3.晴れ間の約束
土曜日の朝は快晴だった。
カーテンを開けると抜けるような青空が広がっていて、雲ひとつない晴天が視界いっぱいに広がった。今日はカーテンを開けて雨模様じゃなくてもがっかりしなくていい日。なんせ今日は、天沢くんから誘われた練習試合を見に行く日だ。雨の日じゃなくても会えるなんて、まるで夢のようだった。
そうやって朝から機嫌がよかったからか、母さんも撫子さんも不思議そうにしていたものだ。
「今日は朝から機嫌がいいのね、璃斗」
「そうかな?」
「鼻歌歌ってるじゃない。何かいいことあった?」
母さんに指摘されて初めて気がついた。知らない間に鼻歌なんて歌っていたとは。どうやら俺の浮かれている気持ちは、隠しきれないほど表に出ているらしい。
「実はこれから学校に行くつもりで……」
「学校? 土曜日なのに?」
「友達…同級生から、練習試合見にこない?って誘われてさ」
「へぇ、そうなの。何の部活?」
「バレー部」
「バレー? オリンピックの時しか見ないのに珍しい。よっぽど仲のいい友達なのね」
友達、という言葉に少し引っかかりを感じた。天沢くんと俺は友達なのだろうか。まだ数回しか話したことがないし、一緒にいる時間も短い。でも、友達じゃないとしたら何だろう。
さっきは咄嗟に『同級生』と説明したけど、素直に『友達』と言えない不思議な関係。でも練習試合に誘われたということは、知り合いという関係よりは親しい仲になっているかもしれない。
友達の定義ってなに?どこからが友達?
「友達って難しい……」
「なに? なにか言った?」
「ううん、なんでもない! そろそろ出るから準備するよ」
「楽しんでらっしゃい」
「うん、ありがとう」
昼食を済ませ、準備のために2階の自室に足を運んだ。土曜日だし練習試合を見に行くだけだから私服でいいのか、それとも学校に行くのだから制服のほうがいいのか迷う。でも私服だとダサいとか、センスがないと思われるのは結構心に傷を負う。
「制服でいいか……」
学校に行くのだし他の部活の生徒もいるだろうから、結局は制服のほうが浮かないだろう。美術部は基本的に土日は部活が休みなので、土曜日に制服を着て学校に行くのは何とも新鮮だった。体育祭や文化祭の時期は行くこともあるけれど、基本的に行くことはない。
いつものように自転車で学校に向かう道中、胸がドキドキと高鳴っているのが分かった。天沢くんのプレーを間近で見られるなんて、この前体育館を覗いた時とは全然違う。今度は堂々と応援できるのだ。
「ねぇ、見て。やっぱり“王子様”かっこい〜」
「背も高くてイケメンでエースでしょ? そりゃモテるよね」
学校に着くと、土曜日なのに校内には活気があった。うちの学校の女子生徒はもちろん他校の生徒たちも来ているし、保護者らしき人たちもちらほら見える。その人たちが黄色い歓声を上げている視線の先にいるのは、言わずもがな天沢くんだ。
今日の天沢くんは黄色いビブスの11番。対戦相手の高校は赤いビブスをつけて、それぞれアップを行っている。ビブスをつけている人とつけていない人がいるから、きっと天沢くんは試合に出るのだろう。
「あ、雨宮くん!」
どこからどうやって観戦したらいいのか分からなくて体育館の入り口付近でキョロキョロしていると、俺に気づいた天沢くんが笑顔で駆け寄ってきた。
「来てくれたんだ、ありがとう」
「せっかく誘ってもらったから。えっと、どこで観戦したらいいのかな? 邪魔にならないところがいいんだけど……」
「選手とかコーチ以外の生徒は2階だよ」
「分かった、ありがとう!」
「雨宮くん」
体育館の2階を見ると、確かに他校の生徒たちも2階に移動して試合が始まるのを待っていた。他の人と同じように2階へ行こうとしたけれど、天沢くんに呼び止められる。「なに?」と言いながら彼のほうを見ると、体育館の開いているドアから吹いてきた風に天沢くんの髪の毛がふわりと揺れた。
「雨の日以外にも会えて、嬉しい」
「え……」
「練習試合でも勝つから。見てて」
「あ、う、うん」
「それじゃあ」
天沢くんはにこっと笑って、チームメイトのところに戻っていく。俺は言われた通り2階へ上がり、これから始まる試合を待った。
「(え、え、え!? 雨の日以外にも会えて嬉しいって言ったよね!?)」
時間差で先ほどの天沢くんの言葉を意識してしまって、顔が熱くなるのを感じた。
「あのー…」
「は、はい! 俺ですか?」
「はい、あの……天沢くんのお友達なんですか?」
「え?」
他校の制服を着た女の子が数人、俺に話しかけてくる。真ん中にいる子は頬を赤らめて目をキラキラさせ、何だか恥ずかしそうにしていた。そしてそれが何を意味しているのか、この人が何を言いたいのかを瞬時に理解する。前、七緒相手にも同じようなことがあったからだ。
「友達……かもです」
「えっと、じゃあ、お願いしたいことがあるんです」
「なんですか?」
「この手紙を渡してほしくて……」
スッと差し出されたのは、薄ピンク色の可愛らしい封筒。封筒の正面には『天沢悠さま』と、綺麗な字で書かれていた。その手紙がただの手紙ではなくラブレターであることは、いくら恋愛に疎い俺でも分かる。
今時まだ手紙を書く人がいるのかと思うけれど、手書きのほうがメッセージの簡素な文章とは違って思いが伝わるような気がするし、そもそも他校の生徒で連絡先を知らないなら手紙を書くしかない。こういうのを見ると健気だなとか、手紙を書くくらい本当に好きなんだなと思う。
七緒のバスケの試合を見に行った時も同じようなことがあって、その時は七緒に「こういうのは受け取らなくていいから!」と怒られた。でも俺は断るのは苦手だ。それに一生懸命書いたものだろうし、渡すタイミングや方法をすごく考えたのだろうなと思うと、その気持ちを無下にできない。もちろん自分で手渡したほうが印象はいいだろうけれど、そういうのが苦手な人だっている。俺はそう。
「あー…じゃあ、預かりますね」
「本当ですか!?」
「はい。ただ、お返事を届けることはできませんので」
「渡してもらえるだけでいいんです、ありがとうございます……!」
本当に俺が天沢くんに渡すかどうかも分からないのに、彼女は目を潤ませて嬉しがっていた。もしも俺がこの手紙を天沢くんに渡さなかったら、きっと彼女は恨むだろう。知り合いなわけじゃないから簡単に信じちゃダメだよ、世の中には悪い人もいるよ。そんな教訓を教えてあげたいけれど、人の想いが詰まったこの手紙を天沢くんに渡さないなんてこと、できやしない。
――俺は多分、羨ましいだけだ。
天沢くんに素直に『好き』って言える、この子のことが。
「試合開始!」
ピーッという甲高い笛の音に我に返る。受け取った手紙をポケットにしまって下のコートを見ると、天沢くんが最初にサーブを打つ位置に立っていた。
「天沢、ナイッサー1本!」
同じく2階で応援している試合に出ていないメンバーが大きな声で応援していて、先日教えてもらった『ナイスサーブ頼む』という言葉を俺も心の中で声を大にして叫ぶ。本当は声に出して言えたらいいんだけど、それをするにはまだ心の準備やら色々と足りないのだ。
「……うわっ、後ろからっていうのもアリなんだ!」
天沢くんはサーブを打ったからコートの後衛に下がっている。アタックラインの後ろから跳んでスパイクを打つことをバックアタックというらしくて、後衛にいても前衛にいても天沢くんは存在感がすごい。他校の生徒でさえ天沢くんが得点を決めると感嘆の声をもらしていて、全く関係ない俺が「ふふん」と鼻を高くしてしまったほど。
先日初めてまともにバレーボールのことを調べて、ルールがちゃんと分かっていない俺でも試合は面白いと感じるくらい、楽しく観戦できた。周りの空気感とか、選手の必死さとかをリアルに感じられたし、テレビとは違い上から見ることで新鮮さがあって面白かった。
「第一試合は2対1で雲雀丘の勝利! 15分休憩!」
天沢くんだけじゃなくて他の選手の活躍もあり、3セットマッチ中2セット取ってうちの高校が勝利した。練習試合なのであと何回か試合をやるらしいけど、俺だったら一試合でへとへとになるだろう。
ちなみに高校バレーでは3セットマッチの2セット先取が通常で、春高バレーなど大きい大会の場合は準決勝や決勝は5セットマッチの3セット先取だったりするらしい。プロと同じくらいの条件で試合をするって考えただけで文化部の俺は疲れてしまう。
でも天沢くんは汗を拭きながらチームメイトと談笑していて、本当にバレーボールが好きなんだなって感じた。
「わ、あの人綺麗……」
「誰?」
「えー、もしかして天沢くんの彼女?」
「うそ、澪先輩じゃん!」
「澪先輩が相手なら勝てないわ〜……」
なんて声が聞こえてきたので女子生徒たちが注目しているほうを見ると、開いている体育館のドアの外にいる人と天沢くんが話していた。その人は持っていた袋からタオルと飲み物を取り出すと天沢くんに手渡して、二人で何か笑い合っている。
その相手は他の人が言っているように、澪先輩だった。
先輩と天沢くんが並んで立っているのは何ともお似合いで、他の子たちが言っているように『澪先輩が相手なら勝てない』という言葉通り。周りの子たちが落胆している中に混じって、俺の心もぽっかり穴が開いてしまったような気がした。
そんなことを思っていると不意に天沢くんが2階を見て俺のことを指差し、澪先輩がドアの外から中を覗き込んで目が合う。先輩はパッと顔を輝かせて体育館の中に入ってきて、そのまま2階へとやって来た。
「璃斗くん、来てたのね」
「澪先輩、こんにちは。先輩も来たんですね」
「一人で見るのは嫌だったんだけど、璃斗くんがいるならもっと早く来たらよかった」
「……天沢くんの応援、ですか?」
「そうなのよ。急に来てほしいって言われて」
その発言を聞いて、やっぱり二人はそういう関係なのかと確信する。それと同時に自分がもしかしたら『特別』なのかも、と思っていたのが恥ずかしい。やっぱり王子様の隣にはお姫様の居場所で、俺みたいな平凡な男が入る隙なんてないのだ。
「璃斗くん、悠と知り合いだったのね」
「友達とか、そういうことではないんですけど……この前バスで偶然一緒になって、その時に話しかけてくれたんです」
「あれ、璃斗くんってバス通学だった?」
「あ……雨が降ってたので、仕方なく……」
つい先日、澪先輩には『雨が待ち遠しい』とか『恋ってどんな気持ちなのか』という話をしばたかり。もしかしたら勘付かれるかと思ったけれど、案の定先輩はハッとした顔をした。
「あら、それってもしかして……」
「ちちち違うんです! この前の話とは全然関係なくて! 俺、元々雨は好きでしたし……!」
こうやって必死に言い訳をすると肯定しているようなものだ。前にも確かこんなことがあった。澪先輩が何か言いかけた時、ピーッという笛の音と共に試合が始まったので俺たちは同時に口をつぐむ。せっかく試合を見に来ているのだからそちらに集中しようと以心伝心して、俺たちはコートの中に視線を向けた。
「……悠と璃斗くんって、似てるわね」
「え? 俺と天沢くんがですか?」
「一つのことに一生懸命なところか。だから二人が仲がいいのは納得するわ」
「そうですかね……?」
スパイクを決めるたびに嬉しそうな顔をする天沢くん。相手のブロッカーにボールを落とされると悔しそうな顔をする天沢くん。チームメイトが得点を決めたら自分のことのように喜ぶ天沢くん。
俺から見ると天沢くんは本当にバレーが好きなんだなと分かるけれど、俺は彼のように何かに夢中になったことってあまりないかもしれない。だから澪先輩の言う『一つのことに一生懸命』が自分にも当てはまるのか分からなくて首を捻った。
「璃斗くんも絵を描いている時はあんな感じよ」
「……そんなに顔に出てますか?」
「ふふっ、そうね。私にはそう見える」
「それってなんか、恥ずかしいんですけど……」
「どうして? 本気で絵と向き合っているんだなって、私は素敵だと思うわ」
「でもそれを言うなら、澪先輩も同じです。だから……先輩と天沢くんが仲がいいのも、分かります」
「ねぇ、璃斗くん。この前の話覚えてる?」
1セット目を相手の高校に取られ、2セット目が始まるまでの間。俺の隣に立ってコートを見つめていた澪先輩が、先日雨について話した時の話題を持ち出してきた。先輩はあくまで有耶無耶にする気はないのだなと思い、俺もこくりと頷いた。
「恋の話をした時、璃斗くんがもっと大切にしたい想いなら大事に育ててって、私は言ったでしょう?」
「はい……」
「それは今も変わらない。同じ気持ちよ」
手すりを持っている俺の手にそっと澪先輩の手が重なる。学校のマドンナから手を握られているのにドキッとしなかったのは、俺が先輩をそういう対象として見たことがないから。でも多分、天沢くんから同じことをされたらこの小さな心臓は暴れ狂って、収拾がつかなくなるだろう。
そうなる理由はなぜなのか、さすがの俺でも理解した。
「雨宮くん、もしよければ一緒に帰らない?」
結局、練習試合は二試合したうちの一試合はうちの高校が勝った。他校の生徒にも囲まれて大変そうな天沢くんには声をかけずに帰ろうとしたら、女の子たちの輪から出てきた天沢くんに声をかけられる。でもすぐ近くに澪先輩もいて、二人の邪魔をするわけにもいかないからと首を横に振った。
「いや、俺は……自転車で来てるから」
「俺も徒歩で帰るよ」
「え!? いやいや、それは……!」
「ロードワークの代わり。ちょっと待ってて」
「天沢くん……っ」
普通は彼女と一緒に帰るものじゃない?
そう思ったけれど、天沢くんは先輩やチームメイト、女の子たちに挨拶をして再び俺のところへ駆けて来た。
「あの、澪先輩はいいの……?」
「澪ちゃん? あ、そうだった」
澪先輩の名前をちゃん付けで呼んでいることにズキっと胸が痛む。澪先輩も天沢くんの下の名前を呼び捨てにしていたし、やっぱり二人はそういう関係なのだろう。それなのに、どうして俺と一緒に帰ろうなんて……何だか惨めになるじゃないか。
「澪ちゃん、一人で帰れるよね?」
「私を誰だと思ってるのよ。悠はちゃんと璃斗くんのこと送ってあげてね。送り狼にならないように」
「……ならないよ」
「いやっ、あの! 先輩を差し置いて俺が天沢くんと帰るとか、それはやっぱり違う気がします! 俺のほうこそ一人で帰れるので、天沢くんは澪先輩を送っていって。彼女でしょ?」
大丈夫だからと言うと、二人は顔を見合わせたあとに盛大なため息をついた。
「はぁぁ……やっぱり、何か勘違いしてそうだなと思った」
「あなたの責任よ、悠。ちゃんと璃斗くんに説明しなさいね」
「え、ちょ、澪先輩!」
「お先に失礼するわ。璃斗くん、また来週ね」
ひらひらと手を振り、澪先輩は颯爽と去っていく。残された俺は何が何だか分からずに天沢くんを見上げると「……ごめん、俺が悪かった」と謝られた。
「とにかく行こう。ここは人目も多いし」
「あ、うん……」
「自転車で来たのに歩かせてごめん。大丈夫?」
「俺は全然。歩くのも好きだから」
「それならよかった」
今日は雨じゃないのに会えたし、一緒に帰ることもできるなんて。帰ったらこの夢見たいな出来事を撫子さんに報告しなくちゃと思ったけど、喜んでいるのは俺だけ。天沢くんは彼女である澪先輩を先に帰してしまったから、後悔しているかもしれない。
「あのさ、誤解させてごめん」
「なんのこと?」
「澪ちゃん。……彼女じゃないから」
「いやいや、俺には隠さなくても大丈夫。でも他の人に知られたら確かに厄介かもしれないけど……王子様とマドンナが恋人同士なんて、おとぎ話みたいで素敵だと思う」
「だから、違うんだって!」
あまりに必死な声を上げるものだから、きゅっと口をつぐんだ。そして小さく「ご、ごめんね」と言うと、彼はバツが悪そうな顔で頭をぐしゃぐしゃとかき回した。
「澪ちゃんはただの従姉妹。俺の母さんの姉の子供なんだよ」
「い、従姉妹!? 澪先輩と天沢くんが?」
「そう。こっちに越して来たのも、母さんのお姉さん……つまり澪ちゃんのお母さんで、俺の伯母さんがいたからなんだよね」
「そうだったんだ……! 俺はてっきり、美男美女のカップルなのかと」
「まぁ、澪ちゃんが彼女だと思われてカモフラージュできるならいいけど……でも雨宮くんには誤解されたくなかったから」
そんなことを言われると都合よく解釈して勘違いしてしまいそうになる。自転車のハンドルをぎゅっと握って「そっか」と言うのが精一杯だった。
「そ、そういえば、他校の生徒から預かったものがあるんだけど」
「なに?」
「これ……」
試合が始まる前に預かったラブレターを渡すと、天沢くんの眉間に皺が寄る。そういう顔は初めてみたけれど、一瞬で冷たくなった雰囲気には覚えがあった。先日、バス停で撫子さんのことを俺の彼女だと勘違いしていた時も、こんなふうに冷たい空気を醸し出していたのだ。
「こういうことさせてごめん。次は断っていいから」
「分かった。やっぱり天沢くんもそういうタイプなんだね」
「そういうタイプ?」
「俺の友達も、こういうのは律儀に受け取って渡さなくていいからって。本人からもらったほうが気持ちが伝わるもんね、こういうのは」
「……多分、そういう意味じゃないと思うけど……」
「え?」
「なんでもない、ありがとう。実は俺も雨宮くんに渡したかったものがあって……でも家に忘れてきたから、澪ちゃんに届けてもらったんだ」
「ああ、だから……」
澪先輩は『急に来てほしいと言われたから』と言っていた。そして澪先輩が持っていた紙袋を天沢くんが持っているから、忘れ物はそれだったのだろう。俺に渡したいものってなんだろうと思っていると、天沢くんはほんのり頬をピンク色に染めて「これ……」と長方形の紙を取り出した。
「え。これって美術館のチケット!?」
「美術部なのは知ってたし、澪から好きな画家も聞いた。ちょうど美術展があるって知ったから、今日来てくれたお礼にと思って」
「ほ、本当にいいの!?」
「もちろん。……一緒に行ってくれたら嬉しいんです、が」
「へ……」
よく見ると、美術館のチケットは二枚。つまり、俺と天沢くんの分、というわけで。
俺は天沢くんと知り合ってまだ日が浅いけれど、一つわかったことがある。
「……天沢くんと一緒に行きたい! よろしくお願いします」
天沢くんは多分、照れたり恥ずかしい時は、耳が真っ赤になる。今日は傘にも雨雲にも隠れていないから、よく見えた。意外と可愛い癖があるんだなと発見できたのが嬉しくてくすくす笑っていると「なに? どうしたの?」と顔を覗き込まれて「なんでもない」なんて、答えるのがくすぐったかった。
「そういえば、試合見てどうだった?」
「面白かった! 普段上からって見ないから新鮮だったし、ボールがよく見える感じがして」
「そっか、楽しかったなら誘ってよかった」
「他校の子とかも応援に来るんだね。でもみんな天沢くんが得点決めたら盛り上がってて、すごいなぁって思ったよ」
「雨宮くんもすごいって思ってくれた?」
「もちろん! 本当にかっこよかった。みんなが天沢くんを王子様って呼ぶのが分かる」
「……王子様みたいな俺が好き?」
「す、きというか、かっこいいとは思う」
「実は子供っぽい一面があっても引かない?」
「子供っぽい一面? たとえば?」
「ハンバーグが好き、とか」
隣を歩く天沢くんの言葉に俺は思わず足を止めた。すると彼が慌てて振り向いて「やっぱり引いた?」と焦っているので、そんな顔も新鮮だなと眺める。みんなの言う、背が高くてイケメンで文武両道な王子様の可愛らしい一面を知ってしまった俺は、心臓を手で押さえて顔を歪めた。
「い、ったい……!」
「え!? 雨宮くん、大丈夫!?」
「天沢くんのせいで心臓が痛い……」
「俺のせい!?」
心臓を押さえて唸っていると、あわあわしながら背中をさすってくれる天沢くん。名前と顔しか知らない時はクールで無口な人かと思っていたけれど、全然そんなことはなかった。むしろ天沢くんを知れば知るほど可愛いと思ったり、意外な一面を知れるのを嬉しく思う。
美術館のチケット一つとってもそうだ。俺が勝手にバレーボールのことを調べて興味が出ただけなのに、天沢くんは同じように俺の好きな美術のことを知ろうとしてくれる。友達同士でも相手が好きなことを知ろうと積極的に思う人はほんの一握りだろう。
こういうところがあるから『特別』だと勘違いしてしまうのだ。
「今の、忘れて……かっこわるかったから」
「どうして? 別にかっこわるくないよ。なんのご飯が好きでも人それぞれだし……ハンバーグが子供っぽくてかっこわるいなら、俺はオムライスが好きだからお子様なのは同じだね」
「……優しいね、雨宮くんは」
「ええ? そんなことないよ。本当のことを言ってるだけだし」
いつもよりも、今日はゆっくり歩いている気がする。自転車を押すスピードが亀と同じくらい遅いと感じるし、隣を歩いている天沢くんのペースもゆっくりだと思う。俺は『この時間がもっと続けば良いのに』と思っているからゆっくり歩いているけれど、天沢くんもそう思ってくれていたら嬉しいのにな、なんて。
「子供っぽい面も引っくるめて天沢くんだから、そんなことで引いたりしないよ。むしろ今まで怖い人なのかと思ってたからホッとしたというか」
「……俺、雨宮くんから怖い人だと思われてたの?」
「怖い人っていうか、クールで無口な性格なのかなって……話したことがなかったから、第一印象でそう思ってた」
「第一印象最悪だったんだ……」
「本気で怖いと思ってたわけじゃないよ? ただ、近寄りがたいっていうか、自分とは住む世界が違う人だって思ってたから」
天沢くんはキラキラした綺麗な世界の中心にいるような人で、俺は暗い場所にポツンと一人でいるような性格。あまりにも住む世界が違うから遠くから眺めているだけで、近づこうと思ったことは一度もなかった。
でもあの日、俺がポツンと一人でいるようなあの雨の日。天沢くんが声をかけてくれた時から全てが変わってしまったのだ。
「じゃあこれからは、雨宮くんが一番話しやすくて近寄りやすいって思えるような人になるから」
「そんな、天沢くんは十分そんな人だよ?」
「俺って欲張りなんだよね。だから、一番がいい。今の雨宮くんの一番は新海くんでしょ?」
「七緒のこと知ってるの?」
「うん。バスケ部のエース……最近よく睨まれる」
「え! 七緒ってばそんなことしてるの!?」
確か七緒は、天沢くんにまつわる変な噂はバスケ部の中では有名だと言っていた。俺が天沢くんと仲良くすることを快く思っていないのは明らかだったけど、まさか天沢くんを睨んだりしているなんて思っていなかったのだ。
天沢くんが前の学校で何か問題を起こしたとか、女の子を取っ替え引っ替えしているとか言っていたけれど、何回か会った印象では全くそんな噂は当てにならないことだけが分かる。所詮噂は噂で、誰かしらが天沢くんを妬んで変な噂を流しているだけだろう。
七緒も噂なんて信じなきゃいいのに、変なところで頑固なところがある。週明けに会ったらやめてほしいって言わなければ。
「気がついたら、って感じかな。俺に何か話したいことがあるようにも見えるけど」
「ああ〜…ごめんね。俺のほうからやめてって言っとく」
「……ね。今の雨宮くんの一番は新海くんなんだよ」
「へ? どういうこと?」
「もしも今の話で俺と新海くんが逆の立場なら、雨宮くんはまだ俺にやめてって言えるほど近い関係じゃないと思ってるよね?」
「た、確かに……」
「俺はそれが嫌だから」
どうして『嫌なのか』は教えてくれなかったけれど、自惚れてもいいのかな。天沢くんは俺と友達になりたいと思ってくれていて、その中でも一番になりたいと言ってくれている。
今日は雨が降っていないのに会えてラッキーだったのに、こんなに嬉しいことまで言ってくれるなんて。もしかしたら明日は雹が降ったりしないかな?
「あ、じゃあ俺ここだから……今日は本当にありがとう、楽しかった」
「俺のほうこそ来てくれてありがとう。雨宮くんがいると思ったら頑張れたよ」
結局天沢くんは家の前まで送ってくれて、俺が玄関を閉めるまで見送ってくれていた。玄関のドアを閉めると、家の前から彼がいなくなる気配がして寂しく感じる。とく、とく、と甘く脈打つ胸を押さえていると「にゃーお」と鳴きながら撫子さんが足に擦り寄ってきた。
「あら、璃斗。帰ってきてたのね」
「う、うん。ただいま」
「おかえり。練習試合どうだった?」
「面白かったよ。普段なら見えない上から見てさ」
「へぇ、よかったわね。誘ってくれたお友達に感謝じゃない」
「……ん、そうだね」
母さんの言葉に、俺は頬を染めながら頷いた。母さんに見られる前に俺は部屋に駆け込んで、ぼふっと音を立てながらベッドにダイブする。枕元に置いてあるクッションをぎゅっと抱いて、部屋の天井をぼーっと見つめた。
今日はバレーボールが面白いということと、俺が天沢くんを好きかもしれないこと、天沢くんが俺の一番の友達になりたがっていること、天沢くんが美術館に誘ってくれたこと、澪先輩と天沢くんが従姉妹同士など……たくさんのことが分かって頭がパンク寸前だ。
「また明日も、会えるかな……」
ただの独り言だったのだけれど、いつの間にか部屋の中に忍び込んでいた撫子さんが「にゃあ」と一声鳴いて、ベッドに飛び乗ってきた。彼女の声はまるで「きっと会えるわよ」と言ってくれているようで、抱いていたクッションを離して撫子さんを抱きしめる。ゴロゴロと喉が鳴る音が一種の子守唄にも思えて、俺の瞼は次第に閉じていった。