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7.雨上がりの告白



 天沢くんの体調がよくなってしばらくした頃、梅雨明けが発表された。


 連日続いていた雨がぴたりと止み、夏らしい青空が広がる日々が続いている。セミの声が響く暑い日差しの中、俺は再び自転車通学に戻った。当然、天沢くんと朝のバスで会うこともなくなって、あの特別な時間は終わりを告げた。


 でも学校で会えば挨拶を交わすし、たまに廊下ですれ違う時は笑顔を向けてくれる。ただ、天沢くんの看病をしていた時や同じバスに乗って通学していた時のように話す時間はなくて、外は晴れ間が広がっているのに俺の心は曇り空だ。


「璃斗、最近元気ないじゃん」


 昼休み、七緒がそう指摘してきた。確かに梅雨明けしてから、俺はどこか上の空だった。


「そんなことないよ」

「嘘つけ。梅雨明けしたからだろ?」

「……バレてる?」

「バレバレ。でもさ、雨の日じゃなくても誘えばいいじゃん」

「そうは言うけど……」


 体調を崩していた天沢くんの看病のために家に行った日、俺が思わず告白をしようとしたのを遮られた。そして天沢くんから『雨が止んだら、俺に言わせて』と言われたのだ。


 何を言われるのか分からないけれど、そう言ってくれてから早数週間。七緒と喧嘩をしてから停止されていた部活にも復帰して忙しいからか、なんの音沙汰もなく日々を過ごしている。


 あの時の続きを聞きたいなんて自分から言う勇気もなく、天沢くんの言う『雨が止んだら』がいつのことなのか、ずっと待ち続けているしかできなかった。


「あー、もどかしい! 俺が何か理由作ってやろうか?」

「ええ? 何するつもり?」

「たとえば璃斗が体調崩したとか言って――」

「それは絶対ダメ! 嘘はよくない。その嘘がバレた時に傷つくのはお互いじゃん」

「それはそうだけど……見てるこっちがムズムズするって言うか……」

「な、夏休み前には、どうにかこうにか理由つけて会ってみる。絵が完成してからとかだったら誘いやすいし……」

「インハイとかもあるし、時期早めか終わってからのほうが都合つきそうだな」

「そうだ、インターハイ。忙しいよね……」

「おーい。インハイは逃げる理由にならないからな?」

「わ、分かってるよ」


 ほんの何%かは逃げる理由にしようと思ったけれど、七緒にはお見通しだったらしい。痛いところを突かれて言い淀んでしまった。


 でもインターハイ前だから部活が忙しいのも、専念したいのも分かる。だからこそ邪魔をしたくなくて何も言えなくなるのだ。


 本当は家のこととか、それこそ食事のことが今では毎日気になっている。ちゃんと食べたかな?今日は何食べたんだろう?手料理で好きなご飯は何?とか、気がつけばいつも天沢くんのことを考えていた。


 看病をしに行った時に作ったご飯を『美味しい』と言いながら食べてくれた天沢くんの顔を思い出すと、それだけで胸が締め付けられる。もう一度あんな笑顔を見たいし、その時に話したように天沢くんに料理を教えたり、そういう時間を二人で過ごしたい。


 そんなことを思っていると、俺のスマホにメッセージ通知が届いた。送信者を見ると天沢くんからだったから、驚いてスマホを机の上に落としてしまった。


【今度の日曜日、予定ある?】


 突然のメッセージに心臓が跳ねる。慌ててカレンダーアプリを開いて予定を書確認すると、日曜日は何も予定が入っていなかった。


 ドキドキしながら震える手で【なにも予定はないよ】と送ると、すぐに返信が送られてきた。


【一緒にどこか出かけない? ちょっとお願いがあるんだよね】


 画面を見つめながら、俺の頬が緩むのが分かった。天沢くんから誘われただけで天にも昇る気持ちになるなんて、恋というのは単純だ。


【お願いって?】

【看病しに来てくれた時、料理を教えてくれるって言ってくれたの覚えてる?】

【うん、もちろん!】

【その料理も習いたいし……心機一転で新しい食器を買おうかなと思って。付き合ってくれない?】


 付き合ってくれない?という文面にドキッとした。いやいや、勘違いするな。これは『買い物に付き合ってくれない?』という意味なだけで、恋人同士の付き合いを指す言葉ではない。


【俺でよければ一緒に行きたい! 料理は何がいい?】

【初心者でも作れそうなものでお願いします、雨宮先生】

【ええ、そうだなぁ……じゃあ無難にハンバーグとか? 天沢くんの好物でもあるし】

【OK、じゃあそれで。待ち合わせなんだけど、他の買い物もあるし10時くらいでもいい?早い?】

【ううん! 楽しみにしてる!】


 実は、ハンバーグは俺が初めて母さんに習った料理でもある。小学生の頃、父の日にハンバーグを手作りして父さんが喜んでくれたっけ。


 天沢くんの好きな食べ物はハンバーグだって言ってたからちょうどいい。自分で好きな料理を作れるようになれば、冷凍食品やコンビニのご飯よりは栄養が摂れるようになるだろうし。


「おー、璃斗の顔が明るくなった。さては天沢だな?」

「日曜日、一緒に出かけることになった」

「よかったじゃん! で、どこ行くの?」

「買い物。そのあとは多分、天沢くんの家に行く……かも?」

「こう何度も家に行くのを許してるってことは脈ありじゃね?」

「……そういう下心はないから! 純粋に! 料理を教えに行くだけですから!」

「ふはっ、はいはい。頑張って」


 きっと、普通の人なら勘違いしてしまう。なんせ天沢くんは同じクラスの一宮さんのお見舞いも断ったと言っていたし、俺が来てくれるならそれで十分とかも言っていた。


 単純な俺はたったそれだけの言葉で舞い上がってしまう。天沢くんの恋愛対象に入っていないかもしれないし付き合いたいと贅沢なことは言わないから、少しだけ好きでいることを許してほしいなって。


「こういう日に雨が降るってすごい……」


 日曜日、駅で待ち合わせ。梅雨明けが発表されてからずっとカンカン照りの快晴だったけれど、今日は生憎の雨模様。朝の早い時間帯からずっと降り続けていて、止む様子はなかった。


「おはよう、雨宮くん」

「おはよう。本当に久しぶりの雨だね」

「だね。なんだか懐かしい感じがする」


 つい数週間前には毎日見ていた天沢くんの傘。色も形も変わっていないことに、なんだか安心した。


「今日はそんなに移動ないし濡れる心配はないと思うけど」

「そうだね。買い物が済んだ後ってどういう予定?」

「ハンバーグを作るのに必要なものを買って、俺の家でもいい?」

「うん。もしかしたらそうなるかなと思ってた」

「ハンバーグ、上手くできて昼ごはんにできたらいいんだけどね」

「天沢くんなら大丈夫!」

「頼りにしてます、雨宮先生」


 久しぶりに見る天沢くんの私服姿に単純な俺はときめいた。前に美術館に行った時はまだ肌寒かったから長袖だったけど、今日は半袖の服を着ている。いつの間にか服装に変化があるくらいの時間を過ごしているんだなぁ、なんてふと気づいた。


「そういえば、部活は休み? インターハイ前だよね」

「インハイ前でも休息は大事だから。サボりじゃないから安心して」

「それは心配してないけど……せっかくの休みなのに俺と出かけるのって疲れちゃわない?」

「あはは、逆に最高の癒しになるから大丈夫」

「そ、そう……?」


 時々、天沢くんの言葉は本気か冗談か分からない。今日が大雨とは思えないほど爽やかな笑顔を見せながら『癒しになるから』と言った天沢くんの言葉に、俺はよく分からないながらも頷くしかなかった。


「今日はなんで食器を買いに?」

「んー、やっぱりちゃんとしようと思って」

「食生活?」

「うん。冷凍食品とか弁当って手軽でいいけど、毎日そういうのだと自分の心も疲れてたんだなって実感した」

「そっか……」

「雨宮くんの手料理食べたら、作りたての温かいご飯って美味いんだなって……当たり前のことかもしれないけど、俺は随分忘れちゃってたよ」


 天沢くんが苦笑する横顔にきゅっと胸を締め付けられた。天沢くんとちゃんと会話したのも、事情を知るのも俺は遅すぎたかもしれない。でも、今からの時間のほうが圧倒的に長いし、多いのだ。これからはきっと俺が天沢くんにしてあげられることだって多いはずだと、ポジティブに考えることにした。


「いいことだと思うけど、部活も頑張ってるんだからあんまり無理しないで。作るのが面倒だなぁっていう時はそういうのに頼ってもいいと思うし、部活帰りにうちに寄ってご飯食べていくとかでもいいし!」

「……雨宮くんの家に?」

「うん。いちいちバスを降りるの面倒かもしれないけど、うちバス停から近いから! 何か食べさせてほしいって言ってくれたらご飯作るよ」


 俺の言葉に天沢くんはぽかんとしていた。


 え、え、もしかして何か変なこと言った? 家に来てほしいとか、あまりにも図々しかったかな!?


「やっぱり雨宮くんって……」

「な、なに?」

「すっごくお人好しだよね。将来、変な人に騙されて壺とか買わされないか心配。借金の連帯保証人とか」


 なんて大真面目な顔をして言うものだから、今度は俺のほうがぽかんとしてしまった。


「なにそれ! そんなことありません!」

「いや、ありそう……めちゃくちゃ騙されやすそうで心配なんだけど」

「な、ないってば! 今まで引っかかったことないもん」

「社会人になったら今より機会が増えるから……誰にでも優しくするのは考えものだよ」


 ショッピングモールのエスカレーターに乗る天沢くんの背中に「誰にでもじゃないよ……」と呟いたけれど、聞こえなかったらしい。少し振り返って「何か言った?」と聞かれて、俺は首を横に振った。


「どんな食器がほしいの?」

「あー、できればあんまり洗い物が多くならないようなやつ……カフェとかでよく、ワンプレートで料理が出てきたりするよね? ああいうの」

「確かに、大きいお皿に全部乗せたら後片付けは楽だね」

「……ズボラすぎ?」

「なんで? 俺なんて、ラーメンとかお鍋でそのまま食べちゃう時あるよ?」

「うそ? 雨宮くんって意外とわんぱく少年なんだ」

「あはは、男って大体そんなもんじゃない?」

「雨宮くんにそんなイメージがなかった。いつも儚げだし、繊細な感じがして」

「儚げってなに……? 七緒もだけど、天沢くんも俺にすごい偏見持ってるよね……」

「その点だけで言えば、俺は新海くんと仲良くなれると思う」

「俺は喜びづらいんだけど」


 正直、天沢くんと七緒が仲良くなれるならそのほうが嬉しい。でも二人は根本的に性格が合わなさそう……だとも思う。でも俺に対して変なイメージを持ってるのは共通してるから、仲良くなれる可能性もあるのかも。


「あ、ワンプレート用のお皿でも色んな種類があるんだ……」

「これとかいいんじゃない? お皿の中で仕切りがあって使いやすそう。それぞれの味が混ざらなくていいと思う」

「陶器じゃないし扱いやすそうだね、これ」

「うん。洗うのも楽そう」

「じゃあこれにしようかな」


 天沢くんは自然と淡い水色のお皿を選んでカゴに入れた。色の種類はいくつかあったけど、その中でも水色を選ぶのが何だか天沢くんらしくてつい笑ってしまった。


「なんか変だった?」

「ううん。お皿の色、水色なのが天沢くんっぽいなと思って」

「そう?」

「傘も青でしょ? 寒色系が似合うよね」

「それは、えーっと……」


 ただ好きな色の話をしただけなんだけど、天沢くんが照れたように顔を赤く染める。どういう意味を持つ反応なのか分からなくて首を傾げると、恥ずかしそうに「雨宮くんのせいだよ……」と呟いた。


「え、俺のせいってなんで?」

「雨の日に出会ったから、青系の物を持ってたらいつか会えるかもしれないと思ってて……ジンクスとか、ラッキーカラー的な……」

「あ、ああ、そういう……!」


 予想外の理由に俺も顔が赤くなるのを感じた。まさか俺にもう一度会うためのゲン担ぎだとは思わないじゃないか……!


「あの、ありがとう……そこまでしてもう一回会いたいと思ってくれてて」

「俺のほうこそ……怖いでしょ、こんな理由。困らせてごめん」

「そんなことないよ! そのおかげで再会できたんだろうし!」

「そう言ってくれてありがとう、雨宮くん」


 それからひとしきりフロアを見て回って、新しいお皿や茶碗をカゴに入れていった。


「あのさ、天沢くん。お節介だとは思うし、気分を悪くしたら申し訳ないんだけど……」

「なに?」

「食器、全部一つずつでいいの……?」

「え?」

「だって、お母さん……退院して帰ってきた時、同じお皿があって天沢くんが料理を作ってくれたら、すごくすごく嬉しいと思うよ」


 余計なお世話だとは思ったけれど、カゴに入っているものが全部一つずつなのが切なく見えた。入院中のお母さんだは頑張って今の辛い状況を変えようとしているはず。あの家に戻ってきた時に自分の息子が選んでくれた食器があったら、きっと嬉しいと思うのだ。


 その気持ちをそのまま話してしまったのだけれど天沢くんは怒るどころか、嬉しそうな、それでいて泣きそうな顔をして笑っていた。


「うん、雨宮くんの言う通りだと思う。母さんの分も買っておくよ」

「そ、それがいいと思う! 頑張って料理も覚えようね!」

「分かった。いつか母さんに食べてもらうから。多分、俺が作ったって言ったら腰が抜けるほど驚くと思う」

「ふふ。そんなに喜んでくれたら嬉しいね」

「じゃあ……雨宮くんの分も買っていい?」

「え、俺の?」

「料理、教えるだけで帰るなんてことないでしょ? 一緒に食べるまでしてくれたら嬉しいんだけど」


 最初に選んだワンプレート用のお皿とカップを、俺の分だと言って柔らかい緑色のものを選んでくれた。


「あと、雨宮くんのカップを買おうと思ってたんだよね」

「ちょ、ちょっと待って! そこまでしなくても……! 俺は紙皿とか紙コップでもいいし!」

「俺がしたいんだよ。うちに雨宮くんのものがあったら寂しくないし……ダメ?」


 う。イケメンの「ダメ?」ほど破壊力のあるものはない――


「雨宮くんがうちに来てくれた時に使ってくれたら嬉しいんだけどなぁ」

「わ、分かった……ありがとう」

「こちらこそ、一緒に選んでくれてありがとう」


 天沢くんは俺がまた家に来ることを、当然のように話してくれる。それがどれほど嬉しいことか、きっと彼は知らないだろう。


 こんなことをされて『もしかして俺が特別なのかも?』と少しは勘違いしてしまうことを、許してほしい。


 だってこんなのずるい、ずるすぎる。食器を一緒に選ぶなんてまるで一緒に住むかのような買い物にもドキドキしたのに、俺専用のお皿やカップを選んでくれるなんてイケメンがすぎる。


「俺って形から入るタイプなのかも」

「へ?」

「食器買っただけなのに、料理するのが楽しみで仕方ない」


 会計を済ませた天沢くんが本当に嬉しそうに笑うから、ちょっとホッとした。やっぱり俺は天沢くんには笑っていてほしいし、彼の笑顔が大好きなんだ。


「じゃあ、あとはスーパーで買い物だね」

「雨止んでないけど、駅中にあるスーパーで済ませようか」

「だね。買うものは決まってるから、雨がもっと酷くなる前に済ませよう」


 俺たちは買い物を済ませて、天沢くんの家に向かった。雨は相変わらず降り続いていて、まだまだ止みそうな気配はしなかった。


「お邪魔します」

「この前と変わり映えはしないけど、ゆっくりしていって」


 看病をしに来た時は天沢くんの体調不良や空気感もあったのか家の中は暗いイメージだったけれど今日はリビングのカーテンも開いていて、雨が降っているのに何だか明るく見えた。それはきっと、そこら中に置いてあった段ボールがなくなってるのもあるかもしれない。


「片付けたの?」

「うん。雨宮くんが来てくれたあと、家の中が暗いなと思ったんだよね。引っ越しの段ボールもそのままにしてたし……家に対しての俺の気持ちも一緒に封をされてる感じで。だから少し片付けた」

「前より家の中が明るくなった気がする! すごくいいと思うよ。俺、天沢くんには光の中にいてほしいもん」

「光の中?」

「王子様って呼ばれてるからかもしれないけど……明るくて柔らかい光の中にいたほうがキラキラしてて素敵だと思うから」


 ただの本心だったんだけど、天沢くんが顔を真っ赤にして照れていた。


「雨宮くんって本当に人たらしだね……」

「えっ、そんなこと言われたことないよ?」

「きっとみんな、それを黙ったまま雨宮くんに近づこうとしただけだよ……」

「?」

「そのままでいてほしい気もするし、自覚してやめさせたい気も……」

「??」

「やっぱり俺、今度新海くんにお礼を言おうかな」

「どうして?」

「今まで雨宮くんを守ってくれてありがとう、って」

「七緒が? 俺のことを守るってなんの話?」

「雨宮くんが分かるようになったら教えてあげる」


 そういえば、前にも七緒からそんなことを言われた気がする。俺ってもしかして、意外と世間知らずなのかな……?


「じゃあ先生、今日はお願いします」

「はい、一緒に頑張りましょう!」


 調理実習みたいにエプロンをつけて、買ってきた材料をキッチンに広げる。天沢くんの隣に立つと片側がじんわり温かくて、手の大きさや体格の違いに馬鹿みたいに緊張してしまった。


 普通は女の子が経験するような好きな人との料理イベント。俺みたいな男が天沢くんと一緒にするなんて許されるのかな――


「先生。玉ねぎの切り方、これでいい?」

「えっ、あ、うん! 意外と上手だね」

「本当? じゃあ夏休みの合宿、マネージャーの仕事も手伝おうかな」

「合宿があるの?」

「うん、泊まりで。マネージャーがご飯作ってくれるらしいんだけど、雨宮くんに上手って言われたから手伝えるかも」


 合宿。合宿、かぁ……。


 合宿の目的はもちろん部活動。朝から晩まで練習漬けなのだと七緒も言っていた。だから邪な想像をするなんて部活を頑張ってる人には申し訳なく感じるけれど、合宿とか修学旅行とかって学生生活の中で結構な一大イベントなのでは?


 と、ちょっとモヤモヤしたり、するわけで。


「……マネージャーって女の子、だよね?」

「バレー部はそうだね。3年生がインハイ後は引退するかもしれないから、夏合宿は2年と1年の女子だけかも」

「ふーん、そっか……」


 天沢くんの隣でハンバーグソースの材料を混ぜながら、マネージャーが女の子だと聞いて余計な考えが頭の中を支配する。


 いやいや、マネージャーをやってる子たちだって、純粋にバレーボールが好きだから入ってるだけだ。きっとそう。天沢くんが少し仕事を手伝ったくらいで好きになったり、ましてや告白なんて――


 そう思ったけれど、俺だってちょっと優しくされただけでまんまと好きになってしまったのだから人のことは言えないなと肩を落とした。


「……二人とも彼氏いるらしいから大丈夫だよ」

「へっ?」

「なんて、そういう心配じゃないか」


 俺の顔を覗き込んで小さく笑う天沢くんに、胸が締め付けられた。変な心配をしていた俺の考えが読まれてしまったのが恥ずかしくて俯くと、不意にトンっと肩がぶつかった。


「やっぱり、雨宮くんとしか料理しないことにする」

「え、え?」

「一緒に作って、そのあと一緒に食べたいなって思うのが雨宮くんだけだから」


 トスッと、心臓をハートの矢で射抜かれた。こんなに天沢くんのことを好きになっても苦しいだけかもしれないのに、好きになるのを止められない。


 天沢くんの隣にいたい。天沢くんの特別がいい。


 そう思っているって伝えたら、天沢くんは嫌な顔をするかな?


「次はどうしたらいい?」

「あっ、えっと、玉ねぎを炒めます!」

「了解。多分、キツネ色になるまで炒める……だよね?」

「正解! じっくり炒めたほうが甘味が出るから美味しくなるよ」

「へぇ。火が通ればいいのかと思ってた。ハンバーグって奥が深いな……」

「天沢くん、違う料理でもそれ言いそう」


 笑い合いながら玉ねぎを炒めて、ハンバーグのタネを作る。天沢くんは不器用とかではなくて、やり方を知れば何でもできるタイプの人だ。タネも綺麗に成形して、いよいよフライパンで焼いていたんだけど……。


「これ、ひっくり返して崩れたら俺のせいだよね……?」

「そ、そんなに気負わなくて大丈夫! 崩れても味は変わらないから!」

「ていうか、これ裏面焦げてない? 本当に大丈夫かな?」

「大丈夫大丈夫、少し焼き色がついてたほうが美味しいよ!」


 焼き加減とひっくり返す作業が不安なのか、天沢くんは腕組みしてフライパンを凝視しながら静かに焦っていた。そんな姿が可愛くて面白くて、でも笑ったら失礼かなと思って笑いを堪える。


 料理をし始めた頃の俺もそんな感じだったなって懐かしく思えた。


「よし、そろそろひっくり返してみよう!」

「めちゃくちゃ不安なんだけど……試合より緊張する」

「嘘でしょ? 俺は絶対試合のほうが緊張するよ……」

「……本当にいくよ? いい?」

「うん、思い切っていこう!」


 天沢くんが一番不安がっていた裏返す作業は、無事に成功した。そして心配していた裏面も焦げていることはなく、美味しそうな焼き色がついている。


「じゃあ、最後にソース作りしよう! フライパンはそのまま使うからね」

「洗ったほうがいい?」

「ううん、ハンバーグを焼いたあとに残った脂を使うと美味しくなるから」

「そうなんだ……知らなかった」


 食欲をそそる匂いのソースをハンバーグにかけて、サラダやご飯もよそった。お米を炊く時間がなかったからレンジでチンするタイプのご飯だけど、初めてにしては上出来だろう。


 それに、一緒に作ったという事実が何より嬉しかった。


「美味そう……いただきます」

「いただきます!」


 新しいお皿には二人で作ったハンバーグ、新しいカップにはお茶が注がれている。お揃いのように見える水色と緑色の食器が並んでいる光景は、なんだかとても素敵だった。


「美味しい! 自分で作ったハンバーグ、こんなに美味しいんだ」

「うん、本当に、冗談抜きで美味しいよ! 愛情がこもってるのが伝わる」

「愛情……確かに、そうだね」


 雨宮くんのおかげだね、と呟く天沢くんの言葉に俺のほうが照れてしまった。


「今度は違う料理も教えてくれる?」

「もちろん。天沢くんが覚えたい料理があったら何でも」

「ありがとう。料理、ハマるかも」


 食事を終えて片付けをしていると、外の雨音が小さくなってきた。窓の外を見ると、雨雲が薄くなり始めているのが分かった。


「雨、弱くなってきたね」

「うん……そろそろ止みそう」


 ――この雨が止んだら、この前の続きを聞ける?


 なんて、聞く勇気はまだ出なかった。今日はとても楽しくて嬉しい日になったから、このまま幸せな気持ちで帰りたくて。


「雨宮くん、家まで送っていくよ」

「え? そんな、いいよ! バスに乗らなくちゃだし、雨もまだ……」

「雨宮くんをこの家から見送るより家まで送って一人で帰ったほうが、寂しさは薄まるかと思って。それに、俺がもう少し雨宮くんと一緒にいたいんだけど……許してくれる?」


 出た、また、イケメンはずるい。


 何となくだけれど、天沢くんがそう言うと俺が折れるって分かっててわざとやってるんじゃないのかな?


 そう思うくらい的確に自分の武器を使ってくるし、俺はまんまとそれに乗せられる。結局、後片付けをしたあとは映画を見たり話をしたりして夕方になり、天沢くんに家まで送ってもらうことにした。


 止みそうだと思っていた雨はまだ降っていて、あんなに特別だと思っていた雨が少し残念、だなんて。


「今日は本当に楽しかった。ハンバーグの作り方、教えてくれてありがとう」

「俺も楽しかった。また一緒に作れたらいいね」

「うん、絶対」


 最寄りのバス停について、俺の家までの歩調が自然とゆっくりなのは気のせいではないだろう。天沢くんが言ってくれた『もう少し一緒にいたい』という言葉も嘘ではなかったんだなって、心がぽかぽかするのを感じた。


「あ、見て。虹が出てる」


 天沢くんが空を指差した。いつの間にか雨はすっかり止んでいて、晴れ間が覗く空に薄っすらと虹がかかっている。


「本当だ。綺麗……」

「雨上がりの虹って、幸運の象徴なんだって」

「そうなの?」

「うん。いいことが起こりそうだね」


 俺の家に着く頃には、雨は完全に止んでいた。雨雲も切れて、西の空には夕日が差し込み始めている。


「わざわざ送ってくれてありがとう。帰り道、気をつけてね」

「俺のほうこそ一日付き合ってくれてありがとう。また今度……」


 天沢くんがそう言いかけて、言葉を止める。そして俺をまっすぐ見つめて、深呼吸をした。


「理由がなくても、雨宮くんと会える関係になりたい」


 突然の言葉に、心臓が大きく跳ねた。天沢くんの言う『約束しなくても会える関係』がどういう意味なのか分からなかったから、その言葉の続きを待った。


「この前、雨が止んだら俺から言わせてって言ったの覚えてる?」

「う、うん……」

「いつ言おうと思ってたけど、今しかないと思った」


 家の前、人も車も誰もいない雨上がりの静かな通り。遠くの空では虹が浮かんでいて、俺たちはちょうど虹の中に入っているようだった。


「俺、雨宮くんのことが好きです」


 その言葉が聞こえた瞬間、世界が止まったような気がした。


「最初に出会った時から、ずっと。雨の日を待ち続けてたのも、雨宮くんに会いたかったから。でも、今は……雨の日だけじゃなくて、いつも一緒にいたいって思ってる」


 天沢くんの言葉を聞きながら、俺の目に涙が滲んできた。嬉しくて、でも信じられなくて。


 心のどこかで、もしかしたら天沢くんも少しくらい意識してくれてるかな?とか、この優しさが俺にだけだと言ってくれたらいいのにとか、願望を抱いていた。


 でも天沢くんは男の子からの告白を断っていたし、好きな人がいるのだとも言っていたから、俺の恋は実らないものだとばかり思っていたのに。


「天沢くんが、俺なんかを……?」

「“俺なんか”じゃないよ。雨宮くんだから好きになったんだ。優しくて、温かくて、いつも人のことを考えてくれる雨宮くんだから、俺は好きになった」


 天沢くんが一歩近づいて、震える俺の手を取った。その手がすごく温かくて、全てを包み込んでくれえるような感じがして、また視界が滲んだ。


「俺と付き合ってくれませんか? 雨の日だけじゃなくて、晴れの日も、曇りの日も、ずっと一緒にいてください」


 今度の『付き合って』という言葉がどういう意味なのか、さすがに理解できる。買い物に付き合ってほしいではなく、恋人になってくださいの意味。


 天沢くんも俺と同じ気持ちでいてくれたのが、心の底から嬉しかった。


「うん、うん、付き合う……付き合いたい、です……っ」

「……雨宮くんも俺のこと、好き?」

「すき、好きです、大好き……」


 泣きながら精一杯声を振り絞ると、ぎゅっと抱きしめられた。天沢くんは俺の首筋に顔を埋めて「よかった……本当に嬉しい」と言うので、俺もおずおず抱きしめ返す。


 家に母さんがいなくてよかった。通行人が見たら不審に思うかもしれないけれど、今ばかりはゆるしてほしい。


「……雨宮くんに俺の気持ち、あんまり伝わってないと思ってたから。雨宮くんが俺のこと、少しは意識してくれてるの勘違いかと思ってた」

「え! ぜ、全然気づかなかった……俺だけにそう言ってくれてたらいいな、とか思うことはあったけど……」

「結構、素直にアピールしてたつもりなんだけどなぁ……でも結果オーライ、か」

「あのね、言ってくれてありがとう……本当はこの前、俺から伝えようと思ってたから」

「伝えようとしてくれてるの、分かってた。でもこればっかりは俺から言いたかったから……待たせてごめん。本当に好きだよ、璃斗」


 涙で濡れる俺の頬や目尻を天沢くんの優しい手が拭ってくれる。さらりと髪の毛を梳かれて、額にちゅうっと温かくて柔らかい唇が触れた。


「……本当に、部活帰りとか、会いにきてもいい?」

「も、もちろん! いつでも大丈夫っ」

「俺、結構嫉妬深いし独占欲も激しいと思うけど、大丈夫?」

「お、俺も同じだと、思うから……」

「本当? 雨宮くんも嫉妬したり、独占欲あったりする?」

「あるよ……っ。この前、一宮さんからお見舞い行くの変わりたいって言われて、ダメって言っちゃったし……マネージャーの話も、天沢くんが優しくしたらみんな好きになっちゃうからと思って、モヤモヤしたから」

「雨宮くんの素直な気持ち、聞けて嬉しい」


 天沢くんは本当に嬉しそうに笑って、ぎゅっと手を握りしめてくれた。鼻先がくっついてしまいそうなほど近くに天沢くんの顔があると、本当に俺たちは『恋人同士』になったんだなって実感する。


 きっと、雨が天沢くんを連れてきてくれたのだろう。俺は忘れてしまっていたけれど、困っている天沢くんに声をかけてよかった。そしてあの日、苦手なバスに乗ってよかった。


 大体の人は雨を鬱陶しく思ったり嫌いな人もいるかもしれないけれど、俺たちにとってはこれからも雨は特別な日になると思う。


「これから、璃斗って呼んでもいい?」

「うん……うれしい」

「じゃあ、俺のことも悠って呼んで」

「それはちょっと、恥ずかしいかも……」

「徐々に慣れてくれたらいいよ。別れるつもり、ないし……長い付き合いになると思うので」

「ひぇ……っ」


 こつん、と天沢くんの額が押しつけられる。付き合ったばかりだから『別れるつもりはない』なんて言えるのかもしれないけれど、天沢くんが言ってくれたことが何より重要で、すごく嬉しかった。


「は、は、悠くん……」

「うん」

「天沢、悠くん……」

「なあに、璃斗」


 名前を呼ぶと返事をしてくれる。そんな当たり前のことが、宝物のように思えた。


「呼んでみただけ、です」

「これからもたくさん呼んでくれたら嬉しい」


 少し見つめ合うと、それだけで溶けちゃいそうになる。


 雨上がりに現れた虹が消える間際、俺たちは初めてのキスをした。




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