそういう時間を過ごせたことが嬉しくて幸せで、夏の宝物になったのは間違いない。


「そういえば、あのさ……」

「うん?」

「絵が完成したから、コンクールに出す前に見にきて?」

「いいの?」

「いいよ。待ってるね」


 約束のあとにもう一度キスをして。


 俺たちの間で雨の日は特別だけれど、今日だけは降らないでいてくれたことに感謝した。




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